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そこに眠るは夢か希望か財宝か  作者: 青空
帰郷:越えるはかつての憧憬
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決壊

 チェシャの槍は父フェリスに確実に突き刺さっていた。今も尚血はゆっくりと、それでいて止まらずに流れ落ちている。


 しかし、チェシャの顔は歪んでいた。

 歪んだ顔のすぐ下。彼の首筋にはフェリスの槍が添えられていたからだ。


 悔しさに震えるチェシャは静かに槍から手を離した。落ちた槍はカランと無常に音を立てて地面を叩く。

 腹に槍を生やして尚自身の槍をチェシャの首筋に当てたままのフェリスの姿は変わらない。


 チェシャの降参だった。


「はぁ。勝てたと思ったのに」


 彼はぶっきらぼうに吐き捨てる。フェリスの腹の肉に刺さった感触はしっかりとチェシャに返ってきた。

 けれども、彼が過去に風穴を開けても動き続けられたのと同様に父もまた同じ力を持っているのだ。

 もちろん、チェシャが急所を狙わなかったのは意識したもの。


 単純に最後の一手まで詰め切るのを怠った。

 それだけだった。


「いいや、確かに勝負には負けたが、試合には勝っているんだ。お前は。これは、俺のエゴみたいなものだ」


 そう言ってフェリスは腹から槍を引き抜いた。血が溢れ出す。しかし、貫かれた異形が傷を覆う様に傷口を隠し始めた。


「良くやったよ。お前は」


 父の荒い手がチェシャの頭を雑に撫でる。撫でることに慣れてはいない父の手は、チェシャには心地良かった。


「……ん」


 彼は顔をうつむけて静かに頷いた。



 *


 日は暮れて、月が輝きを増す頃。アリスはチェシャの部屋の前に立っていた。風呂に入った後の彼女はサラに貸してもらったゆったりとした服に身を包み、湿った髪の毛を下ろした姿で部屋の扉をノックした。


「チェシャ? 起きてる?」


 もう夕食は全員食べ終わっていた。フェリスを除いて。彼はチェシャとの戦いの後、体から血を落としてすぐにベッドに潜り込んでしまった。それ以降起きる様子は無い。


 チェシャ曰く、死にはしないけど体力が無くなるとのことで、以前に彼も経験したことがあるものだった。その内起きるとのことで、フェリスの横の低いテーブルには彼が食べるはずだった夕食をサラが置いていた。


「起きてるけど……どうしたの?」


 窓を開けているのか、風が通り抜ける音に混じって帰ってくる特に代わり映えのない返事。


「入っても良い?」

「いいけど」


 アリスはドアを開けた。チェシャの部屋はとても簡素で、机やベッド、本棚はあるけれど、それ以外は何もない。多趣味なナーザの部屋とは対照的だった。

 チェシャは寝巻きの姿で部屋のベッドに腰掛けて、本を読んでいる。


 少しだけ開けられた窓。そこから入る夜の冷気に冷やされた風がカーテンを煽っている。


「ここがチェシャの部屋なのね」

「何も無いよ? 本棚くらい」


 アリスはチェシャの本棚を眺める。その本棚さえも大した数はなかった。更に言えば、ハルクの家にあるチェシャの本棚の方が冊数が多いと思えるほどだった。


「本を読むのが好きって割にはあんまり無いわね」

「まあね。大体は父さんの本を読んでたから。自分で買う様になっても本は高いし」


 ただの村人が少ないとは言え、両手で数えられるよりかは多い本を所有していることは珍しい。


「それもそうね」


 アリスは相槌を打つのチェシャの隣に座った。何かを感じたチェシャは開いたままの本に栞を挿して傍に置いた。肩と肩が触れる程度に彼らの距離は近くなる。


 しばしの無言。風呂上がりのアリスの匂いは何処か蠱惑(こわく)的で、それを振り払うようにチェシャは口を開いた。


「……どうしたの?」


 さっき投げかけた言葉と同じものをチェシャは投げかける。彼にはアリスの行動の意図が読めなかった。


「チェシャって」


 突然アリスは口を開く。風が吹き込むことで窓のカーテンが翻り、彼女の顔に光が差した。


「何か、怖いものがあるの?」

「怖いもの?」

「うん」


 アリスはチェシャの目を覗き込みながら頷いた。不思議と嫌な気持ちにはならないその視線を受けながらチェシャは顎に手を当てて考え込む。


 ──アリスに拒まれること?


 ふと頭の中に浮かんだこと。彼自身も何故かは分からなかったが、するりとそれが浮かび上がった。

 しかし、それを口にする事にも恐怖があった。


 結局のところ、今まで築き上げてきた関係を壊すことをチェシャは恐れていた。彼にとってアリスは、自分の事を知った上で、それらを受け入れてくれた人であり、共に過ごした年月の長さ云々などそっちのけに信頼できる相棒だった。


 チェシャもアリスも、お互いにとって稀有なものを求めていた。そして、その稀有なものが無くなってしまう事を恐れていた。


 平行線。


「あるかと言われるとある、かな」

「そっか」


 沈黙。両者にとってその時間は決して苦になるものではなかった。

 ゆるりと過ぎた沈黙の後、チェシャが尋ねる。


「急に、どうして?」

「なんだか落ち込んでるみたいだったから」


 チェシャは目を見開いた。その様子を見たアリスはクスクスと笑う。

 どうして分かったのかと言外に、その表情が彼女に質問をしている。


「なんで分かったの?」

「なーんかビクビクしてるみたいだったもん。イタズラがバレた子供みたいだったよ?」

「いつから?」

「フェリスさんとの試合の後かな」

「……」


 ぐうの音も出なかった。チェシャの心境が完膚なきまでに見通されている。


「伊達に相棒やってないよ?」

「おみそれしました」


 チェシャは軽口を叩いて凌ぐほかに返事をする余裕はなかった。俯くことでアリスからは見えなくなった表情は硬い。


「ふふふっ。くるしゅうない、ってね」


 そんな彼の内心などお見通しとばかりにアリスは笑う。

 彼女もまた少しぎこちない口ぶりだったが、余裕のないチェシャがその違和感に気付くことはない。


「慰めに来てくれたってこと?」

「そんな感じかなぁ」

「ふ、そこは断言して欲しかった」


 アリスの惚けた答えにチェシャは思わず鼻笑いをこぼす。

 浅い会話。だが、それは今のチェシャでも出来、彼の孤独を埋めてくれるものでもあった。


「へへへ……」


 アリスはしばらく笑っていたが、急に姿勢を整えて真顔になった。


「ねぇ──」


 少し低い声。その低い声は少し震えている。


「……何?」


 突然のことにチェシャは佇まいを整え、訝しみながら返事をする。


「そこにすわって」


 小さく、はっきりとしない声。声の主はベッドの前の地面を指差す。


「……? ……ん」


 何か意味があるのだろうととりあえず指示に従って指差された地面にチェシャは座る。真顔で言うものなので、怒られるのかと恐れながら正座に脚を組み替えた。


「め、とじて?」


 意味のわからない指示。チェシャは小首を傾げたが、真顔のままのアリスに気圧されて目を閉じた。



 *



「──!?」


 最初に感じたのはあたたかさとやわらかさ。


 次に感じたのは規則的に脈打つ何か。


 何をされたかを理解するのに時間がかかったけれど、頭の後ろに回っている手と、額に触れる不自然なくらいのやわらかさで自分の頭が抱き寄せられていることに気付いた。


 けれど、理解して尚、混乱している。


「な──ど──え?」


 疑問の言葉は頭の言葉しか言えずに掻き消える。

 意味不明の事態に俺の理性はそこから離れるべきだと叫ぶけれど、本能が動きたく無いと叫んでいた。


 そう思う程度に、この状況は不思議と心が落ち着いた。出来るなら、このまま眠りたいほどに。


「わたしは……さ」


 ぎゅっ、と頭を抱える手に力が込められた。頭がやわらかさに押し付けられる。


「いっしょに、いるから」


 真摯に、それでいてどこか覚束ない、そんな声。求めていた声。欲しかった声。


「こわがらなくって──いいん、だよ?」


 どうしてかは分からなかった。でも、視界が揺れた。

 それが涙だと気付いたのは、頰に冷たさを感じたから。


「う……ああぁ」


 言葉にならない声が溢れた。我ながら情けない声だった。 

 けれど抑えることも出来なかった。


「がんばったよ、わたしがほめてあげる」


 どうすれば良いのか分からぬまま、なんとなく、村を出て、過ごした日々が報われた気がした。真に孤独ではないんだって。


 村の中だって、本当は安心できる場所なのに、安心できない自分がようやく落ち着いた気がした。人の暖かさがこんなにも心を温めてくれるんだって自分でも驚きだった。


「ううぅ──あぁ──」


 そう思うと、もう感情を止められなかった。雨で溢れる川の水の様に、情けない声が漏れた。


「ありすぅ……」

「……うん」


 頭を撫でられた。また何かが溢れる。涙でアリスの服に染みが出来ていた。申し訳なくなっても止められなかった。


 ゆっくりと刻む鼓動の音。それがはっきりと聞こえる。頭を包むあたたかさ。それがはっきりと伝わる。鼻をくすぐる甘い匂い。それがはっきりと感じる。


「……あうぁ……グスッ! ズズッ!」


 涙は止まらない。情けない呻き声もなくならない。鼻をすする音も止められない。

 情けないことこの上ない。


 それでも尚、アリスは俺の頭を全身で包み込んでいた。


「わたしは、いっしょにいるから」


 止めどない感情の奔流に苛まれる。

 でもそれは──至福で、これ以上にないくらい心地良くて、幸せだった。



 *



 どのくらい経ったかは分からないけど、チェシャはわたしの胸の中で眠りついた。


「寝ちゃった」


 この姿勢でいるのは少し辛かったから、なんとか頑張ってチェシャをベッドに引っ張り込んで寝かせた。

 たくさん疲れてたみたいで、荒い事をしたけどチェシャは起きなかった。


「返せた、かな?」


 今までわたしがすごいと思っていた彼は意外とちっぽけだった。決して悪い意味じゃなくて、同じ人間なんだって──改めてわかった。


 だからこそ、一度わたしがしてもらって、とても救われたことを彼にも伝えたかった。返したかった。

 多分、きっと、良かったとは思う。あんなに安らかに、幸せそうに眠っているだもん。


「あと、どのくらい一緒にいられるのかな」


 ちょっと嘘ついたみたいだけど、本心から思ったこと。むしろ、叶って欲しい願い。


「それまではいっしょに……いて欲しいな」


 そう呟いて、わたしは部屋を出た。

これにて五章完結となります。


いつも通り、活動報告に連絡込みの後書きが置いてあります。


引き続き、お楽しみください。

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