手札
チェシャは失敗の許されない持久戦を生き延び続けていた。
耐えるだけでなく、何度か槍を傷口に突き刺すことも行っており、実質互角の戦況を維持していた。
『よく耐えるものだ』
呆れ交じりの称賛の声。いくら轟咆哮などの力を使わないとはいえ、ここまで一人で抗っているのを見ればさしもの龍も苦笑が漏れた。
龍にとって何度か受けている槍もさして脅威ではない。しかし、ちょこちょこと逃げ回る機動力は確かに面倒だった。
それを封じるため、龍が両の前足を持ち上げて振り下ろす。
激震で瓦礫が宙を舞い、巨体が打ち鳴らした衝撃が地面を走る。
下手に宙へ逃げると息吹にまる焦げにされる。
悩んだ末にチェシャは槍を突き刺し、耐えることを選択した。
「……ぐっ!?」
槍を突き刺しても地盤ごと揺らぐのだから耐えるも何もない。
膝から崩れ落ちるチェシャに尻尾の薙ぎ払いが襲い掛かる。
「させないわ!」
どん、と重く、鈍い音が響く。
しかし、チェシャの体は動いてすらいない。尻尾を受け止めたのはひびの入った鎧を纏う純白の騎士。
「クオリア!? 無事!?」
「えぇ、あのバカに助けられたわ」
不敵に笑うクオリアの体は淡く輝いている。
何かしらの魔力が影響しているのはチェシャにもすぐ分かったが、誰がやったかまでは分からなかった。
「置いてくなよ!」
「チェシャくんのピンチよ? 急がない訳ないでしょうに」
「へいへい。それ、あんまり持たねぇから調子に乗るなよ」
「こっちの台詞よ。いつも調子に乗ってるのは誰なんだか」
後から駆けつけて来たソリッドにもクオリアと同じ光を纏っている。
光の正体はソリッドの増幅。
他人に付与するとなると彼の雑さが目立つため、効力はともかく、時間は持たない。
クオリアへの注意はそれ故のものだった。
「チェシャ、今からかけるから動くなよ?」
「え、……え?」
「増幅」
ソリッドの手が淡く光ったと思えば光の粒子がチェシャを覆い、彼の体を淡く灯す。
同時にチェシャの体の底から力が湧き上がるのを感じた。
「長くは持たねぇから無理はすんなよ」
「……ううん、十分」
これならという確信があった。回避に専念する以上、なかなか攻撃に回せる余力がなかった。だが、二人の増援と増幅があれば十分に攻撃に転じられる。
今一歩龍に迫るに足りなかったピースが埋まったのだ。
「でも、どうして今?」
初めからしてくれればいいのにとチェシャが尋ねるとソリッドはきまり悪そうにそっぽを向く。
「制御もままならねぇし、時間も短けぇ。練習、後回しにしてたんだよ。あと、使い慣れた炎の方が確実に出来る」
己の未熟さを晒さなければならない故に、直視をさけていた。
だが、度重なる全力攻撃で魔力の残量も心もとない。節約も兼ねるならこちらを使うべきだとソリッドは考えた。
「こういうのもありだと思う」
「そうよね。お陰で間に合ったし」
チェシャと同じく淡い光を身にまとったクオリアがにっと口角を上げた。
ソリッドに求められている役割は砲撃であるものの、それだけに固執する必要などない。最終的に直接攻撃しか出来ないチェシャやクオリアよりも手札があるのだから使えるものは使えるべきだ。
これを機にボイドも攻撃一辺倒にソリッドを扱うことを辞めさせようかとクオリアが思案する。
その思考は、再び振るわれた尻尾を防ぐために止められた。
「人が喋っている時に攻撃しないでくれるかしら?」
『……』
無言で龍が前足を上げ、クオリアへ落とす。
龍の中を埋め尽くす疑問。
いくらそれに特化したとはいえ、龍の一撃を受け止められる只人が存在するのかと。
驚きに言葉を奪われた龍は同時に湧き上がった興奮のまま、試すようにクオリアへ追撃する。
しかし、すべてを薙ぎ払う尻尾に叩かれようと花の盾で受け止め、
像と蟻のような体格差の足で潰されようと彼女はひしゃげない。
ちろりと、龍が舌なめずりをする。
己の龍炎器官を動かせ、炎を組み上げる。
吸い込んだ息と混ぜ合わせ口元まで蓄えた。龍の息吹の準備。
炎はどうかと試すための。
「あれ、どうする?」
「防げるの?」
クオリアが尋ねる。わざわざ聞くということは選択肢があるのだろう。驚きに目を見開いたチェシャが尋ね返すと、彼女は大盾を軽く持ち上げることで答えた。
「オレも手伝うから余裕だぜ?」
「まだあるの?」
他にも手札があるのかと尋ねれば、ソリッドがひひっと悪戯な笑みを浮かべて笑う。
チェシャとしては虚勢を張られては困るので手段くらいは言って欲しいが、仲間がそう言っているのだ。
信頼するのが、仲間という物だろう。
「……じゃあ、お願い。終わったら突っ込む」
「何言ってるのよ」
「え?」
黒槍を投げ捨て、琥珀の槍を生成したチェシャがぽかんと口を開ける。
勿論、彼の呆けた顔は兜に隠されて見えていない。間抜けな声が漏れただけだ。
だが、生成した槍を逆手に握ったまま立ち尽くす黒騎士の姿は、クオリアが思わずくすっと笑う程度に奇妙だった。
「押しのけて進むのよ」
*
「で、どうすんだ?」
「何がよ」
時は少し遡り、チェシャの応援のため、クオリアとソリッドが岩柱乱立丘を駆けていた頃。
倒れた柱を避けた所で彼がクオリアに尋ねる。
「あのでけぇの倒す方法」
「さぁ? 正直思いつかないわねぇ」
クオリアとしてはまともに防げる攻撃がない時点で白旗を振りたいところだった。
盾役として参戦しているのに盾の役割をほとんど果たせないとあっては話にならない。
「じゃあ……逆にどう出来たらあいつにぎゃふんと言わせられる?」
「……思いつかないのは変わらないけど、せめて攻撃を少しでも止められればチェシャ君やあなたの攻撃に使える時間を稼げるわ」
「……これとかどうだ? ──増幅」
「え……ちょっ──」
ソリッドの手が淡く光り、クオリアを包んだ。
増幅の影響を受け、強化された身体能力に体を振り回されたクオリアがつんのめってその場に倒れ込む。
「おわっ!? す、すまん!」
「……いきなり何するのよ?」
倒れたクオリアをソリッドが助け起こす。
いきなり変化した体の動きに彼女が胡乱気な目を彼へ向けた。
「魔法。早いが話、強くなれる魔法だよ。うまく使えねぇけどな」
「……こんなのあったならもっと早く言いなさいよ」
体の奥から湧き上がる力を感じたクオリアが呆れた声を上げる。
これがあれば受け止めきれるかは分からないものの、一撃ならば確実に止められる自信があった。
目の前に倒れている岩の柱をクオリアがひょいと飛び越える。
魔法の力を改めて再認識した彼女が、こんなものを隠していたソリッドを責めるように目を向けた。
「仕方ねぇだろ。オレが使うにしてもあんまりうまくいかねぇし、他人に使うのなんてもっとだ。こんなのに頼れねぇよ」
「でも、それなりには動けるわよ?」
「……そりゃ練習したからな。でも、オレん時はいきなりクオリアみたいに動けなかったんだよっ」
目線に刺されたソリッドが手をぶんぶんと振って弁明する。
増幅を習った第四試練からようやくまともに動けるようになったのだ。
むしろ彼の方が一瞬で体のスイッチを入れ替えたクオリアに驚きを隠せない。
「ふーん。で、あなた。他に隠しているのない訳? まともに使えないのが恥ずかしいからなんていいから白状なさい」
「……これ以外はほんとに使えねぇって」
「あるのね?」
「……離せってっ! 増幅!」
食い気味にクオリアがソリッドの頭をぐいと掴む。
恐らくボイドも知っていそうだが、恐らく下手に悩むくらいなら火力に振り切ってしまえと思っていたのだろう。
──ばっかじゃないの!? 個人で完結する必要ないってのに!
クオリアが内心でボイドに怒鳴り散らす。
その間に、頭を掴まれるのを嫌がったソリッドが増幅で自分の力を強化し、無理やり抜け出す。そして、強化した力を存分に生かして走り出していった。
「ちょっと!」
クオリアも慌てて追いかける。
もともとの力量差もあり、器用なクオリアが強化された力を存分に使いこなしてソリッドの元へとすぐに並んだ。
「……込めた魔力の分だけ打ち消す相殺と、クオリアの花の盾みたいなのを出す防壁」
すぐに追いついてきたクオリアも見て、ぽつりとソリッドがこぼす。
彼の持っている手札だ。以前に森人の村でヤヴンから習った代物。勿論、使わなかったのも彼なりの理由があった。
「その二つの欠陥は何?」
「まずどっちも増幅器が使えねぇ」
これが彼にとって大きな欠陥だった。
魔力さえあれば何倍、何十倍にも威力を倍増できるせいで、これらの防御系魔法に頼るぐらいならば──
「それなら魔術で迎え撃った方が悩まなくて済むってボイドが言ってた」
「……そう」
確かに間違っていない。
恐らく、今の二つを使うよりも増幅器の駆動に集中させる方が器用貧乏にならない。
その上、基本的にはクオリアが攻撃を防ぐのだからボイドの判断は間違っていない。
むしろ役立たずだと指摘されたように感じたクオリアが小さく俯く。
「増幅は使える時が来るかも知んねぇから一応練習はしてたんだ。最近ようやく俺が使えるようになったくらいだよ」
「さっきはなんで使わなかったわけ?」
使えるならば、いくらでも使えそうな場面があった。
先程も、増幅で強化した力でボイドとクオリアを抱えて尻尾を避けることだって出来ただろう。
「増幅器と増幅のどっちもは出来ねぇんだ」
「……どういうこと?」
「俺もよく知らねぇけど、何かを強化するものは基本的に両立出来ないってボイドが言ってた。今の俺も増幅器が使えねぇ。あと、他の魔術とか魔法も使いにくくなる」
「あんまり便利じゃないのね」
得心が言った。とクオリアが頷く。
確かにそれならば増幅が使えても、得意の攻撃が出来ない。
使わせないのも納得がいく。
「ほら、ヤヴンだって増幅が使えるけど、使ってこなかったろ?」
「……もう忘れたわよ」
第四試練で戦ったことを思い出すが、クオリアの記憶はおぼろげにしか残っていない。
しかし、言われてみれば鎧を纏ったぐらいで他に強化の魔法をかけていた記憶はなかった。
「その二つが両立できないのは分かったわ。じゃあ、残りの二つを同時に使うとかない訳?」
「相殺は周りの奴を全部消しちまうんだ。これも両立出来ねぇし、さっき言ったみたいにそれをするなら炎をぶつけた方がはえぇ。クオリアの出した盾も消えるんだぞ?」
「……なるほどねぇ」
使わないにはそれ相応の理由があったことにクオリアも何も言えず、頷きを返した。
──強化しても割れてしまうものね……
砕けたアイリスの盾を再展開するのにかかるのは魔力ぐらいで時間は要らない。
問題は盾が砕けた瞬間はクオリアも大きく態勢を崩すこと。
その時間を稼げれば、大技でも一つぐらいなら防げるだろう。
「ねぇ、続けて使うことは出来ない訳?」
「……どういうことだよ」
「両方使うんじゃなくて、相殺でちょっと時間を稼いでから防壁! みたいな?」
「……」
不可能ではない案を聞いて、ソリッドが一考する。
結論はすぐに出た。
「出来るけど、ほんのちょっと稼ぐ時間が増えるだけだぞ?」
「いいのよそれで」
「……」
満足げに笑ったクオリアにこれ以上かける言葉が思いつかなかったソリッドは、そのまま荒野を駆け続けた。