第024話 ドゥース子爵
メロー・ドゥース子爵は自身の屋敷で豪奢なソファーにその肥満した巨体を沈め、ワイングラスを片手に吉報を待っていた。
テーブルを挟んだ向かいのソファーには同じくワイングラスを手にしたスザボ男爵が深々と腰を落としている。
アレクセイの二番目の妻であるピオニーの父だ。
スザボ男爵は正妻の長男であるカルロスではなく、ドゥース子爵の孫にあたるウィンストンがリンナエス男爵家を継ぐことを承知している。
「そろそろはじまりますかな」
スザボ男爵は落ち着かない様子だ。
「そう時間はかからんでしょうが、のんびり吉報を待つとしましょう」
ランタンの明かりを反射したドゥース子爵の瞳が鈍い輝きを放っていた。
ドゥース子爵が現在のリンナエス男爵領に目をつけたのはもう二十年も前のことだ。
きっかけは当時の領主であったペギー・オニール男爵が後継者を残さずに急死し、その領地が王国の直轄地となったことだった。
ドゥース子爵は子爵領に隣接するこの元男爵領をどうにかして我が物にしようと画策した。
もし併合できれば領地は倍となる、それは開発すれば伯爵への陞爵が狙える領地を得るということだった。
名門ドゥース家が培ってきた中央への繋がりを駆使したが、子爵の狙いがいささか見え透いたものであったため反対勢力が手強かった。
切り崩しが難航しているうちにアレクセイ・リンナエスという成り上がりにかっさらわれてしまった。
十年という月日と多額の資産を費やした計画が、貴族とは名ばかりのプラントハンター如きのせいで台無しになったのだ。
あの時のことを思い出すだけでドゥース子爵はいつでも苦虫を噛み潰したような表情を作れた。
とはいえ国王の決定に表立って逆らうことなどできなかった。
王国貴族にとってそれは身の破滅である。
しかし諦めることもまたできなかった。
ドゥース子爵は自らの娘を憎っくきアレクセイ男爵の元へ嫁がせたのだ。
こういう決断をできるのが名門王国貴族の当主である。
ことはドゥース子爵の目論見通りに進んでいる。
娘のエリッジが第一子として男子を生んだ。
あとは、正妻の息子で男爵の後継者であるカルロスさえ排除すれば良い。
ドゥース子爵は密偵を使い、リンナエス家の弱点を探らせた。
すると、意外なほど早く、予想しなかったほど大きな弱点が見つかった。
密偵が報告したのは、春頃から領都リンナエスの子供たちの間に流れている噂話だった。
曰く、セディは“緑の民”であり、長子カルロスは男爵と“緑の民”の間に出来た子だと。
街の大人は馬鹿げたホラ話だと取り合っていない。
それはそうだろうと報告した密偵さえその噂話を信じてはいなかった。
ドゥース子爵はこの噂話を信じたわけではない。
このような噂話を真に受けるようでは、王国貴族は務まらない。
市井に広く知れ渡っている噂話をうまく利用できる可能性があると考えた。
密偵に詳細を調べさせ、噂の出所はカルロスと頻繁に遊んでいる街の子供の一人だとわかった。
しかしそこまでだった。
セディとカルロスに対する噂話の決定的な証拠を手に入れることはできなかった。
密偵の報告を信じるなら、二人の警護が厚く近づくことが難しい。
自由に街や森を遊びまわっているようにうかがえるカルロスにもその影には常に腕の立つ護衛がついているという。
カルロスが男爵の後継者であることを考えれば護衛の存在は納得ができる事だ。
ドゥース子爵は証拠が得られないことを気にしなかった。
そもそも噂話を信じていなかったからだ。
最初から証拠には期待していなかったともいえる。
その後、次々と上がってくる密偵の報告にドゥース子爵は首をかしげることになる。
決め手となる証拠は得られないが、状況証拠としては、噂話が正しいものだと推測されるからだ。
それでもドゥース子爵自身は荒唐無稽な噂話を信じることはなかった。
けれど、これを好機だと判断し、中央への根回しを本格させた。
「アレクセイ殿にも困ったものですな。まさか正妻が緑の民だったなどとは思いもよりませんでした」
スザボ男爵が言う。
ドゥース子爵は噂話を鵜呑みにしたスザボ男爵を内心では愚かだと蔑んでいた。
「ワシもまさかと思ったが。正妻のセディとアレクセイ殿とは冒険仲間だったという話。アレクセイ殿の年齢は既に50を超えている。プラントハンター歴は30年を超えている。セディがあのように若い姿をしているのは少し考えてみれば明らかにおかしい。セディが年を重ることのできない呪われた者である証拠だ」
「こんなことならノーブルを嫁がせたりしなかったのですが。ドゥース子爵もご息女の身が心配でしょう」
「頼りになるものを急ぎ向かわせておる。その者には我が娘だけでなく、ノーブル嬢もお守りするように指示しておるゆえ、スザボ男爵も心配なされぬによう」
「子爵のお心遣いに感謝いたします」
「いやいや、嫁の父親同士。協力は惜しまんよ。それよりも義理の息子であるアレクセイ殿であるが、お互いの娘と孫のためにも今回の騒動で男爵家がお取り潰しになるのは絶対に避けなければならん」
「それはもちろんです」
「セディとカルロスに全ての罪を被らせ、男爵も被害者ということでよろしいかな」
ドゥース子爵の有無を言わさぬ鋭い目に捉えられたスザボ男爵はその細い首を縦に振った。
ドゥース子爵は作戦の成功を疑っていない。
リンナエス男爵が腕の立つプラントハンターであることはその実績から疑いようのない事実である。
そのため子爵はこれまで築きあげてきたコネと相応の大金をつぎ込み、神聖騎士団と宮廷魔導師に動いてもらったのだ。
エクアラセア神聖王国の最高戦力である。
失敗するはずがなかった。
作戦が開始された昨日、カルロスが行方不明になったという報告はドゥース子爵を心底驚嘆させた。
子爵の陰謀が露見しリンナエス男爵が跡取りであるカルロスをどこかへ逃がしたのだと考えたからだ。
用心深いドゥース子爵は念には念を入れて作戦の詳細は娘であるエリッジにさえ知らせていなかったのにだ。
ドゥース子爵は怒りで昨晩眠っていない。
しかしそれが子爵の早とちりであることは既に判明している。
カルロスはリンナエス男爵の屋敷に戻ってきていたという報告を得ていた。
知らせがもう少し遅ければ勘違いから子爵は怒りに任せ側近のグレイを処分していただろう。
※
日が沈むのが合図だったかのように領都リンナエスの街に大粒の雨が降りはじめた。
雨は瞬く間に激しさを増し、人々は急いで建物の中に駆け込んだ。
街から西側に伸びる街道にある関所。
関所とは言っても砦があるわけではない。
それどころか街道上には通行を妨げるような簡単な柵さえ設置されていない。
街道の傍に建つ大きめの小屋が関所だ。
大雨で建物内に引っ込んでいた衛兵たちが大慌てで飛び出してくる。
遠目に武装した一団が向かってきているのがはっきりと確認できた。
この関所に詰める衛兵は交代も含めてわずかに一人。
それに対し、ドゥース子爵家の私兵は五十。
勝負にならない。
どこから湧いて出た一団なのか、関所をあずかる衛兵たちは困惑を隠せない。
街道の先はどこまでも続く農村地帯だ。
盗賊団の類が存在しないわけではないが、盗賊団がわざわざ関所を突破するとは考え辛い。
農村地帯のその先をさらに行けばドゥース子爵領に繋がる。
リンナエス男爵の三番目の妻エリッジ様はドゥース子爵家の出で、これまでのところ両家の関係は良好そのものである。
少なくとも領民たちはそう考えていた。
格上である子爵側からの積極的な申し出によりエリッジ様がリンナエス男爵家に嫁いできたという事情もあり、双方の領民たちは子爵家が隣接する新興男爵家と積極的に良好な関係を築くことにしたのだと考えられていた。
それ以前に貴族同士の争いで、先触れもなく兵を差し向けてくる事など考えられない。
もしそんな事をすれば、奇襲をした方に他の貴族家から避難が集中するからだ。
衛兵の一人が急を知らせるために急ぎ馬を駆る。
残る衛兵は三人。
街道を塞ぐように並んで待ち構える。
一団の先頭で一人だけ馬に乗っているグレイが叫んだ。
「我らはドゥース子爵家の家臣である。子爵のご息女であるエリッジ様をお守りするためやってきた。ここを通る」
グレイは馬上から横柄に言い放った。
格上の貴族の家臣であるグレイが格下貴族のそれも衛兵ごときに気を使うことはない。
グレイの言い分に衛兵たちは顔を見合わせる。
ドゥース子爵家の私兵がエリッジ様を守る為にやってきた。
エリッジ様はドゥース子爵家の出だが、リンナエス家に嫁いだ身だ。
エリッジ様を警護するのはリンナエス家の家臣の役目である。
そもそもエリッジ様に何の危険が迫っているというのか。
それは関所の衛兵に判断のできる問題ではない。
「領主様に早馬を走らせました。返答があるまでしばしここでお待ちください」
衛兵の一人が丁寧に答えた。
「そんな悠長な事を言っている場合ではない。事は一刻を争う。我らが主ドゥース子爵様の命にこそ従う」
グレイは馬を進めて押し通ろうとする。
「お待ちください。リンナエス男爵様の許可もなく他家の兵が男爵領内に入るなど決して許されませんぞ。侵略行為とみなされ、ドゥース子爵様のためにもなりませんぞ」
「貴様らごときにドゥース様の身を案じてもらう必要などない。ドゥース様には押し通ることもやむなしと了解をいただいておる」
グレイは剣の柄に手をかけ、本気であることを示した。
多勢に無勢、三人の衛兵は気圧されたように道を譲った。
グレイたちの一団は衛兵を威嚇しながら関所を突破し、領都リンナエスに急いだ。
※
同じ頃、街から北に伸びる街道。
シーモアが率いる本隊が関所を駆け抜ける。
関所に詰めていた兵士たちは口をポカンと開けた間抜け面でそれ見送っている。
栄えある神聖騎士団の鎧に身を包むシーモアを押し止めようとする者などいるはずがない。
馬上の一団が通り過ぎた後、慌てて早馬がその後を追った。
報告は間に合いそうにない。