人間とは
「ふいぃぃ~」
数えるのが億劫ほどの蜂だった鉄屑。
彼の働きを示すそれらが地面にバタバタと墜落する。
ほどなくそれらは魔力の霧に還り、流石のソリッドも全力の一撃には余裕綽々とはいかず、深々と息を吐き出した。
「面倒だわ……あと、グングニルで見たあいつらは魔力には還ってなかったわよね?」
「ああ、そのはずだ」
「となると……どういうことかしら?」
「分かっていないのか……」
分かったふりをして頷くクオリアにボイドが思わず肩を落とす。
「言っておくけど、あたしもソリッドと同じで考えるのは仕事じゃないの」
「そうかい……ともかく、分かっているのは奴らが迷宮生物ということだ」
ボイドも何故グングニルにいた機械生命体が迷宮生物として現れている理由は分からなかった。
とにかく、彼としては現状把握のためにもアリスをグングニルに連れて行って本来の記憶を取り戻してもらいたかった。
「そんなのはあたしだって分かるわよ。でも分からないことのほうが多すぎるのよね」
「それこそ、考えるのは俺らの仕事じゃねーだろ。ボイドとアリスに任せよーぜ」
息を整えたソリッドがイキの良い笑顔を浮かべる。
このパーティが最もうまく動くために必要なこと。
各々が役割をこなすだけでいいのは、考えるのが苦手な彼にもよく分かっていた。
「それもそうね。じゃ、仕事してもらいましょうか所長さん」
クオリアが地図をボイドに渡す。
事前に距離を測って推測したグングニルの位置は地図の端。
転移装置から一直線で進んでいる彼らの地図の進捗はおおよそ半分といった具合だ。
「はぁ、分かったよ」
「近くに敵は居ないわ。早く進みましょう」
「アリス、分かるの?」
索敵をしていたアリスが報告する。
本来索敵、もとい斥候はチェシャの役目だ。
彼が一番索敵精度が高いからという理由だが、アリスも不可能ではない。
彼女が本気で自身の力を行使すれば、人の身であるチェシャ以上の能力を持っているのだから。
──スカーサハ、身体サポート、感知機能全開。
『いつからお気づきで?』
彼女の誰かに向けた命令に反応してアリスの頭の中で響く合成音声。
マスター権は彼女の元に帰って来ていた。
『わたしの力だけじゃ、あの蜂達がどんな魔術を使っているかまでは分からないもの。それより、どうして秘密裏にサポートする訳?』
『一度は敵に回った身です。今更戻るのも悪いかと』
『ほんと、つくづく人間みたいね』
機械が罪悪感を抱くものかとアリスが吐き捨てる。
だけど、その人間的思考はどこか少しありがたいと思ってしまった。
同じ運命を共にする相棒として。
『ワタシはそう造られた人工知能ですので』
『ねぇ、スカーサハ』
『はい、なんでしょう』
──半人半機と人工知能との差って、なに?
『なんでもないわ』
それを今考える余裕はないから。そんな建前の元に浮かび上がった疑問をアリスは押し殺した。
考えてしまえば抜け出せない沼に嵌るわけにはいかない。
『分かりました。では、命令通り、身体機能、感知機能の強化を行います』
アリスの目に赤い光が走る。
自分の感覚が研ぎ澄まされいてくのを感じながらアリスはいつの間にか俯けていた顔を持ち上げる。
すると、視界に映ったのは少年の顔だった。
「ひゃっ──!!」
「わっ……とと」
下手に五感を強化したせいでひそめられた眉の下で揺れる瞳や引き結ばれた口という情報を一瞬で取り込んでしまう。
思わず飛びのいたアリスは得ていた情報から目の前に居た彼が自分のことを心配していたのだと遅れて気付いた。
「……ごめん、ぼーっとしてた」
「それはいいけど……大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫よ」
「ならよし」
微笑むアリス。
先程顔を硬くしていた彼女の表情が柔らかくなったのを確認したチェシャはそれ以上の追及をやめて前を向く。
いつもならば視界の半分は空で埋められているが、建造物に阻まれ、見上げなければ空は見えない。
どこを向いても空しかなかった桜散る回廊とは正反対だった。
以降、接敵することなくしばらく歩き続けた彼らは空に分け目を入れる塔に辿り着いた。
「さて、ようやく着いたわけだが……」
地図を一度しまいメモ帳を取り出したボイドが辺りを探る。
周りの建造物と同じく苔に覆われた塔。緑に染まる中で、青白い線が浮かぶのが見える。
一見しただけでは入り口は見当たらない。この苔を剥がすか、外周をぐるりと回れば見つけられるだろう。
だが、苔を剥がすのも一苦労。回るだけでも面倒な大きさの塔だ。
乗り気にはなれない。
「どっちかしらねぇ」
「何がどっちなんだぁ?」
「重要施設にあっさりと入れるようには作らないわよねって話よ」
クオリアが思い浮かべたのは第五試練の大迷宮の入り口。小迷宮で手に入れた鍵で起動する転移装置だ。
第六試練と第七試練が厳密には迷宮ではないのを考えれば小迷宮がないのは十分にあり得る。何かしらの鍵が無ければ中に入れない可能性は十分にあった。
「ここに来て回り道……?」
「……」
目的を前にお預けを食らうことにチェシャが心底嫌そうに嘆く。
その傍らでまた顔を俯けているアリスの瞳には赤い光が灯っていた。
『スカーサハ?』
『問題ありません。ボイド様が探っている辺りの苔を取り除いてください。そこに認証端末があるはずです』
言われるがままアリスが苔むしたグングニルの前に立ち、手で剥がしていく。
いきなり意図が見えない彼女の行動に四人が彼女に目を向けて固まる。
しかし、おもむろにというよりは迷いのないアリスの行動。それを見たチェシャが彼女の横に立って苔を剥がし始める。
「何も言ってないけど」
「意味はあるんでしょ」
「……ありがと」
「どういたしまして、皆も手伝って貰っていい?」
何故苔を剥がすのかはアリスしか知り得ないが、状況的に必要なことだと分かれば断る道理もない。
アリスとしても頼むつもりではあった。
何故そうするのかの根拠を聞かれるとスカーサハの話の陰がちらつく。どうしても億劫になっていた。
何も言わずに手伝ってくれているチェシャに甘え、仲間と共に苔を剥がしていく。
単純に五倍の速度で進む作業はすぐに終わった。
綺麗ではないが、ボタンが連なった鍵盤とその上に付いた画面がセットになった端末が現れる。
端末の前にアリスが立ち、いくつかキーを叩くと画面に光が灯った。
「使えそうか?」
「ええ、大丈夫そう──よ」
ボイドの問いにアリスはキーを叩きながら答える。
そしてすぐに鍵盤から手を離すとすぐ横で重い音を引きずりながらグングニルの壁が開かれていく。
苔のせいか、劣化のせいか開き切るには時間を要した。
壁に隠されていた通路は慣れ親しんだグングニルのものと一致している。
「入るか?」
メモ帳を閉じたボイドが尋ねる。その顔はどこか挑発的で質問というよりは確認の意味合いの方が強かった。
ここで怖気づく奴はいるか? と遠回しな質問に四人は口角をあげて当然とばかりに頷いた。
*
外は苔だらけだが中はそんなことを一切感じさせない画一的な構成材の通路が伸びている。
変わったことと言えば、一本道だということか。
扉の一つさえ見当たらない。照明も節約しているのか天井や床の墨は暗がりになるほどの弱さで照らしていた。
「なんもねぇな」
「……アリス君」
「このまま突き進んで」
得体のしれない不安が四人を襲う。ただ一人アリスはその一切を切り捨て、淀みなく言い切った。
その声に応えたのは早まった四人の足音と……羽音。
「来たわね」
「でも、数は少ない」
暗がりの中現れた機械仕掛けの蜂の群れ。
アリスが銃を抜き取り、速射。
リズミカルに響いた六連発の弾丸は全て彼女に確かな手応えを感じさせる。
羽音の数も半分ほどに小さくなる。
「この通路なら私でも当てられる」
弾を込めなおすアリスと入れ替わり、ボイドが二丁の錬金砲の引き金を引く。
撃ち出された熱線は蜂たちを貫き、二条で二匹以上の戦果を収めた。
狭い通路では空を飛ぼうとも逃げられる場所は多くない。
それでも近づかなければ攻撃が出来ないので突撃をやめない蜂たちだったが、片手で収まる数に減った蜂達はチェシャとクオリアに難なく落とされた。
「ま、こんなものよね」
地面に落ちて死んだ虫のようにひっくり返った蜂たちが魔力に還るのを見届け、クオリアが息を吐いた。
厄介な敵ではあったが、このくらいの数ならば五人の敵ではない。
群れを成せば話は別だと言え、この通路なら最悪ソリッドがどうにかできる。自爆覚悟にはなるが。
「それより、中でも魔力に還るのか」
迷宮生物と化しているのは外だけだと思っていた。
グングニルの内部にいる機械生命体すら迷宮生物である証拠。ボイドが神妙な顔で腕を組み、考え込む。
魔力に関する研究がいくら進んでいないとはいえ、旧時代の高度な文明を魔力で再現できるものなのか。
当時の魔物が今よりも強いことを鑑みれば、ここの迷宮生物の強さは、正しく第七試練にふさわしい域に達している。再現できるなら初めからグングニルの内部の機械生命体も迷宮生物でいいはず。
グングニル内にあるリソースも魔力だけは要らない程あるのだから使うに越したこともない。
「みたいだね、転移装置で行ったグングニルとは違う」
「案外、グングニルが二つあんじゃね?」
「それはない」
その点についてはボイドはきっぱりと否定する。
転移装置の端末が示す移動先の座標は確かにどちらもこの辺り。
ならばグングニルが二つあるなんて話も消える。
「場所は近いってボイドは言ってたけど、俺らが言ってたグングニルってここからだとどのあたりにあるの?」
「あ、それあたしも気になるわ。高さが違うって言ってたわよね」
「……あぁ、高さは確かに違うんだが。高いか低いかまでは私には読めないんだ」
「あんたの領分でしょー? しっかりしなさいよ」
「耳が痛いな……」
ここに来てあまり役に立たないボイドにクオリアが呆れる。
地下にあるか上にあるかで目指す場所も何となく検討が付く。それが分からないとなれば魔力吸収機構がどこにあるかも探すのに手間がかかるのだ。
とにかく当てを見つけて方針を定めたいところだが、上手くいかない。
「アリス君、その辺りはどうなんだ?」
「……ごめん、わたしもよくわからないの。でも上に行けば記憶は戻せるって」
「その根拠は?」
「……分からない」
「そうか……」
結局、答えが得られぬまま疑問ばかりが増えていくだけだった。