日は暮れども、途方には暮れず
「……今日は一度解散しよう。明日、朝に集合だ」
「分かった。」
終始無言のままチェシャ達は一人欠けた状態でセントラルに帰ってきた。
皆が皆、どうすべきか定まらないままボイドの声を皮切りに解散する。
皆と別れたチェシャはまだ空高い太陽の光を浴び、ぼんやりと一人路地を歩く。大通りの方から聞こえる喧騒をぼんやりと耳にし、思考の海に沈む。
絶望は欠片もなかった。
ただ、納得があった。
今まで不可解だったアリスについてのことが全て埋められた。初めからそのつもりだったのだ。
手遅れを告げてパズルは完成したのだ。
「──」
リヴァイアサンとの戦いで意識を取り戻してくれたアリスの一言。あれはどれほどの想いを込めていったのだろうと、今更ながらに自覚する。
だからチェシャも失意に暮れることはなかった。
けれど、一人はやっぱり寂しくて。
次第に遠ざかる賑やかな声。代わりに路地の暗がりがチェシャを包む。雑音が消え去り、煩わしい光も消えて頭の中が澄んでいく。こちらの方がホッとするのだからつくづく一人が向いているのではと思えてしまう。チェシャの能力は一人でも十分に機能するせいで実に腹立たしかった。
「……」
気づけばチェシャは家の扉に手をかけていた。いつの間にか家にまで帰ってきてしまった。
そのことに驚き、少しの間静止する。何も成しえていない、むしろ失っただけなのにこのまま帰ってしまっていいのかと。
だが、止まる理由もない。我に帰った彼が今度こそ扉を開け、玄関をくぐった。
家に帰ってきたチェシャが流れるようにソファへ飛び込み、身を深く沈ませる。
──疲れた。
何故とか、少しでも話して欲しかったとか、止められなかった悔しさだとか。
様々な感情が彼の中で弾けては消える。
数秒じっとすると、むくりと起き上がる。
起き上がった彼がソファの横に置かれた小さなテーブルに手を伸ばす。
手に取ったのは読みかけの本──に挟まれた栞。
第一試練の草花を押し花にしたもの。綺麗なものが多く、二人のお気に入りだった。
机の隅には第二試練の暗中コケで作ったランタン。
暗闇の中本を読もうとするアリスのために自作した。
居間の本棚、その中の重厚な本につけられた書皮。第三試練で採ったミスリルで縁取ったブックカバー。
重くて二人ともあまり使わなかった。今ではほとんど飾りだ。図鑑などの二人があまり開かないものに付けられている。
食卓の中央の花瓶。第四試練で採った草花が生けられ、その押し花の栞が本に挟まっている。
既に押し花の栞はあったが、本棚の本が増えるにつれ、新しい栞も欲しくなったのだ。
生花は少し萎れているため、どうしようか悩んでいた。
第五試練産の水晶のグラス。
結局重くて使い物にならなかった。祝い事があったときに蜂蜜酒を注いでいたくらい。
採取品の一部を使って作ったものの数々。
一つ一つは大したものではないかもしれない。
けれど、大事な思い出だ。
そして彼は、この思い出を思い出のまま終わらせるつもりなど毛頭ない。
──欲しいんだ。
満ち足りてなどいない。まだ欲望は失せていない。純情な色欲に堕ちていたとしても、それがどうしたのいうのだ。
それに、今こそ今までの恩を返すのに絶好の時。
また仲間たちに叱咤されるような愚を起こすつもりはなかった。
元々、世界を救うだとか、町を守るだとか大それたことは微塵も考えていない。
それを行おうとしているアリスを放っておけなかっただけ。
綺麗ごとなんてくそくらえと吐き捨てる。
チェシャは罪に汚れていない白き騎士ではなく、かつては人を傷つけた──罪を背負った黒き騎士だ。
これぐらいが丁度いい。
満足げにチェシャが頷く。理由付けは終わった。後は行動を始めるだけ。
「……っと」
ソファから立ち上がる。玄関へと歩き出す。その歩調に迷いはない。
コートを着込んだチェシャはまだ明るいセントラルの町へと歩き出した。
彼が最初に訪れたのはボイド達が止まっている宿。
おもむろに扉を開け、店主にクオリアが居る場所を尋ねる。
泊ったことはなくとも、ボイド達の仲間であることは認識されているようで、すぐに部屋の場所を教えてもらった。加えて飴玉も貰ってしまう。思わず店主を呆けた顔で見ると、くよくよするなよとチェシャは肩を叩かれた。
迷いはないつもりだったが、不安があったのを悟られたチェシャは苦笑しながら飴玉を頬張る。
甘味は好みでないが、優しい柑橘の味が口の中で広がり、思わずチェシャの頬が緩んだ。
暫しの甘味を堪能したチェシャが聞いた場所の通り彼女の部屋を見つけ、躊躇なく扉をノックした。
「はーい?」
ドアノブが捻られ、扉の先からのクオリアが現れる。
もう鎧は脱いだらしく、私服姿の彼女がチェシャの姿を見つけて目を丸くする。
「どうしたの?」
「……ちょっと聞きたいことがあってさ」
*
次にチェシャが訪れたのは探索者組合。
サポート課に迷いなく入り、職員に声をかけてアルマを呼んで貰った。
案内された席に腰かけず、ぼんやりと窓から見える塔を見つめる。
いつかはたどり着くのだろうと思ってはいたが、まさか当事者を追いかけるために行くことになるとは彼も思ってはいなかった。
──どうやって行こうかな。
彼の頭の中で組み立てるアリスを取り戻す算段。
算段と言えるかは微妙だ。やろうとしていることはただの突撃。
玉砕覚悟、まさに当たって砕けろの勢い。
ダメだったなら、砕けてしまったなら、諦める覚悟だった。
「すみません! お待たせしました!」
「ううん、待ってないよ」
「えと、ご用件は何でしょうか?」
席につかず窓の景色を見ているチェシャ。アルマは首を傾げるが、とりあえず、自分の職務を全うしにかかった。
「今抜けたら怒られる?」
「はい? どういう意味でしょうか?」
「何かほかに仕事はある?」
「……? 今はないですよ。探索者の皆さんはこの時間帯は少ないですし、私の担当もチェシャさん達以外は今日は神の試練に行っていまん」
「じゃあ、少し時間貰ってもいい?」
それとなく、頑なに要件を言わないチェシャをアルマは疑うも、彼が悪い人ではないことを知っている。彼がこんなことを言うのは初めてだ。それ相応の理由があることはすぐに分かった。
断る理由も思いつかず、彼女はいつもの笑みを浮かべにこやかに頷く。
「はいっ。準備するので反対側の通りで待って頂いて構いませんか?」
「ん、待ってる」
頷きを返したチェシャはあっという間に組合から出て行ってしまう。
意図が分らぬ彼に首を傾げたままアルマは急ぎ足で更衣室へと向かった。
*
夕暮れ時、大通りを並んで歩くチェシャとアルマ。
要件を終えた彼らが出かける前と違うのは、アルマが憤慨していること。
「……チェシャさん、店では黙ってましたけど、ほんっっとに! 酷いですからね!?」
「ごめん」
「……別に私から何かがなくなったわけじゃないですけど……! 私も一人の女性なんです! 要件が要件ですからお付き合いしましたけどっ……!」
平謝りするチェシャに堪えきれない怒りを吐き出すアルマ。
傍から見れば痴話喧嘩であり、野次馬がひそひそと囁く声が響く。
それらを耳にしたアルマが一度自身を落ち着かせ、トーンを落として彼に提案する。
「……とりあえず、場所を移動しましょう。夕食、奢ってくれるんですよね?」
「それは勿論」
熱くなっているアルマにもその声は届き、一度頭を冷やしたアルマがチェシャに尋ねる。
交わしていた約束通り、アルマがかねてより行ってみたかったレストランへと向かった。
店員に促されるまま席に着いた二人がやり取りを再開する。
「で、どうして私だったんですか?」
「サイズが同じに見えたから」
「……同じに、見えた。……ですか。いえ、そうじゃなければ意味がないのは分かりますが……」
渋々と理解するアルマ。勿論、納得はしていない。
「……事情が事情なのは理解しています。だけど、納得するかは別なんですよ? ……まぁ、それが分かってるから要件を言わなかったんですよね?」
「……ん。……そう」
歯切れ悪くチェシャも頷く。無理な頼みであることは分かっていた。が、こればかりはアルマに頼む他、思いつく手段がなかったのだ。
サイズという面で見ればザクロの二人娘、姉のライラも近かった。
ただ、頼みやすさで言えばアルマの方が上だったというだけで。
──正直、俺もどうかと思ったけど……。
背に腹は代えられない。
怒られてしかるべきことはしていると分かっているが、彼女に怒られて済むなら安い買い物だとも思っていた。……金額は安くなかったが。
「……分かりました。お仕事のようなものだと考えれば、私も納得できますから……それでいいです」
「ありがとう」
「……もう、店にも入りましたからねっ」
店員のウエイトレスがトレーに乗せた前菜のサラダを並べる。
色鮮やかなそれを見て、アルマが並べられているフォークを手に取った。
「せっかく来たんですし、まずはこれを食べましょう」
「ん」
チェシャもアルマに倣ってフォークを手に取る。
詳しいメニューはチェシャも把握していないが、第四試練で採れた山菜の混じったサラダは一口で分かるみずみずしさだ。
薄切りながらも混ざっているハムも胡椒が効いている。
「ここ、ボイドさんが来たことのある店って知ってますか?」
「……初耳だけど」
アルマの問いにチェシャがぽかんと口を開けた後に答える。
「収穫祭、あったじゃないですか。ここも店を出してたんですよ」
「へぇ。ボイド、こんな場所は嫌がりそうなのに」
チェシャが横目で周囲を見る。
高所得でなければそう訪れる機会のない場所。客も当然身なりが整っている。
食事を共にするアルマは職員の制服。
職員自体が相応の学がある証であり、この場に値する位を意味していた。
相応の服を着ているアルマに対し、チェシャは平服。
故に、チェシャへ奇異の視線が突き刺さっていた。
ボイドも白衣こそ着ているが、服のしわは放置されている。
この場では不相応だろう。彼が来る場所とは思えなかった。
「カナンさんと来たらしいです」
「へぇ」
中々面白そうな話にチェシャの目が好奇に歪む。
今度根ほり葉ほり聞いてやろうと心に留めつつ、目の前の葉物を咀嚼する。
「それより」
アルマが表情を引き締めなおす。彼女の前に並んでいた皿は空になっていた。
真剣な話であることを悟り、目の前の料理を片付けたチェシャも佇まいを整える。
「何?」
「アリスさん。戻ってきますよね?」
「……当然、じゃなきゃ俺が困る」
アルマの不安げな表情に、少しだけ言い淀んだ。
自信はある。けれど不安もあるのは事実で、彼女の覚悟を超える何かもない。
たった一人。
仲間を突き放し。
死ぬことさえ安いと思っている。
そんな覚悟。
彼女自身、孤独になど慣れていないはずだ。
少なくとも、普通の少女だとチェシャは思っている。
だからこそ、その覚悟にどれだけの重みがあるのか、チェシャには分からない。
出来るのは推測で、理解はない。
気持ちは分かるなどと、軽い気持ちで言えはしない。
だからこそ、チェシャは用意を整えた。気持ちだけではなく、態度と、言葉と、物で示すために。
そこにアリスほど正当な理由はなく、単純に勝手に出ていった彼女に文句を言いに行くだけだ。
「ここまで手伝って無理だったら……私にも思うところありますからね?」
「あはは……。分かってるよ」
「ほんとですか?」
アルマがチェシャの目を覗き込む。
からかいなどは一切なく、彼女の瞳にはチェシャに対する心配のみがあった。
どこかむず痒くて、チェシャが体ごと彼女から距離を取る。
それだけでは証明にならない。だから佇まいは整えて、アルマをしっかり見据える。
「本当」
「なら、もう気にしません。アリスさん、連れ帰ってくださいね?」
「もちろん」
そして、チェシャがきっぱりと言い切った。
返事を聞いて満足げに頷いたアルマは職員らしい作り慣れた笑顔を浮かべた。
今のアルマに出来る仕事は終わった。あと出来ることはこうやって、帰ってきたいと思えるような笑顔を浮かべること。
待つべき者として、いつも通りの笑顔を。
お待たせしました。0時投稿で最後まで行きます。