感情を震わせて
「──どこに行っていた?」
深夜。天使が廃墟のような城の中に現れ、玉座に座ったまま船を漕いでいたクロウが彼女を睨みつける。
「芽が生えるところを見ていた。お前もそうだが、人間とは面白い生き物だな。沈んだ状態から平常よりも回復するのだから」
「傍観者は気楽なことだな」
「あの少女は何処へ?」
クロウが吐いた毒を無視して天使が辺りを見渡す。
アリスの姿はボロボロの王座の間には居なかった。クロウのほかに居るのは彼の横で佇む異形のみ。
「どっかの部屋で寝ているよ。僕とは違って、何もかもが機械仕掛けに成ったわけじゃないからな」
「眠そうですが……」
「補給できていないから節約している」
「戻ればよいのでは」
無機質に響く天使の声を聴いたクロウがおもむろに顔を持ち上げる。
彼女の言葉は最もであった。転移装置を使い、第七試練で補給を取ればいいだけのこと。
だが、体ほぼすべてを機械に替えたクロウにもまだ燻っているものがあった。
──完膚なきまでに彼らを打ちのめす。
これを成すまでは下がれない。
下がっては勝利宣言が出来やしない。
合理的な選択肢を取るクロウにそれを思い出させた彼らを打ちのめしてこそ──
「僕もまだ人間だということだ」
「……とにかく明日、彼らがここへ来ます。どちらが勝つのか見届けさせてもらいましょう」
クロウが口端を吊り上げてにやりと笑う。
感情を見せなかった天使がどこか不満げにそう言い残し、背面を上に向けて再び城の窓から飛び出した。
落下によって天使の顔が隠れるほど彼女の白髪がなびく。髪に隠れた口端は軽く引き結ばれていた。
しばらく落下してから翼を開き、羽が風を受けて一気に速度が失われ、今度はふわりと浮かび上がって滞空する。
──同類だと思っていたのですが……。
天使は夜空を舞いながら一人思考する。
天使である彼女は感情の起伏というものが乏しく──大きく変化しないように作られた存在だった。
そして、機械と化して合理的に目的を遂行しようとする彼と出会い、無意識に仲間意識を抱いていた。
人間という天使からすれば下等な存在と対等に立ってしまう契約を結んだのもそのせいだ。
その契約した彼が見せた情熱に当てられた天使はまた追い出された気分になっていた。
湧き上がる苛立ち。行き場のない怒り。
それらも天使という存在に組み込まれた機能がシャットダウンし、飛行し続ける彼女の感情の熱を夜風と共に冷まさせる。
──我は監視者、すべきことには変わりない。主の御心のままに。
天使の表情から僅かにあった色が抜け落ちる。
感情の冷却を終えた彼女は翼をはためかせ、夜空の向こうへと消えていった。
*
「座標は……大丈夫だな、城に繋がっている」
「……勢いで来てたけど、繋がってなかったらどうする気だったの?」
「そりゃあ、歩くさ」
第二試練以降へ飛ぶための転移装置の操作端末を触っていたボイドが安心したように呟く。
それを聞いたチェシャが思わず尋ねると返ってきたのは彼にしては考えられていない答え。
「あはは……俺だけじゃないってこと?」
「そうね。だからこそ、勘違いして突っ込んじゃだめよ? みんなで、勝つの」
「だから、オレとボイドはしっかり守れよな!」
皆に性根を叩きなおされたとはいえ、未だチェシャの中では疑問が渦巻いていた。
故に彼の感情は上にも下にも振れやすい。けれど、それは程度こそ違っても皆同じだった。
そのことに何故かチェシャは安堵した。理由は彼にも分からなかった。
彼の小さな声を拾ったクオリアが彼の背を叩いて鼓舞する。ソリッドも彼女に続いて肩を叩きながら通り過ぎて転移装置の前に立った。
「で、もう行くのかー?」
「ああ。気を引き締めろよ。敵はすぐそこだ。戦闘もすぐに始まる」
「おうよっ!」
「いけるよ」
「いつでも行けるわ」
ボイドが三人の声を来て頷くと端末を操作して、転移装置に光を灯した。
そして、チェシャに視線を向け、挑発的に微笑む。その動作に込められた意図。
先頭を行けと。
まだ足が竦んでいることを見透かされていたのかとチェシャが苦笑する。
アリスが敵についた。
その事実に向き合うことが怖いのだ。
けれど、今回は恐怖に打ち勝たなければ意味がない。暗い感情のまま一人動いても勝ち目はない。
力がなくなったからこそ仲間と、戦わなければならない。
──やらないと。
瞼を閉じて、ゆっくりと開く。
自らの頬を叩いて活を入れる。
半分は空元気だ。それでも、確かに自分の意思でチェシャが光へと足を踏み出した。
視界は一瞬で切り替わる。
石材で出来た無骨な地下通路から崩れた城へと。
転移装置は玉座よりも後ろにあり、なおかつ距離も入口より近いせいで玉座の横で膝をつく異形と、玉座を跨いで異形と反対側にいるアリスの姿がよく見えた。
「来たか。なに、いきなりとは言わない。どうせなら前に来い」
「言われなくても」
チェシャはクロウの声にどこか熱が入っているのを不思議に思いながら後ろから来た三人と共に段差の低い階段を下りて、赤い絨毯の上に立ち、玉座の肘置きに頬杖をつくクロウと同じ形で再び向き合った。
「……冥土の土産だ。少し話をしよう」
「……?」
クロウが頬杖をついたまま突然話を始めようとするものなので、武器を構えていたチェシャ達が呆気にとられた。それはアリスも同じだった。
そんな彼らを無視してクロウは話を始める。
「ザッカリア、名前は知っているだろう? アリスの父であり、神の試練とグングニルの設計者だ」
五人は頷く。
「そして、僕は彼の友人だった。何故、こんな時代まで生きているか、それについては体を機械に替えたからさ。顔はあんまり変えてないけれど」
クロウが白衣の袖を捲る。不自然に綺麗で整った白色の肌、そして、その肌の関節部分に不自然に走る何かの線が見えた。また彼の言う通り、顔には血流の悪さを示す青白い肌に加えて無精ひげも生えている。
「あいつは生き延びようと思えばいくらでも僕のように生き延びれた。だけどしなかった。未だ理解できない。娘は未来へと送ったくせに、世界の命運を託したくせに」
一昨日とは違い、声には熱が乗っていた。
思わず五人が気になる単語に口をはさむことも忘れて彼の話に聞き入る。
「死に際、あいつに聞いたのさ。何故僕のようにしなかったか。答えは未来の人類に託すだとさ。託すならなぜ娘を送ったのか、疑問に思わないかい?」
確かに話を聞く限りザッカリアの行動は矛盾していた。
横で話を聞いているアリスも自らの父が何を想って自分をここまで連れて来たのか理解できていなかった。
「ともかく、僕は納得できなかったんだ。結局こうやってあいつの娘が起点となってようやく期限ギリギリにここに初めての人類が到着した。そうまでして娘に命運を託すくらいなら……」
クロウが目を伏せる。頬杖をつくのをやめて肘置きに下ろされた腕が微かに震える。
そして、震えが止まった腕に力が込めらると、彼の目がカッと開かれた。
「僕に、僕に任せてくれれば話など終わっていたッ!」
崩れた城にむなしく響く男の叫び。
そして、それが実に正論だとアリスは分かってしまった。納得してしまった。
アリスがいなければ魔力吸収機構の元へはたどり着けない。
グングニルのシステム上そうなってしまっている。マスター権云々の話ではないのだ。
彼は一人で、アリスとは違い千年孤独を生き続け、あとはアリスを連れて魔力吸収機構の元へと行くだけでこの顛末を終わらせることが出来る地点まで到達していた。
「……ふ、ふははっ、同情などしてくれるなよ。だからこそ、この戦いは君たちと僕の純粋な感情の戦いだ。戦う必要などどこにもない。共闘すればより簡単に結末を迎えられるだろう。だが、僕は納得できない。それだけだ」
クロウは笑う。実に、楽し気に。
機械の体がケタケタと高笑いをする姿に五人はどう思えばいいか分からなかった。
しかし、チェシャはすぐに答えを見つける。
──アリスのお父さんが正しかったことを証明すればいいんだよね。
クロウがここまで来た感情も結局はザッカリアの選択に納得できなかった彼のエゴだ。
だからこそ、その選択が本当に正しいか否かをともかく納得のいく結論を与えて欲しいだけ。
今のチェシャも少なからず似た気持ちが残っていた。
アリスがクロウにつくのが正解なのではないかと、けれど、アリスには自身のそばに居て欲しいという矛盾した気持ちが。
結局、この手の話は自分が納得できるか否かの話で、チェシャは納得できないからこそここまで来た。それだけだ。
「この矛盾した気持ちを思い出させてくれた君たちには礼を言おう。だからこそ、全力で、潰してやる」
クロウが不敵に笑う。
そして、指を軽快に打ち鳴らした。
「起きろッ! 偽黒騎士ッッ!!」