生き急ぐ探索者
ボイドがクオリアと話していた同時刻。チェシャは探索者組合に訪れ、彼のサポート職員であるアルマの元を訪れていた。
「──あの、チェシャさん」
「何?」
「やっぱり生き急いでませんか?」
第五試練の攻略、小迷宮と大迷宮の地図の提供、第六試練の現状報告。年単位で数多くの探索者がこなしてきたそれらを一ヶ月で終わらせてきたチェシャ達に対してアルマは呆れるほかなかった。
むしろどうしてそこまで急いでいるのかを問い詰めたかった。
彼女自身チェシャたちのパーティーが目的をもって攻略を進めているのは知っているものの、彼らのリスクを顧みない勢いの攻略とアルマが勧めたい安全マージンを十分にとった攻略の差があまりにも大きすぎる。
その上、基本的に新しい試練を攻略したことは基本的に組合によって告知される。……はずなのに、上からの命令で彼らに関してはその告知は禁止。もう何がなんだか分からない彼らにどう接していいのかアルマは困り果てていた。
「あー、ちょっと死にかけたかもね。あと、二人入院してるからそれまでは第六試練にはまだいけない」
「そ、そうですか。……えと、とりあえず地図などの情報提供の報酬をご用意しますね」
「お願い」
無視できない情報をチェシャがあっさりと言い放つ。
──第六試練って……ほんと意味が分からないですよ!?
思わずアルマが声を詰まらせた後、チェシャから受け取った三つの小迷宮と大迷宮三層分の計六枚の地図の写しを机にとんとんと当てて端を揃える。見た目だけは精一杯凛とした佇まいでいられるよう努めつつ、綺麗に重ねたそれを彼女が胸に抱えると一礼して職員スペースのある裏口へと去っていった。
暇を持て余した彼は先程アルマから見せてもらった第四迷宮で発見された新しい小迷宮の地図を見ていた。つけられた名前は疑心暗鬼の森。
主な特徴は植物に擬態した迷宮生物が多く潜むこと。迷宮全体が小広間と通路のみで構成されている中、通路を歩いているといつの間にか頭からパクリといかれたケースが既に一つ。チェシャの武器は柔らかい体を持つ植物との相性はいまいちなので、第四試練の攻略中に行くことがなかったのを心の底から安堵していた。
しかし、分かってしまえば対策の取りようはある。それにチェシャは苦手でも、彼の仲間には炎のスペシャリストがいるのだから問題はない。……行きたいかどうかは別として。
「……こわ」
地図の下にあった対策資料をチェシャは手に取る。そこには受けた被害のケースが記入されている。
武器を食べられて酸で溶かされた状態で吐き出された。防具に酸を吐かれて、肌が焼かれた。足を食われて穴だらけになった。どれもこれまでの迷宮のなかで前衛が苦労しそうな攻撃ばかり載っている。
しかし、ここに行くことは少し前にボイドに伝えられて確定事項だ。勿論、フルメンバーではない上、採取が目的なので無理はしない方針。
「……これかな、アシッドボム。見た目も名前も爆弾じゃん」
別の資料には採取物と迷宮のどこでとれるか記されたものがある。パンパンに膨れ上がり、皮も薄そうな破裂寸前の水風船。それに似た実の絵を見てチェシャが眉をひそめた。
「何に使うんだか」
呆れながら資料の記載と地図が示す場所を照らし合わせているうちにアルマが出ていったドアが開く音がした。他の職員の可能性もあったが、身長の関係で歩幅が狭いアルマらしい小刻みの足音を聞き取ってチェシャが頭を持ち上げる。判断基準を本人に知られればきっと文句を言われるだろうが、口に出さなければバレることもない。
「お待たせしました。……少し、量が多いので詳しい額は中に入れてある明細を後でご確認ください」
席に着いたアルマが声を潜めてじゃりと硬貨のつまった袋を彼の前に置く。チェシャが袋の口を掴むと想像以上の手ごたえが返ってきた。彼が知る地図一枚辺りとレートが釣り合っていない。首を傾げて、袋をしまわずに横へ動かした。
「多くない?」
「お金が関係するので必ず、課長以上の方に判断を仰ぐのですが、これが妥当とおっしゃっていましたので。私も妥当だと思いますよ」
そこまで言うと、ずいと、腰を浮かせて彼の方へと体を寄せる。
「……むしろこのペースでの攻略が異常ってことに実感も持ってほしいくらいです。分かってますか!? 新しい迷宮の情報はどれもお金に変わるんですからねっ!?」
小声のままアルマは机越しのチェシャにぴんと人差し指を伸ばして声を張る。この行動が彼への心配から来ているのが彼女らしいが、チェシャは彼女の心配を素直に受け取ることは出来なかった。どちらにせよ、停滞できる時間はあまり残されていないのだ。
「ん、善処する」
「……絶対に善処しないやつじゃないですかぁぁ……」
微動だにせず帰ってきたチェシャの返事。ことを重く見ていない丸わかりな雑な返事にアルマは項垂れて心中で嘆く。
──……私の担当だけ無茶な人多くないですかぁ!?
チェシャ達のパーティーとは別にアルマはもう一つのパーティーを受け持っている。
そちらも数ヶ月前に第一試練を攻略したばかりのなのに、もう第三試練の大迷宮の探索、つまり第四試練に手のかかる場所だ。
それ自体は伸び代があったという意味では素晴らしく、彼らを担当し、生存率に貢献していることは組合からも評価されている。
しかし、本来わざわざお金を払ってサポートを受けるのは慎重な人だ。悪く言えば臆病だが、組合から見ても第二試練以降に行ける探索者は貴重。むしろ臆病なぐらいが丁度良い。
評価を受けたアルマはついに三つ目のパーティーを担当することが決定してるが、こちらも小迷宮で環境に慣れるというセオリーを無視して第一、第二試練を一ヶ月で突破したばかり。
最早ここまでくると厄介者を押し付けられているのではないかとアルマは疑っていた。
「ごめんって。もう少しで終わりも見えてきたから止まってられないんだ」
「えっ!?」
神の試練の最奥、つまりこの都市に知るものなら誰もがしる天高くそびえたつ塔に行けるかもしれないと噂される道だ。アルマは眉唾だと一蹴していたが、その真偽に手をかけている人がいることにどよめく。アルマの反応はチェシャの期待通りだったのだろう。静かに口端を持ち上げてにっと笑う。
「それは……第六試練で終わりということ、ですか?」
「ううん。多分七つまである」
まだ着いてもいないのに推測できるのが何故かをアルマは問い詰めたかった。きっとその根拠が彼らをここまで突き動かす理由なのではないかと思えたから。
受け持つ予定のパーティーも含め、アルマのよく知る三つのパーティーの中でも本当の意味で最前線を行く彼らがセオリーを投げ捨ててまでひた走る理由。それこそ、何かを焦るような速さで攻略する理由だろう。
僅かに浮いた腰を椅子へと戻し、一度深呼吸したアルマは心を落ち着けるためにチェシャが見ていた疑心暗鬼の森の資料の束をまたとんとんと机に当てて揃える。紙の束が机をたたく音は彼女にとって一仕事終えた合図のようなもの。魔術学院に所属していた頃からの癖だった。
「もし、すべての試練を攻略し終えたらどうするおつもりなんですか?」
探索者組合に所属する探索者は迷宮に対して所属という概念が存在しない。あっても攻略中であるという自称のみだ。故に今攻略している迷宮に見切りをつけて、別の迷宮にもいける。大きな迷宮で有名なのは隣の大陸の海底迷宮だ。
あちらはまだ攻略が進んでいるものの、規模が大きく、半分にも至っていないとの話だった。彼らの攻略速度を鑑みれば、もう一年たつ頃にはとっくに彼らは居ないに違いない。ならば、彼らが行く先もアルマは想定出来る。
「んー。海かなぁ、それこそ隣の大陸の迷宮もいいかもね」
アルマの予想通りの答えが彼の口から言われる。
「でも、俺らは神の試練のために集まったから先に解散だね」
「え……」
大衆には知られていないものの、彼らの活躍はこの都市ならば民衆で語り継がれるほどだ。そんな彼らが人知れず神の試練を一足先に攻略し、誰にも知られぬまま散り散りになる。
それは組合にとっての損失が大きすぎる。なにより、彼のパーティーの女性陣とアルマはそれなりに交流を持っている。アルマが彼らの役に立てているかの自信は持てていなかったが、友達として仲良くしていたのに一人だけ取り残されたような感覚になっていた。
──いえ、それが当然……ですよね。
アルマは彼らと戦いを共にする仲間ではない。言うなれば後方支援。一人だけ安全地帯にいるのだから前提が違うのは当たり前だ。
だからこそ、アルマには行き急ぐような彼らの攻略速度を緩めさせることが出来ない。仕事相手として、顧客の求めるものを用意するのが彼女の仕事なのだから。
「……そんなに悲しそうな顔しないでよ。まだ決まった話じゃないんだし」
「あっ。す、すみません!」
知らぬうちに内心を押し隠せなくなっていたアルマを気遣うチェシャ。
彼もまたアルマがそこまで別れを惜しんでくれるほどだと思っていなかったので、声をかけるのに時間を要していた。声をかけられ肩を跳ね上げたアルマに苦笑しながらチェシャは静かに首を横に振った。
「いや、ごめん。アルマは悪くないさ。アルマがアリスやクオリアと時々お茶してるって話は聞いてた。いつも楽しそうにその時の話もしているし、そこまで別れを惜しんでくれるぐらいに思われてたならアリスたちもきっと喜ぶ……喜ぶ? って言い方はダメかな?」
「慰めるなら、いい言葉をくださいよぉ。せめて、言いきってくださいよぉぉ……」
アルマを慰めるいい言葉が見つからず、しどろもどろになるチェシャの肩を緩く握られた拳でアルマが突く。その光景は仕事としてみるならば決して良いと言えないかもしれない。
けれども、彼らが気付き上げた一つの絆は誰にも馬鹿には出来ないだろう。
まだ所属して一年にも満たない若き職員がこらえきれず、瞳からこぼした涙があったのだから。