黒騎士乱舞
時は少し遡り数分前。
「チェシャ! しっかりっ!!」
傷だらけのまま動かないチェシャにアリスが呼びかける。彼の防具は機動力を重視した革製品。剣魚の攻撃を急所以外に貰ったとしても無視できない出血量。そのためチェシャの意識は多量の出血で朦朧としていた。
けれどこのまま止まってはいられない。ソリッドは増幅器を二度使っているし、ボイドも戦闘不能。クオリアが庇うとしても二人は厳しい。
チェシャは斧槍を突き立て体を支えながらよろよろと立ち上がる。その姿は血濡れでボロボロの防具も相まって痛々しかった。
「無理しないで……。」
アリスが肩を貸してチェシャを支える。二人の顔が近づいたとき、アリスの耳に囁きのようなか弱い声が届いた。
「さきに、いけ。」
「何馬鹿言ってるの!? そんなことしたら──っ!」
「なんとか、する。肩……。もうすこしかりるよ。」
アリスの体にかかる重みが増えた。思わずよろついたアリスの横から彼女の久しく聞いていない懐かしい言語で詩がか細く響き始める。
「我が呪いよぉ……我を蝕め……」
「えっ?」
魔法に使う祝詞でもない、それでいて、普段彼が使う言語でもない。アリスの時代で使われていた古代言語のもの。
「は、てが人なれど……我はっ……。」
朦朧とする意識の中、途切れ途切れの詩を紡ぐチェシャ。彼の詩はソリッドが放った爆炎とそれが作り上げた悲鳴や燃え盛る音で遮られてアリスの耳にしか届かない。
「……。」
アリスは無言で彼の体を支える手の力を強める。
「力を望むっ!」
「あ? えっ!?」
突如チェシャの体の皮膚が黒く変色する。それだけではなく、防具が次々と弾かれて下着姿に。突然のことにアリスは思わずチェシャから体を離しかける。
「機能変化──黒騎士」
今度は魔法と同じ言語。彼の変化はさらに続く。黒い皮膚から生えた黒い異形が下着ごと体全体を覆いつくし、異形の鎧を作り上げる。鎧は生きているかのようにグニャグニャと蠢き、すらりとした流線的なフォルムに落ち着いた。
黒騎士と化したチェシャはアリスの体から離れて独力で立てるようになったが、何故か彼女の手を握っていた。暗闇の中で握る光源のような、手放せないものを持っているようだった。
「どうしたの?」
アリス自身からは抜けられないほどの強さで握られている。表情の見えないチェシャの顔をじっと見つめて尋ねるアリス。
「……。」
無言で手を握る力が増したが時間の余裕はない。ソリッドたちはすでにこの場を離脱していた。チェシャの顔を見つめるアリスの表情が曇ってきたころ。パッと、あっけなく手が離された。
「ちぇ、チェシャ!?」
「助かった、もう大丈夫。先に行ってて、ちょっと王様しばいてくる。」
全身が鎧に包まれているせいでチェシャの声はくぐもっていた。
「ダメよ!」
炎で焼かれたとはいえまだまだ迷宮生物の影が見える広場に突っ込もうとするチェシャの手をアリスは引き止める。
「死んじゃうよ!?」
「仮にそうだとしても、あいつを止めないとソリッドたちがやられる。三人と一人。比べるまでもないじゃん。」
「だけどっ……。」
アリスの天秤はそれでも釣り合っていた。もしくは少し、傾いていた。
「だいじょーぶだって。多分生きるのは何とかなる。と、思う。また助けに来てくれると助かるな。じゃ、また後で。」
早口でアリスを言いくるめるように話を終えたチェシャがアリスの手から抜けて、戦場へと戻っていった。
「……いかなきゃ。」
ここで、立ち往生していては彼の働きが無駄になる。片方をあきらめるのならせめてもう片方はとアリスは地を蹴って、何かを振り切るように走り出した。
*
「いるなー。」
燃え盛る蒼い森の中を駆けるチェシャの目が蛙王の姿をとらえる。その周りには剣魚や忍者カエルがたむろしていて、時折蛙王が鳴き声を上げると何匹かの迷宮生物が何かを目指すように迷いなく動き出していた。
「やっぱり、何かしてるよなぁ。」
元々、罪人をとがめるために現れた存在。ただで返してくれるはずがないのは自明の理。
先ほどまでボロボロだったはずのチェシャはいつも以上の勢いで地面を爆砕させて蛙王へと迫った。
「らあああああぁぁぁ。」
「ゲコココッ!?」
──ギイィィイン!
雄たけびを上げ、渾身の勢いで斧槍を蛙王に叩きつける。焦りのような声を上げた蛙王だったが斧槍は目の前で何かに遮られる。同じような結果。しかし、遮られた何かと斧槍が一瞬拮抗していた。
「へへっ、無敵じゃないんだ。」
不敵に笑ったチェシャが今度は斧槍を投擲。人間が投げたとは思えない速度で飛来する斧槍は敵地に飛び込んできた侵入者を討ち取らんと襲い掛かる迷宮生物達の一角を削り取った。
「おつぎはー──ほいっ!」
腕を水平まで上げて両手を左右に。目いっぱい開かれた両手から黒槍が仕込み刀のごとく打ち出されて伸びる。彼の手から槍が槍が生える光景は第四試練で出会った黒騎士と酷似していた。
伸びた槍は先陣を切る剣魚たちをまとめて串刺しに。生やした槍は手から離れてごとりと落ち、斧槍の代わりに右足から真上にはやした黒槍を掴み取る。
「こりゃ便利。」
再び槍を握った彼は戦場を舞うように駆け巡り、迷宮生物を蹂躙する。機動力が売りなカエル忍者は固まっていては本来の能力を出し切れないし、死角があるとしても剣魚の突撃が直線状である以上通れる道は多くない。
片っ端から近くの敵を黒槍で貫き、薙ぎ払い、蹴散らしていく。だが、迷宮生物達も本来の力が出せずとも数の力はいくらでもある。やられるわけではないと、とにかく動き回るチェシャの体を止めようと舌の鞭でからめとろうとするカエル忍者が現れだした。
「あははっ。」
嘲笑の笑みを浮かべ、足へと伸ばされた舌を槍を生やして迎撃。舌に穴を作られた忍者カエルは激痛でその場をのたうち回った。直接飛びついてくる輩は持っている槍を使うか体から槍を生やすかで串刺しに。酸弾は黒鎧に完全に阻まれるだけで、誤射によって同士討ちが起きるのみ。黒鎧に突き刺さる剣魚も内部のチェシャにまでダメージは届かず、身動きの取れないまま鎧から生える槍で串刺しの道をたどった。迎撃を重視した一撃は即死には至らないが痛みでもだえ苦しませて行動不能にさせる迷宮生物を量産していく。
蛙王の木偶のようにチェシャへと襲い掛かる迷宮生物達も仲間の無残な姿を見てたじろぐ者も現れる。
「ゲコオオォォォ!」
逃げ腰になった迷宮生物を叱咤するように蛙王が怒号を上げる。びりびりとした衝撃が空気を伝い、迷宮生物の群れに囲まれるチェシャを揺らす。
「まだまだ、か。」
再び黒騎士は戦場を駆け巡る。反応できなかったカエル忍者の頭に槍を突き刺し、両肘から槍を生やして交差させた腕で二つとも握る。片手では突きの動作は弱くなるので、必然的に鈍器のように振り回して攻撃しだした。
素人のような雑な攻撃も人間から遥かに逸脱した身体能力をもってすれば破壊力は十分。剣魚もカエル忍者も重さが売りではない。破壊力の嵐に巻き込まれると紙のように吹き飛ばされていく。
上に襲えと命令されてもこれでは近づけないとまたチェシャの包囲網が緩む。
「そこは安置じゃないんだよ。」
攻撃範囲に敵がいなくなったのでチェシャは返り血で赤くなった槍を投擲。一匹では勢いが止まりきらず数匹を巻き添えに。近寄ってこないならと体から槍を生やしては投擲を繰り返す。
及び腰になっても逃げることはできないのか、チェシャに近づくことも離れることもせずに一方的に迷宮生物体は蹂躙される。せめてもの抵抗と遠距離手段をもつカエル忍者たちが酸弾を飛ばすが物理的な衝撃の威力ではなく溶かすことに重きをおいた攻撃ではチェシャを止めることはできない。
「……。」
しかし、チェシャの動きが精彩を欠き始めた。投擲する槍の軌道が次第にあやふやになっている。数えるのが億劫になるほどいる状態では狙いも何もあったものではないが、蹂躙されて二桁にまで数を減らした迷宮生物達は見当違いの方向に槍を投げる彼の状態に気付き始めてしまう。
「ちっ──。」
チェシャ自身も重々承知している事実に舌を打ち、投擲をやめて接近戦に打って出る。
圧倒的な運動能力は健在。しかし、対応速度が目に見えてわかるほどに落ちていた。突撃してくる目の前の剣魚を一閃して、背後のものも串刺しにしても、三匹目、四匹目、五匹目と黒鎧に突き刺さる。さっきは即座に槍を生やして串刺しの死体を増やしていたのに、槍を生やす速度が落ちていた。
三匹中二匹を引きはがし、残りの一体を倒す前にカエル忍者の鞭が飛来する。力の差を見せつけるように槍を使わず腕で弾き飛ばすも、弾くだけでは敵の数は減らない。新たな剣魚が次々とチェシャに飛来して突き刺さる。内部にダメージが通ることはなくとも荷物にはなる。鈍っていた彼の動きがさらに鈍り始めた。
「──っ。」
もう彼には表情を変える余裕はない。無言で、必死にもがくように槍を振るう。一瞬の隙間を利用して、手に届く範囲の刺さった剣魚をつかんでは上顎ごと引きちぎることで数を少しでも減らす。
「ああああああぁぁ!」
言葉にならない雄たけびを上げて残る力を振り絞る。ハリネズミのごとく全身から槍を生やして、鎧に残っていた剣魚をまとめて魔力の霧に還し、生やした槍をすべて射出する。猛スピードで発射された槍は突撃の機会をうかがう剣魚をほとんど一掃した。迷宮生物は数を減らした動くスペースができたことによってカエル忍者には一つも命中しないが、残りは両の手で数えられるほどだった。
チェシャも足がふらつき始めて、鎧も頭が露出している。さらけ出された顔の血走った目が依然として黒騎士の威厳を保っていた。
疾駆。
逃げることも許さず一匹目を貫き、まだ魔力の霧に帰っていないカエル忍者の刺さった槍を二匹目に叩きつけてひき肉に。もう槍を生み出すことはできないらしく。無手のまま三匹目に接近。下がろうと地面をけった足を掴み、地に落として殴打。四匹目も同様に。
返り血に染まった赤黒い腕を振りかぶって五匹目を吹き飛ばし、回し蹴りで六匹目の酸弾をはじく。酸弾に合わせて舌を伸ばした七匹目のそれを掴み、引き寄せ、頭蓋を砕く。舌が伸びきったまま倒れた忍者カエルを利用して酸弾を飛ばしてきた六匹目に向けてスイング。
一挙で行われたとは思えないほどの速度で振り回されたそれを受けて、最後の忍者カエルも倒れこむ。
この場にいた迷宮生物達を一匹残して殲滅した黒騎士は血走った目を残る一匹に向ける。
裸の王様は悠然と佇むのみだった。
ザッザッと黒騎士は蒼い土を蹴って裸の王様のもとへ。
「……。」
「……。」
両者はただ見つめあった。そこに交わされた意思は当人たちにしか、当人たちも分かっているかは怪しかったが毅然とした態度で見つめあった。
チェシャはゆっくりと拳を引き絞る。裸の王様は目を閉じた。蒼い森に吹く清涼な風──数多の血で生臭いくなったそれ──が二人を冷やし、拳は何の前触れもなく解き放たれた。
びしゃりと、巨大な体躯に風穴を開けたせいで飛び散った返り血を浴びた黒騎士は静かに倒れた。