第064部 内森の真ん中で
領都ドゥースブルクと警戒線を結ぶ“内森”のほぼ中間地点。
捕まっていたネペンテスたち三人を救出した俺たちは、ネペンテスたちと合流を果たした。
一人も欠けることなく揃った四十人のネペンテスたちの、しかしそのボロボロな姿に俺は驚かされた。
怪我のない者は一人もいなかった。
槍による深い刺し傷を負っている者も多い。
しかし、ネペンテスたちは怪我などお構いなしというように救出されたラジャ、ヒルスタ、ペルタの三人を取り囲んで喜び合っている。
「ネペンテスたちはかすり傷程度だと聞いていたんだけど」
「はい。カル様。見ての通りのかすり傷です」
フミの幼顔に冗談を言っている気配はない。
「いやいや、あれはどう見てもかすり傷じゃないから。でもなんか元気そうだけど」
「はい。みんなここまで自らの足で走って移動してきたくらいですから」
それも人間には真似のできない速度でだ。
だから重傷ではない。フミはそう主張する。
俺基準でも深い森の中を一昼夜走り続けられる者たちを重傷とはいわない。
「カル様が≪接ぎ木≫で強化した成果です。イェイ」
フミがいつものポーズで微笑む。
そういうことじゃないんだけど。
「とにかく傷の手当てをしないと」
「手当てするための道具がありません。それにここで手当てをするより早くこの森を抜けて『深海』に戻るべきです」
傷の手当の道具がない。
うっかり持ってこなかったのではなく、そもそも在庫がなかったのだ。
方や村を襲撃され追われた者たち、もう一方も翼竜に襲われた者たち、もともと僅かな備蓄はとっくに使い切っていた。
実はフミは一人分だけは確保している。
それはカルロスに万が一のことがあった場合の備えで、軽症のネペンテスたちのために使うつもりはない。
ネペンテスたちを代表してラフレシアナもフミの意見に賛成する。
「フミ様のおっしゃる通りです。この程度の傷は問題ありません。それよりも時間が経つほど警戒線の警備が厳重になります。先を急ぎましょう。大丈夫ですよ。こんな傷、舐めておけば治りますわ」
この数日で慣れたとはいえ、清楚な見た目に反して男前な性格のラフレシアナに俺は苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、傷の手当は後にするとしても、少し休憩はしよう。休んでいる間にラビアタたちも追い付いてくるだろう」
ここまで丸一日ほとんど休憩もなく深い森の中を進んできている。
ちょうどよい機会なので少しまとまった休憩を取ることにする。
俺自身も長時間抱っこされての移動で体がカチコチに固まっている。
俺は体を伸ばしながら周囲を見渡す。
パーシとルデマが哨戒について打ち合わせをしている。
下手に口を挟むより任せておけば安心だ。
仲間と合流できた喜びが一段落したラジャ、ヒルスタ、ペルタの三人は、座り込んでしまっていた。
頭を下げて疲労困憊という様子だ。
抱っで移動している俺が一番へばっているのかと思ったらそうでもなかった。
捕まっていた期間、檻に閉じ込められ、食事もまともにしていなかったのだから弱っているのが当然だ。
ここまではなんとか強行軍で移動してきたが、この状態で警戒線を突破するのは心許ない。
ということで、俺は三人の強化をここですることにした。
ココスを連れて三人の元に移動した。
ラフレシアナから説明を受けた三人は、躊躇なく同意してくれた。
俺は≪接ぎ木≫でココスの身体能力をラジャ、ヒルスタ、ペルタにそれぞれ移植した。
もう慣れたものだ。
何の問題もなく完了した。
三人とも自分の体に与えられた新しい力に驚き、戸惑い、そして喜んだ。
強化と同時に体力もある程度は回復したようだ。
救出作戦に無理やりついてきた俺だったが、はじめてわかりやすく役に立てた。
そうこうしている間に、族長ラビアタが率いるカトレ族の本体が合流した。
ワーディとヴェナスも一緒だ。
ラビアタが自分たちの移動速度に付いて来れたワーディとヴェナスの2人に感心していたが、当の本人たちは当然だと肩を竦めただけだ。
ディラックたち三人組は別行動だ。
旧ネペンテスの村を目指し、どこからか手に入れてきた馬で街道沿いを急いでいた。
森の中を本気で移動する“緑の民”の移動速度に付いて来れる人間はいない。
≪念話≫で報告を受けていたがラジャたち三人の他に捕まっていた者はいなかった。
ワーディ、ヴェナス、ラビアタたちが一人も欠けることなく無事に合流できたことを喜びつつも、俺の心に重いものがのしかかってくる。
ワーディがそういう性格ではないことはわかっているが、実は行方不明者を全員無事に救出してきました、というドッキリではなかった。
“緑の民”は一つの種から一人しか生まれない。
“緑の民”が死ぬとその種からまた新しい“緑の民”が生まれる。
いつ生まれてくるのか、知るすべはない。
そして、記憶は引き継がれない。
生まれ変わるわけではない。
新しく生まれるのだ。
死んでしまった者たちはもう生き返らない。
ラビアタに促され、ワルケリが二本の小瓶を俺に差し出した。
俺がその小瓶を受け取ろうとすると、横から手を出したフミが代わりにその小瓶を受け取った。
フミの行動にちょっと驚く。
小瓶の中に満たされた液体の中に何かが浮いていた。
「これは何?」
珍しくワルケリの口が重い。
ワルケリは隣にいるターメを振り返る。
ターメは驚いて小刻みに首を振る。
ラビアタがゆっくりと息を吐いてから説明する。
「その中に入っているのはアラタ殿の眼です」
「アラタの眼?」
俺はフミの持つ小瓶を恐々と確認する。
自分で受け取らなくてよかった。
「ドゥースに仕えていた魔術師がアラタ殿の眼を摘出し、その液体の中に保存したということです。その液体の中では眼は腐ることなく生きていた時の状態を保っています」
「アラタは?アラタは無事なのか?」
もしも無事ならこんな小瓶だけ見せたりはしないだろう。
そんなことはわかっていたが、それでも確認せずにはいられなかった。
「アラタ殿は亡くなりました。村が襲われた際、最初に捕まったペルタを助けるために神聖騎士団副団長シーモアに挑み、深手を負ったようです。捕まったアラタ殿は他のネペンテスたちと共に街まで連れて来られましたが、すぐに、、、その際、眼だけが摘出されたようです」
仲間を助けるために跳び出し、返り討ちに合った。
アラタらしい話だ。
だがまったく褒めようとは思わない。
「どうして眼なんか」
俺の疑問にフミが答える。
「カル様。人の間で“緑の民”の瞳は万病を治す薬になると信じられています」
俺は以前にフミからその噂話について聞いていた事を思い出した。
「でも、それは噂話なんじゃ。本当にそんな効果があるのか?」
フミはゆっくりと首を横に振る。
「それはわかりません。“緑の民”はそんなこと試したりはしませんから。しかしそれを信じている人間がいるのは確かです」
「それよりもカルロス様。このようなものを回収してきたのは、先程申し上げたように、この眼は生きていた時と同じ状態だということです。カルロス様のお力で、この眼からアラタ殿を蘇らせることができないでしょうか?」
ラビアタの言葉に、遠巻きに事の成り行きを見守っていたネペンテスたちが息を呑む。
俺の頭の中にラビアタの言葉が響く。
この小瓶の中の眼からアラタを蘇らせる。
そんなことは可能なのだろうか。
眼は生きていた時と同じ状態だという。
古代遺跡の魔物退治の後、『接ぎ木』の能力でアラタの失った右腕を再生した。
右腕の再生はできた。
しかし、だからといって眼から全身を再生するなんて可能だろうか。
フミが静かな声で告げる。
「残念ですが、眼からアラタを蘇らせることはできません。アラタの“植物核”が失われています。カル様の≪接ぎ木≫であれば身体だけは元通りに作り出せるかもしれません。しかし、“植物核”だけは再生できません。そこには心が宿りません」
ラビアタがハッとする。
“植物核”が失われている。
ターメから話を聞いたラビアタはそんな当たり前のことに気付かず、みんなに変な期待を抱かせてしまった自分に怒りを覚える。
「“植物核”がない」
俺はそれでも考えるのを止めない。
アラタの身体だけなら俺の≪接ぎ木≫で復元できるだろうとフミは言った。
≪接ぎ木≫は植物たちの細胞が本来備えている分化全能性を引き出せる。
つまり、俺の魔力量を度外視すれば、どれだけ体が損壊しても、極端な話、たった1つでも生き残った細胞がありさえすればそこから必要な細胞への分化を促し、すべてを元通りにできることになる。
しかし“植物核”だけは再生できない。
“植物核”は長い時間をかけ膨大な魔力を貯め込んだ植物が“緑の民”や“緑獣”にその姿を変える時に生み出され、その体内に宿るという。
ということは俺がいるという状況に置いて、“緑の民”の体内に宿る“植物核”、それは人間にとってのすべての臓器を合わせたよりも重要な意味を持つことになる。
もはや彼らの本体だと言ってもよいだろう。
「“植物核”は再生できない」
「残念ながら」
ラビアタが目を伏せる。
「“植物核”は植物からしか生まれない」
俺の呟きに周囲を重い沈黙で答える。
破ったのはターメだった。
「だったら、カル様の力なら、植物から新しい”植物核“を生み出せばよろしいのではないでしょうか?」
俺は首を傾げる。
ターメの言いたいことがわからない。
「つまり、ネペンテス・アラータの森まで赴き、アラタの眼から体を再生しつつ、そこに新しい“植物核”を埋め込むというわけです」
アラタの体に新しい“植物核”を埋め込む。
それはアラタなのだろうか。
それ以前に“植物核”を生み出せるのだろうか。
馬鹿と天才は紙一重というが、俺はターメを見つめる。
天才には見えない。
ターメが照れる。
「“植物核”は植物が変化するもの、生み出すというよりはカル様の力でその変化を促すということになるでしょう」
フミが思案顔だ。
「えっ、フミは俺の力でそんなことが可能だと?」
「わかりません。でも、できるかもしれません」
カル様がこれまでやってきたことを考えると。フミはブツブツ言っている。
「でも新しい“植物核”には肝心の記憶が引き継がれないんだろ、だったらそれはもうアラタではないんじゃないか?」
俺の言葉に周囲の“緑の民”たちが一斉に首を傾げた。
「それの何が問題なのですか?」
ターメに惚けている様子はない。
「だって、記憶が引き継がれないなら、それはもはや別人だから」
「だから?」
「だから、、、それは今までのアラタではないから」
「ないから?」
「から、、、もしかして、気にならないのか?」
「はい。カルロス様が何を気にしておられるのかさっぱりわかりません」
俺はその場に崩れ落ちそうになり、フミに支えられる。
「カル様。“緑の民”は人間とは違った死生観を持っています。“緑の民”はその種から一人しか生まれません。つまり同じ種の中で“緑の民”にならない仲間たちの方が圧倒的に多いのです。その仲間たちは自然の摂理に従い、“緑の民”となった私たちよりずっと短い期間で死んでは生まれるということを繰り替えしています。そこに記憶に引き継ぎなどはありません。それは自然なことです。そして、私たちも長命ではありますが不死ではありません。古いアラタが死に、新しいアラタが生まれる。これも同じように自然なことです。仮にアラタが死なずにすむというなら、それはどんなことをしてでも助けたいと考えますが、もう死んでしまったのであれば、私たちは新しいアラタを喜んで受け入れます」
上手く頭が働かない俺にフミは付け加えた。
「新しいアラタに古い記憶はありません。カル様はその事をとても気にしておられるようですが、“緑の民”の我々にとってそれは問題にはなりえないのです」
根本的な考え方の違い。
すんなりとは納得し得ない理屈がそこにはある。
しかし納得しきれないのは俺の中の問題で、“緑の民”であるフミたちにとって問題はないにもない。
今優先すべきはその点だろう。
記憶は引き継がれないが、アラタを蘇らせる。
しかし。
「ネペンテス・アラータの森がどこにあるかもわからない」
眼だけになってしまったアラタに聞くわけにはいかない。
「それならシプラ様が御存じです。アラタさんが生まれた森は、旧ネペンテスの村からそれほど遠くなかったはずです」
ペルタが顔を上げた。
その目からは期待がひしひしと伝わってくる。
「上手くいくかはわからないよ」
「カルロス様なら大丈夫ですわ」
ラフレシアナの言葉にみんなが頷く。
「そうだな。試してみよう」
「そうと決まれば、こんな軟弱な森はさっさと抜けて『深海』に帰りましょう」
「うん、そうだな。あと、さっき考えていて気が付いたんだけど、みんなのその傷は俺の≪接ぎ木≫ですぐに治せそうだね」
フミがさりげなく俺から視線を逸らせた。
最初から気づいていたようだ。
「ここはまだ敵の勢力圏内。思いがけない反撃がある可能性もあります。あんなかすり傷を治すためにカルロス様の魔力を消費することはありません。カルロス様がネペンテスたちを治したいとお思いなら『森海』に戻ってからにするのが良いでしょう」
ワーディがフミを擁護する。
気が付いていなかったのは俺だけかもしれない。
ネペンテスたちの傷の手当より、俺の魔力を温存するほうが大切。
それは怪我をしたネペンテスたちを含めここにいる“緑の民”の総意のようだ。
俺、過保護に扱われ過ぎじゃないか。
「うーんと。今この場でネペンテスたちの傷の手当てをする」
「カル様」
「いや待って。ここはまだドゥース子爵領内で安全じゃない。だからこそネペンテスたちの傷の手当てをする。それで、みんな万全の状態でさっさとこの森から抜け出そう。それが安全だよ」
俺はそう宣言すると、まだ遠慮するネペンテスたちに問答無用で治療した。
多少なりとも手間取ったのは最初の一人だけで、すぐにコツはつかめた。
≪接ぎ木≫の前段階で何度もやっていることだ。
傷ついた細胞の周辺にある無事な細胞に働きかけ、筋肉、骨、皮膚、必要な組織への分化と増殖を促し、傷を修復していく。
槍で突かれた深い傷もみるみるうちに間に塞がっていく。
ワルケリとターメは、ディラックが親友の息子の治療のためにアラタの眼の片方を欲しがっているということをカルロスに伝えていない。
二人は意地悪しているわけではない。
“緑の民”の彼らにとって人であるディラックの話は、カルロスの気を煩わせる価値さえない小事だった。
アラタを復活させるため、これから旧ネペンテスの村へ移動する。
ディラックに告げた合流場所も同じく旧ネペンテスの村だった。
ディラックたちが間に合えば自分たちでカルロスに話をするだろう。
間に合わなければ縁がなかったというだけのことだ。