清流を下る
無事に謎に進まれた水晶の花と付随する蔓たちを退けた四人は船で待っているボイドの元へと戻ってきた。そして、アリスとクオリアの話をボイドは相槌を打ちながら黙って聞いた。言葉は発しなかったが後半に至っては額に青筋が浮かんでいた。
「……」
「──というわけなのだけれど。とにかく……ごめんなさい」
「次からは気を付けますっ!」
苦笑いで話を締めくくったクオリアは目の前の白衣の男がキレていることを察していた。アリスはそんなクオリアの反応からボイドの雰囲気を察し、深く頭を下げる。
「……まあ、無事だったのならいいとしよう」
その言葉にホッとして肩の力を抜く二人に釘をさすかの如く鋭い口調が彼の口から飛び出る。
「だが、次はやめてくれよ? 特にクオリアはな」
アリスはボイドから見ればあくまで仕事相手だ。グングニルという古代技術の宝庫といえる場所への案内人であり、彼女の護衛はボイドの仕事でもある。
けれど、クオリアはボイドから雇われている身分。ボイドが直接的な戦力になりにくい分、一般人よりも高い給料を貰って”働いている”のだ。
仕事仲間として信頼もあるが、真面目なボイドはそこで一線を引く。
「……ええ、肝に銘じるわ」
「うん」
釘を刺された二人は深い頷きを返す。彼らを見たボイドがアリスの雰囲気の変化に気づき、目を細めるが言及はしなかった。
「では、チェシャ君、ソリッド。船を出すのを手伝ってくれ」
「ん」
「あいよっ。……増幅っ」
船首が水に触れている船をチェシャと魔法をかけたソリッドが後ろから押して着水させる。その間にボイドが係船柱に括りつけたロープと船を結び、そのまま川の流れにしたっがて進みそうになる船を留める。
「チェシャ君、乗り込みやすいように引っ張ってくれ」
「分かった」
「もう乗っていいかっ!?」
目を輝かせるソリッドにボイドは苦笑交じりに頷いた。その頷きを見るや否や満面の笑みでソリッドが飛び出していく。
「いっちばーん!」
「あたしも……ねえボイド? これ重さで沈んだりしない?」
「このサイズがたかが五人で沈むか? 観光用に使われる類のものだぞ。それに、荷物は減らしてきた」
ソリッドが船に飛び乗り、それに続こうと一歩踏み出したクオリアが突然立ち止まって尋ねると、ボイドがクオリアに背を向けて彼が背負っているバックパックを見せつける。
いつもパンパンに詰まっているはずのその鞄は上半分に余裕があるため空いた空間に生地がへこんでいる。
それでも元々の容量が探索者がよく所持する一般的なサイズ──傷薬等、携帯食料、武器の手入れ道具などを入れられるもの──よりも大きいのだが。
「まあ、そうよね。ここで沈んでもまだ間に合うか。……よいせっと」
意を決したクオリアが浅い水辺から船に乗り込む。ソリッドのように飛び込んだわけではないのでグリーブが濡れて、船内へ水を垂らした。
「っと」
「……っよし。チェシャ君、ロープを外して乗ってきてくれ」
クオリアに続いたのはアリス。その次にボイドが船に乗り込んだ。陸地から辺までの距離は大体二歩分。
全身鎧のクオリア以外なら簡単に飛び移れる。最後にチェシャが係船柱からロープを外し、その係船柱を踏み台にして鮮やかに船へと飛び移った。
「はい、ロープ」
「ああ、ありがとう。あと、すまないがそこにある櫓で、壁にぶつからないように操縦を頼む」
チェシャから受け取ったロープを降ろしたバックパックに詰めて代わりに地図を描くための紙と羽ペンを取り出した。
ロープは万が一にも船から離れてはいけないためとても太い。故にボイドのバックパックの容量を奪って結局一杯になった。
「りょーかい」
チェシャは船尾側に転がされている櫓を拾い上げて、船尾に取り付けて浮かないように固定してから試しに軽く漕いでみる。
思ったよりも大きな水圧だったのか一瞬手が持っていかれるが、すぐに引き戻す。
次に、何度か櫓の翼面の角度を船の進行方向に対して垂直に、平行に、斜めにといろいろと試しながら感覚を確かめていく。
船は川の流れに従って進むので、彼が取り急ぎ覚えるのは進行方向の操縦。
櫓を右に傾けて翼面で水流を受け止めれば、船は右に曲がる。逆も然り。
「なんか……いいなっ!」
試練にいる以上、まったりとは出来なくてもゆっくりと、ゆらゆらと進む船に乗っていることにソリッドは興奮する。
アリスも無言で心地よさそうに目を細めていた。クオリアは一度失態を犯した手前、下手なことは出来ないために体を休めながら油断なく周囲を見渡していた。
まだチェシャの操縦が不慣れなので不安定な船の動きさえも少年少女の二人は楽しんでいる。
ゆるりと船は川を下る。時折現れる分かれ道はボイドの指示でチェシャが右へ左へと船を進める。
川を下るほど、川幅は徐々に広くなっていく。河原のように岩が突き出ていることもないので、遊覧船といっても過言ではなかった。
視界の両脇に映る島々は船を下した島と同じで水晶が生えていて、花や草木も花弁や葉っぱが水晶に、それらを支える茎や枝は外で見る本来の緑のものと分かれていた。
「小迷宮らしきものがあれば教えてくれ!」
船尾側に座って地図を埋めるボイドが前に向けて叫ぶ。チェシャは船を漕ぐことに意識を割いているのでそちらを優先し、残りの三人が周囲の島々を注意深く観察し始める。
小迷宮は大迷宮よりも存在感がないことが多い。分かりやすかったのは第二試練の荒野ぐらいだ。その荒野に至っては空を飛んでいたし、第一試練、第四試練の樹海のような遮蔽物もないのが理由だ。
「もうちょい目印みたいなのがあれば探すのが楽なのにさ~」
ソリッドは周囲を見回して怪しい場所を見つけれず、船べりに体を預けて頭を垂らしながら愚痴をこぼす。アリスも同意の声は上げないが、やる気をあまり感じなかった。
「そんなものがあれば、今神の試練を攻略する探索者は第三試練で止まっていないだろうよ」
「そりゃそうなんだけどさー」
「さぼるほど暇でもないが時間には追われていないのだから、気を抜くんじゃない」
「へーい。……なあアリスー?」
ソリッドは渋々体を起こし、見た目では周りを観察しているふりをををしながらボイドに聞こえぬ声量でアリスに話しかける。
「……?」
ソリッドが小声で話しかけてきたことに首をかかしげるアリス。ソリッドはそれに構わず話を進める。
「神の試練ってどこまであるんだ?」
「それは……知らないけど、第七試練まではあると思う」
「知らないのにそれはわかるのか?」
穴あきの知識、アリスには何故第七試練まであるかいえる理由を説明できなかった。そのことに彼女の顔が一瞬歪んでも、あくまで小迷宮を探すふりをしているソリッドは気付かない。
「……そんな気がするから」
アリスは尻すぼみな返事をする。小声の会話だあったためソリッドは気に留めなかった。
「へえ。オレこれで最後だと思ってたんだけどなぁ」
「どうして?」
「え、だってよ。スカーサハが三つのロックを解除しろとか言ってただろ? じゃあ、第五試練が終われば全部のロックが終わると思ったからさ」
「……そう、だね」
アリスは説得力のあるソリッドの言い分に素直に頷いた。そして、思考の海に落ちる。
──じゃあ、ロックを解除すればどうなるの? 残りの二つは何のため? ロックって具体的には何を守っているの? あぁわかんない。……そういえば、わたしの中にあるのは“送”受信するためだって……。
アリスの頭の中で様々な考えが浮かんでは消えるのを繰り返す。そして、あることに気付いた。
『ねえ、聞こえてるんじゃないの? スカーサハ。……マスター命令よ』
彼女が以前に念話を可能とする装置に入った時の要領──何故か知っていた方法──でスカーサハと通信を試みる。けれど、返事は沈黙。ただの勘違いかとアリスが諦めかけたその瞬間に。
『──ご用件は何でしょうか?』
返事が返ってきた。