好奇心
水飛沫。チェシャが曲がろうとしていた突き当たりの水壁から飛び出すは剣魚持った魚人。口角を上げて彼の心臓部に狙い済ませて上顎の突剣を繰り出す。
盾で受けることなど不可能。迎撃も剣魚の体を突き刺したところでそれを振るうのは魚人だから迎撃も難しい。残る選択肢は回避。
咄嗟の判断から行われた上半身を逸らす動き。ブリッジのような態勢をとったチェシャの鼻先を剣魚の上顎が掠め、彼の眼前に細く血雫が舞った。
やられるだけでは終わらない。彼の右足が魚人が剣魚を握る手首を襲撃する。伸び切った腕では蹴りの衝撃を受け止めきれず、手放された剣魚が宙を舞う。
魚人の手を離れた剣魚は死の気配を悟ったのか突如もがきだすも、発砲音。あえなくアリスに撃ち抜かれて地に落ちた。
その間にチェシャは蹴りを繰り出した反動で上半身から立ち上がり、無手の魚人の腹へ槍で突く。
カキンッ
弾かれる槍。上がる魚人の口角。
釣り上がった口角に向けて飛んだチェシャの丸盾。
自慢の筋肉で槍を防ぎ気が緩んだ魚人は血を吐きながら顔を横殴りされ、横転。とどめを刺したかったが、今にも水壁から飛び出しそうなほど近くに別の魚人の姿が見える。ここで隙を晒せば攻撃を受けるのは必至。
「チェシャくん、やっちゃいなさい!」
そこへクオリアから声がかかる。彼女の言葉が示した意味を解してチェシャは止まることなく倒れた魚人の顔を貫いた。しかし、同時に水壁から飛び出した魚人の剣魚も彼を貫かんと迫る。
キィィン──!
刃物が金属を滑る音。剣魚の上顎は切っ先に対して傾斜が作られたクオリアの大盾を滑って空気を貫くことで終わった。そして、滑らされることで腕を上げてしまい胸を晒した魚人に今度はチェシャが反撃の一撃を加える。脇を占めていない状態では魚人が筋肉に力を入れて防ぐことは出来ない。あっさりと胸を貫かれてその場に崩れ落ちた。
五人は周囲に視線を配って敵がいないかを確認する。数秒の沈黙を通して気配を感じなかった彼らはゆっくりと各々の得物を下した。
「クオリア、さっきはありがとう。」
「ええ、どういたしまして。」
「……すまねぇチェシャ。良い角度が見付からなかった。」
攻撃範囲の広さと狭い通路が重なり、チェシャを巻き込む可能性があっため魔術の印を描こうとしたまま戦闘が終わってしまい、ソリッドは申し訳なさそうにしていた。
「それは仕方ないよ。細いのは魔力を使うんでしょ?」
チェシャはそう言いながら収束の二重詠唱を行使したソリッドがボイドに怒られていたのを思い出してクスッと笑う。
「それはこいつの練習不足だ。」
「うぐっ。」
「“うぐっ”、じゃない。サボっていたツケが回っただけだろう。いくら魔力があるからと言っても所詮は有限なんだぞ。」
半目でソリッドを見下ろすボイド。正論故に言いたい放題にされている彼も反論出来ず黙って顔を逸らすことしか出来ない。そこへクオリアがふと思いついたらしい疑問を投げかける。
「ねぇ、ソリッドの魔力ってボイドを基準にすると何ボイドくらいあるの?」
「なんだその単位は……。」
「えー、分かんねぇ。ボイド魔力全然ないし。」
「ふふっ、ソリッドが多すぎなだけ。数にしたら……千ボイドはあるもの。」
四人に知られないように目を一瞬赤くさせたアリスが面白がって言う。ボイドが弄られる機会はあまりないので新鮮なのだろう。彼女の瞳が爛々と光っている。
「ボイド千人分ねぇ、多すぎて分かんないわ。」
「確か……その増幅器ってのを全力で使えるのが二回なんだっけ? じゃあ、増幅器を使うのにボイド五百人いるってことか。」
チェシャもアリスに続いて話題に乗る。彼の目も同じく輝いていているのを見たボイドが深くため息を吐いた。彼もまたソリッドとの魔力量の差は自覚していた。だからこそ錬金砲を新たに作ったのだが、分かりやすく数値にされて意外とボイドの心にも影響を与えていた。
「……そろそろ真面目にやってくれ。」
「「はーい」」
なけなしのプライドで何ともないようにあくまで迷宮探索を主題として話を変える。二人としては休憩中にやられてことの意趣返しでもあったので、すんなりと持ち場に戻った。
「はぁ、そこの突き当たりは右に行ってくれ。」
「ん。」
会話がなくなる。水流の音や揺れる水草から放出される酸素の泡が浮かび上がり、ポコ、ポコと泡立つ音さえも聞こえるようになった。近づいて眺めたくなるほどに色づいて輝く水壁は幻想的に綺麗だ。じっと眺めれば水の流れで水面が揺れることで水晶の光の受け方が変わる。そのため時間が経つたび、群青から瑠璃色、紫に淡い藍色から若草色。といったように中性色から感触の中で揺れる色彩の変化も見える。しかし、近づいてのんきに眺めようものなら、水草を陰に忍び寄る剣魚に串刺しにされることは避けられない。
相変わらず迷宮は薔薇の棘のようにその恐ろしさを巧みに隠していた。
「さっきよりも色が変わるんだな。ここ。」
「天井が低いから、角度も付きやすいんだろうな。」
「どういう意味だ?」
「そのうち教えてやる。今は気にするな。」
「……へーい。」
水壁の中に潜む迷宮生物を隈なく探しつつ、ソリッドは水壁の変化に魅入る。ボイドと共にいろんな場所を巡ることは彼にとって未知との出会いでもあった。学のない彼は学ぶことの重要性を身に染みて味わっていた。だからといって集中して頭を使うことは苦手なのだが、好奇心は誰よりも旺盛だ。
そんな彼の一面はボイドの知るところでもあり、幼い自分が勉学に勤しんでいた頃と今のソリッドを重ね合わせていたりもした。だからこそソリッドはボイドを慕っているし、逆は信頼を置いている。
「嬉しい?」
「……何がだ?」
二人の近くにいるクオリアも当然知っている。清楚に見えてお転婆な王女に仕えていた彼女は様々な人物と触れ合っていた。その経験から彼女は他人の変化に敏い。表情は変えないボイドにクオリアは尋ねる。
「ソリッドが新しいことに興味を持って、それは貴方が教えられるってこと。」
「……。」
沈黙。ある種の返答でもあった。
「ふふ……。子供ね。──と、お仕事の時間か。」
クオリアが警戒していた方向の水壁から剣魚の群れが現れる。水草に隠れてはいるものの、丁度空色に変わっていた水壁の明るさのおかげですぐに気付くことが出来た。
「ソリッド。しっかり焼きなさいよ。射線は開けるわ。それにあたしになら多少当たっても大丈夫よ。」
「え、そうなのか?」
「この鎧のおかげよ。」
「私も初めて聞いたぞ?」
「言ってないもの──。」
会話はそこで途切れる。遮断したのは複数の水飛沫の音。剣魚の群れが一斉に飛び出したのだ。
「アイリスッ!」
盾を地に打ち付けて紫の花を大盾から咲かせる。しかし、様子がいつもと違った。クオリアがアイリスの花を咲かせた瞬間に彼女の鎧が共鳴して紫紺に輝き、アイリスの大輪から更に薄い花弁がもう一枚花開く。二重の壁となった花に飛び出した剣魚達は全て止められて勢いを失ったものから順に地に落ちる。花の盾に突き刺さるものもいたが、決め手はクオリアがではない。
「燃えろっ!」
盾の脇から飛び出したソリッドが完成している爆炎の印を止められた剣魚達に向けて炎を放つ。彼の炎は扇状に広がることで威力が落ちるが、並の敵なら一掃できるメリットでもある。水壁から飛び出した剣魚達にこれを防ぐ手立てはなく群れは一瞬で壊滅した。
「ふう、楽勝ね。魚に関してはまあ何とかなるけど、やっぱり魚人が怖いわ。」
「パワーもさることながら、多少の攻撃を防ぐ体が厄介だ。戦闘中に横槍が入ればもっと厳しい。」
「わたしの銃も頭とかじゃないと通りにくい。」
「オレの炎も。」
「……分かったからちょっと下がれ。」
さぞ困ってますと不機嫌そうに後衛陣が手を挙げる。ボイドはぐいぐいと近寄ってくる二人を押しのけ、腕を組んで唸る。良い解決策は浮かばないようだった。諦めの混じったため息を一つ吐いた後に屈みこんで地面の傾斜を確認する。
「次はどっち?」
「左だ。」
ボイドはY字路で振り返ったチェシャに指示を出す。指示を聞いて歩き出す彼の足取りは少し浮いていた。それに目敏く気付いたアリスがチェシャの袖を引く。
「どうしたの?」
「多分、近い。」
「それって──」
「ん、滝の音が聞こえる。」
彼の言葉に皆が小さな歓声を上げた。