蜂
「ねぇ~えぇぇ! 前もこんな感じじゃなかったぁぁ!?」
叫んだのは鎧をガシャガシャと鳴らして全力で走るクオリア。その後ろには機械仕掛けの蜂の群れ。
機械仕掛けの羽が高音をかき鳴らし、それらの集合体が超音波の様な耳につんと響く嫌な音と共にクオリアを追いかけていた。
追いついた蜂はクオリアに攻撃するも、幸い彼女の鎧を貫通する程の針を持ってはいない為最悪な事態には陥ってはいない。
ひた走る彼女以外の四人は先を行き、遠距離手段を持つアリスとソリッドが蜂の数を減らそうと試みるが増える数のほうが多い。
グングニル第五層、そこは天井の所々に機械仕掛けの蜂の巣が散見された。
刺激すれば良くない事は分かりきっていたため、五人は細心の注意を払っていたのだが不意に現れた巡回の蜂にばったりと鉢合わせ、警報音を鳴らされた結果が現在の状況だった。
ソリッドの炎は確かに蜂の群れに通る事は通るのだが、しっかりと当て続けないと効果は低い。せっかく用意した増幅器もそんなことをしている時間がないので腐ってしまっている。
アリスの銃弾も走りながら撃つとなれば流石に弱点への命中率は下がる。
「目的地まではそう遠くは無い! とにかく走れっ!」
「いやぁぁぁぁ!」
ボイドの声にクオリアが上げた嘆きの悲鳴がこだまする。それでも息も切らさず、ペースを落とさないのは流石というべきか。
「次の十字路を右、その後の突き当たりで左だっ!」
「──ん」
先頭を走るチェシャが出会った巡回の蜂に斧槍を閃かせて穿ち、切り裂き、死体を転がしながらボイドの指示に従って進み続ける。
蜂達に挟み撃ちの思考はないようで、巡回や天井の至る所にある巣の蜂達が、クオリアを追う蜂の群れに合流するのみ。
もちろん前から現れる巡回の蜂に何かされれば話は別だが、精神を研ぎ澄ましているチェシャの前では機械の体でも脆かった。
チェシャが突き当たりを左に曲がると、突き当たりに厳重そうなドアが現れる。横には緑と赤のランプが付いていて、赤の方が点灯していた。その意味を理解したボイドが叫ぶ。
「突き破れるかっ!?」
「無理っ! ソリッド! 時間稼ぐから頼んだっ!」
分厚いドアを見てチェシャは瞬時に諦め、瞬間火力の高いソリッドを呼ぶ。
「おうよ、任せなっ! スゥーっ、はぁ〜。駆動、開始っ!」
ソリッドが腕輪を取り出して右腕に通す。次に深呼吸をして、精神を集中させる。すると、陽炎のような魔力の揺らめきが彼の周りに発生しはじめた。
「クオリア、盾だ! 道を塞げ!」
「なるほどっ──ねっ!」
クオリアが盾を地面に打ち付けると共に、アイリスの花弁のような紫の盾が花開く。開いた紫の盾は道を全て防ぐには足りないが、通路の四隅に隙間が出来る程度。蜂達が渋滞することで、押し寄せるスピードも落ちる。
通り抜けてきた蜂達は数も少ない。角ごとに十数匹程度。これが少ないと言えるかどうか、対峙する5人、正確にはソリッドを除く4人の腕によるが──。
「っ!」
チェシャが斧槍を突き出して、薙ぐ。その度に、地面に落ちる蜂の数が増える。時折繰り出す大振りの薙ぎ払いがごっそりと蜂の塊を削り落としていく。
一挙一動で確実に、自身の攻撃範囲に入った蜂を切り裂き、貫く。手間があけば、腰に差しているナイフを投げる。一人で片側の角二つを押し留めていた。
「ごめん、リロードっ!」
「了解だ」
一気に発射された六発の弾が盾を抜け出した蜂の群れを殲滅する。もちろん、蜂は直ぐに補充されるが、弾倉は空。その間を埋めるのは火球。
四連火球の印、四つの円を組み合わせたそれが、蜂達を撃ち落とす。発射し終えたら、直ぐ様次の印を描き上げる。
魔術を高速で行使するのは見た目以上に難しい。魔術印に込める魔力はなるべく均一でないと発動しない可能性もあるからだ。魔力を均一に、正確に描けるならば、片手でさっと描き上げる事はできる。
故に、理論上は両の手を使えば一度に二度の魔術を行使出来るが、両手で違うことを並行させることの難しさに加えて精度を落とせないのだから、それが出来るのは天才に限られる。
そして、ボイドは天才ではない。
だが、秀才ではある。
魔力量に秀でているわけでもないが、辛うじて魔法が使える程の魔法と魔術への深い理解と几帳面な性格による魔術精度が、彼の連続した魔術を可能にさせていた。
アリスの弾幕にも劣らない、威力はともかく数で言えば上回ってさえもいた。
「これ……割としんどいわよ?」
「すまねぇクオリア! もうちょいだ!」
額に汗を滲ませながら、まるで雪崩の様な蜂達を押し留めるクオリア。
ただ押し留めるのではなく、一度、ラインを下げて押し返すことで、大軍の勢いを一瞬止めたりと機転を利かせている。様子を見る限りまだ余裕があるようだ。
そして、ソリッドの周りにある魔力の揺らめきは陽炎が如く視界が滲むほどに集まっていた。
腕輪の繋ぎ目らしき線には光が灯っており、時間が経つたびソリッドが何かに耐える様に目を強く目を閉じて光量が増していた。
腕輪からはち切れんばかりに光が輝きだした瞬間、目がカッと開いたソリッドが二重円を描く。
「らあぁぁぁっ!」
すると、腕輪が大きな円環になり、腕輪の繋ぎ目から輪っかが分離し、二つに分かれる。
ソリッドの描いた二重円──爆炎の魔術印が吐き出した炎が、円環を通ると炎が膨れ上がる。
二つ目の円環を通り抜ける頃には形容し難い業火と化し、魔術としての域を越えたのか収束していた炎が扇状に広がり、ドアとその周りの壁を炎が瞬く間に溶かして、貫通する。
「あっつい!」
「肌の露出をなくせっ!」
魔術の炎は周囲に熱風をばら撒き、発射方向とは逆にいる筈の五人を焦がす。
ボイドの指示に、四人は外套を被って顔を隠す。元々迷宮を探索する為の装備である為、顔以外で露出している場所は基本的に存在しないからだ。
クオリアの花弁の盾が消え失せ、熱風が蜂の群れにも襲いかかる。
熱量としては蜂を焼く事はできないが、羽を狂わせる程に強烈なため、次々と墜落し、無事な蜂も墜落、もしくは飛ばされた蜂と衝突して巻き込まれていく。
その繰り返しが連鎖して波のように蜂達を侵食する。熱風が収まり、五人が外套から顔を出すと蜂達は殆ど地面に落とされていた。
羽は破損してもまだ機能はしているせいで足だけが蠢き、気色悪い光景が出来上がっていた。
「すごいね……」
辛うじて生き延びた蜂もチェシャが斧槍を振るい、沈黙させる。数が減ってしまえば彼の前では目の前の光景に呆れながら対処される程度の存在でしかなかった。
「魔力の消費はどうだ?」
ボイドがソリッドに尋ねる。残りの蜂の対処はチェシャ、アリス、クオリアの三人で十分に追いついていた。
「結構持ってかれる。何度もは無理だぜこれ」
「何度も使える時点で大概なんだぞ?……他に何か思うところは?」
「うーん。何もねぇかな」
「そうか……よし」
最初はボイドが試すつもりだったが彼の魔力量では円環を起動させる事は出来なかった。
故に実際に使用したデータも多くはない。全力で使用した貴重なデータを取るため、ボイドはメモ帳にペンを走らせていた。
「それよりよ」
「なんだ?」
「あれ」
ソリッドは燃やした扉の先に墜落している大きな蜂、さながら機械仕掛けの女王蜂とでも言うべきそれを指差した。その体躯は所々を溶かされ、観るも無惨な姿に成っていた。
「あれが固定防衛機関だとするなら嬉しい誤算と思っていればいいだろう」
そう言ってから少し腕を組み考え込むボイドは、蜂を捌く三人に声をかける。
「チェシャ君、少しの間一人でも頼めるか? アリス君はロックの解除をお願いしたい。クオリアは念のためこっちに着いてきてくれ」
「分かったわ」
「ボイドぉ、休憩させてぇ~……」
「また蜂が集まってくるとも限らないんだ。早めに終わらそう」
「鬼畜ぅ……」
返事をして女性陣は部屋の中へ、チェシャは長く持った斧槍を返事代わりに大きく薙ぎ払い、女性陣が受け持っていた分も蹴散らした。
「ソリッドー! それらしい端末はあったか?」
「これじゃねぇーか?」
女王蜂が倒れている場所の先、壁に埋め込まれた電子の画面と操作用の端末がその下にあった。
「……これが無ければ燃えていた、か……?」
「結果論よ。とりあえずやってみる」
スタスタと早歩きで端末に近づいて心なしか急いでいるように見えるアリスは操作を始めた。
「なぁボイド? チェシャの方手伝ってきてもいいか?」
「あぁ、頼む。呼んだらすぐに来てくれよ?」
「わーってるよ」
暇になる事を予見したソリッドが駆け足で部屋を出て行く。
ボイドは軽いため息を吐くが、チェシャ一人に蜂を任せるのも酷な話。余裕があるとはいえ、ソリッドを止めてまで一人だけの防衛を続けさせることはしなかった。
「ねぇ、ボイド。これって何をしているの?」
疲れてはいてもすぐに立てるように、盾を杖にしゃがみ込むクオリアが画面を指差す。
「さぁ? 全部は分からないが……」
と言ってからボイドがじっと画面を見つめた後。
「認証、だと思う。どうなんだアリス君?」
「大体そんな感じ。わたしが知っている暗号みたいなのを打ち込んでいるだけよ」
「へぇ~。でも、凄いわよねぇ」
言葉では簡単そうに聞こえても、アリスが両手でカタカタと高速で文字を打つのを見ているクオリアはそれでも感嘆の息を吐いた。
アリスが強く端末のボタンを叩く。ターンッと硬い音と共に、画面が緑色に染まり中央に何かの文字が表示される。
「解除、完了……。なるほど、アリス君、お疲れ様だ」
「大した事はしてないわ。早く、帰りましょ。チェシャに悪いもの」
その文字を翻訳したボイドがアリスを労ったが、それをさらりと受け止めた彼女の体はボイドではなくチェシャ達の方へ向けられていた。彼女が言葉を発する頃には歩き出していた上、心なしか早歩きにも見える。
当面の危険も感じられないのにやけに焦ったアリスを見たクオリアが何かを察してふっと笑う。
「あはっ、そうね。帰りましょうか」
「何故笑うんだ?」
「貴方には一生分かりそうにないことかしら?」
「……?」
クオリアに分かることが自分には分からないことに納得できず、ボイドはその場で考え込んでしまう。アリスとクオリアは歩くのが遅れている彼を置いて部屋の外へと足を運ぶのだった。