深海死線
水飛沫。小さな銃声。繰り返される二つの音。時折間を縫うように挟まる血飛沫の音。
チェシャと場所を入れ替えたアリスが先頭を歩き、暗い水壁から現れる剣魚全てを零距離射撃による迎撃で撃ち殺していた。そんな彼女の両手には二つの銃が握られている。
前衛として動くためにリロードで手間がかかる拳銃ではなく魔拳銃を使っていた。魔拳銃の射程範囲であれば魔力の続く限りその射程範囲は彼女の支配領域だ。そして、実弾から魔力になったことで水にも妨げられない。
「──そこ。」
アリスの瞳が赤く染まる度に彼女の銃口から発射された透明な弾丸が水壁ごと標的に風穴を開ける。そして、一匹の剣魚が魔力へと還る。
「い──」
後方を警戒するクオリアが見つけた個体も彼女が大盾を構える前に貫かれる。
「アリス君、気合を入れるのはいいが最後まで持つのか?」
ボイドはアリスの魔力量を正確には把握していない。しかし、ソリッドよりは少ないことは分かっていた。数歩歩く度に彼女の銃が吠えるペースで魔力が最奥まで持つと思えなかった。
「でも、こうしないと切り抜けられないよ。」
ペースを落とすことなく、振り向くことなく返事をする。彼女が返事をしている時にも銃は吠えていた。
ボイドは彼女に対する反論が思いつかなかった。今のチェシャはまともに前衛を張れないし、ソリッドとボイドはもってのほか。クオリアだけでは両方向の警戒は出来ない。となれば中衛であるアリスがその穴を埋めるほかないことはボイドもよくわかっていた。それでも、ここが最下層なら二階で使った傾斜で進行方向を決めることも出来ないのだからアリスが全力戦闘を行うのも許容しがたい。
「……そうだな。」
故にボイドは安全かつ迅速にという方針を多少強行してでもアリスの魔力が尽きる前に少なくとも門番の元へたどり着くことに切り替える。戦闘面で足を引っ張りがちな彼が出来ることはいかにこの迷宮を素早く通り抜けるかだ。ボイドは余計な思考を捨てて、何か打開策がないかを考える。
──天井の光っている水晶の真下は通路。降りてきた広間の天井にも水晶はある、と。
事実の確認。地図を埋めながら天井の水晶を見上げる。現在位置から見える密集した水晶地帯は三つ。そのうち一つは降りてきた場所なので実質二つ。
──門番のいる場所は広間なのだから、とりあえず広間に向かえばいい。……いや、私が迷宮を作るとしてそんなぬるい真似をするか? とりあえず、広間に向かう……か。
「アリス君、そこの角を右に曲がってくれ。」
「ん。」
小さな返事。以降は淡々と銃声が鳴り響くのみ。彼女の銃が火を噴く度に剣魚も、魚人も等しく死に至る。生半可な防御など容易に貫くのだ。
──仮に私が迷宮を作るとして、そんな逆算から作れるようにはしない。ならば考えうるは行き止まりに見せかけているパターン。これならば……。
ボイドは再び天井を見上げる。通路の真上に水晶があるということは水晶どうしはほとんど隣接している。発行する光の道筋には行き止まりを示すように不自然に途切れている場所もある。広間よりも格段に数は多いが、闇雲に黒門を探すよりかは遥かに効率的だ。
「アリス君──」
そこからボイドの指示によっていくつもの行き止まりに向かって地図にバツ印を増やした。終わりないように見えるが、行き止まりを探すだけならば地図は急速に埋まっていく。接敵など目の前の少女の魔力が尽きぬ限り有り得ない。魚人が仲間を呼ぼうとすればその予備動作の内に脳天に穴が開いている。
五人から遠く離れた場所で死体が生み出されて、魔力の霧に還って霧散する。
「あと……四つか。アリス君残量はどうだ?」
「ごめん……もう、キツイ。」
アリスが申し訳なさそうに伏せた目をボイドに一瞬向ける。その言葉を裏付けるようにアリスの銃が火を噴く頻度が減っていた。
「アリス、代わって。完全な弾切れはダメだ。」
「そんな顔で言っても説得力無い。」
左腕を微かに動かすたびに苦痛に苛まれるチェシャは痛みで顔を歪ませながらアリスと変わろうと声をかけるも彼女に一蹴される。
「やめとけよチェシャ。そんな怪我じゃ無理だって。」
「でも、門番とやりあうのに二人も動けないんじゃ本末転倒でしょ?」
「でもよ……。」
「……それは一理あるな。少しの間だけ、頼めるか?」
「ボイドっ!?」
ソリッドがチェシャを止めようとするも、口をはさんだボイドがチェシャの提案を許可した。
「……良いの?」
「自分で言ったんだろう? それなりの覚悟があるのなら是非頼みたいさ。」
「分かった。──アリス。」
「……。」
納得がいかないと浮かない顔をしつつもアリスは銃撃をやめて大人しくチェシャと位置を代わる。再度先頭になったチェシャは盾も外して使い物にならない左腕をだらりとたらし、右腕で超硬金属の槍を構える。
「ボイド。早めで。」
「ああ。了解した。……次は左に曲がってくれ。」
返事は早まったチェシャの足音。彼が足を早めるのに合わせて四人もそれに倣う。
しかし、五人の存在にを知って襲おうと忍び寄っている迷宮生物達もアリスの銃撃が止んだことに気付いてしまった。
「来るよ。」
早歩きのチェシャが一言四人に告げてから疾走。一番槍の剣魚を貫く。剣魚の体を貫いた反動を左腕でも受け止めた彼は痛みに歯を食いしばりながら反転して次の剣魚を蹴り飛ばす。
「クオリアッ! 私たちに来る奴を防ぐだけでいい! ソリッド、前は彼に任せろ! 後ろを焼けッ!」
「「おう!」」
剣魚を携えた魚人の刺突をクオリアが弾き、隙を晒した魚人の体を突き飛ばして後続の障害物にする。後がつっかえた一瞬にソリッドが火炎放射を合わせる。爆炎の印から吐き出された炎が通路を満たして焼き払う。たとえ殺せなくても足止めにはなるだろう。
前を走るチェシャは分かれ道に出る。左の通路は目指していた行き止まり。深海を模した暗闇に慣れた彼の目が左の通路に何もないことを視認すると、突き当たりの水壁から飛び出してきた剣魚を槍の柄で弾き飛ばして右へと走る。遅れて四人も右へと曲がった。幾度か分かれ道をボイドの指示で通り抜け、二つ目の行き止まりが見える分かれ道に到達した。
今度は分岐点からでは行き止まりが見えない。天井の水晶はこの分岐点を右に曲がり、角でもう一度曲がった所に行き止まりがあると示している。
「……。」
外れならば──とチェシャの頭に一瞬よぎったが、その考えを即座に振り払って迷いなく右へと向かう。飛び出してくる剣魚は槍か体術で即死には至らずとも水中からはじき出すことで一時的な行動を奪っていく。最初は後れを取った剣魚達の奇襲も、痛みで神経がこれ以上にないくらい張り巡らされたチェシャにはもはや上層のそれと変わりなかった。肝心の痛みも一時的な興奮が忘れさせてくれている。しかし、穿たれた骨と筋肉、特にかろうじて繋がっている筋繊維はチェシャが剣魚を迎撃する度に僅かに、けれど確実に千切れていた。
疾走。クオリアがチェシャ以外の三人を狙う攻撃を庇い。ソリッドが後方を焼く。ボイドも少なからず錬金砲で魚人を焼いた。火の輝きを受けて、暖色の光を得る水壁は深海に太陽が落ちてきたようだった。
「っぅぅ──!」
そんな中で唇から血が出るくらい歯嚙みしながら銃を握りしめているアリス。彼女も出来る事なら戦闘で危うい死線を潜り続けるチェシャの援護がしたかった。
しかし、彼が言っていた門番のことも考えればここで魔力を使い切ってアリスがお荷物になってしまうのがダメなことは彼女自身がよく分かっていた。
「ここは……──」
ようやく曲がり角にたどり着いて、行き止まりに目を向けたチェシャ。彼の視界に移ったのは何もない水壁の作る行き止まり。落胆する暇もない。踵を返したチェシャが四人に首を振り、退路を切り開くために先頭に飛び出る。
「ボイド! 次は!?」
「十字路まで戻れ!」
返事をする余裕はとうに無くなっている。そして、チェシャに押し寄せる焦燥と落胆が彼の興奮を冷まし始めていた。
「──あっ。」
帰ってきた鋭く鈍い、抉られるような痛みに彼の視界が明滅して揺らぐ。彼が行き道で地面に落とした剣魚に足を引っ掛けて転んでしまう。
咄嗟に地面へ手をつくために当たり前のように両腕を伸ばして、左腕の痛みでそれさえもかなわず、顔ごと胸を地面に打ち付けた。槍も手放してしまいカランッと虚しく響いた。獲物は遂に隙を晒した。勿論水飛沫がここぞとばかりに一斉に上がり、一度止まってしまえば波に呑まれるのみと綱渡りを失敗した彼に次々と剣魚の群れが押し寄せる。
「チェシャッ!」
アリスが銃を抜いて残り僅かの魔力で彼を狙う剣魚を打ち抜く。けれど、多勢に無勢。あらかじめ遠くの迷宮生物も含めて周囲を丁寧に殲滅していたからこそ処理が追い付いていた。この一瞬で剣魚を打ち抜くのは到底不可能だった。
そして、あえなく剣魚の群れが倒れたチェシャの背中、足、腕へと次々と突き刺さり、鮮血を散りばめた。