探索準備
鳴子のようなものがドアを開いたことを告げる。
「しゃーせー」
「ボイド達、いる?」
反応したのは気怠げな声。
チェシャは声の主であるカウンターでエプロンを着て青い髪を後ろで束ねた女性、シェリーに尋ねた。
「んーと、学者さんみたいな人なら来てますよ。あっちでコーヒー飲んでます」
指を指して位置を教えるシェリー。指の先には見覚えのある白衣の青年がテーブルに着いていた。
「ありがと。あと、この前の毒アゲハの鱗粉依頼、まだある? 今持ってるからさ」
「ああ、薬師さんのやつですか、預かりましょうか?」
「お願い」
瓶に詰められた毒アゲハの鱗粉をシェリーに手渡す。薬師からの依頼品だ。
「ウチもあの人にはお世話になってるんでありがたいですね。報酬は届き次第また渡すので、また来てくださいな」
そう言って何か別の作業を始め出した。
「チェシャ。いつの間に取ってたの? あれ」
会話が終わったことを確認したアイスがチェシャに話しかける。
「採集ついでにね。移動してたのか知らないけど、落ちてたから集めておいた」
「へぇ、まめね」
「一応探してたからね。毒アゲハ」
「これのために?」
「そ」
ボイド達の席に近づくと、二人に気付いたボイドがコーヒーの入ったカップを持ち上げる。
「来たか、無事に会えて良かったよ」
「二人は?」
しかし、クオリアとソリッドはここにはいなかった。
「あの二人は待つのが苦手だからな。今日は置いてきたよ」
「そっか」
「一緒に探索するって聞いたけど、明日からするの?」
「そうだな、急いではいないがあの声の様子ならゆっくりし過ぎではダメだろう」
アイスの問いに答えてから言葉を続ける。
「まずはグングニルがどういう施設かを調べねばならん」
「その辺りは任せる。俺も目的はないし」
「……アイス君はともかく、チェシャ君はなぜここに来たのかい?」
「修行……かな」
そう答えるチェシャの顔はボイドやアイスにはまだ一度見せていない複雑そうな顔だった。
「そうか、ともかく明日から大迷宮を少しずつ探索することになる。私達は迷宮探索の経験は有るから、出現する迷宮生物の情報と地図があれば困ることはないだろう」
彼の表情についてはボイドも詳しく聞かず話を変える。チェシャも自分から話すことはなかった。
「俺が聞いてこようか?」
「一応手持ちには資料はあるが、相違点が合っては困るから是非お願いしたい」
「分かった。じゃあ10時──2回目の朝の鐘が鳴ったらまたここに来て」
都市の中央部にある鐘は個人で時間を知る術がない市民にとって重宝されていた。
「了解した」
ボイドとの会話はそこで終わり、ボイドはお金を払って去っていった。チェシャが、アルマに会いに行くためアイスとも別行動となった。
*
「こんにちはチェシャさん。何かご用ですか?」
探索者組合にまで来てアルマに取り次いでもらったチェシャは要件を話す。
「パーティが組めた。明日から深緑の森に潜ろうと思ってるから、資料が欲しい」
淡白に述べた。
「承りました。しかし、どこのパーティですか?まだ回復していない探索者さん達も多いですが……」
「ちょっと特殊。また話すけど頼りにはなる」
「そうですか...。はい、資料をお持ちしますので、少々お待ち下さい」
そうして少しの間を置いてからいくつかの紙の束を持って戻ってくる。
「資料をお見せする前に大迷宮の特徴について説明しますね」
資料を机の端に避けた後、話し始めた。
「まず大迷宮には階層というものが存在します。小迷宮は階段を降りた後はそのフロアしか存在しないのですが、大迷宮にはおおよそ三階層のフロアが存在します」
と言った後に紙の束の一番上から3枚取り出した。
「こちらがその地図なのですが、一つの階層の広さは小迷宮と同じですね」
チェシャに見えるように向けてから3枚の地図を横に並べた。
「ほんとだね」
一つずつ手に取り、全体に軽く目を通す。
「階層の違いによって起きることは、出現する迷宮生物が多少変化したりなどが主ですね」
「採集物は変わる?」
「いえ、基本的には変化しないですね。今の所、第三試練までの傾向を見ても試練一つごとに手に入る採集物は基本的に同じです。その試練の環境に応じた物が採集できます」
そこまでを穏やかな顔で話していたアルマは顔を引き締めて話を変える。
「ここからが特に重要なのですが、大迷宮の奥には試練の門番と呼ばれる大型迷宮生物が存在します」
「門番?」
「はい、次の試練に行くためにはそれぞれの門番を倒すことが必要とされているためですね。神の試練という名がついているのもこれが起因しているらしいです」
チェシャが少し面倒そうな顔になってくる。
「えっと、とりあえずいきなり地下3階まではいかないと思うので、試練の門番以外の迷宮生物だけお話ししますね」
紙の束から迷宮生物の絵とそれに対する情報が書かれた紙が五枚並ぶ。内三枚は小迷宮にいたが、残りの二枚はチェシャが知らない物だ。
「カエル? 虎?」
大きなカエルの絵と黒い虎の絵の書かれた紙を手に取る。
「深緑の森にしかいない手強い迷宮生物です。どちらも肉質が硬く、基本的には魔術師に頼ることとなりますね……」
槍が通りにくいことが分かったチェシャは嫌そうに顔を歪める。
「特にカエルの方は武器を舌で絡めとって来たりするので前衛の方からは特に嫌われているらしいです」
「虎は何かある?」
「黒虎はとにかく速く、なおかつ強靭な牙を持っているのでこの迷宮で最も死亡率が高い迷宮生物です……。対策としては大きめな盾に身を隠しながら二人以上で押さえて、確実に魔術を当てるか、時間をかけて倒すかになります」
「……ごめん、後で写し貰える?」
頭から蒸気が出始めたチェシャはアルマに写しを頼んだ。その場には気まずい沈黙が流れた。
*
鳴子のような物がドアが開いたことを告げるのと同時に店内から声が響く。
「いらっしゃい! 君は……チェシャ君だったな。となるとお探しはあちらかい?」
サイモンは顔だけをボイド達が座る席に向ける。
「うん、そう。あと、今日から深緑の森に行くけど、何か採集したほうがいいものある?」
「っとそうだったこの前の毒アゲハの鱗粉の報酬出してなかったからそれも持ってくるよ」
「今から探索行くから後でいいよ」
掲示板に行こうとした背中がチェシャから背く。
「そうかい? なら、えーとなんだっけ。そうそう、黒虎の牙を一つでいいから傷のない物が欲しいってさ。確か鍛冶をやってるザクロのおっちゃんからだな」
「牙、ね。分かった。アイス、覚えといて」
「え、わたしだけ!? あなたも覚えておきなさいよ!」
後ろで喚くアイスを無視してボイド達のところへ歩くチェシャ。アイスも牙についてメモを取ってから慌てて追いかける。
「来たか、じゃあ行こうか。おい、二人とも行くぞ」
ソリッドの前には朝食にしては少し多い皿が並んでいた。クオリアはそれを呆れ顔で見ながら紅茶を飲んでいる。
「ちょっと待ってくれ、もう少しで食べ終わるから!」
「はぁ……とのことだから少し待ってくれるとたすかる」
ソリッドが食べ終えてから五人は第一試練の北に位置する大迷宮──深緑の森へと向かった。