蜥蜴蔓延る広間
「懐かしいなこの広間」
チェシャが大蜥蜴が蔓延る広間の前で呟く。
彼らの時はそっと通り抜けようとして最後に気付かれ、死に物狂いで駆け抜けた。
当時は生きた心地がしなかったぐらいにギリギリだったが、今思い出すとこれはこれでチェシャのなかでは充実した思い出になっている。
「この先にいるやつらのことを考えたら懐かしいで済ませられる場所だと思わないんだけど?」
「こっそり通り抜けるのよね?」
苦笑したアンセルにセルリアが尋ねる。
ここを通り抜ける方法としては火に強い装備で全身を完全に守って無理やり通るのと、忍び足で大蜥蜴たちにバレぬよう通り抜けるの二通りだ。
相手しようにも大蜥蜴たちは起きるとすぐに広間を火の海にする。遠距離攻撃で倒すにしても通路からでは広間中の大蜥蜴を攻撃できない。そのため、倒すという選択肢はないに等しいかった。
最近では睡眠効果のあるお香を焚くという案も出たが、その素材が手に入るのは第四試練。しかも数が少なく用意することは出来なかったらしい。
「遠くはないっすけど、短くもないっすよねぇ……」
「ばれても半分超えてたら走れば行ける」
「それは何も安心できないっす。絶対に嫌っすね」
だから大丈夫だと頷くチェシャにローダがげんなりする。
どこにも大丈夫な要素がない。むしろ逆効果だ。
「行くならさっさと行った方がいいよ。思ったより疲れるから、ここ」
「そうだな。いけるか? ローダ」
「ただの現実逃避っす。いくならお供しやすぜ」
「ま、嫌っていっても蹴って連れていくから安心なさい」
「だからどこにも安心できる要素がないっすよ!?」
張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
チェシャの目に憤慨するローダはどこかソリッドのように見えた。
似ても似つかぬ二人だが、場を和ませる口調をどちらも持っている気がした。
話を終えて、広間の入り口に立った四人が互いに目を合わせて示し合わせると忍び足で横断を開始する。
ちらりとチェシャが横に目を向けると壁面にびっしりと張り付いた大蜥蜴たちが見える。
今は人間が寝ている時のように静かに体を上下させているが、起きた途端火を吐き続ける機械に成り代わる。
無言の歩み。
蜥蜴達の尻尾の炎がぱちぱちと焚火のように弾ける。揺らめく炎が燭台の如く辺りをやんわりと照らす。
しかし、その燭台の量は数えるのも億劫になるほどだ。
「……ふぅ」
半分を通り過ぎたころ、セルリアが息を吐く。足音を立てない移動は普段以上に低重心かつ後ろに体重がかかる。
意識すればなんてことはないが、全身の筋肉が無い人ほど厳しく、慣れていなければさらに厳しい。
普段から前衛として動き回るアンセル、ローダ、チェシャは涼しい顔だ。否、約一名完璧な忍び足なのに顔色が悪い大盾持ちがいた。
ともかく、そんな彼女がいかに広間を横断するだけと言ってもミスなく歩き続けるのは難しい話で。
カツンと靴音が一つ。
無論、セルリアは気を抜いていなかった。たまたま足を下ろした先のへこみのせいで強く足を下ろしてしまったことと、精神の疲弊という不運が重なったせいだ。
立った一つの小さな足音でも、あまりにも静かすぎるこの空間ではよく響いた。響いてしまった。
「……」
一番前を歩くアンセルが静かに振り返る。口を小さく動かし、
──は、し、る、ぞ
三人が頷く。そして、抑えていた足音を開放した。
しかし、チェシャだけが何故かウエストポーチを漁り何かを取り出したせいで一人だけ初動が遅れた。
セルリアが立てた靴音に反応してゆっくりと体を持ち上げだした大蜥蜴達が、四人の駆けだした音に次々と覚醒していく。完全に目を覚ました大蜥蜴から次々と胸を膨らませ火を噴こうと準備する。
「何してるの!?」
自分より足が速いはずのチェシャが後ろにいることに慌てたセルリアが叫ぶ。
しかし、チェシャはにこっと笑って小声で早くいけとだけ言うのみ。
──そう言われると何も言えないけど……。迷惑はかけないよ。最悪一人でも何とかする。
彼が放っていた言葉がセルリアの頭の中でフラッシュバックする。
わざわざ出遅れてまで何かをしたのだろう。一人でなんとかできると言い切れるのだから。
しかし、だからといって、目の前でそんなことをされて黙って見ていられるかと言えば別で。
でも、彼女に出来ることなどありやしなかった。
「──っ!」
自身の非力を嘆く間も許されず、セルリアは下唇を噛んで彼を見捨てた。
もうすでにアンセルは広間の奥にまでたどり着き、付近の起きている大蜥蜴を魔術で止めて時間を稼いでいた。
「姉貴! チェシャ坊ならなんとかするっすよ!」
「分かってるわ!」
後ろを気にすることをやめてセルリアが走り出す。
セルリアを促したローダも内心チェシャを無視出来てはいなかった。しかし、彼が何かを使用しているのは明白で、それは自分たちのためであることを理解していた。だから気にしない。気にしてしまえば罪悪感で足が止まりかねなかった。
「飛び込め!」
アンセルが叫ぶ。彼の周囲の大蜥蜴は魔力の鎖に拘束されて火が吐けないものの、遠くの大蜥蜴は別だ。もう火が口から溢れている。
彼の声にしたがってローダとセルリアが通路に身を投げ出して飛び込む。その寸前、後ろで光が爆発した。
刹那の空白を沈黙が埋め尽くす。一呼吸遅れて広間は火に包まれた。
自分の後ろの温度が急激に上がるのを実感しながらローダとセルリアが立ちあがる。
「……何が一人でなんとかする、よ。なんとかなってないじゃないっ」
「もしかするとチェシャ坊は耐熱性の防具をつけているとか?」
「いや……ない。いくら多少熱に耐性があっても皮製だし、あれは黒虎の皮だ。あいつは余裕で焼かれてただろ?」
「じゃあ……?」
ローダがその先を言えず黙りこくる。
誰もがその先を言いたくはなかったし、不明にしておきたかった。
しかし、彼の生死はすぐに判別がつく。
「……勝手に殺さないでよ」
火の中から聞こえてきた声に三人が一斉にはっと顔を上げて、火の海に目を向ける。
現れたのは全身を黒い鎧に包んだチェシャの同じ背丈の人。
「……えっ、チェシャかい?」
「合ってるよ。ちょっと慌てた」
あははと、兜越しにくぐもった笑い声はまさにチェシャそのものだ。
彼の防具はすべて焼き焦げて、身を守るために黒騎士に変身していた。
前は変身にも時間がかかっていたが、掌握魔力の使い方に慣れたおかげで瞬時に変身できたおかげでなんとか火の海から生還できた。
「ど、どうやって?」
「ん……秘密ってことで」
悩んだ素振りだけを見せたチェシャは本当のことを言うつもりはなかった。
彼らが下手に口外するような人たちではないことは分かっていたが、これが作られた鎧だとは気付けないだろうし、仮になんらかの能力を使っていたとバレたところでその能力の詳細と代償を言わなければいいだけだ。
問題は薄く火傷を負ってから変身したのでこの後の代償がどうなるか怖い点か。
「とにかく、無事なら良かった。一度休憩しよう」
「うん」
「兜、脱がないんすか?」
「ちょっとね」
ローダの問いにチェシャは曖昧に答える。脱ごうにも完全に一体化しているので脱ぐも何もない。
お陰で暑いことこの上ないが、仕方がないのだから彼は諦めている。
「なぁチェシャ、一瞬広間が明るくなったのは閃光爆弾のせいか?」
「知ってるんだ」
「それしか思いつかなかったし、高いけど商会で売ってるのは見たことがあるからさ」
「そっか。うん、合ってるよ。閃光爆弾。これで一瞬遅らせた」
これで目をくらませて時間を稼いだというチェシャにアンセルが地面に膝をつけてチェシャに頭を下げる──所謂土下座の姿勢を作った。甘い対応を救ってもらったのだ。感謝で済むなら安いくらいだった。
「助かった。俺のパーティメンバーを助けてくれて。感謝してもしきれない」
「……」
「あっしからも、本当に助かったっす」
「ありがとう」
三人に一斉に頭を下げられたチェシャが思わずキョトンとする。
彼は誠心誠意の感謝を受け取り慣れていなかった。どう対応したらいいか分からず、頭を唸らせる。
「……ん、ほら、当たり前だって。パーティメンバー、なんだからさ」
感謝を素直に受けきれず照れた顔を隠すチェシャに三人は彼がまだ若いことを改めて自覚し、くすりと笑みをこぼした。