魚人剣士
先に一時間仮眠をとった三人と入れ替わりで寝ていたチェシャはまどろみの中で硬い地面の寝心地の悪さで徐々に目が覚める。それに伴って自身の横でボイドとは違う人の気配を感じた。彼が慣れ親しんだ髪の匂いが鼻腔を突き、チェシャの目が完全に開かれた。
「アリス?」
「……おはよ。」
彼の感じた人の気配はとなりで膝を抱えて座るアリスのもの。仰向けの態勢を崩すことなく寝ていたチェシャの寝顔を覗きこんでいた彼女は目が覚めたチェシャと視線が衝突すると彼に微笑んだ。
「ん……、おはよ。」
「調子はどう?」
「……最悪、体が痛い。あと、見張りはよかったの?」
「ん。クオリアが様子を見てきたらって。」
「そう。」
上半身を起こして手を組んで伸びを一つ、肩回りの骨がパキパキと鳴る。次に首を右回り左回りと回す。首の骨はあまり鳴らなかった。枕にしていた毛布のおかげだろう。
「っし。ボイドは、まだ寝てるのか。」
「まだ十分くらいあるからいいのよ。」
「別にそういう意味じゃない。」
嫌味っぽくなってしまった自身の発言を訂正して立ち上がる。今度は全身を伸ばす。腕を組んで伸ばし、伸脚、屈伸をして頬を軽く叩いた。まどろんでふやけていた彼の目つきが鋭いものに変わる。チェシャの変化を見ていたアリスが名残惜しそうにするが彼は気づかない。
「俺らが寝ている間に何かあった?」
「ううん、何も。双眼鏡を使って遠くから見てみたけど迷宮生物は見付からなかった。」
「そう。なら良かった。」
「これで休めなかったらちょっと辛いもんね。あっ、水いる?」
「ありがと、もらう。」
アリスから水袋を受け取って栓を引き抜いて袋の口を逆さに、自分の口へと勢いよく水を流し込む。喉を鳴らして渇きを満たしたチェシャは満足げに水袋を返した。
「はぁ。美味かった。ありがと。」
「……うん。」
アリスは少し水袋の口を見つめた後に鞄にしまった。チェシャが怪訝そうに彼女の行為を見ていたが、思い当たる節があったらしく肩を落としながら呆れ笑いをする。
「気にしすぎじゃない。」
「流石のわたしでも怒るよ?」
「流石のって夕食に嫌いな食べ物あったら怒るじゃん。」
「そ、それとこれは話が別っ。」
「ふぅん。」
訝しげにチェシャには見つめられてアリスは耐え切れず顔をそらす。
そんな二人から少し離れた場所にいるクオリアは暖かい目で彼らを見守り、ソリッドは口角を釣り上げていた。
「初心いわねぇ。」
「あいつら一緒に暮らしてんだろ? なんかいろいろ逆っつうか、変だよなぁ。」
「まっ、距離間はとっくの昔に家族みたいなものでしょうね。」
顔をそむけたアリスをからかっているのかチェシャが顔をそむけた方向に回り込んでは何かを言い、それを聞いたアリスが別方向に顔をそむけてチェシャがまた回り込むことを繰り返していた。
「良くわっかんねぇな。」
「真に受ける方が間違ってるわよ。」
外見上は本当に仲の良い兄妹にしか見えない。けれどその言葉では済まされないものが彼らにはあった。特にアリスは一瞬表面化したものを二人は見ていたし、ソリッドに至ってはそのズレた彼女の想いを直接ぶつけられている。
「この前のアリスのことか? でも、好きだってんならおかしいってほどでもないだろ。」
「そうなんだけどねぇ。」
「……なんだよ。」
含みを持たせて物言いをするクオリアにはソリッドは怪訝な目を向ける。二人の違いはたどってきた道の長さとボイドからの話を聞いているか否か。
「なんでもないわ。道を踏み外さない限りは見守るだけだし。」
「それはなんかあるやつじゃんか。」
「自分でも考えてみなさいな。それにどうせもうすぐ出発よ。」
「え……まだ──」
ボイドは寝ているはずだと彼が寝ていた場所に視線を向けるとチェシャとアリスが騒がしくしていたせいで不機嫌そうに隈を作ってゆらりと立ち上がるボイドの姿が。彼はゆらゆらと歩いてチェシャとアリスの元へまで行くと。
「う……るさいっ!」
二人と頭を掴み、互いをぶつけ合わせた。頭を押さえて痛みに悶える二人を見下ろしてガミガミと説教を始めたボイドをなだめるためにクオリアが苦笑交じりに仲裁へと向かうのだった。
*
先頭に額を赤くしたチェシャ、二番目に同じく額を赤くしたアリス。三番目に不機嫌そうに地図と羽ペンを持つボイド、その後ろで怒っているボイドにビビりながら歩くソリッド。最後尾でその様子を見て笑うクオリア。
誰も探索したことがない未踏の地で帰ることも出来ないという状況にしてはずいぶんと緩いものだった。また、一階を探索していた時と異なる点が一つあった。ボイドが時々地面に屈み、顔を横にして視線を地面と平行にしているのだ。一階ではしていなかった奇行を後ろで見続けているソリッドがついに耐え切れず声をかけた。
「……何してんだよ。」
「傾斜を確認しているんだ。」
「けいしゃ?」
「坂、大体のものは下り坂があれば転がるなり滑るなりで下っていくだろう?」
「当たり前だろ。」
「上で流れた水はもとから集められるのが決まっていたかのように大きな穴に落ちてきた。私達もな。」
「……つまり?」
眉をひそめるソリッド。理解してもらえないことに頭を押さえるも仕方なさそうに首を振った。
「ぱっと見は気付かない程度の傾斜があって、その坂を下れば地下への穴が見つかるということだ。」
「へ~、さっすがボイド。」
「……。」
ソリッドの態度にまた頭を押さえるも、裏表のない彼の称賛にボイドの表情は満更でもなさそうだった。
「チェシャ君、そこの角を右に進んでくれ。」
「りょーかい。」
「ごめん、後ろ来てるわ。」
クオリアが小さいながら先頭のチェシャまで聞こえる張った声で敵の存在を伝える。彼女の言う通り、角をまがり、背中にある水壁から魚人が泳いで忍び寄ってくるのが見える。一階ではまともに気づけなかったのに気づくことが出来たのは一階よりも天井が低く水晶の光が水壁の中にきっちり届いているからだ。お陰で一階にあるアクアリウムのような美しさの水壁が、ライトアップされた明るいものに変わっていた。ただ、ずっと迷宮にいる彼らには心なしか明るくなったような気がする程度の差だったため、幸運だったという自覚しか五人にはなかった。
「奇襲を受けなくていいのはラッキーだ。丁度いい。焼いてやろう。クオリア、直前まで振り向くなよ。」
「えー、ボイドに任せるの怖いんだけど?」
「頼りなくてすまないな。」
「あの、冗談よ?」
「分かっている、さっ!」
水飛沫の音と同時にボイドが腰から錬金砲を引き抜いて魚人に向けて熱線を発射。熱線はクオリアに奇襲を仕掛けようとした魚人に一直線に飛来して、切り裂かれた。
「はっ!?」
ボイドが腑抜けた声を上げる間にも魚人はクオリアに向かって手に持っている剣のようなものを振り下ろした。
「それあの魚──っとぉ。なかなか強いじゃないのっ。」
魚人が振るったのは剣、ではなく剣魚。拳かと思っていたのにリーチが伸びてクオリアは驚くも大盾できっちりと防ぎきる。尾びれを柄代わりに上顎を振るう姿は中々に滑稽に映るが侮ることは出来ない。剣魚の上顎の強みは斬ることよりも──
「──あがっ!」
大盾を構えているせいで魚人の手元を見続けることが出来ないクオリアは突然の足元に繰り出された刺突を回避できず、グリーブを貫いて剣魚が彼女の足を貫いた。すぐさまアリスが援護射撃を行うものの既にグリーブから剣魚は引き抜かれている。銃弾は幅の広い剣魚の胴体を使って防がれた。勿論盾にされた剣魚の肉に銃弾は刺さるものの貫くことは出来なかった。出来たとしても魚人に対して威力は期待できない。
続くチェシャの槍も水壁に逃げ込まれて魚人には届かない。しかし、歯嚙みするチェシャの後ろからソリッドが手を構えながら飛び出した。
「爆発……収束……ぉ、収束……っつ。射撃ぉ!」
かつて高等技術とされていた二重詠唱。ボイドが行使すれば一度で魔力が尽きる力技を用いて手のひらがら爆発を魚人に向けて解き放つ。無理やり抑え込まれた爆発の衝撃は魚人ごと槍で突いたようなサイズの風穴を開けて貫く。収束されすぎた爆風は通路を跨いでいくつもの水壁に穴をあけたが、一階のように水壁が崩れることはなかった。
水壁が崩れなかったことを確認して自慢げにソリッドは振り返る。
「どうよ? うまくいったよなっ!?」
「ああ……どう考えても魔力の無駄遣いだがなぁぁぁ。」
「いだだだだっ!? いいじゃねえかよぉぉ!?」
称賛の嵐が飛んでくると思っていたソリッドのこめかみへ笑顔なのに目がちっとも笑っていないボイドが彼の体をホールドしながら拳をぐりぐりとねじ込まれ、数分後探索を再開した五人は額を赤くした二人に加えてこめかみを赤くした者も加わった。