ただ突然に
現在全話改稿中。
当部分まで完了。
日は沈み、宵闇が空を覆う頃。
「ごちそうさま」
居間の食卓を囲むのはチェシャとナーザ、アリスとサラ。一足先に食べ終えたチェシャは海老の殻で出汁を取った汁物と蒸した芋、山菜の酢漬けなどが入っていた食器を流しに置く。
「兄さんってちゃんと噛んでる?」
「噛んでますよっと」
ナーザに後ろからジト目で怪しまれながらチェシャは蛇口を捻った。起動された魔術具が水を吐き出し始める。
「むしろ、二人が遅いんじゃないの? アリスはもっと食べてもおかしくないし。おかわり要らないの?」
「……ちょーだい」
「はいはい」
チェシャは小声でねだったアリスに頰を緩めると、食器を彼女から受け取って汁物をよそう。
「はい、どうぞ」
「……ありがと」
アリスは生暖かい目線が他二人から飛んできている事に顔を俯かせて食べることに集中する。けれど、赤くなった耳までを隠す事は出来なかった。
「気にしなくて良いわよアリスちゃんっ、たーんと食べなさいっ!」
息子の帰省でいつもよりもやる気を増して料理を作った家庭の母はウインクを飛ばした。
やけに元気な母にチェシャは苦笑すると、アリスとは対照的に食べる量がすくないナーザに目を向ける。
「ナーザはもっと食べなよ」
「食べてるけどなぁ……」
ナーザの体格はチェシャに比べると細い。逞しく生きているロクショウ村の人達から見ても少し細く見えるほどだ。
「ナーザ君、自制しなくても体を維持できる事はすばらしいことなの」
アリスが真顔でそう言った。横に座るサラも首を縦に振る。
「あはは……」
ナーザとしては自分の姉のような存在にも似たことを言われているのを思い出して苦笑する他なかった。
やはり女性にとって体系維持とは永遠の課題なのだろうと思いながら汁物をすすう。
その間にチェシャが温かいお茶を持って食卓に戻ってきた。
そうして緩やかに談笑は続く。
「アリスさんも兄さんと同じくらい強いの?」
話題はチェシャとナーザの模擬戦について、ナーザが不服そうにチェシャが強くなっていたことを愚痴った後の質問。
「うーん、強いの種類が違う、かな」
「俺は近距離、アリスは遠距離だからね──あ、でも命中率は自信を持って強いって言える」
「遠距離……弓が上手いってこと?」
「弓じゃない。銃って武器」
「……これよ」
夕食を食べ終えて片付いた食卓の上にセーフティをかけたままの銃を置いた。
「こんなに小さいのに、遠くを攻撃できるの?」
手に取ってあちこち見回すナーザ。確かに、拳銃に分類されるそれは弓よりも携行性の点では確実に勝る。
「ええ。弾が高いけど……」
「そっか矢を飛ばすわけじゃないもんね」
ナーザは銃をアリスに返した。
その様子を見ていたチェシャは同じ光景を見ていた母が少し目を細めていたことに首を傾げた。
「だから、あんまり無駄撃ちは出来ないの」
返された銃を鞄に仕舞おうとした時、玄関のドアの開く音が居間に届いた。
「あら?」
サラは不思議そうに声を上げた。
チェシャは入ってきた人物を思い描いて、体を硬くする。
ゆっくりと、一歩一歩が重く聞こえる足音は居間の扉の前にたどりつき、扉が開かれた。
「ただいま」
入ってきたのはガタイの良いチェシャを一回り大きくしたような体格で、ナーザと同じ色素の薄い髪と髭を生やした男性。
「おかえり、あなた。早いけど何かあった?」
「予定よりも早く片付いてな、本当ならもっと遅いから泊まりの予定だったが、取り消して帰ってきた」
「そうなのね」
「……」
チェシャが想像していた通りの男性は彼に視線を向ける。
「おかえり」
「ああ。お前も……少し早いがどうかしたか?」
「丁度、時間ができたんだ」
「そうか」
お互いぎこちなく会話を交わす。チェシャは少し目を伏せた後、真剣な顔つきで話し始める。
もう、逃げるわけにはいかなかった。
なにより、アリスに不甲斐ない姿を見せる訳にも。
「父さん、今なら、期待通りだと思う」
「……ああ」
父は少し間を開けて頷く。振られた頭は重そうだった。
「サラ、風呂は沸いているか?」
「ええ。大丈夫よ」
「ありがとう」
居間の奥にある扉に向かって父はスタスタと歩いて行く。そして、扉の前で立ち止まった。
「明日の朝、期待している」
「うん」
扉が閉じられた。
「はぁ~」
チェシャは椅子の背もたれに体を預けて、深く息を吐く。
及第点と言った具合だろう。思いのほかうまく喋れない自分がまだ居座っているのはまだ乗り越えられていないという証明なのも実に腹立たしかった。
「大丈夫?」
「うん、何とか」
アリスが心配そうに尋ねる。
そんな彼女に対し、へへっと口角を上げたが、額には汗が浮かんでいた。
「アリスちゃんにはまだ言ってなかったわね。夫のフェリスよ、チェシャからは聞いてた?」
「いえ、あの人がチェシャのお父さんとはすぐに分かりましたけど」
「色々聞いてるみたいね。夫とチェシャは色々あって、まあ素直に慣れないあの人が悪いんだけど……」
サラも心配そうに視線をチェシャに向ける。
「兄さん、今日は寝た方が良いんじゃない?」
「……ごめん、そうする」
「着いていこうか?」
「大丈夫」
ナーザに送られて、チェシャは居間を出て行く。その足取りは村に来た時よりは良くなってはいた。
「……」
アリスはその背を何も言えずぼんやりと見送るしかなかった。
──なんて、言えばいいんだろう。
何度も励まされてきた。未だそんな彼に返せた物は無い。チェシャが否定したとしても、自信を持つことはアリスにはできなかった。




