大穴に浮かぶ島
第五試練の蒼の世界を渡る一艘の船はいくつもの川の水を生み出す源である巨大な滝からもっとも離れた場所にまで進んでいた。水晶の島々にも船の上にいる五人の探索者達の目が慣れてしまい、周りの景色に言及することはなかった。しかし、ここは神の試練。目の肥えた彼らに新たな驚きを与え、乗り越えて見せろと言わんばかりの壁を提示する場所だ。
第五試練の最北端溢れ出た水が流れ、その全てが集まる終着点。岩壁がせり立つ根元に集まった川の水は全て底の見えぬ大きな穴に流れ落ちていた。穴の中央にはどこかにつながっているわけでもなく支えもなしに浮く島がり、その島には試練間を移動する転移装置が置かれていてる。船からではよく見えないので集めた鍵をどこに使うかは分からない。浮島には吊り橋が何本か伸びていてそれらはチェシャたちの近くにある陸地にも橋が掛けられていた。
「川の水全部ここに落ちてるのか?」
「みたいだね。」
「このままだと私達も穴の底だ近くの島に止めるぞ。ご丁寧に橋まで掛けてあることだしな。」
船べりから身を乗り出すボイドとアリスに声をかけたボイドは鞄からロープを引っ張り出す。船はチェシャの操縦によって既にギリギリまで陸へ寄せられている。
「ロープ貸して。」
「ああ、頼んだ。ソリッド、棒を持って船をなるべく制止させろ。」
「うーい。」
「チェシャくん、渡ったら投げるわよ~。」
ボイドから片方を船に括りつけてとぐろ上に巻いたロープを受け取ったチェシャが軽やかに船から陸へと飛び移る。邪魔な荷物を一度おろしてからクオリアに合図を出し、彼女から係船柱代わりの太い杭を投げ渡してもらう。
「……っとと。……ん、よし。」
重みのある杭を膝を曲げてしっかり受け止め、そのまま地面に思い切り差し込む。土をかき分け十分に埋めたそれにロープを巻きつけていく。ロープが少なくなれば引っ張って船に残っている分も巻き上げる。その度に船は陸地へと距離を縮め、船べりから大きく一歩踏み出すだけで届く距離にまで近づいた。
「行けたよ。順番に上がってきて。」
「じゃあ、オレからっ!」
チェシャがいうや否や真っ先にソリッドが船から陸に飛び移る。彼が下りた後は特に抜け駆けなどもなく船べりの近くいたアリスとクオリアが降りて、最後に船に括りつけたロープの具合を確認していただきボイドが陸に渡る。
「早くあの橋にいこーぜ! オレ吊り橋初めて見た!」
「落ち着け、ここがどこだか分かってるだろう?」
「わーってるよ。油断はしてねぇさ。」
「ならいい。荷物をまとめたらすぐに出よう。」
ボイドの言う荷物をまとめるというのは主にチェシャのこと。彼は一度荷物を地面に放って係船柱を見ていてくれたので、まだ支度が整っていなかった。彼が準備を整える間にボイドは錬金砲の調子を、クオリアが新しい装備の着心地を改めて確認していた。
「ごめん、行けるよ。」
「よし、進もうか。」
準備を終えた五人は見慣れた水晶の森を通り抜けて、穴の見える場所に出た。断崖絶壁が似合うくらい何かに削り取られたような崖から吊り橋が底なしの穴の中央に浮かぶ浮島へ伸びていた。
「……。」
恐る恐る穴底を覗くアリス。底は当然真っ暗で何も見えやしない。しばらく真っ暗闇を見つめていた彼女は体をぶるっと一瞬震わせてその場を飛びのいた。
「怖いの?」
ニヤニヤと笑ってからかうチェシャにアリスは頬を膨らませるが彼に言い返すことはなく、代わりに顔を俯けて服の裾を掴む。チェシャからアリスがむきになって言い返すと思っていたので予想外な彼女に驚き照れたように顔をそらした。
「照れてる?」
「……うるさい。」
顔を俯けていたアリスが先ほどチェシャが浮かべていたにやにやとした笑みで尋ね、アリスに嵌められたチェシャは服の裾を掴む彼女の手を振り払って吊り橋の近くに行ってしまった。アリスに服の裾を掴まれて狼狽したチェシャが気付くことはなかったが、アリスは服の裾を掴かんでいた右手を寂しそうに開いて閉じてを繰り返していた。
「素直じゃないと後悔するわよ?」
「神の試練で腑抜けてなんかいられないから、いいの。」
「じゃあ、その寂しそうな手はどうにかならないわけ?」
吊り橋に夢中なソリッドと耐久性を調べるボイドを置いて、チェシャの様子を見ていたクオリアがアリスに声をかける。ぷいと顔をそむけるアリスだったが、クオリアの言う通りアリスの右手は中途半端に浮いていた。
「っ、どうにかした。」
「言われてからじゃ意味ないでしょうよ。まぁ、いいわ。男どもをほっとくと置いてかれそうだから早く行きましょ?」
「うん。」
すでに吊り橋の中央にはいるボイド達を追いかけて二人も吊り橋を渡り始める。木造の橋に紐で吊るされた橋は何とももろそうだが、五人が渡ろうとも微動だにしない。流石に動かないことはボイドが不思議そうに首をかしげていたものの、彼の興味の矛先は浮島の原理と転移装置に向いていた。
「空を飛ぶ原理、解明できないものか……。魔術で再現できるのか……?」
「おーいボイドー。そんなのいいからこっち来いよー。鍵穴があるぞー!」
浮島についてすぐに土を漁って違いがないかを調べるボイドを置いて、チェシャとソリッドが転移装置にまで近づく。試練間を動くものとは変わらないように見えたが特筆すべきは操作装置が二つあること。しかもどちらも蓋がされていて動かすことは出来ない。一方には三つの鍵穴が付いた装置、もう一方には手の形で出来た浅い溝がある装置。溝の方はともかく、ご丁寧に分かりやすい三つの鍵穴の装置を見たソリッドがボイドに向けて叫ぶ。
「魔法で浮いて……、何? 鍵穴?」
「ああ。だからはやくきてくれよ。」
「分かったすぐ行く。」
転移装置の元へまできたボイドが口を固く紐で締めた子袋を取り出して口を開ける。あまりに固く締めていたものだからボイドでは開けられず、チェシャがナイフで切って強引に開けた。袋の中身は五人が集めた鍵達。群青色の鍵、青緑色の鍵、空色の鍵の三つ。それぞれ蒼の森、巨大湖、水晶の洞くつの三つの小迷宮で手に入れたい鍵だ。
「色、違うんだ。」
「識別できなければ同じ迷宮でもよくなってしまうからだろう。」
「あ、そっか。確かに鍵穴も色が違うや。」
「そういうこと……だっと。」
蓋のされた装置の鍵穴にもよく見るとそれぞれの色で縁取りがされている。ボイドは色に合わせて三つの鍵をすべて差し込んだ。鍵穴が埋まると蓋が光を放ち、装置の周りにいた三人が思わず目を庇う。光が晴れると鍵穴ごと蓋は消滅しており、見慣れた画面に古代言語が埋まっていた。
「あ、読めねえ奴じゃん。ボイド頼んだー。」
つまらなさそうだと悟ったソリッドが早々とこの場を離れて暇つぶしにと真っ暗闇に落ちる川の水を眺めに行った。チェシャも当然古代言語は読めやしないので、ため息を吐いて画面を操作し始めるボイドを放って遅れて橋を渡り終えたクオリアたちの元へ。結局クオリアの手を握って吊り橋を渡り終えたアリスはチェシャの目が自身に向いたのに気づくとパッとクオリアから手を離した。
「ふふ。」
「内緒だよ?」
「分かってるわよ。」
「何の話?」
「なーいーしょ!」
「らしいから言えないわ。ふふ。」
そう言われては余計に気になってしまうもの。チェシャが不満そうにアリスを見つめるも彼女はチェシャと目線を合わせることはなかった。
「教えてくれないならいいけど、ボイド、手伝ってあげて。」
「もちろんよ。」
「──クオリア、何があったの?」
話が変わって胸をなでおろしたアリスは早足でボイドの元へ。視線が向かなくなったその隙にチェシャはクオリアに声をかけた。
「だめよ、こればっかりは教えられないわ。」
「……大事な話?」
「そうね。チェシャくんにも関係はあるけれど。」
「じゃあ──」
「でも、自分で気付かなきゃダメよ。」
「……分かった。」
チェシャを諭すクオリアはは面倒見のいい姉のようだった。強く反抗することもなくチェシャは頷いて、自分で考え始める。規模や重要度はさておき、彼の暇潰しには丁度いい議題だった。そんな彼をクオリアは穏やかに見守る。
──貴方がアリスちゃんに感じるのは情か、愛か、恋か、それ以外か……どれなのかしらね。
「みんなー。出来たから行くよー!」
古代を生きていたアリスにかかれば転移装置の操作はすぐに済んだ。もとより古代言語を知らぬ探索者でも何となく使える程度の機能しかないのでチェシャが思考に使う時間はほとんどなかった。
光が灯った転移装置に皆が集合する。一番槍は当然チェシャ、クオリアでも良かったが離脱の面で考えるとチェシャが最適なのだ。
「周りを把握したら一度戻ってきてくれ。」
「りょーかいっ。」
槍を握りなおしてチェシャは転移装置の光の向こうへ姿を消す。固唾をのんで彼が消えるのを見送った四人は暫し無言で彼を待った。体感的には長く感じたのかもしれないその時間は僅か一分程度。戻ってきたチェシャの目は子供のように輝いていた。
「面白かった。」
「面白かった?」
「どんな感じなんだよ?」
「んー。どこかの小迷宮と似てたんだ。見たことあるなぁって。」
「見たことあるっていう割には興奮してるじゃない。」
「一応周りに迷宮生物はいなかったから入って来て。先に行ってるから。見た方が早いし。」
軽い報告を済ませて再び光で姿を消すチェシャ。四人は顔を見合わせて頷く。行ってみないと分からない。見てみないと分からない。そんなことは何度も繰り返した極々当たり前のこと。迷う要素などどこにもない。四人は一斉に光をくぐる。
ゴォォォォ──!!!
最初に耳にしたのは凄まじい水流の音。それは初めて第五試練に来た時と似た音だった。あの巨大な滝と同じほどの音量ではないものの幾重にも積み重なった水流の音が滝に匹敵するほどの音量を轟かせていた。
そこは海の中を潜ったことがあるのなら似た光景だと言えただろう。激流の音の正体は水の壁だ。チェシャが似ているといったのは第三試練の凍結地底湖の氷の壁で出来た小迷宮だ。単純に水の壁が仕切っているのではなく、壁を形作る水は流れを作り出していて、手を水に伸ばせば凄まじい勢いに腕が引っ張られるだろう。厚い水の壁の中の地面には水草が生えていて、水草の吐き出す空気の泡が水壁の中では巡回している。視界がゆがむものの、水で出来た壁は先を見通すことが出来た。
天井には光源代わりの水晶が輝いていて迷宮に光を差し込ませていた。これだけならば何も思うことはないのだが、天井で輝く水晶は群青、緑、空色と三色存在し、水壁との当たり加減で発生する全反射によって水壁の色が三色に分かれている。水壁が光を遮るので迷宮内は薄暗いもののそれが逆に三色に光る水壁を美しく魅せるのを手伝っていた。
「わぁぁ……。」
アリスが声を上げる。個々の景色はアリスにとっては見たことのある世界観だった。おぼろげな記憶から何となく引っ張り出した言葉を頭の中で浮かべる。
──水族館みたいっ!
「え?」
「すっげぇな! 手、入れたら手も光るぜ!」
「ちょっと、中の水すごい勢いだけど腕を入れても大丈夫なの?」
「結構気持ちいいし大丈夫だって……いや、やっぱやめとく。失敗こえーし。」
「……周りに気を付けるなら多少は構わんぞ。」
「っ! よっしゃ!」
「ほどほどにするんだぞー。……聞いてないな。」
「そりゃそうだよ。俺も一回やったし。」
自身の中に浮かんだ言葉に疑問を感じたアリス。知っているはずなのに知らない言葉に首をかしげる彼女を他所に四人がそれぞれ水壁のイルミネーションに盛り上がっていた。
「だから帰ってくるのが遅かったのか?」
「……。」
そぉーっと顔をそむけるチェシャにボイドは苦笑する。彼の能力ならばへまをすることはないと信頼しているボイドは彼を咎めることはしなかった。そして、顔を引き締めて地図を取り出してから手を叩いた。皆に切り替えの合図を送ったのだ。
「さて、そろそろ行くぞ。どこから迷宮生物が出るか分からないからな。」
ボイドの声に頷きを返して五人が隊列を組む。アリスが浮かない顔のままだったが、誰も気づくことなく水壁の迷宮の探索を始めるのだった。