荒野を飛翔く偉大なる紅
「お~」
「広いねっ!」
チェシャとアイスが四方を見渡す。
硬い砂地が広がる荒野。風に巻き上げられ、砂塵が吹き荒れる。
仕切りでもあるそびえ立つ岩壁が見えるほどに遮蔽物が少ないのも爽快だ。
遠くには小さな建物がいくつか立っているのを視認できる。
「森ばっかの後にこれは気持ちがいいねぇ」
大盾を背負ったクオリアが深呼吸してうんと背伸びを一つ。
新天地へ足を踏み入れた探索者のみが味わうことができる新鮮な空気。彼等にとって美味に違いない。
「おぉー! すげぇぇ!!」
「臨時拠点はここから見えるのか」
どこまでも広がる荒野に興奮するソリッドに、地図を開きながら、位置を確認するボイド。
五人は一様に新天地への興奮を隠さぬままにする。
「あれ、他の探索者か? ホントに空飛んでるじゃん!」
そんな中、ソリッドが大空に一つ浮かぶ気球を指差した。
ここからでは人が何人乗っているかは見えないが、大きく膨らんだ風船なら視認できた。
「飛んでる!」
「飛んでるのをみるとあたしたちも早く欲しいね、気球」
「ああ、後学のためにも是非乗りたいものだ」
「そこはオトコノコらしく、理由なしに乗りたいものでしょ? 全く研究バカは。ね、チェシャ君?」
クオリアがチェシャに同意を求める。
が、チェシャはまさに敵に囲まれているかの様な真剣な顔つきをしていた。
臨戦態勢。
それを見たクオリアは辺りを見渡す。そして、遅れてその存在に気付いた。
空が──暗くなった。
否、影である。
陽光を遮る、巨大な影。
皆が上を見上げる。
そこに居たのは獣王などと矮小の存在だと言わん程の巨体。
赤く、紅く、染まった体。
それを空に浮かべる巨翼。
お伽話ならよく聞く伝説の存在。
即ち龍である。
羽ばたき一つで何もかもを吹き飛ばす風圧がチェシャ達を襲う。
像が蟻の近くを通るように、ただ存在が絶望。
五人は風圧に吹き飛ばされ、地を転がる。
唐突な恐怖、絶望に誰もが動けない。
この青き空は我がものだと言わんばかりに、愚直に、まっすぐと、ゆっくりと飛行し、進路上に飛んでいた気球を体一つで跳ね飛ばす。
球皮を破られたのか、萎んだ気球はバランスを崩し、近くに墜落して行く。
それを成した紅き龍は蠅が止まったかのように、見向きもせず遊覧飛行を続けた。
やがてその紅き龍は空の彼方へと去っていった。
「──っはぁぁぁ……!」
息が吐かれる。
人間などという存在を遥かに超えた超常的存在を前に息をすることすらも許されなかったチェシャは今更息をすることを取り戻す。
他の四人もチェシャと同じように息を吸って──吐いた。圧倒的な威圧感は皆の呼吸を奪っていた。
しばらくして冷静さを取り戻し、チェシャがポツリと溢す。
「龍……」
「正直、舐めてたよ、神の試練を。あれはもはやズルだな」
ボイドが呆れ笑いを浮かべながら呟き、アイスはチェシャの裾を力強く握っている。
握られた裾がプルプルと震えるのをチェシャが感じた。
「第一試練のデカブツを倒したと思ったら今度はあれねぇ。やばいとしか言えないわ」
クオリアもいつもの陽気さを無くしていた。
しかし、とりあえずの脅威が去ったことで幾分か取り戻しているようだ。
「……」
ソリッドは錬金砲を持たぬ手を無言で握っては開くを繰り返している。
五人の様子は経験の差を表していた。
「偉大なる紅、お伽話だと思ってた」
「偉大なる四龍の話か、私も実在するとは聞いていたが、あんな化け物とは思わなかったな」
「小さい頃よく聞いたなぁ。あの時はかっこいいと思ったけど、あれはホントにズルね」
「四、龍?」
アイスがなんとか重たい口を開く。彼女が握るチェシャの服の裾はまだ小さく震えていた。
獣王の時も漏らしそうだったのだ。幸い水分をあまりとっていなかったこともあって、万が一は避けられたが、彼女の体は重かった。
「アイス君は知らないか。よくあるお伽話の一つさ。たった今そうでないことが示されてしまったがね」
「紅は炎を、蒼は水を、碧は風を、黄は光を。って言う人間に生きる術を与えた、なんていうお話なのよ」
「そう、なんだ」
「これだけで今日の体力を使い切った気分だな。帰りたいが、帰るにしても町は一度見ておきたい訳だが……あの町らしき所まで歩くしかないな、皆、いけるか?」
ボイドが五人を見渡す。
まだ地面に腰を下ろしたまま動かないクオリアがぶんぶんと首を横に振った。
「無理に決まってるでしょ。あたしも腰抜けたよ」
「動けるけど……」
チェシャの目線は彼の服の裾を握るアイスに向けられる。彼の裾を握る少女は厳しそうだ。
ソリッドは座り込んだまま龍が去っていた方向を見たまま呆然としている。
「敵影もない、か。少し休憩しよう」
ボイドはその背の大きな鞄から人数分の水筒を取り出して四人に渡した。
基本的に各自で持っておくべき類のものだが、戦闘での貢献度が小さい彼は代わりにそれ以外のサポートに力を入れている。
「俺、持ってるからボイドが飲んだら?」
チェシャはポーチから小さめの水筒を取り出して、ボイドからのそれを返す。
「そうか、なら遠慮なく」
全員が水分を補給し、異様に乾いたのどを潤し、一息ついて落ち着く。まだ太陽は燦々と眩く照っている。影に隠されないその光が心地良いと五人には感じてしまう。
「ねぇ」
アイスが不意に声を挙げる。
「これ何かな?」
小さな手から余るほどに大きな鱗を出してきた。
そう、龍の紅い鱗である。
「さっきの龍だろうな。ますます現実味が帯びてくるのもまた嫌なものだな」
そう言いながらも好奇心故かそれを手に取り虫眼鏡を使って調べている。手に取るとざらざらとした感触が返ってきた。
「それがあれば何か作れるかしら? お伽話に出るほどの迷宮生物の……そもそも迷宮生物なのかしら?」
「分からないけど、肘当てぐらいなら作れそう。でも、加工できるの?」
「そっか、硬くないはずないものね。炎の伝承があるんだから溶かすにしても難しいかしら……」
肩を落としたクオリアが、ボイドの手に乗る鱗を指で弾く。鱗は虫眼鏡にぶつかり、虫眼鏡はボイドの頭に衝突して、彼は頭を押さえた。
「売った方が良くねぇか?」
ある程度復活したソリッドが会話に加わる。
まだどこか体に硬さが残っているものの、口調はいつも通り。
だが、武器に──錬金砲に頼って力を得ているのにその上で歯が立たない相手。どうも思うところは多かった。
「そうだな、資料としては貴重だが、その分高く売れるには違いない。どうする?」
そう言いつつも、ボイドの目は期待の色を孕んでいる。言わずとも欲しいと彼の目が訴えかけていた。
「それだけじゃ五人で割ったらそこまでだと思うし、取っておいていいと思う」
「わたしも、困ったときに売れば良いんじゃない?」
チェシャの意見に苦笑しながらアイスも乗っかる。
「そうか、なら大切に調べさせてもらおう」
ウキウキで背の鞄にそれをしまった。
お金を積んで手に入る類ではないので、彼もご満悦だ。
丁寧に保存用の袋に仕舞う様子を微笑ましそうに見ていたクオリアがすくっと立ち上がる。
「さて! 皆元気になったわね?行きましょうか」
クオリアに鼓舞されて皆も立ち上がり、遠くに見える小さな建物に向かって歩き始めた。
*
「町っつうか、村じゃね?」
そこそこの距離を歩いた五人は無事に目的地へと着いた。
そこに広がるのはソリッドの言う通り、町というよりは村レベルの広さの場所だった。
「人のなさも拍車をかけているな」
「とりあえず、帰る方法を探しましょ。暗くなるわ」
もう太陽がオレンジ色に光る頃だった。
「あれ、さっきの人たちじゃない?」
チェシャが指差す所には先ほど龍に轢かれた気球。
そして、それを引きずる人たち。
彼らはそれを引っ張りながら大きな入り口のある建物に入って行く。
「いってみるか」
「あそこで気球を作ってるのかしら? 職人さんがいるのよね?」
「うん、言ってた」
チェシャが肯定する。
「たのもー!」
元気を取り戻してきたソリッドがその倉庫のような大きい建物に入る。彼の声に反応したらしい探索者がこちらに駆け寄って来る。
「探索者か!? すまない! 傷薬は持っているか?出来れば暗中コケのものがありがたいんだが──!」
取り乱した一人の男性。ボイドが彼の相手をする。
「ああ、暗中コケということは出血が多いのか? 増血剤もある。患者はどこだ?」
「助かる! こっちだ!」
ボイドと探索者の男性は奥の方へと走って行く。四人もそれを追いかける。
その先に居たのは身体中血だらけの女性。
その周りには仲間らしき二人の男性。
今もなお傷口からは血が流れている。一部は包帯などで止血されているが足りていない。
「ひっ」
アイスが息を飲む。
「見ない方が……いえ、あたし達ももしかするとああなるの」
アイスの目を塞ごうとするが、取りやめるクオリア。いつかは見る話だ。
浅い経験で動けなくなるよりはましだとクオリアは考えていた。
「ソリッド、鞄から包帯を取ってくれ」
こちらに背を向けたまま応急処置を行うボイド。
水筒を躊躇なく逆さにして傷口を洗い流し、傷薬を塗りつけていく。
ソリッドも迷いなく鞄に手を突っ込み、目当ての包帯を取り出してボイドに手渡す。
そして、また血が流れ出す前にボイドが包帯を慣れた手つきで巻いていく。
女性は身体中血だらけの状態から、包帯によって白く染められた。とはいえ、一部の包帯はすでに赤くなっている。
「……とりあえずこれで様子を見てくれ、手は尽くした。意識が戻り次第これを飲ませろ」
「この恩は必ず返す。名前を教えてくれないか?」
「ボイドだ。礼は彼女が無事に回復したからで構わない。後、転移装置はここにあるか?」
「ああ、この建物の隣に組合の臨時拠点がある。そこにあるよ」
「そうか、ありがとう。私達は帰るぞ」
男性の答えに頭を下げて礼をして、振り返る。
「そうね、アイスちゃん、大丈夫?」
「うん」
言葉に反して彼女の顔色は悪い。漂う血の匂いにはまだ慣れていないようだった。
「ボイドぉー? 残りの包帯は渡しちまって良いのか?」
「構わん、人命には変えられん」
「分かった」
「隣だから……これ?」
先に外に出たチェシャが、指を指す、その建物の横にはご丁寧に“探索者組合:臨時支部”と書かれている。
「だな。中に人はいるか?」
「いない、けど転移装置はあるよ。動いたまま。……セントラル行きだってさ」
「分かりやすいわね。当たり前かしら?」
「行き先も分からん転移装置に乗りたがるやつは居ないだろう?」
「あれ? 貴方じゃないの?」
茶化すように言うクオリア。それをアイスがくすりと笑う。
場の雰囲気が少し和らいだ。帰り道が見えたことで全員が改めて落ち着けたのも大きい。
「はあ、全く。それでいいなら安いものさ。さっ、帰るぞ」
「オレ腹減ったよー」
「俺も、肉食べたいな」
戦闘はなかったものの、密度は濃い時間だった。
帰ってからのことをそれぞれが思い馳せ、転移装置の光に一人ずつ入っていって姿を消した。