第059話 ラフレシアナ
中央広場に防衛線を張っている兵士たちの指揮官はダチュウだ。ネペンテスの村を襲った際の、ドゥース子爵兵の兵士隊長である。
ダチュウは目の前に現れた“緑の民”たちの精悍な姿に自らの目を疑った。
南の外門が巨人たちに襲撃されている。その急報を受けたダチュウは、オークション開催に合わせたタイミングだったことから、ネペンテスの村の“緑の民”が性懲りもなく仲間を救出するためにやってきたのだと考えた。ラビアタの思惑通りだった。
ネペンテスの村の襲撃で活躍した神聖騎士団はいないがそれは問題ではない。あの村の見掛け倒しの“緑の民”なら脅威ではない。わざわざあちらから捕まりに来てくれたことは信じられない幸運だ。
あの村では指揮権を持っていた神聖騎士団副団長シーモアの愚策で、多くの“緑の民”をみすみす逃してしまった。配下の犠牲を犠牲とも思わないダチュウにとって、シーモアの安全策は理解できない。
魔物が跋扈する森海ではない安全な街の中であれば、“緑の民”など配下の兵士たちだけでも取り押さえられる。
多少の犠牲は問題にならない。自分さえ無事であれば。部下は上司の犠牲となるために存在するのだ。
ダチュウはほくそ笑んだ。
300人の兵士たちはダチュウの期待し通りに動いている。手早く中央広場に陣形を展開し、ネペンテスたちを待ち構えている。
ここまではダチュウの思い通りだった。
しかしその後次々と入ってくる報告にダチュウを困惑させられた。
南の外門が跡形もなく破壊された。
ギルドの建物が倒壊した。
急行した衛兵の一隊がなすすべなく倒された。
そのどれもがダチュウの知るあの村のネペンテスたちには不可能だと思えることだ。にわかには信じがたい報告に対してダチュウが考えあぐねているところに、ラフレシアナに率いられたネペンテスたちがその姿を現した。
一目で村にいた“緑の民”と様子が違うことはわかった。
戦意旺盛なその姿に、ダチュウは背筋が寒くなった。
ダチュウの視線の先でネペンテスたちが武器を振り上げて突撃してきた。
その足取りにはまったくの躊躇がなかった。
3メートルの巨体から振り下ろされる巨大な大槌。
振り下ろされたそれは、最前列にいた兵士たちを容易く吹き飛ばした。
広場に転がった兵士たちの腕は有らぬ方向に折れ曲がり、兜はその中身ごと潰れ、内臓は破裂し、口からは大量に吐血している。
初撃がもたらしたあまりの惨状に、兵士たちはじりじりと後退した。
「怯むな! 攻撃しろ!圧倒的にこちらが多いんだ」
300人の兵士と40人のネペンテス。
数の差から勝利は約束されたはずだった。
ダチュウの叫び声で正気を取り戻した兵士たちは、握り直した槍をネペンテスたちに突き出した。
勇敢な兵士たちの行動は、ネペンテスたちの反撃によって報われる。ネペンテスたちの振るう圧倒的な暴力により、兵士たちは軽々と吹き飛ばされていく。
それでも兵士たちの文字通り命を懸けた攻撃が、ネペンテスたちの巨体に少しずつ傷を刻んでいく。
その様子をじっくりと観察していたダチュウが口の端を上げる。
「慌てるな! 敵の動きをよく見ろ! ただ大振りで振り回しているだけだ。こいつらは図体がでかいだけの素人だ! 槍の利点を活かせ、距離を取って攻撃しろ」
兵士たちは日頃の訓練が体に染みついていた。この場を生き残るため、無我夢中で隊列を立て直し、槍襖を作る。絶え間なく槍を突き出す。
兵士たちの組織的な反撃を受け、攻めあぐねたネペンテスたちの前進が止まる。
「怯むな。押し返せ! 」
ラフレシアナは仲間を鼓舞する。数の差はあれ貧弱な人間たちに押し負けるはずがない。
「俺に任せろ」
シブヤンは大槌を振り回し、力任せに打破しようと無理に前進した。直後、兵士の一人の狙いすました槍がシブヤンの太ももに深々と突き刺さる。
「くそっ! 」
「大丈夫か」
シブヤンは仲間に肩を担がれ後方に下がる。その影響でネペンテスたちの隊列が僅かに崩れる。
「今だ。押し込め! この機を逃すな」
ダチュウの命令に反応した兵士たちが隊列を維持したまま前進する。無数の槍の刃先が生み出す圧力に屈し、ネペンテスたちはじりじりと後退りはじめる。
このままではまずい。もしかしたらこの時が退却のタイミングだったのかもしれない。
しかし、ラフレシアナは迷った。
押し負けつつある今の状況で後退の指示を出すと、収拾がつかなくなるかもしれない。ラフレシアナは決断が下せなかった。
後退しながら戦線を維持するのは難しい。個々の力の差はあれ、それは即席の訓練しか受けていないネペンテスたちにできる芸当ではない。
ラフレシアナに額に大粒の汗が流れる。状況を打開する手がない。
やがてネペンテスたちは崩れはじめた。
ラフレシアナの鼓舞する叫び声が、すぐ傍にいる仲間たちの耳には届かない。
数えきれないほどの刃先が眼前に迫る。
はじめての実戦でその恐怖に耐えきれるものではなかった。
崩れはじめるとあっけなかった。
ネペンテスたちは恐慌状態に陥った。我先と敵に背中を見せて逃げだした。
「逃げるな! 踏みとどまれ!」
森に逃げ込むのははじめから決まっていることだ。しかし、隊列を崩され無秩序に逃げては森まで辿り着けない者が出る。このままでは犠牲者が出る。
屋敷に捕らえられている仲間たちが救出されても、別の者が捕まったのでは意味がない。カルロス様に顔向けができない。
犠牲になるなら自分。
ラフレシアナは武器を振り上げた。
そこにワーディから≪念話≫が届く。
『ラフレシアナ。無理に立て直そうとしても混乱するだけだ、そのまま全力で森まで走れ』
丘の上からネペンテスたちの戦いを注視していたワーディは、ネペンテスたちが潰走に転じた様を捉えていた。
『しかし、このままでは森まで逃げきれない』
『大丈夫だ。考えがある。こちらを信じて逃げることに専念しろ』
槍を構えた兵士たちが模範的な隊列で突撃してくる。鋭い槍先が次々とネペンテスたちの体に突き刺さる。
ラフレシアナの意に従い戦おうとする者と敵の槍に追い立てられ逃げる者が入り乱れ、大混乱が生じている。この状況から体制を立て直すことなど素人集団であるネペンテスたちにはもはや不可能だ。ラフレシアナは力の限り叫んだ。
「みんな、退却だ! 森まで走れ、振り返らず走り抜けろ!」
ラフレシアナの声に従ったのかどうか、ネペンテスたちは一斉に潰走をはじめた。ラフレシアナは数名を従え、殿を努める。
総崩れになるネペンテスたちを見て、兵士たちは勢いづく。
「仲間の仇だ」
「絶対に逃がすな!」
巨大な大槌を振るわれた恐怖、無残に潰された仲間たちの姿、それらが兵士たちの怒りを増幅した。
兵士たちは槍を握りしめ、逃げ惑うネペンテスたちの背に襲い掛かる。
その時、上空から猛禽の群れが兵士たちの頭を目掛けて突撃してきた。ワーディがカルロスの許可を得てカトレ族の族長ラビアタに頼んでいた“緑獣”による支援だ。
兜を被っている兵士たちは、上方への視界が狭い。
「ぐあっ」
「なんだこの鳥の群れは」
「どうなっている」
虚を突かれた兵士たちはたまらず足を止め、襲い掛かってきた鳥たちを振り払おうとする。猛禽たちは一撃を加えただけで飛び去った。
“緑獣”による攻撃の目的は足止めだ。猛禽が持つ爪は鋭いが、兜を被った兵士たちに傷を負わせることは難しい。
逃げるネペンテスたちには、その短時間の足止めで十分だった。槍で数回刺されたくらいでは、屈強なネペンテスたちの致命傷にはなっていなかった。巨体を誇るネペンテスたちの全力疾走に、もはや兵士たちは追いつけない。
「逃がしはせん」
ダチュウは合図の笛を吹いた。別動隊をもって敵の後方を遮断するのは常套手段である。
脇道に待機していた50人もの兵士たちが逃げるネペンテスたちの前方に飛び出し、素早く退路を塞いだ。
「人間様を甘く見たつけを払ってもらおう」
「まずい、退路が断たれるぞ」
「森に帰れなくなる」
後方から追い立てられ全力疾走で逃げているネペンテスたちは、目の前を塞いだ兵士たちに恐慌状態に陥った。巨大な武器を振り回し、目の前に作られた兵士たちの壁に次々に突撃していった。
ネペンテスたちの力がダチュウの想定していた捕まえたネペンテスたちと同じであれば、後方を遮断し挟み撃ちにするというこの作戦は大きな成果を上げたかもしれない。もしくは、もう少し早く、ネペンテスたちが走りはじめる前に姿を現していれば良かったのかもしれない。何にせよ後の祭りだった。人間が≪接ぎ木≫で遥かに強化されたネペンテスの巨体の前に飛び出すのは自殺行為以外の何物でもなかった。
ダチュウの指示によりネペンテスたちの退路を塞いだ兵士たちは、荒れ狂う闘牛の前に飛び出した子供同様に、一当たりで弾き飛ばされた。
ネペンテスたちは追いすがる兵士たちの追撃をなんとか振り切り、森に逃げ込んだ。森に入っても足を止めず、走り続けた。
兵士たちは森に入ることを躊躇した。
街から十分に離れて、ラフレシアナたちはようやく立ち止まった。
誰もがその場にへたり込んだ。
作戦に参加した40人の全員が怪我をしていた。しかし、捕まった者はいなかった。
兵士たちが追ってくる気配はない。
誰とはなしに笑い出し、あっという間に笑いに包まれた。
「早馬を出せ。“外森”との警戒線の警備を強化するよう伝えろ。すぐに増援を送るとな。これで奴らは袋のネズミだ」
大破した南の外門を見つめ唖然としている副官に、“緑の民”を取り逃し苛立つダチュウは怒鳴る。
警戒線を守備する兵士や委託されているハンターたちは、森海からの魔物や肉食動物たちの内森への侵入を防ぐ役割を担っているため、領内でも戦いに慣れた精鋭たちだ。
安穏な日々を過ごす街の衛兵とは鍛え方が違う。
一網打尽とはいかなくともいくらかの“緑の民”なら捕らえることができるだろう。このままむざむざ逃がすつもりはない。
「山狩りだ。補充の兵士たちが到着するまでに準備を整えておけ」
巨人の力を目の当たりにした兵士たちの腰は重い。ダチュウは深呼吸をし自分を落ち着かせると、兵士たちに甘い言葉をかける。
「奴らは無様に潰走した。俺たち人間には敵わないと悟り森海に逃げ込もうと必死だ。お前たちの役割は奴らを後ろから追い立てることだ。無理に戦う必要はない。お前たちが音を立てて追えば、奴らは恐怖で逃げ惑うだろう。あとは警戒線で待ち構えている兵士やハンターたちが体を張って捕まえてくれる」