カグツチ
チェシャはアンセル達と情報交換をしながらすり減った神経と体力の回復に努めた。
その中で、アンセル達が迷宮の攻略に執着する理由を聞くことが出来た。
アンセルとローダは腕試し、ひいては強くなるため。そして、ロマンを求めているとのこと。
もともと彼らは二人で村を出たので、目的も共通していた。
しかし、セルリアは魔術についての理解を深め、強くなるためだと言っていた。
二人と一人の目的は似ているようで違う。彼女の具体的な目的は特殊魔術の解明をすることらしい。
特殊魔術とはアンセルやボイドが使う火や水などの属性を持たない魔術。
効果も特殊かつ強力なものが多いが、描く印に法則性がある属性魔術と違い、特殊魔術には法則性がない。魔術師界隈で例外に分類されるものだ。
特殊魔術は例外故、人智を超えた力を持つものがある。
チェシャは彼女の特殊魔術についての執念にも近い話しぶりを見て、彼女の目的が解明よりも先にあると感じた。例えば──特定の効果をもつ魔術を知りたい、など。
チェシャも魔術については明るくないが、魔術の元となった魔法を扱う種族が第四試練にいることを知っている。そのことを伝えるとセルリアは門番への攻略意欲を高めていた。
「魔法……それは俺らも使えるのか?」
「魔術が使えるなら、教えてもらえば出来るんじゃないかな? うちのパーティで魔術を使えた人はみんな使ってたし」
アンセルの問いにチェシャはボイドやソリッドが魔法を使っていたことを思い出す。
チェシャはボイドがとてつもない労力を要して魔法を使ったことを知らない。ボイドが見栄を張ったせいなのだが、それが巡り巡って他の探索者に迷惑をかけるとは思っていなかっただろう。
「じゃあ、あっしは?」
「魔術は使える?」
「無理っす。魔力がほとんどないって言われたっすね」
「じゃあ、残念だけど無理かな」
「殺生なぁぁ」
肩から崩れ落ちるローダを見てチェシャがくすっと笑う。
彼は魔法を使いたかっただろうが、強くなるという目的に関しては順調に果たしているとチェシャは思っていた。三人でここまで来れている時点で、当時のチェシャ達よりもきっと強いだろう。
当時のソリッドが悩んでいたことも考えれば、ないものねだりとは案外このことかもしれない。
「ま、その話はここを超えてからゆっくり考えようぜ。それにここを超えれば一応最前線だしな」
「でも兄貴。もう最前線じゃなくなったすよ」
「それは言わないお約束だ」
チェシャがアンセルとローダから少し恨めし気な視線を送られるも、彼は素知らぬふり、別に彼が悪い要素がないのだから当然と言えば当然だ。
「ソイツを恨んでも変わらないでしょう? 今はさっさとここを乗り越えないといけないんだから」
「最初はチェシャ坊のことを毛嫌いしていたくせに今は肩を持つんすね」
「そっ、それとこれは話が別よ」
「へいへい。兄貴、そろそろ行きやしょうぜ」
「そうだな」
五人が立ち上がって黒い門の前に立つ。重厚な扉の先にはチェシャが一度戦った相手、天使にはカグツチと呼ばれていた存在が居る。いつもならば、チェシャが未知への期待と緊張に胸を膨らませて潜っていた門が、知っている場所になるのは彼にとって不思議な気分だった。
「開けるぞ」
ぐっと、アンセルが扉を半分押して開ける。ボイドと違って両開きにしないのもチェシャには新鮮で、不思議と面白いと感じた。また、三人のほうが年上だが、先輩の気分が味わえたチェシャは門番の前で見せないであろう楽し気な笑みを浮かべる。
幸い彼は最後尾に立っているため、この笑みがバレることはなかった。
門が開かれて赤い壁に囲まれた広間とその中央に鎮座するより真っ赤なとぐろを巻いた大蛇の姿が現れる。炎と氷を扱う厄介な大蛇だ。
「何か対策はあるの?」
「氷の鎧を生やしている時は炎が多少効くらしい。その瞬間に拘束してセルリアが決める」
「そういうこと。何か心配でもあるわけ?」
彼らがどう突破するのか気になりチェシャが尋ねるも、すでに筋書きを決めていたらしいアンセルが短く説明した。確かに、カグツチは炎を扱うものの、効かないわけではない。チェシャ達も強引な火力で押し切った。
しかし、チェシャはそれを正攻法とは思っていなかったので何か違う案が組合で考えれていないか期待したものの、返ってきた答えは結局力押し。そのことに少し落胆していたチェシャにセルリアが不思議そうに尋ねた。
「ううん。俺らの時と変わってなかったからさ、もうちょっと楽な倒しかたないのかなって思っただけ」
「ああ、そういうこと。あるわよ一応。水が効くの。でも、アタシ達にはできないからね。力押しが出来るなら下手に対策を考えるよりはそっちが楽って訳。おわかり?」
「あっそ」
ふふんと鼻を鳴らして自慢するように言うセルリア。
チェシャにはできないことを自身満々に言い切り、ごり押しを正当化するのがどうしても自慢には見えなかったが、彼らがそうするのならば、止める意味もないので彼は静かに頷くにとどめた。それでもチェシャは変身が無ければあまり力押しが出来るタイプではないので素直に頷くことは出来ず、不機嫌さが混じっていた。
「じゃ、行くわよ。アンタはそこで見ときなさい」
「言われなくても」
チェシャは腕を頭の後ろで組み、閉じた黒門に体を預けた。
それを見たセルリアが口端をわずかに吊り上げると、杖を指先でくるりと一回転させた。
回転を終えた指揮棒状の杖先には魔力が灯っている。そして、彼女の腕がその杖先を宙に走らせる。
宙に描かれる火柱の魔術印。印から迸る熱線。流麗な一筋の炎がカグツチのとぐろをまいた体に命中する。しかし、命中した火柱は対象を燃やすことなく、カグツチの鱗に浅く火傷を負わせるのみ。
熱線が終わると、直射された部位は真っ黒に焦げていたが、鱗を剥がすには至らなかった。
「……?」
想像以上の効き目の悪さにセルリアが疑問符を浮かべるが、カグツチはそれに構わず、喉から怪音を響かせ始めた。氷の鎧を纏うつもりだ。
「ローダ、前に出て注意を引いてくれ。鎧をセルリアに焼いてもらってそのまま焼き切る。鎧がはがれた瞬間に俺は魔術を使う。それまでの時間稼ぎ、頼めるか?」
「当然っすよ!」
不敵に笑ったローダは大盾に身を隠しながらカグツチとの距離を詰めていく。
しかしカグツチは近づいてくるローダに目もくれず、魔術を使うために集中しているアンセルを睨んでいる。防御力の高さゆえにそれを突破しかねない要素に警戒を向けているようだ。
同じく、次の熱線を準備しているセルリアには全く警戒していなかった。そのことは彼女も気付き、忌々し気に下唇を噛みながら魔術を描き続ける。
「あっしも防御だけの能無しじゃあないんすよ?」
無視されたローダは氷の鎧を纏い始めたカグツチの目の前までたどり着く。
そして、彼が腰に挿している短い鞘から抜いた刀身が紫に染まった短剣。いかにも毒々しいそれをローダはまだ氷の鎧が出来ていないところめがけて振り下ろす。鱗に阻まれてものの、確かに浅くカグツチの身に刺さった。
──キシャァァァア!?
短剣が刺さった所が一瞬にで刀身と同じ毒々しい色に染まり、同時にカグツチが苦痛に歪んだ声を叫ぶ。そして、地面をのたうち回る。抜群の効き具合だった。
「ざまぁみ──っと!」
苦痛の声が怒りへと変わり、ローダに向けて氷の鎧を纏った尻尾を振り回し始める。尻尾が振り回される度に鎧からはがれた氷の礫が飛来する。しかし、防御に自信があるとローダは尻尾を素早く避けて、氷のつぶてはすべて大盾に身を隠してやり過ごす。
そして、作った氷の鎧をすぐに使ったことで、カグツチの尻尾が無防備となる。
言わずとも、それを逃すセルリアではない。むしろ、無視されたことに苛立っていた彼女は、目にもの見せてやるとカグツチの一挙一動を観察していた。
「──くらいなさいっ!」
二重円に四つの円。火柱の魔術が完成し、印が火柱を地面と平行に吐き出した。
熱線と化した細い火柱は氷の鎧を生成したせいで炎に弱まった鱗を焼き切り、内側の身を焼き始める。
シャァァァアア!!
当然カグツチも黙って見ていない。熱線に焼かれながらも、鞭のように尻尾をしならせて、後方のセルリアの所まで尻尾を鞭のように振るう。
その行動はカグツチの周囲から生えた魔力で出来た半透明の鎖に縛られ、阻まれる。
「おっと? やりたいことが出来ると思うなよ?」
にやついた顔で煽るような口振りのアンセル。
余裕に見える彼がかざす手の前に浮かぶ魔術印は炎獣に使った魔術印の二倍はある。円の中に描かれた幾何学的模様はより複雑に線が入り混じっていた。
それを描き、維持する労力は額からにじみ出る汗と、魔術印に隠された震える腕から想像がついてしまう。
鎖に縛られたカグツチは比較的自由な上半身をうならせて、必死の抵抗を行うが、鎖に縛られた尻尾は動かない。熱線を照射されつづけ、肉の焦げる匂いが辺りを漂い始める。
熱線を照射されている部分の皮がただれ、身は黒く染まりつくしていく。
それでも、門番は──カグツチはただではやられない。
──ガルルララララ……シャァッ!
喉を素早く震わせ、一瞬でカグツチの周囲に霜がまとわりついて氷の鎧が生成される。
鎧が出来たことで、縛っていた鎖が押し出され、隙間ができる。しかし、すぐに鎖は鎧ごと縛られたが、不敵に笑っていたアンセルの顔は苦悶に歪む。
当然カグツチもそこで終わらない。熱線を照射されながら、身をばねのように縮ませる。
ぎゅっと力が蓄えられ、解放。鎧が弾けた。氷のつぶても振り撒かれる。
ローダが後ろ二人の間に入って直線的に飛来した氷のつぶてを大盾で防ぐも、曲射の要領で山なりに飛来した氷の礫が頭上から三人に襲い掛かる。
氷の雨。三人の露出してる肌を切り裂き、怪我を負わせる。同時に痛みで魔術を使っていた二人の集中が途切れた。
鎖が消え去り、火柱が掻き消える。
お互いに傷を負わされた形になったが、カグツチの方は尻尾がボロボロだ。ほとんど黒く染まり、途中から千切れそうになっている。
それを見て、怒りの声に震えたカグツチがまた身を縮ませる。
さっきと同じ予備動作。三人が肌を隠して防御態勢を取る──が、鎧の生成ではなかった。
身代わりのように、カグツチの皮がすとんと地面に落ちて、本体が空中を舞う。
脱皮だ。
そして、カグツチは残された皮に向かって蒼い炎を吐く。熱された皮は燃え盛り、気球のように膨らんで、飛び散った。ひとつながりの皮が散り散りとなって広間のあちこちに墜落する。
その広間に散らばったカグツチの皮だったものは四人が迷宮内で見たものと──全く同じだった。
「あれ……。迷宮にあった……」
チェシャが思わず体を力ませた。膨らみ、飛び散って自立しているカグツチの皮はまさに熱皮そのものだ。近づくだけであついそれが広間中にいくつもある。その状況が引き起こす未来を想像したチェシャが傍観をやめて、前に出る。
突然の脱皮にまだ思考が追い付いていない三人からして、組合も把握していなかった行動。
それはそうだ。確かに彼らはカグツチを追い込んだ。尻尾が切れれば、じきに朽ち果て魔力に還る身だったのは確かだった。それが皮肉にもカグツチの抵抗を産んだ。手負いの獣は平時よりも強い。それはチェシャが身をもって、村で知ったこと。
誰も知らないカグツチの行動。この先は彼らには荷が重い。もとより相性が悪いのだ。十分な危機に陥った。見知らぬ行動ならば、同じく初見のチェシャが傍観を気取るわけにはいかない。
単純に三人を無視できなかった彼が建前を並べて、背中の槍を引き抜く。
──とにかく……まずは一撃。
槍を構えたチェシャは地を蹴飛ばしながら足元で魔力を爆砕させて、カグツチへと迫った。