桜舞う空の回廊
第五試練その最北部、ぽかんと空いた大穴の中央に浮かぶ島に位置する大迷宮への転移装置前に三人の探索者の姿。座り込んでいる彼らは各々支度をしていた。
「その槍は変身していなくても出せるのか?」
新調した防具の着心地を改めて確認しているチェシャにボイドが尋ねる。上半身が分厚く、黒皮膚になってしまい、防具のサイズこそ変わったものの手に持っているのは海蛇の時と同じ琥珀色の槍。迷宮に入る前は新しく用意したミスリル製の青みがかった光沢の輝く槍を持っていたはずだった。
「違う。純正じゃないんだ」
「純正?」
防具の確認を中断し、槍を掲げてボイドに見せつける。しかし、琥珀色の槍に目に見える変化はない。そのことにボイドが首を傾げた瞬間、槍から琥珀色の霧が溢れ出し、地面へと落ちていく。
「……ほう」
琥珀色の霧が晴れるとチェシャの槍は薄く青みがかったミスリルの槍に戻っていた。ボイドの反応に満足し、にっこりと笑みを浮かべたチェシャは槍を地面に置いて口を開く。
「ミスリルって魔力との親和性? が高いらしいんだ。だから混ぜる感じでやってみたら出来た。普通に使うよりも硬いから」
「となると、槍を一から生み出すことは出来ないのか?」
「そう。でも……」
ボイドの質問の意図はつまるところ投擲出来るかどうか。前衛の彼が中距離でも出来ることがあるのは大きな意味があるからだ。
ウエストポーチを漁り、投げナイフを一本取り出したチェシャは胸の前に持ってくると、目を閉じて集中する。すると、さっきの槍から霧が溢れ出した光景を逆再生したようにどこからともなく生み出された琥珀色の霧がナイフにまとわりつく。霧がなくなるころには琥珀色のナイフが出来上がっていた。
「そんなことも出来るのか。……防具にも?」
「出来るけど……集中しないと無理。とっさには出来ないかな。要練習って感じ。二人が治るまでには仕上げておくから」
「それは頼もしいことだ」
準備と言っても試練に入る前に済ませること。実際には確認程度であり、支度が整った三人は改めて二つある内の手形のついた端末の前に集まった。
「これ、ここに手を合わせりゃいいのか?」
「だろうな。まぁ、物は試しか」
ボイドが手形の溝に手を合わせる。すると、端末自体が白い光の線が縦横無尽に走り回り、ボイドの手と重なる度、青く明滅する。その繰り返しがしばらくと行われた後、端末の蓋が真上に浮き上がり、隠されていた操作盤が現れた。
「お、いけんじゃん。早くいこーぜ」
「ああ。ちょっと待ってくれ」
「どういう仕組みなんだろ」
浮き上がったままの蓋を見上げ、チェシャが呟く。
「古代技術としか言えないな。魔法について研究が進めば私達にも扱える時代はいずれ来るはずだ」
「そんな簡単にいけるもんなのか? オレ、魔法覚えるのだいぶ苦労したんだぜ?」
「数年そこらの話じゃない。数十年、いや百にも及ぶだろうな。時代の進歩の単位は人間基準じゃ図ることなんぞ出来ん」
「へぇ、じゃっ、オレかんけーねぇな」
興味を失ったソリッドは大穴に収束し、暗い底へと消えていく水に目を移した。ここの水の原点である大滝と同じくらい圧巻の光景だ。飽き性のソリッドが簡単には飽きない魅力があった。それもしばらくは見なくなるのだが。
「……と。……?」
転移装置に桃色の光が灯った。操作盤から手を離し、転移装置に目を向けたボイドが今までにない色に眉をひそめる。他二人も同様だった。
「なんだぁ?」
「色が違う。あっ、俺が見てくるよ」
「いや、私達も同伴する。君にこれ以上無茶されてはクライアントが、な?」
「……じゃあ、いこっか」
「次はどんなところなんだろーな!」
そう言われてはチェシャに反論など思いつかず、素直に首を縦に振る他なかった。先頭であることは変わりないが、チェシャが入ってすぐにボイドとソリッドも桃色の光に姿を消した。
*
光が晴れる。光から抜けたチェシャは視界が安定する前に頭に何かが落ちたのを感じた。感触と重みを感じないことからして、何かの花びらか葉っぱだと推測して、頭に手を伸ばす。その間に視界がはっきりと認識できるようになり、チェシャの、遅れてボイドとソリッドの視界が満開の桜を捉えた。
「「……」」
三人が一様に言葉失った。あまりの美しさに、非現実さに。転移装置から出た三人を出迎えたのは石畳と桜の並木道。それだけならば、他の試練よりも平凡だった。その並木道は浮かんでいるのだ。大通りを思わせる幅広い道が不自然に青い空に掛かっている。ならば下はというと、雲に遮られて見えやしない。
桜の回廊は非常に緩やかな上り坂を描きながら延々と伸び続け、視界が霞むほど奥まで進むと直角に曲がっていた。そこからはこれの繰り返し。
緩やかな桜の坂道が上へ上へと角のある螺旋を描いて天空へと伸びている。上へと伸びるほど一辺の道の長さは短くなっていて、上に行くにつれピラミッドのような先細りの形になっている。故に三人の場所からでは粒ほどの大きさの点になっているが、頂上らしき存在も見えた。幻想的かつ圧巻なこの光景は第五試練と同じインパクトを三人に与えているが、これまでと異なる点が一つあった。
「壁、ないね」
「ああ。そもそも雲の上に来ても太陽との距離はたいして変わらないのか」
そう、試練を区切っていた壁がこの第六試練には存在しないのだ。四方に見えるのはどこまでも続く白い雲海のみ。地平線すら見えない。
「ボイド! このピンクの葉っぱの木ってなんだ!?」
「桜だ。文献の記録にしかないが……流石、神の試練と言われるだけあるか」
「神様が作ったわけじゃないのにね」
アリスと同じく時を生きていた人達が未来へ人類を存亡させるために作った施設。今の人類には神の試練と呼ばれてはいるが、神様が作ったわけではないという彼らにしか知らない事実。
「ま、意外とそんなもんだ。見たことのない神様が作った夢物語より、先人の世代にあったものの方が現実的でいいだろうよ」
「そう、かなぁ?」
御伽噺のカッコいい主人公が好きなチェシャにとって、夢物語は嫌いではないので首を傾げるに留まった。しかし、それ以上にこの場所の感動が大きい三人は回廊を歩きながら景色を満喫する。桜が舞い散る量は冬を迎えた木が散らすそれと同じでも、与える感動は天と地の差。その差もまたこの空に浮かぶ回廊を示しているのかもしれない。
「迷宮生物の気配もしないし、小迷宮っぽいのも見えないし、……どーなってんだ?」
「これまでと共通点が少ない。となると、そもそも試練とは別物なのかもしれんな」
「試練とは別? でも他に次の試練があるような怪しい場所、無かったよね」
「どちらにせよ、ここを探索しない理由にもならない。行けるところまで行ってみるとしよう」
動植物の類は桜の花びらを散らす木のみ、ここに小鳥たちが飛んでいればそれはそれは綺麗な光景に彩りを加えていたに違いない。確かにこの場所は今までの試練のどこよりも綺麗な場所だが、桜と空しかないこの場所には音も少ない。どこからか吹いてくる風の音と、三人が石畳の回廊を歩く音のみ。
「なんか、ちょっと……こえぇな」
ソリッドの呟きに二人は肯定はしなかった。しかし、否定もしない。彼の怖いという意味も、一言では収まらないものが多かった。御伽噺にでそうな空に浮かぶ回廊。その下に落ちればどうなるか分からない。高所に慣れた人間だとしても、空を飛べるわけがない。回廊をその下を覗けば本能的な恐怖を湧きたてられるだろう。
感動の無言はいつの間にか不気味さからくる無言の沈黙へと変わっていた。それに、彼らが思う以上に回廊の直線は長かった。一時間強を歩き、ようやく一つ目の角を曲がったところ。仕組み上これより長い直線の回廊は現れないが、高さから考えると回廊全体の直線距離は計り知れない。
「なぁ、休憩しねぇか?」
「……うん」
「ああ、これはこれで移動手段が欲しくなる……。考える時間も必要だ」
並木の一つに荷物を固め、昼食を取る。保存食しかない昼食でも、場所が場所。迷宮生物が一つも姿を見せないこの場所で取る昼食はさながらピクニックのそれだ。
腰を下ろし、肉体、精神両方の休息を取る。
「もっとちゃんとしたご飯をここで食べたいな」
干物をかじっていたチェシャが言った。塩気の味付けしかない保存食は持ち運びはともかく、味は悪い。迷宮を探索するときにおいて、荷物の幅を取る食関係のものにこだわるぐらいなら武装や道具にこだわるのだから、後回しにされるのは当たり前だ。こんな感想はここでしか出ないだろう。
「なんか食える実でもありゃなぁ」
「木の実で食べられるものは第一試練ものしか見つかっていないぞ?」
「意地悪だよな。あの──アリスの父ちゃんの名前、なんだっけ?」
「確か……」
ボイドは煩雑に物が押し込まれているバックパックの中でもすぐに取り出せるようにサイドポケットに入れられているメモ帳を開く。最初の方のページをぱらぱらとめくり、何かのページを見つけると顔を上げた。
「ああ、ザッカリアだ」
「その、ザッカリア? もさ、もうちょっと、こう、さぁ?」
「抽象的すぎないか? もとより、未来の、私たちの成長のために作った場所だ。優しさは帰って毒だろうよ」
干物を口にくわえたままのチェシャも言葉は発さず、頷くことでボイドに賛同する。
「でもよ、時間がないってアリスも言ってた……てか、神の試練も作られたのは前のくせに攻略が始まったのは数年前なのはなんでなんだ? もっと早ければオレ達が焦る必要もなかったじゃねぇか」
「ああ。そういえば、お前には話してなかったか」
「は?」
忘れていたと言わんばかりにあっさりと返事をしたボイドにソリッドが呆気にとられて、口をぽかんと開ける。
「あれはもともと隠されていた。当たり前だろう? 人間のための施設、天然の魔物が入り込んで強くなってしまえば本末転倒だ」
「……それで?」
興味をもったソリッドが話を促す。干物を腹に落とし終えたチェシャも木に預けていた体を持ち上げ、話を聞く姿勢を作る。
「私が国の研究所で成り上がるのに使った成果だ」
「……?」
「下っ端の頃は独自に勉強して、遺跡にも一人で潜り込んでいた。だが、グングニルにいる人形兵器しかり、独自に動く、機械生命体やら、防衛システムがやっかいでな。それに、一部の遺跡は国によって保護されている。未発見のものはそうではなくとも、そんな遺跡はそもそも多くない」
グングニル内を徘徊する機械生命体。ラクダもどき、機械人形、機械蜂などは確かに一人で、しかも戦闘が得意な人間でも簡単には倒せない。戦闘に不慣れならもってのほか。
「護衛かなにか手伝いが欲しくなったが、金はない。研究にも金は飛ぶ。ならばより金が手に入る地位に立つしかないと思ったのさ。嫌われて支部に飛ばされようと私には好都合だから地方に飛ばされようと構わん」
「よくわからないけど、成果のおかげで神の試練が現れたってこと?」
初めてチェシャが口を開いた。彼の質問にボイドは苦笑してから頷いた。
「すまない、話が少し逸れていたな。そうさ、下っ端の私が、研究者になる前の私が見つけた未発見の遺跡、おそらく当時それを見つけたロココ──弟のおかげで見つけたそこで起動させたのがその施設、神の試練というわけだ」
「ふぅん。最近現れたってことは分かったからもういいや。ボイドの説明分かりにくいんだよなぁ」
「……悪かったな」
「はは、もうそろそろ行く?」
「ああ、何かしらの成果は欲しいところだ。もう少し進んで何もなければ一度戻ろう」
腹を満たした彼らは桜の木の根元から立ち上がり、軽く土を払ってから並木道を再び歩き出した。




