遺された都市
「これが……どうしたの?」
エレベーターの前にたどり着いたチェシャが振り返って尋ねる。
怪訝そうに顔をしかめる彼の脇を通り抜けたアリスが彼の疑問に答えることなく、下矢印が描かれたボタンを押した。
「見てれば分かるわ」
彼女の言葉に大人しく黙り込むと、下から何かの音が近づいてくるのをチェシャが感じ取る。
思わず槍に手をかけるが、アリスがその音に構わずドアの上を見続けているのでその視線を追うと、転移装置の端末のように画面上で変化する数字が映っていた。
その数字は5から始まり、一ずつ大きくなっている。
そして、表示が20になると同時にがこんっ、と近づいてきた音が目の前で止まる。次に、重みのありそうな金属製の扉が鈍い音を立てながら横へスライドする。
その光景はグングニル内の部屋の扉と似ていた。
「入るわよ」
警戒するチェシャに声をかけて、アリスがエレベーターの中に入る。
アリスが知っているものなら危険がないと判断したチェシャも槍から手を離して中へ、ボイド達三人もそれを追った。
エレベーターの中には扉の横に数字のついたボタンが並んでいる。
一番下には外向きに二つ並んだ矢印のボタンと、内向きに二つ並んだ矢印のボタンが。
アリスはボタンの前に立って、迷わず1と書かれたボタンを押した。
それと同時に扉が閉まり、浮遊感を五人に与えるとともにエレベーターが下降を始めた。
「乗っておいてなんだが、アリス君、これは何故動くんだ? さすがに劣化もあると思うのだが」
「さぁ? でも、これだけ不自然に綺麗だから修理でもされたのかも」
「……誰が?」
「それは分からないわ」
ボタンを押したアリスはまた扉の上に表示されている数字を見つめ始める。
チェシャがその会話を聞いて、箱の中を見渡す。
苔もなく、損傷も見られない。確かに苔むした都市と違って綺麗だ。
「つまり、あたしたち以外にも誰かいるってこと?」
「それも分からないわ。でも、グングニルに行けば分かるかも」
「なんでなんだ?」
迷いなく答えるアリスに興味深そうにエレベーターの中を見ていたソリッドが尋ねる。
記憶が完全でないことを以前ボイドから聞いていた彼としてはいくら知っている場所だからと言ってそこまで迷いなく動けるのが疑問だった。
「そこに行ったら、多分、思い出せるから」
「記お──」
「ええ、そうよ。だから先を急ぎましょう」
チェシャが尋ねようと口を開きかけた瞬間浮遊感が止まり、開いた口が慣性で閉じる。
しかし、アリスも彼が言いたいことは分かったので小さく頷き、エレベーターを出ていった。
目的のフロアはこのビルの玄関口らしく、ひときわ大きなガラス張りのドアがあったり、そのドアの近くにはこのビルの全体図と階ごとに説明文らしきものがある電光板が存在した。
しかし、ガラスがある部分はすべて砕け散っていて、室内であるはずなのに風が縦横無尽に通り抜けている。
電光板も上半分は不自然に画面が途切れて真っ黒になっていた。
「あれ、グングニルにもいたやつじゃねぇか……」
ソリッドが玄関口から見て右手にあるカウンターを指さす。
そこには力なく項垂れている機械仕掛けの人形が居た。
勿論、その機械人形も漏れなく半壊していて、中の回路や部品が露出していた。
「無残だな……」
「えぇ」
砕け散ったガラス窓に散乱しているその破片。
吹き抜けになってしまった天井。
途中で先が欠けている機械仕掛けの階段。
それらすべてを覆いつくさんとする緑の苔。
この惨状が出来てからずいぶんの時間が経っていることを教えてくれていた。
「アリス、グングニルを目指すんだよね?」
「うん、そう」
「分かった。皆、そろそろ行こ」
人気がない上、第六試練と似たようなものだと考えるなら迷宮生物が出るのも考えにくかった。
だが、グングニルに近いならばその中で出くわした機械生命体に出会う可能性は十分にある。
あまりのんびりは出来なさそうだと考え、チェシャは皆に集まるよう促した。
「ああ、そうだな」
「あら、あっさり従うのね」
「だよな、ボイドなら我を忘れて飛びついてそうなのによ」
「……ここまで来たんだ。ことが終わってからまた来るさ」
言われたい放題なボイドはうっすらと額に青筋を浮かべるが、反論はせずに、チェシャ達を追う。
しかし、彼の頭の中では再び調査に訪れた時のためにどう二人をこき使うか思案していた。
外へ出る。
上から見たビル群は確かに壮大だったが、下から見てもそれは変わらない。
むしろ別種の凄さを持っていた。
苔に覆われ、自然に浸食されたビル群。
それを下から見ると、直立しているはずなのに傾いて見える。
どこか恐怖心を煽られる。
今更そんなことで怖気づくことはないが、思うところは多かった。
「あたし、古代言語は読めないけど、看板みたいなの多いわよね。なんて書いてる訳?」
「さぁ? 固有名詞が多くて分からん。まぁ、でも宣伝みたいなものだろう。これだけ高ければいやでも目に入るしな」
「そうでもないよ。慣れてないみんなは上を見るけど、慣れちゃうと気にならないもん」
そう言っているアリスは確かに上を見上げず、グングニルに向かって淡々と進んでいる。
最初こそは故郷についたことで懐かしい景色に惹かれていたが、所詮は見知った景色。
落ち着いてしまえばどうということはなかった。
「でも、デパートは気になるかな」
「デパート?」
「すごく大きな商会みたいなもの。なんでも売ってるわよ」
楽し気に説明するアリス。
クオリアは収穫祭の時にウィンドウショッピングを楽しんでいた彼女を思い出した。
確かにそんな場所があれば彼女にとって見るだけでも楽しい場所かも知れない。
「一つの店舗ですべてを保有するのか?」
「ううん、詳しいことは知らないけど、おっきな何階もある場所にいろんな店が入ってる感じ」
「別の物を買う人にも寄って貰えるなら相乗効果が期待できる──といった感じか?」
「そんな難しい話でもないけど……そうだよ」
今は苔に覆われている道路だった場所を五人は歩く。
かつては車が往来していた車道も苔に覆われて表示は何も見えない。
「それにしても、これだけ建造物があれば行き来も一苦労じゃないか? こんな状況でもない限り、この広い道を人が歩ける訳がないと見える」
「うん、大雑把な移動は電車だね」
「電車?」
「この辺りだと地下を走っているんだけど──」
ボイドが疑問を呈し、アリスがそれに答える。
その応答に興味がない三人は二人が熱中したせいで忘れられている地図作りをしていた。
「嫉妬?」
理由なく二人の会話を朧気に見ていたチェシャがクオリアに声をかけられる。
チェシャ自身にには明確な理由はなかったものの、なんとなく湧き上がる不快感があった。
納得するのは少し癪だったが、その気持ちを説明するのに丁度いい言葉が投げかけられたチェシャは嫌そうに、けれど小さく頷いた。
「かもね」
「素直に認めるのね」
「否定する理由もないから」
「ふーん、つまんないのー」
「そりゃどうも、はい次クオリアね」
さらりと話を流したチェシャが今しがた描いていた地図をクオリアに渡す。
「はいはい。……ここカクカクしすぎて描くのつまらないわね」
「だよなぁ」
ソリッドが頭の後ろで手を組みながらぶんぶんと首を縦に振る。
そんな理由もあり、地図埋めは三人交代で行っていた。
「なーんかでねぇーかなぁ」
「居ないものは出ないわよ。諦めなさい」
「……そうでもないっぽい」
チェシャが背中の槍を引き抜きながら言う。
まだ敵影が見えない二人は疑問に思いながらもチェシャが言うのであれば何も言わずに各々の武器を構えた。
彼らが武器を構えた少し後、彼らの頭上を影が通る。
「二人ともっ! 来てるわよ!」
影が落ちる。
苔を吹き飛ばし、衝撃が走る。
落ちてきたのは鉄屑の集合体で出来た長い尾を生やした怪物。大きさは小さな家屋に収まらない程。
姿勢は四足歩行の生物に似ているが前足は小さい。代わりに非常に大きい二本の後ろ足がその巨体を支えていた。
「恐竜?」
前足が浮いているので実質二足歩行に近いそれを見てアリスが呟いた。
アリスのおぼろげな記憶がそれをまるで有名な恐竜のようだと告げていた。
「来るよ!」
恐竜が吠えた。ただの鉄屑の集合体なのに響き渡る怒号。
ビリビリと空気を震わせるそれは第一試練の獣王を想像させた。
今更五人がそんなものに怯むことはない。
恐竜は鉄の尾を振るい、五人を薙ぎ払う。
「甘いわね」
「喰らいなッ!」
しかし、鉄の尾はクオリアの大盾が容易に受け止める。
動きを止まった隙に恐竜へと炎が襲い掛かる。ソリッドの爆炎の魔術だ。
鉄屑がみるみる赤く染まり、高熱になったそれが融解して原型を失う。
が、地面に散らばった鉄屑は震えながら一か所に集まり始める。集まっている場所には何やら赤い宝石のようなものが見えた。
「アリス!」
チェシャがそれを槍で弾き飛ばして叫ぶ。
その声に応えた銃声は弾丸を打ち出し、綺麗にその宝石を撃ち抜いた。
すると震えていた鉄屑が一斉に停止し、動かなくなる。
敵対生物を仕留めたことに五人が止めていた息を吐くと、散らばったすべての鉄屑が霧散した。
「え?」
誰かの呟きが霧散した魔力と共に風に流れていく。
今起こった現象が示すのは今戦った鉄屑の恐竜が迷宮生物であること。
しかし、それはあり得るはずのない現象のはずだった。
「あれ、迷宮生物だったのか?」
ソリッドが誰かに答えを求めて尋ねる。
てっきり誰もがグングニル引いてはこの都市を防衛する機械生命体だと認識していたが、これを見ては考えを改めざる得なかった。
「そう、だろうな」
「とにかく、ここから動こう。さっきの声で集まって来るかもしれない」
チェシャの指摘に皆が同意し、この場を離れることを優先する。
しかし、小迷宮、大迷宮どうこう以前にこの都市すべてが迷宮の如く入り組んでいる。
安全な場所は誰も思い浮かばなかった。
「──もう来てるわ」
アリスが弾を込めなおした銃を構える。
彼女が捉えたのは聞いたことのある羽音。
その羽音が聞こえてくる上空を見上げると、いつか見た機械仕掛けの蜂が少しずつ上空に集まっていた。
「グングニルに居た……!」
「ソリッド、燃やせっ!」
「あいよッ!」
上に向けて爆炎の魔術印が描かれ、印の完成と同時に吐き出された炎は機械蜂の群れへと襲い掛かる。
炎は轟々と焼き殺し、地に燃え尽きた鉄屑を墜落させた。
その鉄屑も恐竜と同じく霧散した。
「少なくない?」
印は炎を吐き続けるが、地に落ちた蜂だったものの数は両の手で数えられる程度。
彼の火力にしては少ない戦果。そして、集まっている蜂の数にしては少ない死体。
釣り合わない状況にチェシャが疑問符を浮かべ、炎が消えるのを見守った。
「面倒な相手、ということか」
「みたいね」
ボイドとアリスはその原因に気付いているらしく、面倒そうに眉をひそめていた。
チェシャには未だ原因は分からない。しかし、四人を見渡すとクオリア以外、つまりソリッドもその原因に気付いているようだった。
彼らの共通点。
クオリアにあって、他の三人が持っているもの。
──魔力?
思い浮かべた仮説を確かめるため、慣れない魔力を感知するためにチェシャが集中する。
荒れ狂う炎のせいで中々掴めなかったものの、炎が消える間際、蜂たちの居る場所に魔力の集まりを感じた。
炎が失せる。
残っていたのは無傷の機械蜂達。
その蜂たちは単に集合していたのではなく、空中にまるで魔術の印を描くように整列していた。
それを見てチェシャもようやく合点がいった。発動した魔術は分からないが、何かしらの魔術を用いてソリッドの炎を凌いだのだ。
「……所詮は小細工か。ソリッドもう一回だ。最大火力!」
「お、おうよっ」
ソリッドの炎を凌ぎ切ったのを見たのに、ボイドの口角は何故か吊り上がっていた。
ソリッドには彼の意図を理解できなかった。しかし、それを考えるのは自身の仕事ではないと開き直り、再び一度爆炎の魔術印を描き、荒れ狂う炎を解き放つ。
彼の十八番である魔力量のゴリ押しを生かしたある種の数の暴力だ。
対する機械蜂たちは整列したまま動かず、淡い光を灯し始める。
「アリス君」
「ええ」
簡素な答えと共に銃弾が四つ。その全てが蜂たちを貫き、撃墜させる。
四つの穴によって蜂たちが作り上げた魔術印が消え、防げるはずだった炎が蜂たち全てを飲み込んだ。