第006話 街の子供
北東の森の散策を終えた俺たちは、街の外れまで戻ってきた。
リンナエス男爵領の本拠地であるこの街の名はリンナエス。
エクアラセア神聖王国の王都がエクアラセアであるのと同じで、他の貴族領もわかりやすさを優先してほぼこのパターンになっていることが多い。
街の人口は二万人ほど。
男爵領では一番大きな街で、領民の一割がこの街に暮らしている。
本拠地の街に暮らす領民が一割というのは、王都に近隣の貴族領では考えられないほど低い比率だが、主な産業が農業という辺境地域ではこれくらいの比率が一般的だ。
農業を生業にする領民達は街ではなく、それぞれの農地に寄り添って暮らしている。
リンナエスは国境線沿いにある街だが、外壁などに囲われているわけではない。
他の街とを結ぶ街道に、それぞれ小さな関所が設けられているだけで、外敵からの侵攻を考慮されていない造りともいえる。
これは王国南部の国境沿いの街に共通したことで、『森海』からの外敵の侵攻などありはしないだろう、という過去の実績と未来への期待と限られた予算の効率利用から採用されている施策だった。
街の内と外はなだらかに分かれていて、そこに明確な境界はない。
隣接する小国群からの国境防衛の任を担う王国西側の街や、魔物の領域との国境線にある北側の街ではこうはいかない。
「カル様。そろそろ」
周囲への警戒役を担っていたミクランが促す。
「ああ、そうだな」
俺は慣れた手つきで左目に眼帯を装着する。
俺の左目は“緑の民”の特徴である緑色をしている。
領民たちにそれを見せるわけにはいかない。
屋敷の自室にいる時や、今回の人目につかない散策のような場合を除いて、俺は常に眼帯をして左目を隠している。
「優占種、見つからなかったな」
「カル様、優占種はいわば森の主ですが、魔物の領域の支配者のように自己主張しているものは稀です。私たち植物は慎ましやかに生きているのです」
「そうはいうが、森の中って、右を向いても左を向いても、下を向いても上を向いても、周囲全部が植物だからな。視界に入るだけでも何十種類もの植物があるわけだ」
「それが森というもの。イェイ」
「そんな中で優占種の判定材料が、種全体での魔力の占有率というのは見つけようがないんじゃないか。例えば、一つ当たりの魔力は微量だけど数が無数にある植物と、一つで大量の魔力を宿しているけど希少な植物とで、魔力の総量を比べるなんて事実上不可能だろ」
「カル様。そんなことは優占種探しをはじめる前からわかっていました」
ミクランの幼顔に合わない目力にたじろぐ。
「それはそうだけどさ。“緑の民”にだけ伝わる極秘の見分け方とかないのかなって」
「そんなものはありません。“緑の民”は優占種を探したりしません。優占種から“緑の民”が生まれればわかることですし、優占種がわかったところで意味があるとは思えません」
「それだと、優占種から生まれた“緑の民”がその森から移動してしまったら、もうその森の優占種がどの種なのかわからないわけだろ。優占種はその森で一番魔力を占有している種なんだから、その種がわかれば何かお得な利用方法があると思うんだけどな」
「確かに優占種となっている種は、他の地域に生える同じ種よりも個々に宿している魔力量が多い傾向があります」
「それなら利用価値はありそうだな。その魔力量の差から優占種を見つけられないだろうか」
「多いとはいっても種によってその差はまちまち、運が良ければ判断材料になるかもという程度。イェイ」
そうこうしている間に、俺たちは街の中心部近くまで戻ってきた。
土を固めただけだった道路もこの辺りは石畳になっている。
両脇には排水用の溝が整備されている。
石造りの重厚な建物がちらほらとは建つものの、主な建造物は木造だ。
周囲に森が多いので材料調達の利便性から自然にそうなる。
板壁の建物もあれば、漆喰で塗り固められた建物もあった。
この中心部北側の区画は市場になっている。
間口の狭い商店がひしめき合って賑やかだ。
どの店も通りに簡便な屋根と棚を設置して多彩な商品を並べている。
夏の夕方にはほとんど毎日スコールがくるこの地域の商店には雨除けが必須だ。
ちなみに、プラントハンターギルドの建物は街の南側にある。
利便性を優先してのことで、ようするにプラントハンターたちの仕事場となる『森海』がそちらの方向にあるからだ。
賑やかな市場の通りを歩いていると方々から声をかけられる。領主の息子である立場を自覚するが。
「カル様、今日はどちらへ」
「カル様、ウィン様のお加減はもう良くなりましたか?」
「カル様、これ食べてください。すっかり熟していて美味しいですよ」
「カル様、ピオニー様はお元気ですか?」
「カル様、今朝収穫したばかりのファバでさあ。塩茹でにして食べると絶品でさあ」
カル様、カル様、カル様、前世では植物が話し相手だった俺は、愛想笑いを振りまきながら、少し早足になって市場を抜ける。
ウィン様というのはウィンストン・リンナエス、今年生まれたばかりの俺の弟だ。
ピオニー様は俺の妹でピオニー・リンナエス、3歳だ。
2人が俺と同じ“植物と人とのハーフ”というわけではない。
俺も含めて3人とも母親が違うので異母兄弟だ。
2人の母親はそれぞれ近隣の貴族家の次女と三女で、人間だ。
この世界では当たり前の貴族家同士の政略結婚。
俺の母親セディは正妻で、アレクセイとの夫婦仲は良好だが、リンナエス男爵家の当主であるアレクセイは男爵家の安定のために、側室を置く必要があった。
セディが俺を産んだ後、順序良くピオニーとウィンが生まれた。
子供は妻の序列の順番に沿って作るのがお家安定の秘訣だそうだ。
貴族社会は大変だ。
ファバはソラマメのことだったと思い出す。
脇道から見慣れた顔が飛び出してきた。
三人の子供だ。
よく見知った三人組だが、アルメはすっと俺と子供たちの間に体を入れる。
自然な動作で、子供は警戒されたとは気がつかない。
「カル、また森に入ってたな」
リーダー格のグアイに紅一点のメリカが続く。
「次に森に行く時には、私たちも一緒に連れて行ってってお願いしていたのに」
「そうだぞ。約束したのに」
年少のアドルは俺と同じ五歳だ。
「ああ、悪い悪い。行きがけに探したんだけど、見かけなかったからさ」
本当は探してなどいない。
「本当に?」
メリカが疑いの目を向けてきた。
こんな年でも女は鋭い。
「今回は、いつもより早くに出たからな」
これは本当だ。
俺は森の散策をとても楽しみにしている。
今日は早めに屋敷を飛び出した。
三人組に遭遇しないためというわけではなかったが、三人組は連れて行きたくないというのが本音だ。
「次はいつ行くんだ。明日も行くのか」
グアイが子供らしい遠慮のなさで聞いてくる。
「えっと、いつにしようかな。まだ決めていないけど」
領主の息子である俺だが、三人組には強く出れない。
というのも、つい先日まで彼らが街での俺の遊び相手だったからだ。
五歳になるまで俺が街の外に出ることが禁止されていた。
俺はミクランとアルメを連れリンナエスの街中をウロウロしていた。
異世界なので、はじめは見て回るだけでもそれなりに楽しみはあった。
しかし領都とはいえ、辺境のそれほど大きくはない街。
すぐに見るものは尽きた。
そんな時、偶然知り合ったのがこの三人組だ。
親に充てがわれた臣下の子供ではなく、偶然知り合った領民の子というのが良かったのだろう。
はじめは、領主の息子として領民との交友関係も先々で何かの役に立つかもしれない。
なんて嘯いていた中身がおっさんの俺だったが、何の打算もなく、気負いもなく、素で接してくれるこの三人組との時間を単純に楽しむようになるのに時間はかからなかった。
「カル様には私たちが付いている。森は危ない。お子様は邪魔だ」
アルメの率直な物言いが今はありがたい。
リーダー格のグアイでもまだ十歳で、ミクランやアルメよりずっと背が低い。
お子様扱いだ。
「アルメとミクランだけ、ずるいんだ。私たちもカル様と一緒に遊びたいもん」
「カル様も、森へは私たちだけでいきたいと思っている」
「そんなことないだろ、カル」
「そうだよ。カルは私たちも森に連れて行ってくれるって言ったもん」
「約束したのに」
「カル様は約束はなさっていない。お前たちにお気を使って、明確な返答を避けただけだ」
三人組の前に立ちはだかるアルメの壁。
「うるさい、このデカ女」
その単語がアルメに対して禁句なのはグアイもわかっている。
アルメの手がグアイの顔の前にすっと上がった。
グアイは反応できない。
アルメが軽くデコピンをした。
軽くだが、人外の力を持つアルメのデコピン。
グアイが吹っ飛んだ。
ミクランが頭を抱える。
メリカとアドルが振り返る。
ミクランがアルメの短慮を非難した。
「しつけは大切。イェイ」
アルメに悪びれた様子はない。
メリカがグアイに走り寄った。
状況に驚いたアドルがその場で泣き出してしまった。
ようやく起き上がるグアイ。
体についた土を手で払う。
擦り傷から血が滲んでいる。
グアイはメリカの制止を振り切り、アルメの前まで駆け戻ってきた。
だが、そこまでだ。
ただ立っているだけのアルメだったが、彼女はⅡC類クラスの怪物だ。
子供ながらに何かを感じ取ったグアイは身動ぎさえできなくなっていた。
「大丈夫か、グアイ」
俺は声をかけた。
「うん。このくらい大したことない」
グアイが意地をみせる。
「怪我をしないように、調整した」
アルメが追い打ちをかける。
グアイが拳を強く握った。
アドルは泣き続けている。
戻ってきたメリカがあやすと、泣き声はさらに大きくなった。
俺は背後から突き刺さるいくつもの視線を感じていた。
振り返って確認はしない。
賑やかな市場とはいえ、相当に悪目立ちしているだろう。
これも全て短気なアルメの責任だが、今ここでそれをどうこう言っても仕方がない。
「わかったわかった。明日、森に連れていってやるよ」
「ホントに?」
アドルが泣きながら顔を上げた。
「ああ、約束する」
「やったー」
アドルが笑った。
もしかして演技だったのか。
いや、そんなことはないだろう。
本物の五歳は、このくらい感情の切り替えが早いのだ。