朱と蒼の境
ピリピリと張りつめた空気が四人の探索者達に漂っている。迷宮において気を張るということは間違いではないのだが、彼らの間にあるそれは過度なものだった。
枝葉や花弁が水晶と化した森というお目にかかることのない幻想的な場所を歩くには不似合いで、まき散らされている血しぶきと赤黒い槍がそこかしかに刺さっている場所を歩くには似合った雰囲気。
そして、後者の惨劇は四人が歩みを進めるほどに増していた。
酷さを増す惨劇に眉を顰めることはあっても誰一人会話をすることなく四人は開けた場所にたどり着く。何かが暴れまわったのか地面には大なり小なりの凹凸が出来ていた。
「──ここがチェシャ君と別れた場所だ」
しばらく声を出していなかったせいで、地図を見ながら言ったボイドの言葉の出始めが小さくなっていた。声を出したせいか張りつめた空気が少し和らぐ。
「……っ! チェシャぁー! どこぉー!?」
堪えきれないように隊列から飛び出したアリスが見渡しのいい広場の中央に早足で向かいながらチェシャの姿を探す。元は魔力でしかない迷宮生物は絶命すると姿を消す。けれども人間の死体が外的要因なしにすぐ消えることはない。
「アリス君、急に飛び出すのは危険だっ!」
「落ち着けっていうほうが難しいわ、追いましょ」
ボイド達三人もあわてて彼女の後を追う。同時に広場を見渡してチェシャの姿を探すが、彼の姿は見つからない。炎に焼き尽くされて広くなったとはいえど、障害物のない場所で何かを探すのは造作もない。見つからないことと等式で結ばれる結末を予想したアリスの顔はどんどん曇っていく。
「チェ──?」
そして、何かが破裂したかなのように血しぶき、もはや血溜まりとかしている場所で人が抱えられるくらいの岩を見つける。駆け寄ったアリスが真っ赤に染まった彼女の手には余るそれを拾い上げた。
「……それは?」
「分からない。落ちてた」
「見せてくれ」
追いかけてきたボイドがアリスから血にまみれたの岩を受け取る。乾いていても不快感のある血のべっとりとした感触に眉をひそめつつ、叩いたり振ったりするが、ものの数秒でその作業は終了した。
「多分……魔石だ。あの蛙のもの、だろうな」
「どうして分かるの?」
「神の悪意と呼ばれるものは倒されると魔力には還らず、魔石を残す。純度も高いし、サイズも大きいから高値で売れる。故に専門で神の悪意を倒す探索者もいるという話を聞いた」
「高値ってどのくらい? 別に魔石ってこの辺りじゃ取れないけど、日用品に使ってる摘まめるくらいのサイズならいくらでもあるじゃない」
「さあ? 具体的には知らんが、一年で一つもあれば家族を全員養えるくらいはあるだろう」
「へぇ~」
至極どうでも良さそうなクオリアは雑な相槌を打つ。具体的な金額を示されていないので目の前の高純度魔石の価値が分からなかったからだ。実際には騎士などの高い身分に位置する者の給金一年分に匹敵している。
「なあ。これ、見てくれよ」
「何か見つけたの?」
アリスに胸ぐらを掴まれてから一度も言葉を発しなかったソリッドが血溜まりのそばで屈みこみ、地面の一点を指で示していた。そこには空色の土を削って何かを突き刺した、あるいは押し付けたような丸い跡。その跡は森の奥へと続いていた。残っている跡は間隔が近かったり遠かったりと不自然に離れている。
「槍を杖みたいにして歩いたら……こうなるよな?」
「──でも、どうして入口じゃなくて奥に行ってるの……?」
「それは知らねえけど……」
返答に困ったソリッドはボイドに視線で助けを乞う。ボイドはしばらく腕を組んで跡をじっと見つめて後に、鞄から布巾を取り出して血にまみれた場所を拭い取った。すると、同じ丸い跡が現れ、不自然に開いていた間隔がほとんど同じになった。
「血で隠れてたのね」
「……それよりも一人でこの大軍を蹴散らしたことが全くもって──とにかくこの後を追うぞ、十分に可能性がある」
アリスとソリッドは頷き、四人は森の奥へと足を進める。いままで目にしていたのは凄惨な光景だったが、次第にそれらも四人の視界から減り始める。しかし、彼らが進む道はソリッドが焼き払ったもの、今度は今度で枝葉の先が炭化して朽ち果てているものや、茎の真ん中から上がすべて消えているものとあまり気持ちの良い光景ではなかった。
それでも、見えてきた希望の芽に四人の張りつめていた空気は徐々に回復していた。
「曲がってる……隠れたのかしら?」
「いいや、多分ここで──うむ、やはりここで眠ったのだろう」
四人が追う丸い跡は途中で道外れの木に向かって寄り道をしていた。寄り道をする際の丸い跡は随分とふらついていたが、木の根元にまで及んでいた。木の根元では食べかすのようなものが落ちていて、今は周りには虫が集まってそれに群れている。そして、跡はまた大きな一本道に戻って奥へと進んでいた。
一本道に戻った跡はふらつきが見えなくなり、深さもなく屈みこんで注視しないと見えない浅さになっていた。
「最低限の休息はとれたようだが……、それでもボロボロか」
「早く追わないとね」
四人いても会話を行うのはクオリアとボイドだけだった。残る二人、ソリッドとアリスは会話もなく周囲の警戒と前の二人が見つけたものを観察するのみ。そんな二人にボイドは隠れてため息を付くも、言葉に出すことはなかった。
「そうだな。このまま行けば森の中央に出る」
強引に作り上げられた一本道も終わりが見えてきた。ソリッドが放った炎は誰かによってかき消されていた。それが蛙王かどうかはさておき、炎が焼き払った形跡がのこる場所と本来の蒼の森の境が現れる。そして、境を進んだ先には四人の、いや第二試練にたどり着いた探索者なら一度は目にしている大きな黒い扉。それは門番がその先にいること示すもの。
「──ッ!」
なぜここにあるのかという疑問を浮かべるはずだった四人は黒い扉を背を預けて死んだようにぐったりと眠りにつくボロボロな少年の姿を見つけた。彼の姿を見つけるや否や隊列の最後尾にいたアリスが弾けるように飛び出して先頭のクオリアを抜いて彼に駆け寄る。
アリスに置いて行かれた三人も慌てて少年の元へ駆け寄る。少年、もといチェシャの姿は遠めに見ても分かるほどボロボロで、具体的には彼の身に着けていた皮鎧は少年の体から離れていて、上半身を守るのは穴だらけの血に染まった鎧下のみ。レギンスも同様でさらに言えば土にまみれている。穴だらけの防具で肌がさらされている部位はどこも大なり小なりの傷跡が残っていた。
血にまみれたことで鉄臭いにおいも充満していたが、それに構わずアリスは彼の手首で脈拍があることを確認すると感極まったように抱き着いた。
「──良かったっ……」
彼の負担にならぬよう丁寧に体重をかけることなく抱き着いた彼女は服についた血や土に構うことなく自身の鞄から水筒を取り出し彼の傷口を洗い流し始める。
「私が処置をする。アリス君はそのまま傷口を洗い流してほしい。水筒が切れたらこっちのを使ってくれ」
「分かった」
「ボイド、クオリア。警戒は頼む」
「……」
「任せて」
指示を飛ばしてボイドは救急箱を取り出して洗い流した傷口の応急処置を始めた。
相変わらずソリッドは黙ったままで、クオリアは苦笑しながら大盾を揺らした。警戒といっても二人から数歩離れたところで邪魔にならぬようにするだけ。数歩離れると無言かつ真顔で何を考えているか分からないソリッドの肩をクオリアが軽くたたく。
「全く……。どうしたの? らしくないじゃない」
「……らしくしてちゃだめだろ」
掠れ声かと思うほど小声だったがソリッドは返事を返した。そして、自身の手のひらを開いては閉じを繰り返しながらその様を見つめる。
「まっ、あたしからは何も言わないわ。結果的に……まだ分からないけど、チェシャくんは生きていた。とりあえず最悪の事態は免れたんだからね」
「免れてなかったらどうなってたんだ?」
「さあね。けど、アリスちゃんが何かするんじゃない? ボイドが言っていた通り、依存、してそうね……」
「依存?」
肩をすくめるクオリアにソリッドは尋ねる。ボイドはこの手の話題をソリッドには話さない為、彼には初耳だった。
「そ。あの子かなりチェシャ君に救われてるからね。少なくとも今までのターニングポイントでチェシャくんはアリスちゃんと深く関わってる。ボイドが言うにはチェシャくんもそうらしいから問題はないと思うけどね」
「二人がその、依存? が同じならいいこと、なのか?」
「同じっていうか共依存かしらね。良いことかは分からないわ。チェシャくんが崩れなければ他がどうなってもアリスちゃんは崩れない。逆も然り。んー、まあそんな感じ」
「よくわかんねーや」
「分からなくていいと思うわよ」
「終わったぞ! いったん撤収だ。このまま病院に向かう」
「はいはーい! じゃ、貴方なりの答え考えときなさいよ?」
「ん……分かった」
クオリアがチェシャを背負って四人、もとい五人は一度帰路に就くのだった。




