流されて
粉砕、爆砕。
何かが一瞬で駆け抜けたような爆発とその衝撃が水壁を貫き、次も貫きそのまた次も──と一直線に突き進んだ。
水面を叩くのではなく貫く。強引な一撃で魚人を逃すことなく倒せた。しかし、あまりの破壊が自然の怒りを買ってしまう。迷宮生物が水壁を通って移動しようと水面が波打って水中に流れを作り出すだけだったが、水壁に風穴を開けられることには耐えられなかったらしく、風穴を開けられた水壁がぷつんと糸が切れたように崩壊、水流と化した。色とりどりの水壁が崩れて、溶けて、混ざって、押し寄せる。飛び越えることも許さない高い水壁が崩れ、水に還ればどうなるか。
無論。
「──走れっ! 飲まれるぞ!」
「えぇぇ……! あー、やだぁぁ! 疲れたのにぃぃ!」
「オレ、またやっちまった?」
「話は後、後悔も後っ!」
「逃げ切れそうにないけどね……」
ボイドが鞄を背負いなおしてとにかく離れるために指示を出して走り出す。今回の戦闘で最も活躍したともいえるクオリアが半分鳴き声ながら酷使した体に鞭を打って走らせる。自分のしたことにようやく頭が追い付いて血の気が引いていくソリッドの首根っこをチェシャが掴み、彼の意思に関係なく引きずる。彼らに並んで走るアリスはもう既に自身の足元まで押し寄せてきている水流と後ろから迫る小規模な津波のような波から結末をなんとなく予想して、乾いた笑みを浮かべていた。
彼女の予想通り間もなく高波が彼らを攫い、波に飲み込む。五人が洗濯されているのかと思うほどぐるぐると体を回し、波の流れに従って否応なしに運ばれていく。道を遮る水壁も圧倒的な量の水に押し流され、彼らの体を止める緩衝材にはなれない。不思議なことに風穴を開けられていない水壁は波の勢いを止めることは出来ないが、波が過ぎ去っても以前形を保ったままだった。
そんな珍妙な光景も波に揉まれて滅茶苦茶にされている五人が知る由もない。ただただ並の流れに文字通り身を任せている。彼らの向かう先は一階中央の穴。現在は滝のように水を落とす穴と化している。
「ごぼぼ! ごぼぼぼぼ!?」
首根っこを掴まれたまま運ばれていたソリッドは波につかまる前にろくに空気をためることもできなかったので、顔を真っ赤にしてもがき始めた。なんとか体勢を立て直そうとしていたチェシャが巻き込まれて再び大回転。荒波にもまれた。
そのままほか三人と共に穴に向かって押し流される。ほぼ垂直に落ちる水とは違い、慣性を受けて落ちる瞬間に水から放り出された。
「ぅはあうあ!?」
「ぷはあっ!! ──ひゃあぁぁ落ちるぅぅ!?」
「はっ──! 落ち着けっ! 下は水だっ、態勢を整えろ!」
「ん──!」
「……?」
言語にすらなっていない声と共にソリッドがほとんど本能に突き動かされて息を吸う。ようやく自ら出たと思えば今度は宙に放り出されて悲鳴を上げるクオリアを焦りながら宥めるボイド。三人とも三半規管が揺さぶられているのでまともな思考が持てていないが、正常を保ち続けているアリスが落下に身構え、ソリッドから手を離してしまった代わりに態勢を整えたチェシャは真下に広がる不自然な光景に眉をひそめた。
穴の先にはボイドの言う通り滝の水が叩く水面があった。しかし様子がおかしい。跳ね返ってくる音が水面を叩くそれではなく、地面を叩くものだった。そして、チェシャの視界には滝の水が跳ねる場所よりもさらに奥が見えた。
──地面じゃないのに浅い?
不可思議な光景。その仕組みを落下しているこの時間で解明するなど彼には到底不可能。時間があったところで身近な人間に考察を投げていただろう。
結局、誰一人現在の状況を正確に把握できぬまま滝水が流れ落ちる水面に突っ込み、
通り抜けた。
「「ぇ──?」」
誰もが困惑の声を漏らした。無理もない。波にもまれて、穴に放り出されて、また水に入ったと思えばまた宙に浮かんでいるのだから。あるのかも五人には分からない謎の地面に阻まれた水と阻まれなかった彼ら。そんな彼らの眼下にはまたもや水面が映る。今度は穴のサイズに合ったため池。周囲には上がれそうな陸もある。
陸が目に移ったことで安心した彼らが水面から鳴り響く何かが煮えたぎるような沸騰音を耳にした。慌てて目の焦点を音が鳴る中央の水面に当てる。そこには今にも何かが起きそうなくらいぼこぼこと沸き立つ泡。
あまりの急展開と理解の追い付かない状況に五人は誰もが思考を放棄していた。特にクオリアの表情には軽い諦めすらも浮かばせ、ソリッドは最早息をするので精一杯だった。
五人が着水する瞬間。ため池の中央から水の柱が勢いよく吹き上がる。高さは五メートル程。噴水というには登りすぎかもしれない水に打ち上げられて、再度宙になげだされ、水よりも一、二メートル程浮き上がり、一度吹き上がって舞い散った水の柱と共にため池に入水した。入水の衝撃で五つの水の柱が立ち昇る。
泡が沸き立つ音もなくなりため池が静かになった。
さっきよりも弱い勢いでポコポコと泡が五か所の水面で破裂。各々の場所から四人が浮き上がった。
「ぷはっ……。ごめんソリッド、手、離しちゃった。」
「……はっ、はっ、はあぁ……。オレが迷惑かけたんだ。謝るのはオレの方、すまねえ。」
「っはあ。全員、はっ……。いるか……?」
「ぷはあ……。みんな居てたはず──クオリアは?」
浮き上がった四人が荒い呼吸を整える。アリスがクオリアの姿が見当たらないことに気付き、四人が慌てて周囲を探し始めた。
「あそこっ──!?」
「居た!?」
小さな泡が連続してポコポコと泡立つ場所を見つけたチェシャが急いで水中に潜る。水晶の光が淡く照らす水中で目を凝らし、大きな人影がもがき苦しんでいるのを捉えた。クオリアだ。彼女の装備では水面に浮きあがれなかったのだろう。今もなおもがきながらゆっくりと底へ落ちていくクオリアを追いかけて、腕を掴む。彼女の顔は波に揉まれていた時のソリッドと同じように真っ赤で限界が近い。
小手の上から腕を掴み、全速力で水面に向かって浮上。しかし、鎧姿のクオリアを引き上げるのは一人では厳しい。中々浮かび上がらず、慌てて潜ったチェシャの肺の空気も余裕がなくなってきた。
「──!!」
そこへ遅れて潜ってきたアリスとソリッドが手伝いにやってきた。ソリッドがもう片方の腕を持ち、アリスはクオリアを下から押し上げるようにして協力する。三人の力があればさすがのクオリアも瞬く間に浮上して、ついに水中から四人がそろって顔を出す。
「はーーーっ! はっ……はあ。……ありがと、助かったわ。」
「お礼は良いから早く陸に上がりましょ。」
「おーい! これを掴めクオリアっ!」
既に陸に上がって予備用に持っていた数メートルのロープを投げたボイドが手を振ってアピールする。彼は別にサボっていたわけではなく、非力な自分が潜ったところで何もできない可能性が高いと踏んで彼なりの救出法──ロープを垂らすことで引き上げようとしていた。もう垂らす意味もないので、ロープの端を満身創痍なクオリアに投げて彼女が端を握ったことを確認して引き上げる。非常にゆっくりとした速度で引き揚げられたが、ただ水面に浮くだけでもつらいクオリアにはありがたかった。
全員で彼女をサポートして無事に五人そろって陸に上がり、全員がその場にへたり込んだ。幸い、あたりに迷宮生物の気配はない。景色も一階と変わらず天井で輝く水晶が光を落とし、その光を受けた水壁がイルミネーションの様に色とりどりに輝いている。しかし、ため池の近くに水壁はない。ため池を十メートル程の意間隔をあけて正方形な形で囲み、四方に通れそうな道がある水壁が一番近いもの。迷宮なのだから当たりだが、常に水壁と隣り合わせで歩いてきた彼らからすれば心にも余裕が作れる場所だった。
「ここで少し休もう。出る手段が分からないのは辛いが、まずは満足に動けないと話にならんからな。」
自身の鞄から携帯食を取り出しながら言ったボイドの提案に反対する者は居らず、寧ろ小さな歓声の声が上がった。