水晶喰らい
「ふ、へへへ。」
「いつまで笑ってるのよ。」
第五試練、小迷宮水晶の洞窟を探索する五人の探索者の先頭で不格好に表情を崩して気色悪さも滲み出る笑い声を漏らしたチェシャにアリスが気味悪そうにする。そんな彼を作った原因は久方振りの真面な外出と槍を振るう機会が来たこと。さらに彼の手に握られる新たな槍のせいと複数の要因が積み重なっていた。斧槍のような多機能なものではないがチェシャが幼少から慣れ親しんだシンプルな形を追求したミスリル製の槍は機能を減らしたが故の軽量で、彼の手によく馴染んだ。
風切り音を鳴らしながら槍を手で回して遊ばせるチェシャにアリスの声は届かない。正確に言えば届いてもなお辞める気配はない。それでいて──。
突如チェシャが槍を振るい、近くにいたアリスが思わず仰け反ってしまう。彼が狙ったのは光を放つ水晶の陰に隠れて上から舞い降りてきた水晶の蜂。容易く水晶の防壁を破り、風穴どころか、体を支える力もなく瓦解して水晶蜂は地に落ちる。
「…………ありがと。」
「ん。ごめん、気を遣わせて、真面目にやる。」
チェシャの姿勢に気を取られていたアリスは自身が警戒心を欠いていたこととに気付くも素直に謝るのも癪だと無言を貫く。が、自分が悪いのは重々承知している彼女は数秒の間をおいてぼそりと礼を告げた。チェシャも彼女の気を散らせたことを謝罪して、表情を引き締める。
「ブランクを感じさせないのは流石だな。」
「まあ、動く分だけなら二日で回復してたわけだし、それ以降は体を動かしていたんじゃない?」
「入院って暇そうだもんなぁ。オレらが見舞いに行った時もなんかやることなさ過ぎてぐったりしてたし。」
「こちらとしても手が足りなくて困っていたんだ。このままさっさと三つ目の鍵も回収したいな。」
そんな二人を後方で見ていたボイド達は入院前と大差ないチェシャの動きを見て感心する。毎日見舞いに来ていたのはアリスだけで、ボイド達は三日に一度程かつ会話も黒い皮膚の具合の確認が主。彼らの少ない接触は不安定なアリスのために彼と会話する時間を作るためだった。
チェシャの欠けたこのパーティは絶対的に火力が足りない。ソリッドという大砲は何分取り回しが悪い。彼自身も最近は変わろうと様々な攻撃方法を試してはいるが、場所が場所なので彼の得意な火は使えない。クオリアが攻撃に回ろうにも後衛を守る手が足りなくなるので近接武器を持つ攻撃役は迷宮の探索速度を大いに早めた。
蠍と遭遇しようと、チェシャが斧槍の破壊力を補うために用意した左手の鋼玉製の棍棒で頭部の外殻を破壊し、むき出しの身を右手で持った槍で穿つ。一呼吸で蠍を倒してしまう彼の動きは周りも思わず感嘆の息を漏らすほど。
以前のチェシャではいくらむき出しの身と言えども、片手で貫通させられるほどの膂力はなかった。もともと槍は両手で扱うものであり、人間が得意とする前方への移動でより力を乗せられる武器として強いのが槍だ。しかし、単独で大多数の迷宮生物の群れを殲滅し神の悪意である蛙王を倒した。それらがチェシャにもたらした莫大な魔力が彼を急速に強化させたのだった。
勿論ただの人間にはいくら余剰魔力が溢れ出ようと一回で受け入れられる限界値が低い。ひとえに彼が人外であるからこそ起きた現象。
「あたしのやること、なくなってない?」
「洞窟型の迷宮じゃ多数の迷宮生物が出ることは少ないからな、お前の役割と嚙み合っていないのは仕方がない。黒門までは出番は少ないだろうよ。」
「仕方ない、出番までしっかり休みますかね。」
昨日彼らが蠍に挟み撃ちにあったのは一体目の処理に時間がかかったから。それ以外にも要因はあったが結局のところ前方の敵を片付けるのに時間がかかれば挟み撃ちになるのは変わらない。そして、水晶蠍は複数で行動しない上に現れたものはチェシャが瞬殺する。後方から現れるのは専ら水晶蜂だけで、それらはアリスの領分。蠍に気を取られなければこちらはアリスが瞬殺する。弾の消費量はともかく、これ以上にないペースで洞窟の奥へ進んでいた。
「ボイド。」
「ああ。右に行ってくれ。」
そんな彼らが足を止めるときは分かれ道。ボイドが地図を見ながら目的により近づけるように選択し、四人がそれに従う。ボイドがもつ洞窟の地図はほかの迷宮に比べて随分と分かれ道が多い。理由は勿論この洞窟内に強引に道を作りながら進む大口の所為。しかし、大口が作った道は基本的に雑というか食べかけのような跡が壁に残っている。そういった跡がない奇麗な道はもとから存在する正規の道。判別の仕方は簡単で、強引に削られた水晶があるか否かだ。
「曲がらず直進。」
「右。…………左だ。」
ボイドの指示に従いながらハイペースで進んだ一行は開けた道に出た。空洞と言っても差し支えのない空間の奥には大きな黒い門が堂々と鎮座している。
「着いた。」
「あっさりだったね。ここの鍵は誰が守ってるのかな。」
「俺初めてなんだけど、門番みたいな感じ? 門も同じだし。」
「そうよ。こっからはあたしの出番。仕事しないと居心地悪いもの。」
「意気込むのはいいがいったん休憩だ。万全を期して行きたい。」
ボイドの指示で一時の休息をとった五人は改めて黒い門の前に立つ。洞窟に入ってから二時間と少し、大した時間もかからず交戦も少なかったため休憩も数分で終わっていた。
「開けていい?」
チェシャの声に反対はなかった。彼の手が門に触れて思い扉が地面と擦れながらゆっくりと開かれる。扉の先にはこれまでと同じく光を放つ水晶の壁で囲まれた強大な空洞。中央の天井からは黒い棒でステンドグラスの様に吊るされる直径3メートル程の黒い球体。それ以外にも特筆できるものはない。
「あれは?」
「後で、もうすぐ来るよ。」
チェシャが黒い球体について尋ねるが四人はそれに構わず臨戦態勢を取っている。自身の役割を把握しなおしたチェシャは考えを放棄して槍を構えた。五人の緊張の糸が張り巡らされる中、突如地面が揺れる。思わず地面に手を付いてしまう程の揺れに耐えながら近づいてくる切削音に五人が警戒を強めていく。
「来るぞっ! 散開しろ!」
ボイドの指示で五人が一斉にその場を飛びのく。一瞬遅れて彼らが立っていた地面から大口飛び出す。大口は茶色の長い巨体を晒しながら天井まで突き進み穴を穿って姿を消す。大口が作った穴は切削音が遠のくとどちらも中から生えてくる水晶が埋めてしまった。
大口の正体は余りにも巨大なミミズだった。作った穴が直径2メートル強。大口が天井に着くころには体の端が高さ20メートル弱の空洞の半分にいたという巨大さ。
巨大ミミズの姿と大きさに困惑しているうちにまた地面が揺れだした。
「アリス君、ソリッド! あいつが飛び出したところに攻撃を浴びせろ! チェシャ君も余裕があれば頼む!」
「あたしは!?」
「……間に合わんだろ?」
「また出ば──」
クオリアの声は地面から飛び出した巨大ミミズの爆砕音でかき消される。そして、二度同じ手は食わないとアリスが発砲、ソリッドは使い慣れた爆炎の印で火炎を浴びせる。
ギュイァァァアア!
巨大ミミズの体が痛みと熱で甲高く気持ち悪い悲鳴を上げる。あまりの奇怪な音に五人がそれぞれ顔を歪めた。チェシャも攻撃しようとしたが揺れる地面を蹴って飛び出すのに手こずってしまった。
巨大ミミズが姿を消し、穴が埋められる。数秒の沈黙の間が空いて再び聞こえ始める切削音。しかし、今度は方向がおかしい。下からではない。
「壁から来るぞ!」
巨大ミミズの狙いはソリッド。ソリッドから一番近い壁を突き破って飛び出した大口を彼は間一髪で避ける。すぐさまアリスの受けて巨大ミミズは再び奇怪な悲鳴を上げるも反対側の壁まで突き進むのではなく体を曲げて地中に逃げる。これによって心構えをしていたチェシャも反撃が出来なかった。
その上、一度目のアリスの発砲で負わせた傷とソリッドの炎による火傷が治っていたのだ。とっさの反撃であるため二人とも最大火力ではないものの悲鳴を上げている割には外傷の治りがかなり早いことにボイドが舌打ちをする。
数秒の間を置いた後に今度はアリスの近くの壁から巨大ミミズが飛び出して彼女に襲い掛かる。身体性能の高いアリスはこれを難なく回避しながら反撃。ギリギリまで近くにいた彼女は先ほどは狙えなかった頭部を狙って発砲。命中、悲鳴が響く。更にチェシャも追い打ちに加わる。ミスリルの槍が容易く巨大ミミズに穴をあけた。幅が大きすぎるため貫通はできないがこれも悲鳴を引き出させて半透明な液体も撒き散らせる。
「効いてる?」
「だめ、さっきの傷も治ってるわ。」
「……うーん。ボイド、何かない?」
「取り敢えずソリッドの魔法を当てたい。注意を引いてくれ。」
返事はない。チェシャが立つ地面から飛び出す巨大ミミズの攻撃を回避することに返事の時間は奪われた。しかし、方針は全員が理解する。天井へ突き抜ける巨大ミミズに反撃するのはアリスとチェシャのみ。ソリッドは魔法の準備にかかる。
チェシャとアリスが付けた傷は既に治っている。潜行している間に回復しているとしても彼らには地中に姿を消した巨大ミミズを追う手段はない。
「アリスっ次、攻撃しないで。」
次の攻撃は壁から。先ほどから反撃を続けるアリスを狙ったもの。攻撃を忘れて回避に集中できる彼女はこれも難なく回避。地面に逃げる巨大ミミズにチェシャが槍を突き刺し、動く巨体に並走しながら槍を捻らせ傷口を大きくしてから槍を引き抜く。悲鳴は二度鳴り、謎の液体もばらまかれた。
「ソリッド! 次、俺の方狙って!」
「──そういうことかっ! 任せな!」
巨大ミミズの攻撃対象は反撃したものに限られている。その証拠にクオリアとボイドは完全に蚊帳の外だ。それを利用してチェシャのみが反撃し、確率を上げるために彼は無理をしてなるべく大きな傷を負わせていた。
「爆発……」
沈黙。巨大ミミズの攻撃を待つ五人。そのうちの一人は詠唱を始めている。そして、切削音が聞こえ始めた。
「連鎖──」
ソリッドが手をチェシャに向ける。彼がどのように動くかなどソリッドの知るところではない。彼の役目は最適な攻撃を狙った敵に当てる。これだけだった。
切削音がチェシャに向かって近づいてくる。
……爆砕。地面を突き破って巨大ミミズがチェシャの足元を襲撃した。しかし、狙いのチェシャはその場を飛びのき、壁に向かって跳躍していた。そして壁を蹴って更に上へ。巨大ミミズに向かって壁を蹴った勢いも載せた薙ぎ払い。
「撃てっ!」
「射撃ぉぉぉぉ!」
ボイドの指示から一拍置いて、チェシャの薙ぎ払いが天井へ向かう巨大ミミズを叩いて天井まで逃げる勢いを奪ったのと同時にソリッドの手から巨大ミミズに向けられた爆発が解き放たれた。極光が辺りを照らし、五人の視界を奪う。視界が晴れぬなか天井から何かが崩れ落ちる崩落音が鳴り響いた。
「うぇぇ、べっちゃべちゃじゃねーかよぉぉ……。」
「くっさ……。」
「いやぁぁ……。」
開口一番、ソリッドの嫌そうな声。彼の近くには瓦礫の山の下敷きになった巨大ミミズの死体と爆発で千切られた体からはじけ飛んだ液体が撒き散らされていて、上の方で撒き散らされた液体は死体から広範囲に降り注いでいた。
粘性と腐臭を伴う液体の被害を被ったのは戦闘に大きく関わった少年少女組の三人。三者三様外傷は無しで無事なはずなのに悲喜こもごもで、クオリアとボイドはまともに参加していなかった罪悪感で申し訳なさそうにしながら三人の対処に向かう。
五人が改めて勝利の余韻を感じることが出来るのには数十分の時を要した。