最後の仕事
「……ぐっ」
壁に埋め込まれたチェシャが構成材の瓦礫と共に這い出る。
どう考えても劣勢だ。そして、それをひっくり返すのも難しい。
チェシャが投げた槍で破壊したドローンも補充され、元の数に戻っている。
「チェシャ君、やはり一人では……」
「……いい。負けたら負けたで終わり」
見かねたボイドが再びチェシャに声をかけるも、彼はふるふると首を振る。
これは彼の意地で、そして彼女の覚悟に合わせるための意思表示だ。負けてしまったなら潔く諦めるつもりですらある。
「見栄を張ってもいいことなんて、一つもないがのぉ」
そんなチェシャを窘めたこの場の誰でもない声。突然の見知らぬ声に、皆が声の主が居る方へ顔を向けた。
「……ハルク──!?」
「久しいの、二節ぶりか?」
紺の甚平を身にまとった白髪老齢の男性。そして、探索者におけるチェシャの師、ハルクが槍を担いで朗らかに手を挙げた。
「どうしてこんなとこに……」
「手紙、送っただろう? 儂の最後の仕事さね」
ハルクがチェシャの元へまで寄ってきて、肩に手を置く。
長い旅を、長い試練を乗り越えて来た彼への労いのようだった。
その労いを受け取れるのはチェシャも嬉しかった。
……だが、同時に悲しくもあった。
──パンと、乾いた音が響く。
チェシャがハルクの手を弾いた音だ。
ハルクが現れたことに驚かされた皆が、今度はチェシャの行動に目を白黒させる。
途端に静まり返るコアルーム。スカーサハが黙々と動く電子音がやけに響いた。
「……」
「──何故気付いた?」
ハルクの質問の後にカランと音が立てて、苦無がハルクの袖口から零れ落ちる。
チェシャが手を弾かなければどうなっていたか、想像に難くない。
「手紙。二回送ってくれたでしょ?」
「そうさな」
「で、俺はハルクにアリスのことはアイスとしか言ってない」
「……ふむ、やらかしたか」
ハルクはアリスの名を知らない。はずだった。しかし、手紙ではアリスと書かれていた。
チェシャはずっとそれが気がかりだった。素性がよく分からないハルクだったが、アリスの名前を知っている時点で味方かどうか分からない。
だから、警戒した。
そして、ハルクの僅かな殺気に気付いた。
「ハルクは敵か、味方か、どっち?」
「これを見れば分かるだろう?」
地面に落ちた苦無をハルクが指さす。チェシャには見慣れない武器だったが、短剣、もしくは暗器の類だと彼は推測する。
「ボイド、お願い」
「勿論だ。ソリッド、クオリア!」
「分かってる!」
「おうよ!」
正直、今のチェシャにはハルクなどどうでもよかった。
恩義は感じている。だけど、それとこれとは別だ。
少なくとも、今のチェシャにとって生きる意味はアリスといっても過言ではない。目的を失っていた彼が再び歩き出せたのは彼女のお陰で、その彼女が困っているのなら、すべてを殴り捨ててで助けると既に決めている。
だから、チェシャはボイドを頼った。ハルクの存在はこの戦いに関係ない。ならば仲間たちを頼る理由を見つける方が難しかった。
「アリス嬢、ドローンを数機借りても良いかね?」
「ええ、好きに使って。……スカーサハ。部屋、半分落として」
『了解しました』
アリスも邪魔されたくないのはチェシャと一緒だった。コアルームの半分の床を下降させ、ボイド達が居た場所を下の階へ強制的に移動させる。
チェシャは落ちる地面から飛びのき、アリスの居る階へと戻って来た。
*
「ハルクさん、でしたね。何故、アリス君につくのですか?」
ボイドが丁寧な口調で尋ねる。
チェシャの師であることは聞いていたものの、情報が少ない。どうやってここに来たかも含め問いただす。
これは、もしボイド達三人でハルクを止められない時に備えての時間稼ぎでもあった。
三人の目的はハルクを倒すことではなく、チェシャの邪魔をさせないことだ。
無理して戦う必要はどこにもない。
「仕事……それだけさね。今わしらにとって重要なのは誰が敵で誰が味方か、それだけだろう?」
「まあ、間違いではないです。ですが、私たちは貴方を倒す必要もなく、足止めをしたいだけですから」
チェシャが探索者として活動できているのはハルクのお陰ともいえる。直接的に力になれることは少なかっただろうが、ボイドはそんな人物を間違っても殺したくはなかった。
彼が敬語なのもそういった理由があった。
「……そうかい。……正直なところ、さっきのが失敗した時点でもう諦めてるからねぇ。話がしたいならそれでも構わないさ」
「……チェシャ君曰く、歴戦の達人だとお聞きしていますが?」
「昔の話だ」
「それは……!?」
ハルクは小さく肩を竦めると、甚平の袖をまくって見せる。
そこから覗いたのは、機械人形の腕に使われているのと同じ素材で出来た義腕だった。
恐らく、前は偽装していたと思われる薄い肌色のカバーが少し残っていた。
「……っ」
「……じいさん、それなんだよ」
クオリアが目を見開き、ソリッドが思わずハルクに尋ねた。
今まで人だと思っていたのが、突然機人だとカミングアウトしたことに三人とも驚きが隠せない。
「儂はアリス嬢と同じ時代に生きていた人間だよ。勿論、まともに生きれるはずもないのは分かるだろう? だからちょいと体を弄ったって訳さね」
ハルクが手をひらひらとさせながら言う。
全体的にゆったりとした服の甚平だからこそ気付かなかったが、彼の関節の動きはぎこちなかった。
「……それで、今まで何を?」
「ここまで来たってこたぁ、だいたい知っているんだろう? 儂は時期に目覚めるアリス嬢が動くための師たち作りさ」
ハルクは上を見上げる。抜け落ちた床で出来た穴から聞こえてくるのは、銃撃音と弾丸を弾く澄んだ金属音。
──どうしてやるのが、正解だったかねぇ?
かつてグングニルに居た九流洲遥人は──ハルクは年老いて研究の手伝いもろくに出来ず、未来へと送り出すことになった有栖の話を聞き、真っ先に同じく未来へ行くと立候補した。
だが、齢八十を超えた体ではコールドスリープ後にまともに目覚められるか怪しく、メンテナンスが追い付かないのを前提にこの半人半機の体となった。
大鹿の雷撃を受けて以来、すでに応急処置程度しか出来ていない体にガタが来て、一人修理作業で引きこもっていた。
傷自体は機械の体故大したことはない。だが、雷撃で破損した体を隠せず、探索者組合を通じて病院と話し、全身に包帯を巻いて一時を凌いでいたこともあった。
休養の間、チェシャ達の情報は探索者組合を通じて入手していた。
それが出来るくらいの探索者として地位をハルクは持っていた、データ上では彼の探索進度は第三迷宮だが、かつての生き残りとして専用のパスを持っていた彼は、事実上すべての試練に行くことが出来た。
そして、セントラルが迷宮都市として有名になったり、神の試練を探索する者が増えるように仕向けたのもハルクの成果である。こうやって、セントラルの発展に身を尽くしてきた彼は探索者組合の名誉会長して登録されているのだ。
また、彼女の意思を尊重したうえで彼女の使命を手伝うこと。彼の仕事は有栖の父から頼まれたものであり、場合によっては仕事の放棄も可能と言われている。
それはまさに今のような状態に陥った時なのだろうなとハルクは思った。
確実なのはこのままアリスがグングニルを起動すること。その時、彼女は可能な限り周囲の被害を抑えるためグングニルを制御し、グングニルと共に散る。
これはハルクも知っている筋書きだ。
この筋書き通りに進み、仮に厄災をどうにか出来たとしても、ハルクには有栖の父に怒られる未来しか見えない。むしろ、可能性が低くとももう一つの可能性にかけられるだけましな状況だとも感じた。
──もう儂に出来ることはないねぇ。
チェシャを試すついでに行った暗殺もどきも、つまらないミスでバレていたのだからただの道化だ。
道化は道化のまま散るべき、どうせならばこの三人の若者たちもちと試してやろうかと、不意にハルクが思いついた。
第五試練の人造龍──ハルクが機械の体になりたてであれば一矢報いれるかもしれない相手を打倒した。
この時点でハルクに勝てる未来は微塵もない。
「……気が変わったよ。君たちは儂を倒さなくてもいいのかもしれないが、儂は諦めたなりにやらせてもらうことにするさね」
上手く動かない体で槍を繰る。
恐らく負けるだろう。だが、それで十分だ。老い先短い老人はさっさと散るに限る。
だから、散ってしまう未来ならばこの若人たちの力を間近で見ておきたいとハルクは思ったのだ。
「……何故ッ!?」
突如雰囲気を変えて槍を構えたハルクに、三人も慌てて臨戦態勢を整える。
彼の内心を知らぬ三人は諦めていると言っていた人間が戦う理由を見いだせなかった。
「そいつはこれが語るさね」
──無論、語る気などさらさらないがね
長年愛用してきた愛槍を手に、半人半機の力を存分に生かしてハルクは借りたドローンを周囲に広げた。
「──くッ! 仕方ない! 来るぞ!」
「分かってるわよ! ……止めるの?」
「……出来れば、だ!」
「何言ってんだよボイド」
今にも飛び掛かってきそうなハルクを前に、どうすべきか迷っている二人は馬鹿にしたような声を聞いて振り返る。そこには不敵な笑みで手首を鳴らすソリッドが居た。
「オレらはアリスとチェシャを悲しませたくねぇからっ、──ここに来たみたいなもんだろ?」
ニヤリと、挑発的な笑みを浮かべながらソリッドが言う。
馬鹿にされたのは仕方ないと思える程度に、彼の言葉はボイドとクオリアの迷いを振り払った。
迷いを振り払うと同時に、二人は頬を緩める。
孤児院に居た時とは比べ物にならないほど、ソリッドは成長している。
少なくとも、ボイドの指示通りに動くだけの考えなしは卒業していた。
「ふっ──そうだったな」
「あははっ、そうだったわね」
ソリッドに言われて立つ瀬がない二人は苦笑しながらも、失態を取り返そうと各々の武器を構えた。