第008話 緑獣がいっぱい
グアイ、メリカ、アドルの三人が不安そうな顔をしていた。
話の内容についてこられなかったのだ。
俺は三人組に収穫したエリオの実について説明する。
「只でさえ果物は魔力摂取に効率的なのに、この森で採れるエリオの実は、他の森で採れるエリオの実よりも含まれている魔力量が多いんだ。その影響で味も良くなっている。これは大発見だ」
あれ、思ったような反応が返って来ない。
三人組は黙って続きを待っている。
「だから、みんなこのエリオの実を欲しがるはずだ」
「それで?」
ミクランやアルメなら説明するまでもないんだが。
見た目通り中身も本当に子供な三人組にはわからないらしい。
「だから。王国中の人がこのエリオの実を食べたいと思うんだ。他のエリオの実よりも高く売れる。リンナエスの街の、いや、リンナエス男爵領の特産品になる」
ようやく歓声があがる。
「この森が男爵の私有地で、領民が許可なく立ち入れないのも都合が良いですね。アレクセイ様にご報告し、運用方法がまとまるまではこのエリオの実の事を秘密にしておくべきでしょう」
ミクランの言葉にメリカが神妙な表情をする
「じゃあ、このカゴいっぱいのエリオの実を持って帰ったらいけないの?」
三人組の中ではメリカが一番知恵が回る。
メリカの質問で、アドルとグアイも心配そうな顔になる。
俺はミクランに目で合図を送った。
万全を期すならそうするべきかもしれないが、俺には三人組からエリオの実を取り上げることなんてできない。
「今日採ったエリオの実は持って帰っても大丈夫ですよ。ただし、特別なエリオの実だということは内緒です」
三人組の顔に笑顔が戻る。
「普通の人間はこのエリオの実を食べても、ちょっと美味しいエリオの実というくらいにしか思わないでしょう。ある程度の力量を持つ魔法使いでなければ、この実が特別だとは気が付きません」
「ということだ。よしそろそろ戻ろう。ミクラン、アルメ、カゴは二人で頼む」
「まだ帰りたくない。もっと遊ぼう」
アドルが駄々をこねる。
森に入ってすぐはあんなに怖がっていたのに。
「また今度な。帰りも獣道を歩くから、転ばないように気をつけろよ。並びは来た時と同じだ。ミクランが先頭で、アルメが最後。しゅっぱーつ」
俺と三人組は並んで勢いよく歩き出した。
先頭のミクランは立ち止まったままだった。
俺はミクランが背負うカゴに鼻をぶつけた。
「いててて、どうしたミクラン?」
「すっかり取り囲まれてる。これは一大事。イェイ」
俺の質問に先に答えたのはアルメだった。
「申し訳ありません。カル様。エリオは本当にまだこの森にいたようです。ここは配下と思われる緑獣に包囲されています。自らの気配を絶つだけでなく、緑獣の気配まで消してこのように近づくとは、格上の相手です」
エリオの大木を背に俺と三人組が集まり、ミクランとアルメが前に立ち周囲を警戒する。
重量級の存在感が下草をバキバキと音を立てて倒しながら進んでくる。
統制された動きで、八方から一斉に“緑獣”たちが姿を現した。
鋭い牙を持つ体調二メートルほどの大きな猪。
“緑獣”の印である緑色の目がしっかりと俺たちを捉えている。
三人組はその場にへたり込んでしまった。
『カル様、私とアルメの二人で道を切り開きます』
ミクランが敵を警戒して≪念話≫切り替えた。
このような近い距離で≪念話≫を使うのは、俺が話せるようになって以来久し振りのことだ。
ちなみに今では同時に複数の相手と≪念話≫ができるようになっている。
『派手にやる』アルメも≪念話≫に加わる。
『カル様はその隙に全力で森の外までお逃げください』
ミクランとアルメは魔力を高めるために集中をはじめた。
『待てミクラン。アルメ。まだ敵と決まったわけじゃない。それに子供の俺が全力で走ったところですぐに追いつかれるさ。この三人組も逃げるどころじゃないだろうし』
『わかりました。作戦を変更します。アルメが暴れ敵の注意を惹き、その隙に私がカル様を抱えて逃げます』
『ミクラン。グアイ、メリカ、アドルの三人はどうなる』
『この身を犠牲にしてもカル様を守る義務がある』
滅多に見せないアルメの真剣な表情。
『カル様。お叱りは後で甘んじて受けます。この場を切り抜けるには、これしか方法がありません』
こうしている間も、“緑獣”たちによる包囲網がじわりじわりと狭まっている。
“緑の民”のミクランとアルメにとって、命を懸けてまで人間の子供を守る理由はない。
二人が大切なのはカルロスだけだ。
『ダメだ。誰か一人でも犠牲になるような作戦を俺は認めない。まだ敵かどうかもわからないんだ。こちらからは手を出すな』
いくら人間が嫌いだと言っても、子供に罪はない。
成長し、大人になり、社会に染まればどうなるかは知らない。
だが、今この三人組を見捨てることはできない。
“緑獣”たちはもう目前まで迫っている。
ミクランとアルメが両手を広げて“緑獣”と俺たちの間に立ちはだかる。
ミクランの見立てでは、“緑獣”の力はⅢB類、単体で相手をするならⅡC類の力を持つミクランとアルにとって問題にならない相手。
しかし“緑獣”の数が多すぎた。
「カル様、肝心のエリオが姿を現しません」
ミクランに焦りが混じる。
「“緑獣”相手じゃ交渉ができない」
アルメが周囲に鋭い視線を送る。
「これだけ統制のとれた“緑獣”の動きですから、エリオは必ずこちらが見える位置に潜んでいます」
「俺たちの相手は緑獣に任せて、高みの見物か」
見える範囲にいるなら声は届くはずだ。
「エリオ。聞こえているだろ」
俺は叫んだ。
「俺は領主の息子カルロス・リンナエスだ。話し合おう。姿を見せてくれ」
“緑獣”たちの動きが止まった。
森が静寂に包まれる。
正面にいた“緑獣”が口を動かした。
「話し合うことなど何もない」
「お前がエリオか」
驚く。まさか“緑獣”と同じ姿をした“緑の民”がいるとは。
「カル様、違います。口寄せの魔法で“緑獣”の声を使っているだけです」
顔が真っ赤になる。
「久しぶりに森が騒ぐのできてみたら、若い“緑の民”が二人と、人の子が四人。“緑の民”の二人は、そう気配は“緑の民”だが、目の色が異なる。そして人の子の中でおかしな気配を出す一人は自分を領主の息子だという。おかしな連中だ。私はこの森で静かに暮らしたいだけ。話し合うことなど何もない」
話終わるやいなや、“緑獣”たちが一斉に襲いかかってきた。
飛び出したアルメが、先頭の一匹に渾身の踵落としを入れる。
轟音が響き土煙りがまう。
土煙りが収まると地面に小さなクレーターができていた。
前のめりに倒れた緑獣の頭が地面に埋まっている。
一撃で勝負がついた。
「すっげえ」
グアイが小さく声を漏らす。
魔力で身体を強化した肉弾戦がアルメの戦闘スタイルだ。
アルメを警戒して“緑獣”たちの動きが鈍った。
アルメの狙い通りだ。
ミクランは既に集中に入っている。
全身の魔力が高まっていく。
ミクランは一発に賭けるつもりだ。
“緑獣”の一頭がアルメに飛びかかってくる。
アルメはその頭に回し蹴りを入れる。
“緑獣”はその一撃で吹き飛ばれた。
すぐさま次の“緑獣”に向かって蹴りを放つ。
楽々倒しているようにも見えるが、アルメにそれほどの余裕はなかった。
一撃一撃に多くの魔力をのせている。
このままでは時期に魔力切れになる。
アルメは渾身の蹴りで次々と“緑獣”を倒していく。
素早い動きで“緑獣”を翻弄している。
けれど、徐々にアルメが押し戻されている。
数の暴力に対抗するすべが見出せない。
俺はただそれを見ていることしかできない。
アルメはついにミクランのいる所まで押し戻される。
肩で息をしている。
倒れている緑獣は相当な数だが、無傷の緑獣もまだ数え切れないほどに多い。
「お待たせしました。パフィ族の巫女だけが操れる私の最大魔法です。エリオの“緑獣”たちよ、これでもくらいなさい」
こんな時でもミクランは相変わらずの口調だ。
ミクランが両手を前に突き出して唱えた『女神のスリッパ』。
空が割れ、“緑獣”たちの頭上高くに巨大なスリッパが現れる。
俺はパフィオペディルム属がその花の形から『女神のスリッパ』という異名を持っていたことを思い出した。
驚いた“緑獣”たちが逃げる間もなく巨大なスリッパが森の木々ごと“緑獣”たちをまとめて踏み潰した。
轟音が鳴り響き、辺り一帯が砂埃に包まれる。
しばらくして砂埃が収まる。
俺たちの目の前には、長辺五十メートル短辺二十メートルほどの何もない楕円形の空き地ができていた。
緑獣たちは樹木もろとも押し潰された。
ペチャンコになったそれらは一体で、何が何だかもはや判別はできない。
目の前に誕生した景色に唖然とする。
エコじゃない。
「ちょっと何というか、これは、ものすごいな。ミクラン、アルメ、やったな」
俺の言葉に二人は頭だけ振り向いて笑った。
魔力を使い果たしてその場に座り込んでいる。
後方のメリカとアドルは二人で手をつないだままで、うずくまっている。
幸い怪我はなさそうだ。
グアイだけはもう立ち上がっているが、体に力が入っていない。
「カル様。ダメでした」
ミクランが悲痛な声を出した。
周囲の森の中から、先ほどに倍する緑獣たちが地響きと伴にゆっくりと姿を現した。
それは圧倒的な威圧感だった。
「こんなにいるなんて、反則だ」
アルメが力を振り絞ってなんとか立ち上がる。
「“緑獣”の力と数は、それを従える“緑の民”の力に比例します。エリオの力量は私の想定を大きく超えているようです。魔法使いではなく魔導師」
「ミクラン、アルメ、もういい、逃げよう」
逃げることなどできない。
逃げる方法がない。
それは分かっていた。
“緑獣”たちが迫ってくる。
ミクランも立ち上がる。
立つのがやっとのようだ。
力が入っていない。
グアイがそばに落ちていた木の棒を拾い上げて駆け寄ってくる。
“緑獣”たちはなおも近づいてくる。
ミクランとアルメの二人が揃って構える。
「カル様、お守りできなくて、ごめんなさい」
二人が振り向くことなく声を揃えた。
“緑獣”たちが弱った獲物に一斉に飛びかかった。
グアイが木の棒を振り上げて勢い良く二人の前に飛び出す。
「やめろー!」
俺は力の限り叫んだ。
“緑獣”たちの動きが止まった。
グアイが勢い余って“緑獣”に体当たりして、弾き返された。
派手に転んだ。
ミクランとアルメがその場に再びへたり込んだ。
“緑獣”たちは動かない。
「カル様。何をなさったのですか?」
「いや、わからない。これは俺がやったのか?」
「いててて」
グアイが起き上がって戻ってきた。
幸い怪我はしていないようだ。
“緑獣”の毛皮がクッションになったのかもしれない。
「グアイ、大丈夫ですか。あれは無茶でした。あんなことをしてはいけません」
グアイの無謀な行いを注意するミクランの口調は、いつになく優しいものだった。
「…いうから」
「えっ、なんですか?」
「親父がいつも、男だったら女子供は命をかけて助けないといけないって言うから」
まだ子供のグアイの言葉に、ミクランは一瞬キョトンとしたのち、声をあげて笑った。
俺はミクランがこんな風に笑うのをはじめて見た。
「笑うな。次は助けない」
「ええ、次からは助けていただなくても結構です」
あのミクランも状況によって口下手にもなるようだ。