第003話 緑の目
『セじゃなくてママ。ミクランとアルメとも≪念話≫ができました』
俺の≪念話≫はセディ、ミクラン、アルメの三人には伝わった。
“緑の民”には伝わるのかもしれない。
「そう…わかりました。カルとママとのコミュニケーションは後でたっぷりするとして、先に目の前のお客様の対応をしないといけませんね」
セディの慈愛に満ちた微笑みが、なんだか少し怖かった。
「ミクランさんとアルメさん」
「「はい」」
二人のまだ幼さを残す声がきれいにハモった。
「早々から話が逸れてしまい失礼しました。けれど、あなたたちのおかげでカルの能力の一端が判明しました。どうもありがとう」
セディは俺を抱きかかえたままで、優雅にお辞儀をした。
器用なものだ。
急に態度が変わったセディに恐縮するミクランとアルメ。
「自己紹介はもう良いわね、ミクランさんとアルメさん。あなたたちが私がロスにお願いしたカルロスの世話役で間違いありませんね」
ミクランとアルメは視線を交わすこともなく、ミクランが話しはじめた。事前に役割を決めていたのだろう。
「はい。その通りです。セディ様、アレクセイ様。そしてカル様。カル様の能力で見抜かれたように、私たち二人はパフィ族に連なる者です。パフィ族の里はこの地より南西、人が『森海』と呼ぶ広大な森の中を100日進んだ、人が訪れることのない深い深い森の中にあります。私たちはここにセディ様より要請を受けたパフィ族の長であるロスチャイルド様の命によりやってまいりました。よろしくお願いしたします」
パフィ族の里!
想像しただけで涎が出そうだ。いつか必ず行かないといけない。
セディが俺の口元を拭いてくれた。
本当に涎が垂れてしまっていたらしい。
「ロスは。ロスチャイルドと私は古い友人です。この件では、彼に頼らせてもらうことにしました。といっても無理を通すつもりはありません。アルメさんとミクランさんに異存はありませんか?しばらくの間、この街で、周囲を人間に囲まれた環境で暮らすことになりますよ」
領主であるアレクセイは黙って話を聞いている。セディを信頼し、任せている。
「パフィ族は人との争いを好みません。ロスチャイルド様は長く人との共存について模索してきましたが、その願いは人には伝わらず、人は我々への敵対行動を改める気配さえ見出せませんでした。ロスチャイルド様は一族を率いて『森海』の奥深くに分け入り、そこにパフィ族の里を築きました。この数百年、里は人との関わりを完全に絶ち静かに暮らしています」
ミクランの前置きは俺の中にすとんと入ってくる。やはり悪いのは人間。
人間たちは植物を“緑の民”を一方的に搾取の対象だと考えている。
「私がロスに出会ったのは、彼が人と関わるのをやめてしまった後でした」
「はい、そう聞いています。その後、セディ様がアレクセイ様の元に嫁いだこと、セディ様が“緑の民”であるという事を周囲には隠しているということもロスチャイルド様から聞いています」
「セディ様に子供が産まれたことをロス様ははじめから把握していたよ。パフィ族が誇る大魔導師、サンデ様の力だよ。イェイ」
アルメが胸をそらして、誇らしそうだ。
大魔導師サンデ。
間違いなく幻の花といわれたあのサンデリアナムだろう。
パフィ族の里。行けるのは何年後だろうか。
「ロスチャイルド様はセディ様の行動に希望を持っておられます。陰ながらセディ様のことを気使い、サンデ様の魔法で見守っておられたのです」
「そうなのね。ロスは優しい方だから」
セディの目を閉じたまま天井を向く。
悪戯っぽく微笑んだ。
「もしかして今も魔法で覗き見しているのかしら」
えっ、見られているの?
俺は手足をバタつかせてアピールしてみた。
「あらあら、急にどうしたのかしら?」
セディが俺を抱えた腕に少し力をこめ、体をゆっくりと揺らす。
条件反射的に俺は手足の動きを止める。
ミクランとアルメと目が合う。
微笑んでいる。
「ロスチャイルド様は私たちにカル様にお会いし、自分たちで決めるようにとおっしゃいました。なので、ロスチャイルド様からの命ではなく、自分たち意志として決めます。私たちの成すべき役割は決まっていたのです」
ミクランの言葉にアルメが続ける。
「カル様を一目見てわかった。私たちカル様にお仕えする。イェイ」
「男と女の出会いに理屈は必要ありません」
ミクランの目は真剣だが、顔が幼いのでしっくりこない。
「これは女の直感。すなわち運命」
アルメの言葉にもよくわからない力が籠っていた。
セディがゆっくりと息を吐く。
特上の笑顔をミクランとアルメに向ける。
「それはよかったわ。ありがとう。ねえ、アレク」
「ああ、もちろんだ。私たちの息子をよろしくお願いする」
アレクセイがいつもとは違う貴族然とした優雅な動作で丁寧に頭を下げる。
「カルの左目が“緑の民”の特徴である緑色をしているでしょ。それも只の緑ではないわ。ほらこんなに綺麗なエメラルドグリーン。先ほどはじめてカルを見た時のあなたたちの驚きは見逃してはいませんよ。こんなにも澄んだ緑の瞳を持つ者は“緑の民”の中にもいないでしょ」
アルメが元気よく頷く。
「……こんなにも綺麗な色なのにね。このためにカルの傍に仕える者を決められずにいました。ミクランさん、アルメさん。あなたたちの目の色はどうなっているのかしら」
ミクランとアルメが顔を見合わせ頷く。
「これは魔法ではなく、私たちだけの能力です。意識しなくても、例えば寝ている間であっても、万が一気を失うようなことがあっても、今のこの色に変えておくことができます」
「本来の色を見せてもらえるかしら」
セディの言葉に頷いたミクランとアルメの目の色がすっと緑色に変化した。
外見的特徴が人とは異なる“緑の民”も多い。
しかし、セディやミクラン、アルメのように人間とそっくりな“緑の民”もまた多かった。
"緑の民"はみなが緑の目を持っていた。そして、この世界の人間には緑色の目を持つ者は存在しない。
だから目の色を確認すれば、人間と“緑の民”は簡単に区別することができる。
人々にとって緑の目こそが“緑の民”の代名詞だった。
であればこそ、緑の目にはいくつもの物語りが付いてまわった。
曰く、緑の瞳には不思議な力が宿っている。
長命種である“緑の民”、その緑の目を食べれば不老不死が得られる。
どのような難病も立ちどころに治る。
そんな噂が人々の間でまことしやかに囁かれている。
「二人とも綺麗な目をしていますね。魔法ではないのね」
「この能力があるからロスチャイルド様はアルメとミクランにこの役目を任せたの。イェイ」
アルメが得意げに胸を張る。
髪の色以外は瓜二つだが、性格は随分違う。
「正確にはこれも魔法の一つだとは思いますが……、パフィ族の中でもこれができるのは私たちだけです。他の者にかけることもできません」
「そう、それは少し残念です。カルの目の色も変えてもらうことができるのではないかと、そういう期待がありました」
左目の色さえ誤魔化せるなら、俺は人の中に溶け込める。
ミクランとアルメが街中を歩いて、この屋敷までやってきたように。
セディが二人を見て、それを期待したことは親としては当たり前の心理なのだろう。
こうしてミクランとアルメは俺と共に行動することになった。
ミクランとアルメはまだ赤ん坊で自由に動けない俺の話し相手、もとい≪念話≫相手になってくれた。
セディはメイド達がいた頃のように部屋にいない時間帯が増えた。
アルメとミクランが来たことで、セディは領主夫人としての役割を再開したのだ。
見た目は大きな小学生のミクランとアルメだったが、その知識量は十分に俺を満足させるものだった。
俺のこの世界に対する知識不足は飛躍的に改善した。
子供とは思えない豊富な知識や昔話に、つい俺は彼女たちに年齢を尋ねてしまった。
アルメはその質問を待ってましたとばかりに、したり顔で応じる。
「カル様。女の子に年齢を聞くのはダメですよ。イェイ」
「アルメ、カル様をからかってはいけませんよ」
ミクランに注意され、アルメは小さく舌を出した。
「カル様。“緑の民”には暦がありませんので、人間と違って自らの年齢を数える習慣はありません」
『暦がない?』
ミクランの言葉に困惑する。
暦がない。
合理的な理由がちょっと思い浮かばない。
「うん。必要ないよ」
『どうして?森に住み、春夏秋冬、人間よりも季節の影響を大きく受ける植物たちと共に暮らす“緑の民”にこそ暦は必要なんじゃないのかな』
「“緑の民”も季節が周っているのは知っています。暑さの後には寒さやってくる。寒さが過ぎればまた暑さがやってくる。しかし、森というのは人間の街よりもずっと複雑なのです。雲の厚さ、風の吹き方、雨の量、川の流れ、緑の茂り具合、季節は巡っても同じ日というのは決してやってきません。しかし、暦があればそれに頼ってしまいます。それでは変化を見逃してしまいます。季節の影響を大きく受けるからこそ、“緑の民”は暦をもたないのです」
なるほど。
“緑の民”の考え方は面白い。
ミクランの説明に納得したわけではないが、いつの日か自分で森に入れるようになったら、実際に“緑の民”の暮らしに触れ、考えてみたい。
はっきりとはわからない、という前置きを付けてミクランは年齢を教えてくれた。
見た目が大きな小学生であるミクランとアルメ。
彼女たちの年齢はおよそ300歳だった。
妙な納得感があった。
魔力によって植物から姿を変える“緑の民”は、誕生したその瞬間から大人と同等の知性を持っている。
年を取ることはなく、何百年何千年経ってもその外見は変化しない。
みんなが俺の思考能力や話し方を気にしなかった理由もこれだった。
人間と植物の間に誕生したので、人間のように成長するが、“緑の民”のように生まれた時から高い知性を持っている、それぞれが勝手に納得したようだ。
赤ん坊として自由に動けないもどかしい日々はその後もさらに続いたが、その反動もあって俺は起きている時間の多くをミクランとアルメとの≪念話≫に当てた。
実はというか、≪念話≫も魔力を行使する立派な魔法なので、二人がやって来る前に飽きもせず≪診る≫を繰り返していたのと同じように、≪念話≫もまた意図せずに魔法の鍛錬となっていた。