捧げるは少年の腕
ハルクとボイド達の戦闘が始まるころ、チェシャとアリスも再びお互いの武器を交えていた。
銃声が何度も鳴っているのに、彼らの部屋に硝煙の匂いが立つことはない。
「無駄だって、何度言ったら分かるの?」
チェシャが進もうとする先に魔弾をばら撒き、徹底的に妨害するアリスに油断はない。
余裕そうな振る舞いとは裏腹に、一度のミスを拾われてしまえば自身が危険になる。それを彼女は重々承知していた。
勿論、スカーサハのサポートを受ける限り、そのミスが起きることが無ければ、近距離戦でも戦える。
故に彼女の言葉は真実と嘘を同時に孕んでいた。
「……」
魔弾を弾きながら少しづつ距離を詰めるチェシャに返事をする余裕はない。
黒騎士になってはいないものの、龍との全力戦闘で彼の体の浸食具合はもう七割をとうに超えている。
それに伴い、身体能力の恩恵も受けている。ここで黒騎士に変わった所で見た目が変わる程度の変化しかないのだ。
服や手袋で覆い隠しているだけの差。チェシャの意地でもあったが、これが彼の全力に近いとアリスに悟られれば妨害ではなく攻撃に転じてくる。
今彼女が妨害のみに徹しているのは、彼が黒騎士になった瞬間に緩急の差でやられることを危惧しているからだ。
──普通に無理だ。……どうしようかな。
偽の手札で拮抗を保ち続けるチェシャにはもう手札がほとんどない。
ポーチが燃えてなければ話は違っただろうが、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
チェシャはこの場を無事に乗り切ることを諦める。
初めからこうすればよかった。そんな後悔が脳裏をよぎる。
彼女はきっと五体満足でなければ悲しむだろうが、死ぬよりははるかにマシだ。
──うん、贅沢は駄目だよな。
チェシャが短い黒槍を生成し、地面にばらまく。
詰めるためには飛んでくる弾数を減らさなければならない。となれば、先程のようにドローンを破壊するかして隙を作りたい。
しかし、アリスもチェシャが詰めてきたのを一度見ている。二度同じ過ちは犯さない。
スカーサハのサポートを十全に受け、全てのドローンの銃口を黒槍に合わせて一斉発射。
全弾狂いなく命中し、チェシャの元からすべての黒槍を弾き飛ばした。
アリスの、完璧な妨害だった。
──だが、気を取られた。既にチェシャの姿はアリスの数歩前まで迫ってきている。
チェシャが欲しかったのは僅かな隙。黒槍を破壊されようと、結果的に時間が出来れば問題ない。
──間違えたッ……!?
スカーサハの予測で生み出された黒槍が投げるためだと気付いたことまでは合っていた。
間違ったのはその対応。さきほど距離を詰められた時の記憶が色濃く残っていたせいで、対応を焦ってしまった。ドローンの射撃も周囲の黒槍に使っている。
つまり、チェシャが完全にフリーになる。
己のミスを悔いながらアリスが銃口をチェシャに集めるも時すでに遅し、ここまで近ければ誤射でアリスの動きまで制限してしまう。
「アリスッ!!」
チェシャが槍を構える。
もうアリスは彼のリーチ内だ。
だが、ドローンはなくともアリスの手には二つの魔拳銃が握られている。
スカーサハの予測に基づき、槍の軌道上に弾を撃ち放つ。
一発目は槍を弾く程度の弱さ。二発目で壁まで吹き飛ばすほどの魔力を込めた強さだった。
二発目をまともに受ければ常人は四散するほどの威力。
だが、アリスに自殺の覚悟はあっても、誰かを見知った人間をこの手で殺す覚悟はなかった。
そのためスカーサハの予測に従い、二発目を黒い皮膚に覆われた場所に狙いを定めていた。
半黒騎士した場所ならば耐えられるのを考慮した攻撃だ。
槍を弾き、隙を晒した彼の五体に魔弾をお見舞いすることで状況をもとに戻す狙い。
彼女の狙い通り、銃弾は想定通りの軌道を飛び──
彼の腕に命中した。
槍は弾かれていない。否、そもそも彼の手から黒槍が消えている。
弱い魔弾はチェシャのアームガードを壊すだけにとどまった。
しかし、彼の体勢は崩れていない。
故に二発目は彼の左腕に吸い込まれ──
──……!?
はじけ飛んだ。
アリスの目の前でロケットの如く血を噴き出す腕が宙を舞う。
理解が追い付かない。自分がやってしまったという認識だけが先行し、アリスの指がもう引き金から外れてしまっている。
──なんで!? どうしてッ!?
加速された思考の中、その思考能力は現状の理解ではなく、チェシャが何故この行動を取った理湯の模索に使われる。
しかし、結論は出ない。
いくら思考を加速されようと、この刹那の短い時間では結論を出すことがアリスには出来なかった。
起きた出来事を処理できなかった彼女はついにチェシャの前で無防備を晒す。
「~~~~ッ!」
「……きゃっ!?」
まだ黒い皮膚に覆われていなかった肘を貫かれ、腕から血を噴出しながらチェシャは右腕でアリスを押し倒す。
そして、辛うじて半分燃えカスが残ったハンカチを彼女の口に押し付けた。
「んんぐッ~~!!」
「……うッ──!?」
だが、片腕のチェシャではスカーサハの支援を受けている彼女を押しとどめられない。
すぐに拘束を押しのけたアリスは足で彼の体を抑えると、銃口を彼の頭へ向けた。
形勢逆転。
なんとか乗り切ったアリスは荒い息を吐きながら表情を歪める。
倒れているチェシャの肘先からは今もなお血が垂れ続け、地面に血だまりを作っていた。
出血多量。放置すればチェシャは死んでしまうだろう。だが、アリスが彼に応急処置を施すことは出来ない。
少なくとも今は。
互いが無事に終わるほど温い戦いをするつもりはなかった、けれどここでチェシャを殺してしまえばアリスがなんのためにやってきたのかが分からなくなる。
どうせ、二人とも死んでしまうのならば逃げた方がよかったのではと、今更ながら彼女に迷いが生まれた。
せめてと、感情に流されるままアリスはこの行動の理由をチェシャに尋ねる。
「どうし──……」
しかし、激情のまま言い放ったアリスの言葉は最後まで言い切ることは出来ず、歪んだ表情のままゆらりと倒れる。
「……すぅー……はぁぁぁ……」
今度はチェシャが立ち上がり、今しがた倒れたアリスを見下ろす。彼女は悲痛に顔を歪めながら、寝息を立てている。
それを確認した彼は無事賭けを通せたことに安堵の息を吐いた。
チェシャが使ったのは今朝ソリッドに使った睡眠作用の霧吹き、その中身を染み込ませていたハンカチだ。
胸元には別の物を入れているため、ポケットに入れていたハンカチは熱にやられ半分以上燃え尽きていた。
辛うじて染み込ませておいた分が生きていたのは僥倖としか言いようがない。
「……んッ」
掌握魔力を使い、途切れた肘先を琥珀色の物体で覆い隠す。
これで出血は一応止まった。
「スカーサハ、居るんでしょ?」
『はい。何か御用でしょうか?』
「うわっ……」
一度落ち着けたチェシャはアリスから銃を奪い取り、今度はスカーサハに話しかける。
すると、返事が脳内に帰って来た。ぐわんと反響する音に慣れない彼が顔をしかめる。
「アリスに何かしてるんでしょ? 止めてもらっていもいい?」
『……サブマスターの要請、並びにサブオーダー”彼女から彼女をなくすな”に従い命令を受諾。マスターへの身体サポートを解除します』
アリスの瞳から赤が失われ、夜闇を思わせる黒い瞳が帰って来た。
意味深なスカーサハの言葉に疑問を感じたものの、今は無視したチェシャがアリスのそばに屈みこみ、ぺちぺちと彼女の頬を叩いた。
「……ん、んんぅ?」
「おはよ」
「ん……チェ、チェシャ!?」
彼女の目に映るよう、顔の前でひらひらと手をふるチェシャ。
最初に手を認識したアリスが徐々に焦点を合わせていき、チェシャの姿を捉えた彼女はがばりと身を起こした。
臨戦態勢を取ったアリスが遅れて武器もスカーサハの支援も無いことに気づく。
「俺の、勝ち。だよね?」
「…………そうね」
アリスは渋々と敗北を認める。
片腕を失ったチェシャでさえ、今のアリスでは勝てないのを悟ったが故のこと。
嬉しいような悲しいような。意味不明なことをしたチェシャに怒りたいような。
だけど、彼との時間を過ごせることはやはり楽しいような──色々な感情が彼女の中で巡り続ける。
「……よし、じゃあ見せたいものがあるんだ」
「……?」
「ちょっと待って。……。…………」
場が落ち着いたことを確かめたチェシャが意を決したように口火を切り、胸元をごそごそと漁る。
胸当ての裏、右胸ポケットの物を取り出したかったのだが、左腕がなくなったチェシャでは胸元を引っ掻くことしか出来ない。
がしがしと胸元を引っ掻き続ける彼。
何とも酷いありさまにアリスも苦笑を隠せなかった。
「ふふっ……何してるのよ」
「いや……だってさ……取れない」
面白い光景ではあったものの、彼をこうしてしまったのは自分であるため、アリスは心の底から笑えない。噴き出したのもどこか自嘲するような陰が見える。
その罪悪感が入り混じった苦笑いはチェシャにも焦りとなって伝播した。
アリスの感情を受けた彼は暫し考え込むと胸をグッと突き出した。
「……取って」
「……わ、分かった。……えーと──……これっ」
突然の奇行。
アリスは困惑交じりに彼の胸元をまさぐる。
胸当てのせいで取り出しにくかったものの、何やら硬い箱のようなものを見つけ、それを一息で引っ張り出す。
出て来たのは藍色の箱。
手に収まるサイズで、立方体を上から少し押し縮めたような見た目だった。
それを見たアリスは既視感を感じた。
だが、何故かは分からない。具体的にこのようなものを見たことはない。だが、何度か頭の中では目にしている。そんな実感があった。
──……何かの本で見たのかな?
答えが出せぬまま、アリスは箱をじっと見つめる。
チェシャは何も喋らない。否、喋らないというよりは声が出ないといった感じの黙り具合だった。
「……それ、開けて」
何やら苦悩していたらしいチェシャはやがて諦めて肩を竦めると、ぽつりとこぼす。
本当は彼が自分で開けるつもりだった。
しかし、そんなエゴよりも大事なことがある。苦悩の末の彼の頼みを受け、アリスはその箱を開けてみる。
箱の中には小さな金属の輪っかが入っていた。
銀色に輝く輪っかには赤みがかった小さな宝石が付いている。
丁度アリスの指に収まりそうな大きさの指輪だった。
アリスにはそれが何という名前か、すぐに理解した。理解すると共に、はっと顔を上げる。
その先には、顔硬くして真剣な表情で彼女の顔を見つめるチェシャが居た。
箱の中に入っていたのは婚約指輪。それが何を意味するか、分からないものはいない。
これが彼なりの証明であり、本心──世界なんて壮大なものではなく、単純な彼なりの理由だ。
逃げるというのなら楔を打ち込んでしまえと、ある意味男らしく無理矢理な表意。
彼女の手にそれが載せられていることの意味をチェシャはゆっくりと口にした。
「──俺と……結婚してください」
八章はこれにて終了です。昼頃にあとがきと連絡を活動報告に記載します。
追記
九章は2月下旬、20日を目処にしています。
遅くとも25日には投稿を始める予定です。今暫くお待ちください。