何が出来る
「いっ──たぁ……」
ソリッドが気絶から立ち直り、痛みに呻いた。ぼんやりとした彼の視界が徐々に晴れていく。
直近の記憶は龍の尾に弾き飛ばされ、何かに打ち付けられたこと。
そこまで思い至ってから彼はがばりと体を起こす。
周囲を見渡すと、大きな瓦礫が散乱していた。周りにはいくつか岩の柱があることから、柱が残っている地点まで飛ばされたのであろう。五体満足で生きて居られるのは寸前にかけた増幅のおかげか。
相変わらず強化した身体能力をまともに扱えないが、防御手段にはもってこいだと分かった。
まともに龍の尾で叩かれた左腕は間違いなく折れているが、それ以外は問題ない。
痛みを訴える左腕を庇いながら、激震に伴って聞こえてくる轟音の方を見やると、龍の巨体が何やら黒い豆粒のような何かを追いかけている。
黒い豆粒がチェシャであることはすぐに分かった。行かなくてはと、痛みを訴える体に叱咤し、立ち上がる。自分で起きたということは、他二人はまだ起きていない。
彼の中で迷いが生じる。チェシャを助けに行くべきか、ボイドとクオリアを介抱すべきか。
いつもはボイドの指示に従うだけでよかったし、その指示を疑わず、考えず動くことが彼の仕事でもあった。
だからこそ、この状況でどちらを選ぶべきか彼には分からなかったのだ。
──分からないなら、聞いた方がいいよな
チェシャの方は危なげないように見えた。
彼はクオリアのように誰かを守ることは向いていないが、生き残ることにかけては随一だとソリッドは思っている。
状況からそう判断し、改めて周囲を確認する。
辺りに散らばる瓦礫のせいで見渡しは悪い。それでも、土に汚れた白衣の裾と地面に転がっている大盾を見つけ出した。
「ボイドッ! クオリアッ!」
すぐさま駆け寄り、近場のボイドから抱き起す。
体中擦り傷だらけであり、土に塗れているせいで気付けなかったが、ところどころ破れている白衣も傷から溢れ出した血に汚されていた。土気と深紅が混ざり、赤茶に染まった白衣が痛々しい。
右足はあらぬ方向に曲がっていて、手も指の向きがおかしい。
これだけで済んでいるのもソリッドの機転のお陰とは言え、彼の未熟な魔法の限界でもあった。
「……っ、わ……私はいい。クオリアの方を、見てくれ……必要なら、うッ……鞄に挿している小瓶を飲ませろ」
痛みに呻きながらボイドはソリッドに指示を出す。
果たして今目の前のボイドを放っていいか迷いながらもソリッドの体は動き始めていた。
指示を受ければ即行動。そんな癖が染みついていたせいだ。
取り出しやすいようにバックパックのサイドポケットに入れられた小瓶を抜き取る。
バックパックに触れた感触からして、中で破裂した他の他の薬が浸透しているようだ。
しかし、よほど高価な瓶を使っていたのか細長い瓶には傷一つない。
中には薄緑の液体が揺らめいていた。疑心暗鬼の森の素材で作った薬だとボイドが言っていたのをソリッドは思い出す。十分な効果を持っているに違いない。
「クオリア、大丈夫か?」
「──ぅぅっ」
薬を手に立ち上がったソリッドが大盾を目印に、瓦礫の陰で横たわっているクオリアを見つけて抱き起す。
かつての主からもらったであろう鎧に亀裂が走っていて、その亀裂から彼女の血が漏れ出していた。
抱き起された時に傷が刺激されたらしく、唇の切れた口からうめき声が漏れる。
「これ飲め」
「……んっ──ごほッ! ごほッ!」
ソリッドが容器を傾け、意思に関係なく薬がクオリアの喉を通る。
同時に彼女の喉を通った空気で大いにむせる。
「……!」
その後、目から涙を流したと思うとがばりと体を起こす。
「──まぁっっず!!!」
「おわっ!?」
急に元気を取り戻したクオリアに彼女のすぐそばにいたソリッドも大いに仰け反る。
余りの回復力に薬のつくり手を見るも、ボイドはボイドで倒れたままだ。
「……これ、何の薬よ」
「し、知らねぇよ。ボイドが飲ませろって」
陽気なクオリアの普段見せることがない鋭い目つきを受けたソリッドはたじろぎながら弁明する。疑心暗鬼の森から取れた素材と考えれば、ろくなものがないのはソリッドにも分かる。だが、思わず泣くほどのまずさはさすがに想像できなかった。
「ボ──」
「多分一本しかなかったんだよ。先にクオリアをって」
「……そ」
クオリアを庇ったのもあり、外傷の酷いボイドを見てクオリアの怒気は途端にしぼんでいく。彼女の傷も馬鹿に出来るモノではないが、豪咆哮は内蔵に傷を負わせる類のため、クオリアの外傷は少ない。堅牢な鎧に身を包んでいたのも大きい。そして、内傷は今の薬で痛みこそあれ、動ける程度には回復した。
口触りは悪くない。だが、何故か後味だけ森人の村の食事を思い出させる、虫を食べたようなゲテモノ風味に近く、飲めたものではなかった。この怒りを忘れるつもりはないが、おかげで助かったとあればクオリアも強く言えない。ましてや、クオリアの回復を優先したとあれば。
「……行くわよ」
「え、ボイドは──」
「後で。どうせここで応急処置した所で足手まとい。あたしもこの怪我じゃ、そこまで気を回せないの」
用意だけ無駄に周到なボイドのことなのだから、自分用に回復手段を持っていてもおかしくない。それを切らない、もしくは先程の薬がそうだというのなら、ボイドを回復して得られるメリットが少ないのだとクオリアは察した。
「それに、あっちも放置できないわ」
「……そうだよな」
こうしている今もチェシャが一人で龍と戦っているのだ。あまり時間をかけては勝ち筋すらも失ってしまう。ソリッドとクオリアだけでは機動力が足りない。龍の攻撃を防げても回避の選択肢は基本取れないのだ。
頷きあった二人はボイドを残し、チェシャの元へと足を運びだした。
「く、くくっ……」
残されたボイドは自嘲気に笑う。
大した仕事を出来ていない自覚はあった。足手まといである自覚は随分と前から。
一人だけ蚊帳の外。分かっていたはずなのに、やはり悔しい思いは捨てきれなかった。
彼らのように何か分かりやすく秀でた力が欲しいと願ってやまない。
「……うぐっ」
痛みに呻きながら体を起こす。
外傷こそ激しいが、全体的に拡散しているおかげで動く度に叫びたくなる痛みを我慢すれば動くことは出来る。内傷については肺がやられていた。
息をするたび、棘が刺さったような痛みに体をよじる。
この状態で出来ることが思いつけない。
声を出そうと息を吸い込めば痛みで吸い込んだ息が漏れ、魔術を使おうにも今の状態じゃ正確な魔術印も描けやしない。
不甲斐なさに打ちひしがれつつも、ボイドは龍のいる戦場へと体を引きずる。
龍が何かの魔力的な力に頼っていればボイドも消去の魔法で役に立てた。
だが、純粋な生物としての力を振るう相手には分が悪い。
それどころか相手にすらならない。
一つしか作れなかった切り札の薬をクオリアに使うのは至極真っ当な結論だった。
頭ではこれは適材適所の結果なのだと分かってはいるのだ。それはそれとして感情がボイド自身を許さない。
「……くそっ」
よたよたと歩きながら吐き捨てる。
思考の纏まらない頭を全力で稼働した所で出来ることは何も思いつけない。
せめて、と頭を持ち上げ、龍と戦っているチェシャを見続ける。
薙ぎ払うように迫る尾を飛び越え、叩き落とすように振るわれる前足を掻い潜り、槍を投擲する。
傷口に刺さったらしく龍がぐらりと体を揺らしていた。
──全く。何のために来たのやら。
今攻撃している傷が全員で作ったものだとしても、今現在一人で戦うチェシャには呆れの感情しか浮かばない。見ていなかっただけで何度も攻撃を受けているのは想像がつく。
あの鎧の中身は果たして五体満足なのかすらも怪しい。少なくとも見てくれが悪いに違いないだろう。
ボイドは口だけを動かして微かに笑いつつ、白衣を地面に擦らせながら足を動かし続ける。
彼の頭の中では必死に自分の持つ手札を並べ、少しでも貢献できる一手を模索していた。
消去は意味がない。増幅は強化幅が小さい。相手が龍ならなおのこと。錬金砲は火力が足りない、龍鱗を貫く未来など全く見えない。
薬の類も龍鱗を通り超えることはないだろう。
──少しで良い、隙を作ることだけを考えろ。
案は浮かばない。けれど、考えなければ体中の痛みに意識が向く。
ボイドは痛みからの逃避のためにも考えることをやめられなかった。
「──ッあ!?」
だらだらとした歩みのせいで、バックパックからこぼれた薬の中身が砂地の地面を泥へと変える。
その泥に足を取られた彼があっさりと転ぶ。
「くそ……」
無理やりに思考が止められたことで忘れていた痛みが再び彼を襲う。
それを堪えながら彼は膝をついて立ち上がり、左足を引きずってよろよろと歩き出す。
「……水源」
ふとボイドの中で湧き上がった一つの案。
だが、実現するには足りないものがある。
それでも、出来ることを見つけた彼は目に生気を宿して体を引きずる。
意味があるか、効果があるかは分からなかった。
出来ることがある。それだけで動くには十分な理由だった。
バックパックを放り投げるように背中から外し、言うことを聞かない指を無理やり動かして中身を漁る。
目的の双眼鏡、辛うじて片方のレンズが生きているそれを取り出し、辺りを見渡す。
「──あった」
荒野の中で珍しく植物の群生地帯を見つける。
ここから歩くには少し遠い。だが、行かない選択肢はない。
「……」
歩くのに邪魔なバックパックを捨て置き、錬金砲とその弾となる瓶だけを持った彼はよたよたと歩みを再開した。