偽天使
「来るっ!」
先手必勝。
チェシャが座り込んだ状態から立ち上がった天使の内、右側の個体、短髪の天使像へ突撃する。
それに対して、無表情のまま天使像は左手を突き出した。彼が槍を突き出したのは天使像の胸元、突き出された手はその道筋に割り込む。
チェシャの槍が割り込んだ手に触れる瞬間、紫電が弾けた。
チェシャの槍と天使像の手を中心として広がる魔術印らしき複雑な文様を収めた金色の円がせめぎ合う。
「──ッ」
しばらく拮抗は続いたが、金色の円が光を強めた瞬間、チェシャの槍が彼の体と共に弾かれた。
宙へと放り出された彼が体を捻り、態勢を整えて着地する。
その様子を無表情で見届けた天使像はゆっくりと手を下ろした。
その入れ替わりで発砲音が響く。
そして、金属の澄んだ音が響く。
「効かないッ……」
アリスの銃弾は天使像の体を傷つけることすらできずに弾かれた。
しかし、そこで思考を止めず、赤い目を狙って再び発砲。だが、銃弾は天使像が素早く片手を突き出し、現れた金色の魔術印に弾かれた。
その様子を見たボイドは敵が分かりやすく弱点を示したことにほくそ笑む。
だが、敵は二体。油断はできない。
左側の個体、長髪の天使像がアリスに向けて右手を突き出す。
同時にその手を中止として浮き上がった金色の魔術印から白い矢が幾筋も放たれる。
防御に自身があるのは五人の盾役である騎士も同じこと。天使像とアリスの間に分け入ったクオリア白い矢の雨を完全に防ぐ。純白の大盾も傷一つ存在しない。
「あら、この程度?」
「煽るなよクオリア」
石像に意思があるとは思っていないものの、調子に乗るなとボイドがクオリアを窘める。
同時に両手に構えた錬金砲の引き金を引いた。
両の銃口から放たれた熱線が白い矢を撃ってきた天使像に襲い掛かる。
熱線に対し、長髪の天使像は左手を掲げた。そして、また手から金色の魔術印が現れて、二条の熱線を受け止める。
紫電を迸らせて、熱線を受け止め続ける天使像。しかし、彼らの攻撃はまだ終わっていない。
「足元ががら空きだぜ、天使さんよ?」
四人が交戦している間に長髪の天使像の目の前まで忍び寄ったソリッドが像の真下から二重円の印、爆炎の印を描いて炎を吐かせる。
「──」
轟々と炎が唸る。
しかし、天使像は見向きもしない。
つまりそれは効かない攻撃だと判別されたこと。炎は天使像を包むが、石像は色さえ変わらない。
だというのに、ソリッドは口端を吊り上げた。
そして、燃え盛る炎の中、唸り続けるそれも消し飛ばす爆発が起きた。
部屋の中で吹き上がる黒煙から服が黒ずんだ少年が吐き出されて地を転がる。
また、石像の破片もいくつか煙から飛び出していた。
「……どうして自爆をしているんだ」
「けほっ、けほっ! ヴぅんッ! ちゃんと、ごほ……、防御はしたってのッ」
「増幅による身体強化だけだろう……服がボロボロじゃないか」
ボイドがソリッドの元へまで走って、眉をひそめながらも手を貸した。
ボイドの期待通り、攻撃したのは良かったものの、まさか至近距離での自爆攻撃を敢行するとは思わなかった。至近距離の爆破の割に肌が見えている場所の傷が少ないのはちゃっかりしているものの、ソリッドの防具はどこもかしこも真っ黒で、破けている個所も多数あった。
「頭脳プレイのために必要だったんだよ」
「その頭脳プレイとやらは、お前の割には。だろう? ──とにかく、動けるならさっさとしろ、まだ敵はいるんだ」
「わかってら」
魔術の炎に紛れて魔法を爆発を仕込むというごり押しにボイドがため息を吐く。
が、晴れた黒煙から石像が砕け散っていたのを見てそれ以上の追及をやめた。
一体になった天使像は閉じていた羽を全開に広げる。
片翼で五メートルほどのそれを広げ切れば、人の体には不似合いな大きさだった。
表情を変えないまま、短髪の天使像が一度、瞬いた。
瞬きに呼応して、片翼に等間隔で三つの魔術印が浮かび上がる。
「クオリアの陰へ──!」
危機感を覚えたチェシャが顔を険しくして再び突撃し、ボイドが指示を出して全員をクオリアのもとへ招集させた。
彼が槍を突き出したのと同時に両翼で六つの魔術印が一斉に白い矢を無数に吐き出した。
「間に──」
けたたましく鳴り響く風切り音。
接近していたチェシャは天使像の懐に飛び込んだおかげで、白い矢の脅威から逃れたものの、他の四人は違う。クオリアの元へ駆けつける前に防具や肌を傷つけれて、血を噴き出しながら、クオリアの盾の後ろに隠れる。しかし、翼は水平に広げられている訳ではなく、角度をつけられているので、大盾一つでは四人全員を守り切れない。防ぎきれずに漏れた白い矢が四人の体を傷つけていく。
クオリアも攻撃が通らないとはいえ、盾で受け止めている分の衝撃が体に走り続けている。
猶予は少ない。
「こんのッ!」
一度防がれたなら同じ攻撃は通らない、そう考えたチェシャが持っているミスリルの槍を掌握魔力のの琥珀に染め、リベンジを仕掛ける。
対する天使像は一度目と同じように左手を突き出して魔術印を展開する。
激突。轟く紫電。
弾け、迸る紫電の勢いが一度目より強い、拮抗しているが今度はチェシャは押している。
その証拠に、突き出された天使像の左手がこらえるように震えていた。
しかし、この競り合いの間にも羽から白い羽が放たれ続けている。クオリアの盾に当たって弾ける音、盾に隠れる三人の布製防具が切り裂かれる音。
その二つを戦闘で無意識に研ぎ澄まされていくチェシャの聴覚が聞き取り、押しているはずの彼が焦っていた。
「ソリッド! 炎で焼けっ!」
「おう……よ!」
ボイドの声でソリッドが脊髄反射並みの速度で爆炎の印を描き、炎を吐き出させる。
六つの魔術印から吐き出されている白い矢の内、片翼の二方向分を焼き尽くし、後続に押しとどめられながら相殺する。
指示を出したボイドも錬金砲を構えて、ソリッドとは反対方向に熱線を打ち出す。
ソリッドと違って、収束している炎は羽の端から放たれる白い矢を半分ほどと相殺するだけだった。
それでも、クオリアの大盾にぶつかる量が減ったことで歪んでいたクオリアの顔が緩んだ。
大盾に隠れる三人を傷つける白い矢の数も格段に減っている。
「機能変化──双銃── 魔拳銃」
手が空いていたアリスが銃を変化させて、チェシャの支援に移る。
一度は弾かれた銃弾も魔力による純粋な力のごり押しなら簡単には弾かれない。
ましてや、崩れかかっている拮抗を崩すにはちょうどいい一押しだ。
──ピキッ
激突する金と琥珀に白い銃弾が加わる。
震えていた天使像の左手にひびが入り始めた。
拮抗は一気に崩れる。ひびが入ったのと同時に魔術印にもひびが入った。
それを見て余裕取り戻したチェシャが力んでいた肩の力を程よく抜いて、全体重を槍へと乗せる。
魔術印に走った僅かなひびが一気に広がっていく。天使像の左手だけだったひびも手首、腕、肩、そして全身へと広がる。
もう拮抗は崩れ、後は崩壊のみだった。
相変わらず無表情な天使像の赤い目に傷が及び、パキッっと一際大きなひび割れ音が鳴ると同時に翼と手から展開されていた魔術印が一斉に消える。
「おっ──」
競り合っていた槍が勢い余って天使像の腹を刺し貫いた。アリスの銃弾をも弾いた石像もいともたやすく貫かれ、出来た穴がさらなる崩壊を招き、石像は完全に瓦解した。
終わるときは呆気なく終わるものなので、石像の破片が散らばる中、チェシャが槍を突き出した姿勢のまま少し固まっていた。
「おつか──れっ」
「わっ……」
固まっていたチェシャの背をアリスが勢いよく叩く。
驚いたチェシャが言葉を返す前にアリスは解除端末の方に走り去っていた。
ため息一つ、彼はアリスを追う。
「……うん、大丈夫。終わったよ!」
解除端末の画面をしばらく見ていたアリスが晴れ晴れとした顔で振り返る。
その声に傷の手当てをしていたボイド達三人もほっと胸をなでおろした。戦闘時間そのものは短かったものの、狭く、遮蔽物のない場所でこの天使像と長期戦をやりあうのは難しかった。これ以上戦闘のがないことにようやく彼らも安心する。
『──中々やるな』
その安心もつかの間、部屋に響き渡った声に全員が顔を固くする。
聞こえた声はスカーサハではなく、合成音声でもない人間の──男性のものだった。
「誰……!?」
『アリス嬢とは久しぶりか……とは言っても僕のことは覚えていないだろうな』
そういって、声の主はくつくつと笑う。アリスの声に反応したということは記録された音声出ないことも同時に証明される。それに気づいたボイドが声の主の立場を直感した。
「貴方がアリス君と入れ替わりでマスターと成った人なのか?」
『ああ、そうだとも。何、今から話す話は君達にも悪い話ではない。肩の力を抜いてくれて構わないぞ?』
「姿形も見えない貴方を信頼しろ。と?」
『手厳しい意見だ。だが、否定はしない。まあ、とにかく? 僕としてはとりあえず話を聞いてほしい』
上から目線のマスターにボイドはやはり信頼できそうにないと胡乱気な目を天井へと向ける。
しかし、言葉はそこで止まった。もうロックは解除した。ここで、話を聞かないのはもったいないことも分かっていた。
『信頼はしていないが、話は聞いてくれると』
「……早く話してくれないか」
『はっはっは。すまないね。じゃあ、まず君たちが倒した石像の話からしようか』
高笑いをしたマスターは息を一つ吐いてから口を開く。
『その石像の名前は偽天使というのだが、そいつは失敗作でね。台座から魔力を供給して魔術を撃つ固定砲台になってしまったのさ』
五人は言われてから天使像が一度もその場から動いていないことに気付いた。
羽を広げた状態で動き回るのは難しいだろうが、回避行動をとるか取らないかで強さがまた違っていただろう。
「失敗作を放置していたのか?」
『いいや、放置したくて放置していたわけではない。これでも改良したほうさ。動けなくとも天使が使う魔法を魔術で再現し、動けずとも使えるようになっただけでも進歩したんだがな』
「だが、たかだか我々五人に倒されるようでは所詮失敗作だろうよ」
『ふっ』
ボイドの煽るような口振りを聞いたマスターが突然噴き出した。急に噴き出すものだから眉をひそめたボイドが怪訝な顔をする。
「何がおかしい」
『第五試練まで来ると自覚がなくなるのかもしれないね。そいつは盲点だ』
「何を言っている?」
『その偽天使の魔術、君たちもそれなりに苦労したそれを現代の一般人が受ければ大怪我じゃすまないと知ってもか?』
その言葉の意味を理解したボイド、アリス、クオリアが固まる。
確かに白い矢は布製の装備を容易に切り裂き、彼らに切り傷を負わせた。
では、その布製の装備は何で出来ているか。
迷宮生物や採取で入手した素材で出来たものである。第四、第五において、アリスの銃弾すら耐えうる迷宮生物の素材で出来た装備が簡単に裂かれる。
しかし、負った傷は擦り傷に切り傷。
これらが意味するのは五つの試練を乗り越えて本人が正確に理解できなくとも彼らの器、神経から肉体までの全てが強化されているからこの被害で済んでいるのだ。
それが一般人とほとんど変わらぬ下位の探索者ならば、たちまち肉を抉られ、持っている武器など取り落とし、戦闘続行もかなわないだろう。
息を呑んだ三人に満足したのか、マスターはまたくつくつと笑うのみ。
意味を理解できていないチェシャとソリッドも彼らを見て、状況の悪さを悟った。
『正確な強さを把握してもらったところで、次に行こうか』
主導権を握ったマスターの不敵な笑みと零れた声が辺りの雰囲気を支配していった。