二度目の落下
「ホントだっ! 滝がある!」
水壁の迷い路を抜けて開けた場所に出た五人が目にしたのは一階でも見た大きな穴。そして、この穴にも滝が流れている。源泉となる水は穴の入り口から少し下に横穴が空いているようでそこから水が溢れ続けていた。そして、溢れ出て重力に従って落ちる水は透明な床に阻まれて宙で跳ねている。
見えない床の所にも横穴が開いているらしく、水は溜まることなく横穴に消えて一定の高さを保って浅い池を作っていた。
これはこれで不思議で面白い光景なのだが、第五試練を象徴する巨大な滝に比べれば小さいし、この水壁の迷宮と水晶の照明が作り出すイルミネーションの方が綺麗なものだから五人に大きな反応はない。しかし、三階に進む道が見つかったことは喜ばしいこと。
一番最初に大穴にたどり着いて滝を見下ろすチェシャの背後からアリスも覗きに来て歓声を上げた。
「おー! これが一階のやつか、こんなんだったんだ。」
「順調……か。それにここなら休めそうだな。」
「……もっと喜んでもいいんじゃないの? 割とキツイことやってるんだし。」
淡々と地図に書き写すボイドをクオリアは呆れ顔で見る。事実、大迷宮を一度の探索で攻略しようというのは前例がない。補給、体力、対策の準備。彼女の言う通り様々な観点からみてもキツイことだ。
「気を緩ますと体力のない私では気を張りなおすのが無理そうなんだ。」
「……なら、降りる前に休みましょう? かなり歩いてるしあたしも眠たい。今深夜ぐらいじゃない?」
「いいや、もう次の日といっても差し支えない時間だ。」
具体的な時間は言わずボイドは自身の腕時計をクオリアに見せる。時計の短い針は五を指している。
「……朝、ね。」
「人間、自覚しなければ意外と持つものだ。一日中歩き続けて眠気と疲れで済むくらいにな。」
彼の腕時計はゼンマイ式なので何日も継続して使えず、都市で鳴らされる鐘の音で調整しなければならない。故に日が経てば経つほど時間感覚が狂うので、ひっそりとボイドが気にしていることだった。また、五人の中で腕時計のような時間を確認できるものを持っているのはボイドのみ。故に、探索中に時間を知れるのはボイドのみ。正確に時間を把握しているからこそ、疲れを認識してしまっていた。そして、時間を知ってしまったクオリアも自身にのしかかる疲れを把握してしまう。
「……そうみたいね。」
「言うなよ?」
「分かってるわよ。」
大人たちの小さいようで大きい配慮はこの退路のない探索行において、地味ながら意味を成していた。クオリアはふっと息を吐いてから滝をのぞき込む三人の方へ体を向けて両手を打ち鳴らす。
「今日はここまでにしましょう。ここで交代で睡眠をとるわ。」
「え、もうそんな時間なの?」
「ええ。とっくに夜ご飯でもおかしくない時間。」
「言われてみれば……お腹すいた。」
クオリアに言われてチェシャが思い出したようにふとお腹をさする。それに応えるように彼のおなかもぐぅと鳴った。
「はは、大したものはないが腹を満たすには十分な携帯食料はある。明日に備えよう。」
「美味くないのか?」
「そりゃそうだ。鮮度がなくなるからな。酒のつまみには悪くないが、食事にむかん。」
「へー。」
「偏見でしょ。美味しいものは美味しいんだから。」
「……ふっ。」
荷物を下ろしたクオリアが半目でボイドを見やる。彼女の視線をボイドは鼻で笑い飛ばしたものだからクオリアの額に青筋が浮かんだ。
「何よ。」
「そんなものに金をかけるバカはいないさ。いたとしても高いものばかりを食べ慣れた身分の高い奴だろう。何日も外にいるなら多少は考えるがな。」
「……。」
クオリアには反論が出来なかった。ボイドの言う身分の高いものというのは暗にクオリアを指している。仕事柄味にこだわった高い携帯食料を経費で食べていた身として彼女にできる反論はなかった。
「その辺にしとけよボイド。僻んでるみたいだぞ?」
「……。」
そして、ボイドも彼自身が気付かぬうちに熱くなっていることをソリッドに指摘されて黙り込んでしまう。二人がしばらく会話をしないものだから、五人の夕食は気まずいものになってしまうのだった。
*
五時間を一時間ずつの見張りで回して計四時間の睡眠をとった彼らは夕食、正確には朝食と同じものを少量口にしてから穴を降りる準備をする。特に気にしなければならないのは重装備のクオリアだ。事前にチェシャが鍵縄ロープを使って出来る限り下まで行って穴の下に一階から降りてきた時と同じ池があるのを確認している。
下が水ならば水深によるが多少雑に落ちても死ぬことはない。高いところから落ちれば自らの反発を受けて痛みが発生するがそれも指先から入ることで軽減できる。
「先、降りる。合図は出せないけどよろしく。」
欠片も物怖じせずに穴からひょいと飛び降りて、滝が作る浅い池を通り抜けて姿を消したチェシャ。打合せ通りだったがあっさりと言ってしまうものだから思わず四人が顔を見合わせて考えが一致したことに苦笑を漏らした。
「次、行くね?」
ひとしきり笑った後にアリスが残る三人の、顔を見渡して確認を取る。参謀たるボイドの頷きを見たアリスはチェシャに教えてもらった両手を重ね合わせて指先から着水できるフォームで穴の中に姿を消した。
二人がまるで滝壺のような穴の先に姿を消して数十秒。特に反応はない。
「ソリッド。」
「うーい。」
ボイドの指示にあくまで余裕ぶった態度で穴の前にソリッドが立つ。彼は穴の先を見下ろして滝が透明な床を叩く音が反響するのを聞き、思わず身震いをする。二人はあっさりと降りて行ったが常人ならばためらう高さ。当たり前のように降りようとしているが正規ルートかも分からないこの道なき道にソリッドは躊躇する。
しかし、彼は同時に既視感を感じていた。高いところから見下ろした時に感じる肌がゾワゾワとする感覚。落ちた時に感じる空気と擦れる感覚。
──あ、エマと木を渡った時か。
ようやく点と点が彼の頭の中でつながった。第四試練で極色彩の森の中で大樹と大樹を森人のエマと渡った時の記憶。そして、思い出したエマの顔からある少女を連想した。
──かっこわりぃな! 男が廃っちまう!
最後の一歩を踏み出してソリッドは宙へと飛び出す。すぐに彼の体は重力に従って落下し、薄い池をバシャッと音を立ててくぐったかと思えば深い池に落ちて水柱を立てた。
「次はどっちが行く?」
「私が行こう。大盾くらいなら預かろうか?」
「いいわ。どうせおぼれそうだし。」
「だから言ってるんだが……。」
「それであなたが溺れてあの子たちに迷惑かけるくらいなら一人に注力した方が楽よ。」
「む、そうか……ならいい。」
ボイドはソリッドと同じように穴前で躊躇したが彼よりも早く穴の舌に姿を消す。ボイドが落ちてから数十秒後、クオリアも飛び降りた。