立ち向かうは少年の勇姿
「大体分かった。なら、黒虎が出てきてからは私の魔術とクオリアとソリッドで時間を稼ぐ。その間にチェシャ君とアイス君は黒虎を倒してくれ」
場所は第三階層の奥地、門番が居る広間の扉の前。その扉は重厚で如何にもな雰囲気を出していた。
その前に立つのは五人の探索者。
一人は新品の槍を背中に背負う少年。
一人は大盾を背中に担ぐ女性。
一人は白衣を纏う青年。
一人は不可思議な素材でできたグローブを持つ少年。
一人はL字型の武器を腰に差している少女。
「わかったわ」
「任せて」
「とはいえ、一筋縄でいくとも限らん。場合によっては変更も考える。各自、指示は聞けるようにしておいてくれ。では、いこうか」
青年は扉を重々しい扉をゆっくり開く。
五人が目にしたのは項垂れたままその場に座り込む獣王の姿。そのライオンを彷彿とさせる鬣と巨体はまさしく獣王の名にふさわしき姿。
五人がそれぞれ構えをとると、それに反応したかのように顔を上げてゆらりと立ち上がる。
張り詰めた空気が辺りを覆う。
獣王が息を大きく吸い込み、肺に空気を貯めて胸が膨らませ──
解き放つ様に、咆哮。
その恐ろしさは言葉ではいい表すには足りないかもしれない。
語るのであれば、それは思わず竦み上がってしまうようで。思わずへたり込んでしまうようで。
その咆哮は威嚇ではなく、洗礼だった。
この先をも進んで行く覚悟を問いかける獣王の雄叫び。
この先が生半可な道ではない事を示し、半端な覚悟の者の心を打ち砕く鉄槌。
「あ……」
少女は耐えきれないままその場にへたり込む。しかし、その手はなんとか近くにいたチェシャの服の裾を掴むという抵抗は見せていた。
少年と女性もへたり込むことは無くとも、足は無自覚なのかはともかく、少し震えている。
青年は顔を歪ませながらも高い位置にある獣王の顔を睨みつけている。
そして、ただ一人顔を強張らせながらも僅かに口角を上げた槍使いの少年は。
*
俺は自分の服の裾を掴むアイスに声をかける。
「アイス。……俺達なら、大丈夫」
きっと、伝わると思う。
まだ短い期間しか一緒に居なかったけど、きっとみんなを信頼することは出来ると思う。
一人では勝てない、だから怯える。
でも、一人で挑めなんて。そんなことは誰も言ってない。
だから俺がしなくちゃいけないのは、信頼を示すこと。たくさんの言葉は要らない。結局の所、誰がどう言ったところで信じるか信じないかはその人だから。
だから俺は動く。
父に似た悪寒を与えてくる獣王に自分のできることをする為に。命懸けで槍を振るっていたあの頃を思い出す様に。
まだ握り慣れてはいない槍の柄を握りしめて、駆け出す。
体は動くけど手汗が酷い、槍を落としてしまいそうだ。
けれどその感覚さえも久しく忘れていた様な気がして心は滾った。
獣王は腕をなぎ払い、俺を吹き飛ばそうとする。それを受けて弱めるだとか後退して避けるだとか、日和った考えを捨てて、覚悟を決めてその場に飛び込んで伏せる。
グゥォン!
轟音。
自分の体の上を豪風が通る。
それだけを確認して、起き上がる。
疾駆。
たどり着いた目の前の大きな存在に目一杯の力で槍を突き刺す。
しかし、その毛に覆われた体躯とその硬い体は槍をちっとも通してくれない。
「ちっ!」
悔しさを舌打ちで潰す。
獣王は今度は当てると言いたげに、拳を握って腕を上から振り下ろす。当たれば必死。
ならば、今度は横が空く。
全力で横に飛んで辛うじてそれをかわす。
あっ、掠った……いったいなぁ。
ジュクジュクする痛みを足に感じた。その痛みで湧き上がる自分の感情を押し殺しながら思考を巡らせる。
──冷静に、心を冷まして、頭は覚ませ。槍が刺さらないのなら弱点を狙う。
刺すのなら顔。
肉の薄く骨の少ない頬、目なら最高。首筋でもいいけど、鬣が邪魔だ。
けれど、目的のその顔は高い。
届かないのなら、道を作らないと。
槍を背中にしまってポーチから鉤爪ロープ出して、上に伸びている太い枝に引っ掛ける。
でも、そんなことを黙って見過ごすはずもなく、獣王は両腕を乱舞させてくる。大振りのそれらは適当では無く、敵を追い込む様に逃げ道を塞ぐ様に相手に気付かせる事なく死に追いやってくる。
それに付き合わずロープを放って大きく後退する。
ここは位置が悪い。仕切り直したい。
獣王は俺に向かって跳躍。踏み潰さんと降ってくる。それに対して、体を投げ出すように全力で飛んで転がる。
激震、地に落ちた俺の体は跳ね上がる。
その反動を生かして体制を整える。
まだ位置が悪い。あの大きな木から登らないと……。
目的の木は俺から後ろに数十メートル。駆け出せば数秒で着く。
でもここで背を向けて走れば攻撃されるだろうし、獣王が四人に行けば危険に晒される。
槍を構えて、気づかれない程度に目的の木へとジリジリと下がる。
獣王が駆け出す。一歩踏み出すたびに響く音が大きい。
前を向いたまま後退する。
そんな俺へ獣王は力を溜めた腕を横に振るう。
逃げすぎも無理、ならっ!
渾身のジャンプでそれを避ける。
腕を振り切った姿勢の獣王へ、槍を突き出す。
狙うは関節、肉の少ない部分でかつ低い場所。即ち膝。
命中。先ほどよりも深く刺さる。大したことないけど。
不快に思ったみたいで獣王はもう一度雄叫び。
最初のよりは小さい。そんな物は効かない。
目的の木は近い、あの木の枝の太さなら伝ってロープに飛びつける。
もう一度凌げれば。
払われる腕、覚めた視界が映し出すのはゆっくりと見える鋭い爪。
凶悪なそれを槍を盾にわざと受ける。
突き刺さる獣王の大きな手、そこから伸びた爪が槍を通り過ぎて腕と腹に刺さる。
その痛みを知覚する頃には衝撃が走った。
当然俺は吹き飛ぶ。
吹き飛ぶ先は目的の木の幹。
「いったぁ」
ちょっと強すぎじゃないかなぁ。けど、着いた。
獣王が追い討ちの為に走ってくる。急がないと──血が沸き上がってしまう。
後ろからドシンドシンと激震が近づいてくる。
焦りを押し殺し、俺は後ろの木に急いで登る。
急な行動をしたからか、警戒して動きを止める獣王。
そのまま勝手に警戒していてほしいな。
太い木の枝の上を走ってロープへと全力で跳ぶ。
「っ!──とったぁ!」
端を掴んだ。全身を使ってよじ登る。
全身を使って縄をスイングさせて、振れ幅を大きくする。
「しっ!」
ロープから手を離して獣王へ飛ぶ。
「くらいなぁ!」
ソリッドのあれがうつったのかな。なんてことを頭の隅で考えながら、目の前の顔に全力で引き絞った槍を突き出す。
策が通じた。獣王はそれをまともに貰う。
“どうだまいったか!”とでも言いたいけど、致命傷になど至らない。
槍は獣王の頬に刺さり、俺はそれを抜かずに肩から降りる。
獣王は痛みに暴れて、槍を抜く。
そして、頬から血を流しながらその槍に怒りをぶつけるようにそれを握りしめて折った。
「うわ。まじか」
予備の短槍を出しながらなんとなく予想はしていた出来事を嘆く。
獣王は俺を睨み、先ほどよりも素早い動きで腕を振るってくる。
一撃目を右に飛んで避ける。けれど、かすって転ぶ。
二撃目は避けきれない。
だけど十分。
俺なりの憧れは果たした。仕事も果たした。
あいつだって傷を負わせれる。
あいつだって血を流す。
あいつだって恐怖は感じる。
ただの生き物だってこと。
それを見せた。なら、きっと。
獣王の体がガクンと落ちる。
獣王の顔から血が吹き出す。
獣王の腕が燃え上がる。
それらを成したのは、一つは不可思議な球体。一つは鉄の弾丸。一つは火炎放射。
「すまんチェシャ!」
「わたしもごめん、いまから取り返す。」
痛みに悶える獣王。
その間にソリッドとアイスがそれぞれを手を差し出してくれる。俺はそれを借りて立ち上がる。
「チェシャ!ここからはあたしが受け止めるわ!ビビっちゃってごめんね!」
追いついてきたクオリアと顔色を悪くしているボイド。
「魔力がすっからかんだ。流石にあの体の大きさはきついな」
俺は口角が釣り上がるのを感じながら再び獣王と対峙する。疲れているはずの体はとても軽く感じた。
*
仕切り直された獣王との戦い。
再び獣王が吠える。
咆哮。
しかし、それは洗礼ではなく怒りの感情。
それに答えるは二つの黒の獣。
「出てきたか。チェシャ君! アイス君! 黒虎は頼んだっ!」
「そっちこそ、大丈夫なの?」
「私達も修羅場ぐらいは潜っている。さっきは不甲斐ない姿を見せたが、今度は任せてくれ」
そう言うボイドにクオリアが頷き、ソリッドがグローブの無い手で親指を立てる。
「大丈夫よ。わたし達もいこっ!」
三人に信頼をして駆けるアイス。
「ああ!」
駆けるチェシャ。
二人が行くのは二体の黒虎。
いつもの黒虎よりも頭が良いのか、すぐには襲って来ずに二体が二人を囲むように円を描きだす。
緩やかに円が縮んでゆく。縮み切る頃にはそれが獲物の終わりだと言外に言うように。
二人は背中合わせになってそれと対峙する。
「崩しは要らない、よな?」
「ええ。今ならなんでも出来る気がするわ」
「同感っ!」
ゆっくりと円を縮めてから口を開けて食いちぎりに来た二体の黒虎。
大口を開けて襲いかかる鮮明な殺意にもう恐れなど抱かない。彼等は洗礼を乗り越えた。
チェシャは黒虎を槍で横に叩き飛ばす。
アイスは今にも喰い殺さんと大口を開けている黒虎に弾を打ち込む。
失敗などは考えない背水の一撃。
全身を痙攣させて動きを止める黒虎。
チェシャがすぐさまとどめを刺す。
立ち上がったもう一匹の黒虎。
アイスが動き出す前に足を撃つ。
チェシャは駆け出し、抵抗を見せる黒虎はチェシャに飛びかかるが、もう一度撃たれた弾で動きが緩む。
それをチェシャが逃すはずもなく腹を刺し貫いた。
当然黒虎は程なくして霧散する。
「ないす」
「そっちもね」
それに目もくれず二人は獣王の元へ走っていった。
「倒したよ!」
「期待した以上だ。後はあいつにとっておきをぶつけるだけだ。二人はクオリアと陽動を頼む。私はもう一度あいつを止める」
「りょーかい!」
「わかったわ!」
獣王の元には大盾を構えるクオリア。
獣王の一撃もまともに受けず芯を逸らしながらその場で立って圧をかける。たとえ逸らしても盾に走る振動は並大抵のものでは無い。
それを成し遂げる彼女の力量が現れていた。
「あら、もうへばったの?」
彼女の額には汗の滴。
防具の中に隠れた膝は震え、
彼女の視界はややぼんやりとしている。
そんな苦労を欠片も出すことなく、クオリアは盾から顔を出して不敵な笑みで挑発する。
事実、獣王の動きは精細を欠いていて、その原因はソリッドによる火炎放射によって身を燃やされ、たとえ強靭な体がそれを通さずとも辺りの酸素は減っていく。
クオリアの挑発に乗るほどの余裕は無いようだった。
そんな状況で自分にわかりやすく傷を負わせた少年が現れ、獣王の狙いはそちらへと移る。
怒りのままに腕を振り下ろすが、硬い何かに阻まれる。その主は自信に満ち溢れた顔で大盾を構える騎士。
「あら、あなたの相手はあたしよっ!」
大盾から飛び出す二人。
飛び出したチェシャを狙った腕を振るうが、どれも精彩を欠いた動きでは当たらない。
しかも横からは何やら無視できない程度に痛いものが体に何度も当たる。
獣王はそれを無視できず、今度はアイスに腕を振るう。
「〜〜ッ!」
擦る。されど、その擦りは元が元であり、アイスの小さな体は吹き飛ばされる。
追撃を仕掛ける獣王だが、また大盾がそこに割り込む。そして、背後から走る痛み。
今度はチェシャが傷を負わせていく。強靭な体は熱によって強靭では無くなってきていた。
どっちを追ってもどうにも出来ない状況に獣王は怒り狂ってその場で両腕を振り回す。
三人もそれには手をつけられず離れる。
しかし、その場から動かないのは砲台の良い的である。
飛んできた黒い球体が、ただ大きい的と化したそれに着弾し、獣王の体から力を奪う。
それに伴って巨大な体躯を二度も崩す程に大量の魔力を消費した白衣の青年の体が崩れ落ちる。
己と引き換えに生み出した絶好のチャンス。
「これでくたばりなぁ!」
少年の機械グローブから放たれる連鎖爆弾。
辛うじて球体に見えるそれは倒れて立ち上がろうとする獣王に着弾し、
ドォン!
爆発。
ドドォン!
飛び散って、また規模の少し小さい爆発がそれぞれに起きる。
ドドドォン!
そうして、爆発は連鎖していく。
獣王は悲痛な叫びを上げるが、その姿は黒煙に塗れて見えない。
しばらくして黒煙が晴れる。
そこには体を真っ黒にしたまま立っている獣王の姿。
「まだ!?」
アイスが構え直す。
しかし、獣王は動かない。
「いえ、違うわ」
クオリアがアイスの言葉を否定するのと同時に、獣王の巨大な体がさらさらと風化するように崩れていく。
やがて、その大きな体は無くなり、辺りには森と炭化した小さな破片のようなものが少し散らばっているだけとなった。
しばしの静寂の後。
「やったわね。お疲れ、みんな。一人魔力切れで倒れてるけど……みんな無事で良かったわ」
クオリアが大盾を下ろした。
「倒せた、の?」
「ええ」
信じられないとアイスは手を開いて閉じてと繰り返す。
「ほんとだって」
チェシャはアイスの頬を引っ張る。
「いひゃい」
「夢じゃねぇよ。現実だぜ。オレたちは勝ったんだ!」
ソリッドが駆けつけてくる。
「そっか──そっか」
実感を得て、傷だらけの体と服に示された激戦の証を身につける彼女は笑顔を浮かべた。
すると、獣王がいた場所から不思議な光が浮かび上がってくる。
それはしばらく浮遊すると五つに分かれ、五人の体に潜っていった。
「今の、なんだろ?」
チェシャが首を傾げる。
「分からないけど、きっと番人って言われてるくらいだから意味はあるんでしょう。さっ、とりあえずあそこの研究馬鹿を連れて帰るわよ!」
とクオリアが声を上げた瞬間、五人の体が瞬時に消えた。
*
彼らが立っていたのは神の試練の外。
つまるところセントラルだった。
時刻は月が優しく光る頃であり、辺りに人はほとんどいなかった。
「急に優しくしてくれるんだね」
「正直、満身創痍だから助かったと言えば助かったわね。とにかく、一旦今日は解散しましょ。明日の昼にでもいつもの所で打ち上げで!」
疲れているのは全員同じでとにかく休みたいと言わんばかりになげやりなクオリアは早口で言った。
「またなー!」
クオリアはボロボロになった大盾を背中に担ぎ、ボイドを肩に担ぐと、手を大きく振るソリッドともに去っていった。
「俺らも帰ろうか」
「うん」
二人もまた、勝利の証でもある傷だらけの防具に月の光を浴びさせながら夜道を歩いて行った。