喪失
忌々しそうにアリス以外の四人はクロウを睨みつけている。
そんな中、唯一ボイドだけ視線の圧が弱かった。
四人の中である種の真実を知る彼は、アリスを強く引き留めることは出来なかった。そして、これから先をクロウに任せれば、最も良い未来になるのではないかという推測もあった。
──言う訳にもいかない、か……。
今目の前で異彩を放つ異形が厄災を倒せなかったのであれば、話が変わる。だからこそ、最善を追うのであれば、ここで真実を話すという選択肢はありえない上、約束を破るわけにもいかなかった。
「なぁ、アリス。どうして、どうしてそっちにつくんだ……?」
縋るようにチェシャが尋ねる。
彼女がクロウのそばに立ってすぐに問い詰めなかったのは答えを聞くのが怖かったから。逃げ場のない真実を与えられることを拒んだから。
しかし、そうでなければという希望的観測のために遅れて尋ねた。
アリスはそんな彼を無視することは出来なかったが、彼を悲しませる答えを言うのも嫌だった。
出来たのはあくまで、合理的に、機械的に、演算結果を述べること。
「……こっちの方が、確実だから」
アリスが知っていることは多くない。そして、それはチェシャ達の旅路が上手くいく可能性が高くないことを意味している。そして、厄災についてよく知るクロウの方が、マスター権を得ている彼の方が、成功率は圧倒的に高い。
どちらに着こうとも、アリスの存在は魔力吸収機構の元にたどり着くには必要だった。それをスカーサハから伝えられた彼女はクロウに着くことを選んだのだ。
チェシャの瞳が強く震える。左手から力が失われて、右手だけに握られた槍が垂れ下がる。
見ただけでも分かる戦意喪失ぶりだった。
「人間は不安定だ。言葉一つ、行動一つで変化する要素が大きすぎる。緻密な計画において、その変容性は邪魔だ。彼が良い証明になった」
敵前で棒立ちになったチェシャをクロウが嘲笑う。
今まで文字通り、一番槍として突撃し、クオリアと前線を張り、数多の強敵を相手にしてきた彼とは思えなかった。
しかし、孤独を恐れるアリスには信じていた相手から見放された彼の気持ちが痛いほど分かっていた。そして、そう仕向けたのが自分だという事実に打ちひしがれ、湧き上がる罪悪感から目を伏せた。
「さあ、戦力が一つ減ったわけだがどうする? 無様に逃げるのなら、そこにある転移装置を使っても構わないんだぞ? 心配するな、行先はセントラルに設定してある」
クロウが指さしたのはカーテンで隠れていた場所。ガラス張りの部分が壊れたカプセルの横には見慣れた転移装置が置いてあり、ご丁寧に光を灯していた。あそこに転がり込めば、この場からの離脱も可能だ。
「何馬鹿な事言ってるのかしら?」
「ああ、逃げ出すなんてするかよな」
クオリアが大盾を構えて、異形を異形を睨みつけながら言う。
ソリッドも鼻で笑いながら指先に淡い光を灯した。ボイドも無言で錬金砲を構える。が、彼は戦闘の意思を示したものの、二人のように啖呵を切ることは出来なかった。
「そうか……なら──やれ、偽黒騎士」
──オオオォォォッ!!!
命令を受けた黒き異形が吠える。人型をしていようと、口からでた声はとても人からかけ離れていた。吠えた異形は地を蹴飛ばし、大理石の地面を削り、その音を置き去りにしてクオリアへと肉薄する。
「ッ──」
クオリアが辛うじて防御姿勢を取ったのと、異形が彼女を槍で突いたのはほぼ同時だった。
異形の歩幅で数歩、その間を詰めるのと、クオリアが少し大盾を持ち挙げる時間が等しい。
それが意味するのは巨体に見合わぬ速度。そこから繰り出される圧倒的な力。
前に出ていたクオリアは三人の間を通り抜けて、壁面に打ち付けられる。もともと崩れていた壁がさらに崩れ、ガラガラと崩れ落ちた破片が壁に打ち付けられた彼女に降りかかる。
「速いッ!?」
制限のためにボイドがとにかく錬金砲の引き金を引く、しかし、放たれた熱線はすべて異形に回避される。異形が何を考えているかは読み取れないものの、先程の速度を考えれば、ボイドとの間合いなど一瞬で詰められるはずなのに何故か回避しかして来なかった。
熱線を何度か回避され、そのうち引き金を引いても熱線が出なくなった。
「ソリッド! サポー──」
盾による殴打。彼の声は途中で途切れる。クオリアと同じように吹き飛ばされ、壁面に叩きつけられた。クオリアよりも軽く、防具による防御も少ない彼はより強く壁に叩きつけられ、より崩れた瓦礫に埋もれた。
「ボイドっ!? ガッ──」
ソリッドが彼の方を振り向く間にもう異形はソリッドの元へと詰めていた。
そのことに気付いた彼が前を向くのと、薙ぎ払われた槍が当たるのは同じ瞬間のこと。
痛みを知覚するころにはソリッドの体はとうに宙へと吹き飛ばされている。
「ここまで来たとは言え、所詮はこの程度か。時間の無駄だ。アリス、行くぞ」
「あら、誰が?」
「……ほう」
立ち去ろうと反転したクロウの背にクオリアの声がかけられる。
声をかけた彼女の鎧は傷だらけではあったものの、破損は見られない。
さらに言えば彼女自慢の大盾は汚れながらも、光沢を残していた。
「偽黒騎士」
クロウの声に応えた異形が再びクオリアに向けて腕を引き絞って槍を突き出す。
それを今度は角度をつけて衝撃を逸らすことで、吹き飛ばされずにその場に留まった。
だが、攻撃は終わらない。右足が蹴り上げと共に足先の鋭利な爪がクオリアに襲い掛かった。
「足りないわね」
爪による一撃をクオリアが受け止める。助走がない分、衝撃は落ちている。そして、彼女の純白の大盾はただ鋭いだけの攻撃など通さない。
続く盾による殴打も踏み込んで出始めを受け止め、威力を下げて受け止める。
異形は体を捻り、蹴りを終えた右足を左足よりも後ろに置きながら。詰められた分の距離を開ける。
そして、全身を引き絞って再び右腕に力を蓄えると、槍に乗せられて解き放つ。
予備動作こそあれ、見てから反応するのは人間には不可能な速度。
適切な角度にずらすことを諦めたクオリアが今度は引いて、振り切った槍を受け止める。
衝撃もほとんどないため、ようやくクオリアの番が返ってきた。
しかし、剣を抜く余裕はないし、両手で大盾を持っていなければ、異形の攻撃を耐えることは出来ない、出来た反撃はせいぜい突き出された槍の腕を大盾で殴る程度。
それも大して異形には効いていない。せっかく攻撃の隙が出来てもクオリアだけではどうにもならない。
──人手が足らないわね。
束の間の思考。
ボイドとソリッドはつけている防具の関係上、異形の攻撃をまともに喰らっては意識があるか怪しい。頼れるとすれば、チェシャだったが、彼は彼ですでに戦意を失っている。
いくらクオリアでも、防戦を続けたとしてもこれを相手に時間を稼ぎ続けるのは厳しい。
今のやりとりも所詮は駆け引きの延長。味方の攻撃があって初めて、たとえ防御することには変わりなくてもクオリアの選択肢が増える。
「チェシャ君! ぼさっとしてないで動きなさいッ!」
酷な話なのはクオリアも分かっていた。
彼と彼女の共依存の関係は欠けなければ確かに強い連携を生み出しているものの、欠けてしまえば簡単に崩れる代物だ。だからこそ、アリスがあっさりとあちらに行ってしまったことに疑問を感じていたが、それを考える暇はなかった。
だからこそ、この場をどうにかしなければならないという一心でチェシャへと怒鳴る。
彼へ怒鳴ったのを最後にクオリアの番は終わった。
腕を引き戻し、異形は次の行動に移っている。
クオリアの足元に槍の突きが飛んでくる。溜めもない一撃でも無視はできない、大盾を少し下ろして防ぐ。
すると、今度は顔に向かって盾の殴打が。
「~~~っ!」
地面を蹴りながら、遅れて持ち上げた大盾の外周部と異形の盾が衝突する。
上からの衝撃を殺しきれず、腰に走った衝撃で顔を歪めた。
態勢が崩れてしまえばもう防戦から出られない。
薙ぎ払い、殴打、蹴り上げ、回し蹴り、膝蹴り。
多種多様な素早い攻撃がクオリアを痛めつける。
蹴り上げのタイミングに合わせて、宙へと浮いて、わざと攻撃を受けることで距離を開けても、機動力で圧倒的に勝っている異形があっという間にクオリアへ肉薄する。
体格差とリーチを生かした異形の上下左右から襲い掛かる連撃にクオリアが振り回され、突き飛ばされながら希望のない防戦を続ける。
なんとか状況を打開するためにクオリアが懐に飛び込むも、即座に放たれた異形の膝蹴りが彼女を返り討ちにしていた。
──早く立ち直って……くれないとキツイわよっ、チェシャ君ッ!
逆転の芽がまだ残っている限りは大人しく逃げ帰るわけにもいかない。
クオリアは歯を食いしばってボロボロの体に鞭を撃ち、瞳に闘志を燃やし続けた。