塔が見える都市
そこは赤髪の少年が着ている薄汚れた皮の防具とは似合わぬ、近未来的な場所だった。
彼の知るエネルギー源──魔石を要したものではない光源は傷だらけの胸当てをほのかに照らしている。
砦でもないのに非常に硬い構成材の壁や床。何かの合金らしいが、鍛冶に疎い少年にはちんぷんかんぷんだった。
彼は誰かに追われていたのかずいぶん疲労している。
ぜぇぜぇと肩で息を吐き、持っていた槍から手を離す。
疲れた体をなんとか休めようと、手頃な場所を探し、あたりを見回す。
しかし、どこもかしこも合金の壁と床。柔らかベッドがあれば今すぐ飛び込みたかったが、そんなものは皆無である。誠に遺憾だった。
仕方なく少しでも柔らかそうなカプセル状の金属躯体──見る人が見れば保存を目的とした装置──の側に座り込んだ。
保存を目的にした躯体は経年劣化の影響で脆く、少年が体を預けただけでがこんと凹み、蓋の付近に隙間ができてしまった。
機械の躯体が軋んだ音を立てて、ガラス張りになっている部分がゆっくりと上に開かれた。
その拍子に、豪快な音と白い冷気を勢いよく吹き出し始める。
「なっ、これっ、寒!」
季節的にはまだ寒さには何も警戒しない。少年の服装でその冷気はかなり寒い物だった。
吐き出された冷気が外気に馴染んで徐々に散っていき、視界が開けるとカプセルの中身が姿を現した。
「……人?」
そこに居たのは少年と同年代くらいの亜麻色の髪を後ろで括り、平服に身を包んだ少女。しかし、服の作りは緻密で少年がよく着るものより上等に見えた。
躯体の凹みのせいか、前倒しになっている少女の体は今にも躯体から転げ落ちそうだった。
「やばっ、倒れっ!」
ぐらんぐらんと揺らす体に慌てて落下地点に体を滑り込ませる少年。
無事に彼の体は少女が地面に倒れこむ前に受け止めることが出来た。
高さはそれほどでもないにせよ、顔から落ちるのは非常に危なかったので単に落ちるよりかはマシだっただろう。
安堵にほっと息を吐く。
そんな安心もつかの間。少年が少女を受け止めた衝撃からか、彼女の目がゆっくりと開かれる。
「ん……。ん──?」
整ったまつ毛がピクリと揺れる。次に焦点が定まった目が少年の顔を捉え、瞬きをする。そして、桜色の唇が震え──
「きゃあああ!?」
「わあぁぁ!?」
悲鳴。お互いにお互いで驚き、猫みたいに慌てて距離を取る。
「だれ!? あなた!」
「あんたこそっ」
「わたしは──」
*
街行く人々が往来し、人々の喧騒が響く場所。
そこに着いた馬車から赤髪の少年が石畳みの地面に降り立つ。
如何にも田舎者、と言うような野暮ったい、簡素な麻の服。彼が持つ装備を除けば、この辺りの者ではないこと示していた。
「ここがセントラル……」
少年は感慨深く呟いた。故郷の村から馬車で数日の旅をしてきた彼は都会の喧騒に呆然と驚く。
田舎からやってきたことが一目で分かる彼。
彼の目的はセントラルの住人からすれば一目瞭然だ。
主に少年の背中にかけられた大きな槍、単純に暮らす分には必要のない、煮詰められた皮の膝当てや胸当てがあることから。
ここは迷宮都市と呼ばれるセントラル。
遠くに見えるのは天まで伸びる塔。雲を貫き伸びるその塔は近くで見ることができれば圧巻の景色だろう。
街行く人々には彼が具体的に何を求めてきたかは当然分からない。しかし、あの塔か、塔の前に立ちはだかる迷宮──神の試練に潜るために来たのは間違いないだろう──と推測することは容易だった。
少年は馬車から降りて通りすがりの人に話しかける。どうやら道を聞いているらしい。
道を聞いた少年は聞いたことを思い返しながら目的地へと向かう。
指を使って曲がり角を数えていたようだが、細い路地を数えるかどうかに四苦八苦しながら目的地へと辿り着いた。
そこは神の試練への入り口、ではなく煉瓦造りの大きな建物。少年の様に剣、杖、弓のようになんらかの得物を持つものが出入りしていた。
建物に入った彼はいくつもある窓口と大勢の人に戸惑いながら新人受付と書かれた窓口へと歩いた。
窓口に並ぶ人の数は数人程。毎日この人数より多くの人が探索者に成るならば、この建物に人が密集するのも頷ける話だった。
並び順が進む度に、少年の後ろにも新たな人が並ぶ。
そして、彼の番がやってきた。
「探索者登録でしょうか?」
人当たりの良い笑顔を浮かべた女性が少年に尋ねる。
人を相手にする職業故の明るい笑顔は、人混みになれず警戒心を露わにしていた少年の顔を柔らかくさせた。
「はい!」
「では、こちらに記入をお願いします。代筆は必要でしょうか?」
「自分で書く……きます!」
覚束なく敬語を使う少年に職員は微笑ましいと言うように微笑を浮かべ、紙と羽ペンを差し出した。
自分で書くとは言ったが、彼は慣れている訳ではないらしい。おぼつかないペンの動きで少々の時間を要して書き終えた。
「はい、チェシャさんですね。登録証作成と手続きに千ゼル頂きますが大丈夫でしょうか?お持ちでなければ借りることも可能です」
それに対して少年ことチェシャは頷き、ウエストポーチに入った財布から銀色に鈍く光る硬貨を取り出して手渡す。
百ゼル銅貨十枚分の価値を示す千ゼル銀貨。
「はい、千ゼル確かに頂きました。手続きを行いますので少しお待ち下さい」
綺麗な一礼をひとつ、カウンターの奥にあるドアに入っていった。
仕事とはいえ自分に優しくしてくれた人がいなくなり、再び慣れない孤独に襲われる。
手持ち無沙汰になった彼は不安から周りの探索者達を観察し始めた。
幾つかの集団があーだこーだと会話を織りなし、喧騒を作り上げている。
彼は自身を観察している人がいた事に気づき、視線の元を見ると杖を携えた目の鋭い少女だった。
その目がやけに険しかったのを見ると、絡まれるのを恐れて直ぐに見なかったフリをして目線を顔ごと避けた。
背けた先には戻ってきた女性職員が。安堵から少年の頬が再び緩む。
彼女の手には彼の名前が彫られた鉄製のネームプレートのようなもの。
チェシャからは見えないが、プレートの裏には何やら印が彫られている。
「お待たせいたしました。こちらが完成した探索証です。迷宮に入るには基本的にこれが必要ですし、身分証のような物にもなるので紛失しないようにお願いします」
自分の名前の入ったプレートを見て、口端を持ち上げる。夢にまで見た探索者だ。隠そうにも隠しきれない。
しかし、金属のプレートは彼の顔を移す鏡になり、緩んだ顔を教えてくれる。慌てて表情を引き締め彼が頷きを返した。
「登録は以上です。新人さん向けにこちらの職員がサポートをするサービスもありますが如何でしょうか」
「──お願いします!」
意気込みこそいいが、残念なことに彼の目つきは鋭く、人を寄せ付けにくいもの。それでも職業柄様々な人物を相手にする職員は表情を変えることなく頷いた。
「承りました。このカードをサポート窓口にお持ちください」
チェシャはカードを受け取ってからその女性の職員に一礼して、サポート窓口に向かう。
窓口には体が大きく、探索者と見間違えそうな体格の男性職員が居た。チェシャがたじろいだのを見て彼に気づいた男性職員は彼に声をかける。
「新人か?」
チェシャは先程とは何もかも逆な職員に戸惑いながら頷き、カードを渡す。
男性職員はそのカードを受け取り、少し読んだ後にカードの代わりに一枚の紙を彼に渡した。
「お前ならここが向いているだろう。とりあえず今日はそこへ行ってこい。明日までには担当職員が決まっているはずだ。明日またこの窓口に来るように」
チェシャが貰ったのは簡易的な地図だった。
迷宮に関するものを貰えず、想像していたものと違うと言いたげに不満顔を浮かべる。しかし、文句は言わず素直に頷いて建物から出て行った。
「……反抗したくなる年頃だと思ったが意外と素直か、ならば新人に担当させるのも丁度良いか? ともかく、上もよく分からないことを言うものだ……」
*
建物から出たチェシャは突き当たりに見える迷宮の入り口をじっと見たのち、早く迷宮を探索したい気持ちを振り切るよう、くるりと回って背を向けた。
地図を見ながらなので、彼の足取りは彷徨うようにふらふらと揺れる。
地図が示しているのは大通りから東に外れた裏路地方面。治安も悪いのか彼のウエストポーチに手を伸ばすものもいたが、手慣れた動きでスリの手首を弾く。
スリに失敗した男は舌打ち一つして、そそくさと離れていった。
地図に従い彼は歩き続け、人通りが少なくなる頃には目的地に着いた。
まるで寂れた道場のようで見てくれは立派だが、生活感のないその建物に人が居るのか怪しかった。
本当にここで合っているのだろうか。
念のため地図を見直して合っていることを確認し、深呼吸をしてから建物に入った。
「たのもー?」
誰かから聞いたのだろうか、どう聞いても言い慣れて無さそうな言葉を発したチェシャは辺りを見回して人を探し始めた。
誰もいない事に首を傾げたその時、彼が急に腕で頭を隠して間もなく長い棒が腕に命中する。
──タァン!
と乾いた音を鳴らし彼の腕が力を失い、健闘虚しく防御を失った頭に一本入れられて気絶した。
「今のを動けるか、久しぶりに扱きがいのある奴が来たのぅ」
*
夕方ごろ、チェシャは目を覚ました。
そして、ら倒れたときのことを思い出す。彼の顔は戦士らしい顔つきに変わり、周囲に注意を配り始めた。
「お前さん、何処かで何か手ほどきでも受けたのかい?」
チェシャは声が聞こえた方にハッと振り向く。
振り向いた先に立っていたのは帯で締められた白い道着を纏う老齢の男性。
着ている服と同じ白色の髪の毛の彼が右手に持っているのはただの物差し竿。
「誰?」
「ふむ、警戒させてしまっているかのう。すまないね、少し試させて貰ったんだよ。……一応、合格さ」
上から目線の老人は楽しげに話を進める。
「組合の職員に頼まれてお前さんに最低限のノウハウを積ませる役回りなのさね。臨時だから慣れてはいないが、まあ適当に頼むよ」
それを聞いてチェシャは少し警戒を緩ませた。
「完全に緩まないのも良いねぇ、迷宮じゃいつでも死はやってくる。その精神は緩ませるんじゃないよ」
困惑しながらもチェシャは頷く。目の前の男性に対する疑問は尽きなかった。
「とりあえず明日小迷宮に潜ってもらうからそれまでに必要な知識を覚えてもらうよ。安心しな、最低限のことさね」
勉強の予感を感じ取って顔を歪ませたチェシャに対して老齢の男性は言葉を続ける。
「とりあえず、名前を教えてくれないかい? っと、儂から名乗ろうか、儂はハルクだ。少しの間よろしく頼むよ」
そう言って手を差し出したハルクにチェシャは応じながら答える。
「チェシャです。これからよろしくお願いします!」
「なら最初は……そこのペンをもて」
ハルクは机の上の羽ペンを指差した。
意図を理解できないチェシャが、不思議そうな顔で席について羽ペンを取る。彼の目の前には一枚の紙。
そうしてしばらくした後ほど。
「頭痛い……」
「こういうのは一気に一回詰め込むのが良いのさ」
覚えるために用意したらしい紙と羽ペンを放って机に突っ伏したチェシャ。紙には色々と書かれている。
試練の中には複数の迷宮がある。
次の試練に進むためには試練の中に一つある大迷宮の奥に居る“番人”を倒さないとならない。
大迷宮以外の迷宮は小迷宮。
小迷宮で環境に慣れてから大迷宮に挑んだ方が良い。
迷宮では基本的にパーティを組んだ方がいい。
パーティは六人前後、多すぎると動きにくい。
迷宮では外で生息する魔物と似たような生物が出現するけど、死体は残らない。すぐに消える。だけど、切り離されたところは残る。
“まとめ!”と書かれた部分に彼なりの言葉で大きく書かれた文章。それ以外にも小さい文字で彼なりの言葉でメモがある。その用紙を見て時は拙くとも、少し驚いた顔をしたハルクは言った。
「15歳の割には意外と教養があるのだね。要点の抑え方が丁寧だよ……字の綺麗さはともかくね」
頭を抱えるチェシャにはその言葉が届かなかったらしく、というより消沈している。
「そこで寝ても変わらんよ。上に布団を敷いておいたからそこで寝ておいで」
チェシャは眠たそうな目を擦りながら階段を上って行った。
「……死なせたくは無いけど甘えさせるわけにもいかないねぇ。どうしようかの」
ハルクは何かの地図を開きながらぶつぶつと呟き出した。
*
次の日の朝。チェシャは昨日行った建物、探索者組合機関で報告を終えた少年は、組合員から帰りにもう一度機関に寄るようにと伝えられてから試練への入り口へと向かった。
入り口前には門番らしき人が二人立っていた。
入り口前には人は少なく、丁度探索者の一団が一つ入っていく。手が空いた門番は少年達に目を向ける。
「新人か?」
「はい」
「あぁ、儂が付き添うさね、これでもそこそこの経験があるからこの子の事は心配要らないよ」
「そうか、新人ということは子熊の遊び場に行くのか?」
「はい」
「了解した。あそこなら近いから見回りの衛兵も居るから心配ないな。じゃあ探索証を見せてくれ」
チェシャとハルクは言われた通りに探索証を差し出す。ハルクのものは少年がもつものと違い、縁が宝石で彩られたプレートだった。
「っ!? ──通ってよし!」
ハルクの探索証を見たときに目を見張ったが、チェシャはそれに気づかず、そのまま試練へと足を踏み入れた。