年上後輩
「あの、チェシャさん。そういうことは私じゃなくて表の窓口に聞いて欲しいのですが……」
「聞いた聞いた。でも、アルマが担当してるって聞いたからさ」
「それは──そうなのですが……。はぁ。いきなりどうしたんですか? アンセルさんのパーティの様子を見たいなんて」
昼下がり、突然サポート窓口に訪れてアルマを呼び出したチェシャの自由っぷりにアルマがため息をついた。
チェシャが尋ねたのは、かつて彼がビッグディアーの異常個体を倒す際に共闘した探索者のこと。
そして、その探索者はアルマがチェシャ達とは別にサポートを受け持っているもう一つのパーティのリーダーだ。
「ちょっと暇だったから」
「暇つぶしに個人情報を聞きに来ないでくださいよ。それに、私から言う権限も有りませんから本人への取り次ぎしか出来ませんよ?」
全く悪びれることのないチェシャにアルマは呆れた目線を送るも、内心アンセル達には良い機会だと考えていた。
──先達者直々に教えてもらえる機会ってないですもんね……。あの人達も先に進めるなら受けそうですし……。丁度、困ってますし……。
アンセル達は現在第三試練の大迷宮、氷炎大空洞の探索中。ここ二節程、飛ぶ鳥を落とす勢いで神の試練を突き進んでいた彼らはこの迷宮の仕掛けと相性によって勢いを落としていた。
彼らの構成は三人で、剣士、盾使い、魔術師のスタンダードな組み合わせ。
火力を魔術師に委ねているが、その魔術師は炎の魔術を主軸にしているため、氷炎大空洞第二階層で出現する炎獣を倒すのに苦戦している。
どのような形にせよ、探索者の中で頭一つどころか二つぐらい抜きん出ているチェシャに協力を仰げるのは彼らにはとても大きいだろう。
「大丈夫。ありがとう」
「……どうしてか理由をお聞きになっても構いませんか? 暇だからってわざわざパーティまで指名するとは思えないのですが」
アルマはいい機会だと思っていることをおくびにも出さず、あくまで不思議に、訝しげにしている様子を前面に押し出して尋ねた。
「深い理由はないよ。五日ほど暇なのと、俺の知ってる探索者がそのくらいってだけ」
氷炎大空洞の地図を見ながら、どうでもよさそうに言ったチェシャの言葉は嘘に見えない。本当に言葉通りに思っているようだった。
「はぁ……分かりました。でしたら、夕方ごろにもう一度お時間いただけますか? アンセルさんが来ると思うので」
「17時くらいで良い?」
「大丈夫です」
「じゃあ、また来る」
「はいっ、お待ちしていますね」
了承を確認したチェシャが椅子から立ち上がり、アルマの深いお辞儀に軽い会釈を返してその場を去った。
*
「お疲れ様です。アンセルさん」
昼間にチェシャが座っていた相談スペースの席にいるのは、ふてくされた顔で腕を組んでいる灰髪の男性。アンセルと呼ばれたその男性は仏頂面のまま顔をアルマに向けた。さらさらした髪質なので、彼が顔を持ち上げるのに合わせて髪が揺れる。
「聞いてくれよアルマちゃん。やっぱ人手が足らないときつくてさぁ……。アルマちゃんが手伝ってくれたら百人力なんだけどなぁ……」
「やはり厳しいですか?」
「攻撃が効かないのがきっつい。セルリアの魔術が効けば別だけどさ。……ほい」
ちらちらと目線を向けるアンセルを無視して、微笑みながら尋ねるアルマ。この二人の間では何度も交わされているやり取りだ。
アンセルはいつも通りのアルマにぶつぶつと迷宮での愚痴を吐き出しながら一枚の紙をアルマに手渡す。
それは彼らが接敵した敵との戦闘状況などをまとめた報告書。
不真面目そうに見える彼はアルマが知る中で最も純粋な向上心に溢れている探索者だった。彼女自身が彼を面倒に思うことも多いが、真摯に探索に取り組む彼を邪険にすることは出来かったし、敬意を抱いていた。
「拝見しますね。……」
受け取った報告書の隅から隅までを目に通す。今日は夕方に戻ると事前に連絡を受けていた。そのため、迷宮探索に使える時間は多くないから戦闘回数も多くない。
それとは別に一戦闘に掛かっている手数が多い。彼らの戦闘は盾役を担うローダが迷宮生物をひきつけ、まとまったと所をアンセルが使う特殊な魔術で動きを拘束し、魔術師のセルリアがまとめて倒すというパターンを遵守している。
彼らの強みはこれを徹底しているので、戦闘中に指示やアイコンタクトを送ることなく、セルリアが活躍できる状態に運べることだ。多少崩れてもアンセルが一時的に前線を受け持ったりと小回りを効かせることで対応している。
しかし、報告書ではセルリアが一戦闘に魔術を使う数が多く、そもそもの継続戦闘力が余計に消費した魔力分だけ落ちている。
「やはり、攻撃が通らないと……違う魔術はないのですか? 一つ覚えるだけならばさして時間はかからないはずなのですが……」
「それは言ったさ。けど、水とは相性が悪い! の一点張り。俺、魔術は独学だから相性なんて初めて聞いたから驚いたよ」
一通り報告書に目をとおしたアルマが尋ねるが、アンセルは首を横に振っていた。
魔術の相性。それは魔術学院に通っていた者しか知らないことが多い話だ。
基本的に術式を覚えて、その印を魔力で書き上げれば発動するのが魔術だが、人によっては発動する魔術の威力に差が発生する。
これが判明したのは比較的最近だ。興味深いことに相性を持つものも年がたつにつれて増えているため、若者に多いというデータも出ているほどで、謎が多い話になっている。
「そうですか……。ということは火はお強いのですか?」
「そうそう。炎に関しちゃアイツは最強だと思うね。なんで分かるんだい?」
「相性を持つ人は基本的にどれかが出来ない代わりにどれかは同じ魔力量でも威力が大きくなるんですよ。私は相性持ちじゃないので、感覚的な話は分からないのですけど」
一説では生活環境に適応するために魔術の適性が異なっているという話も出てきたが、研究が進んでいないので、まだ何も分かっていないのが現状。
そのなかで唯一分かっているのは何もできない人は存在せず、一つ相性の悪い属性があると、他どれかは相性が良いことだ。
思案しながらアルマは指を宙で滑らかに走らせて、指で作る輪よりも小さな三つの魔術印を描くと、一つは細い水柱、もう一つはその水を蒸発させた火柱、最後に水蒸気を散らせるそよ風を起こした。
魔術印を描く滑らかさ、印そのものの完成度。魔力の均一ぶり。どれをとっても精度が高い。
「さっすが主席。精度が尋常じゃないね」
「これでも主席ですから。それより、耳よりなお話があるのですが、聞きますか?」
「アルマちゃんの話なら何でもっ!」
食い気味に答えたアンセルに苦笑しながら、アルマは昼間のチェシャの話を伝える。話を聞いたアンセルは途端に表情を真面目なものに一変させて思案し始めた。
──黙っていれば格好いいのになぁ。
探索者なのに、やけに綺麗な肌にしても整った鼻を主とした顔たちにしても女性のアルマが羨む容貌だ。
前のパーティでは男性の比率が大きい探索者界隈で男女比が1:2になっていたのも頷ける話だった。その頃からアルマは彼の担当をしていたが、ビッグティアーの異常個体を討伐に向かう前と後では彼の態度は異なっている。
前では特殊な魔術を使えることに驕っていて、何かと傲慢にふるまう彼は正直、アルマも相手をしたくはない人種だった。
しかし、討伐作戦の後では急に心を入れ替えたかのように迷宮探索を真面目に打ち込み、アルマに対する態度も真摯になったのだ。……時折見せる謎の態度を除いて。
サポート課に出入りする人たちの足音にも耳を貸さないほど深く考え込んでいたアンセルはやがて口を開いた。
「……その話ぜひお願いしたいって彼に伝えてもらってもいい?」
「構いません。あと、その必要はないかと」
「……?」
アルマの目の焦点がアンセルと合わなくなる。彼よりも遠くを見ているようだ。首を傾げたアンセルが振り向くと、そこには件の人物が立っていた。
「久しぶり」
「……やっぱりあんただったのか」
「ん、そうだね。ここ、座っても?」
「当然さ」
チェシャがアルマに軽く手を挙げてからアンセルに軽い会釈をする。お互いに面識のあるらしい彼らの会話にアルマが目を白黒させているうちに、丸椅子を運んできたチェシャがアンセルの隣に腰かける。基本的に一対一の対話を想定されている仕切りのなかでは、二人は少し手狭だった。
「えと、お二人はお知り合いで?」
「うん。ビッグティアーの時にちょっとね」
「ああ……」
アルマは得心がいったらしく、二、三度深く頭を縦に振った。探索者における高い壁となっていた第一試練を容易に突破し、伸ばしに伸ばしていたアンセルの鼻を、ビッグディアーを相手取った彼が折ったのだろう。上には上がいるとはまさにこのことに違いないと、アルマは密かに微笑む。
とはいえ対面している以上、アルマが笑っていることはすぐにアンセルにバレて、彼にジト目を向けられた。
「……笑わないでもらえますかね、アルマちゃんや」
「むり、ですっ」
いつもの如く、アルマは有無を言わせない笑顔を浮かべた。
「──で、どうして手伝うなんて? あんた達の進捗の話は聞いたことはないけど、あれだけ強いあんたとあの嬢ちゃんなら最前線にいるはずだろ?」
訝し気に尋ねるアンセルの質問は最もだ。しかし、チェシャにさしたる理由はない。暇になったのと、彼が知る探索者でコンタクトを取れるのが彼らだけだったという話。一言で暇だからというと、困ったようにアンセルは肩をすくめて見せた。
「俺らも遊んでるわけじゃないんだぜ? 暇つぶし間隔で俺らの邪魔をされても困るんだが……」
「それに関しては大丈夫。支援に徹するし、連携を妨害することもないよ。この紙を見る限り、俺の立ち位置も決めれるから」
アルマが持っていた報告書を見せてもらったチェシャが自信ありげに言う。チェシャも彼なりに、ちまちまと報告書を仕上げているアンセルに敬意を持っていた。そして、チェシャが試したいこととアンセルたちの悩みも合致していることも好都合だった。
「何をするつもりで?」
「だから、支援だって。最悪盾役でもなんでもこなすよ?」
「……分かった。断る理由も正直ない。当て付けだからさっきのは忘れてくれ」
「そう。なら良かった」
二人があまりいい雰囲気には見えなかったアルマも話が落ち着いたことにほっと息をつく。
「じゃあ、明日からよろしくな頼むよ。集合はセントラルの転移装置前でいいか?
「分かった。……邪魔しちゃ悪いから先、出る」
こくりと頷いたチェシャは丸椅子を部屋の隅に積み上げられている場所に戻して、颯爽と去っていった。あっさりと帰ってしまった彼に残された二人は言葉なく呆然と見送る。
「よく分からんな、あいつ」
「あはは……」
擁護の言葉が思いつかなかったアルマは曖昧に微笑むにとどめた。