第000話 プロローグ
1
植物好きだけれどもわりと大雑把な神様が創造した世界『神の箱庭』。
人間や動物からぞんざいな扱いを受ける植物たちに心を痛めた神様は、妙案を閃いたつもりで、つまりは単なる思い付きで植物たちに魔力を生み出す力を授けた。植物たちは光合成で酸素を生み出すように、その体内で魔力を生み出した。一部をその体内に蓄え、残りは外に吐き出した。
やがて膨大な魔力をその体内に蓄えた植物の中から人型の”緑の民“に、獣型の”緑獣“にその姿を変え自由に動き回れるものが現れはじめた。
しかし神様の思惑を超え、植物たちが生み出し続ける途方もない量の魔力により世界を満たされた時、魔物が生まれ、人間の中にも魔法が使える者が現れはじめた。
魔力を宿したことで植物の利用価値は急上昇。より酷い乱獲を招いてしまう。
そんな箱庭を呆然自失で眺めながら、神様は再び閃いた。
これは、植物と人間と魔物が争う世界『神の箱庭』に送られ植物たちの救世主として世界を変えていく一人の男の英雄譚?、植物たちとの協奏曲?狂騒曲?である。
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「オギャーオギャーオギャー」
極至近距離から赤ん坊の泣き声が聞こえる。
狭い空間で反響しているような大音量だがボヤけた聞こえ方。
その後ろに大人たちの小さな話し声、大きな泣き声に邪魔されて内容を聞き取ることは不可能だ。
赤ん坊は泣き続けている。
元気いっぱいだ。
いい加減に泣き止んでくれないかなと考えていたら、息切れを感じた。
疲れた。
ああ、この赤ん坊が俺なんだ。
そのまま眠りに落ちた。
次に意識を取り戻した時、また力一杯泣いていた。
自分の泣き声が煩くて起こされたようなものだ。
ふっと体が浮き上がる感覚。
抱き抱えられ、あやされている。
話しかけられているけれど、泣き声に邪魔され全く聞き取ることはできない。
それはそうだろう、全力で泣いている時に人の話が聞き取れるはずがない。
そういえば、浮き上がる際に感じた感覚は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感とは違うのはわかるが、何覚かは知らない。
人間は五感以外にも多くの感覚を頼って生きている。
自分の身体であって、自分の身体ではないような。
身体に意識が上手く定着していないような。
なんだろう、この不思議な感じは。
何度もそういう状況を繰り返した後、ようやく俺は泣いていないけれど起きている時間が得られるようになった。
赤ん坊も楽ではない。
まだ目は開いていない。
生後どのくらいで目が開くのか、そんな知識は持っていない。
率直に言って、精神衛生上かなりキツイが、起きている時間が短いのが救いだ。
俺には前世の記憶というのがある。
そうでもなければ、普通の赤ん坊がこんな風なわけはない。
自分がスペシャルに天才なのではないかと考えたのは束の間で、すぐに気がついた。
というか、ボーっとしている時間に色々と思い出してきた。
前世での俺は某国立大学の教員だった。
子供の頃からの植物好きが高じ、大学では植物専攻。
農業でもない植物専攻など、就職先が非常に限られ苦労するのが目に見えている。
まっとうな人間はまず選ばない。
まっとうでない俺は、経済的観念を無視して、素直に好きなことへ一直線。
子供のような考えのまま、勢いで大学院へ。
修士課程を終了後、迷わず博士課程へ。
博士取得後に、宝くじで高額当選するほどの幸運で大学のポストに空きが出たため、ちゃっかりそこに収まった。
以降十数年に渡り、大学教員として植物の研究に没頭していた。
社会には目を向けず自分の興味の向くままにつき進んでいたら、いつの間にか教員になっていた。
理系の教員の間では、春先に道端に咲くスミレくらいありふれた、母の日にカーネーションというくらい王道ともいえるパターンだ。
小中高を含め教員というのは特殊な社会だ。
その中でも大学教員の特殊性は群を抜いているといって否定する者は、大学教員以外にはいないだろう。
ほとんどの大学教員は一度も一般社会に出たことはなく、社会常識など身につけているわけはない。
俺を含めて『大学教員』だと考えておけば間違いはない。
かく言う俺も、人間よりも植物が大事。
昨今の環境破壊から植物を守るために人間を間引いた方が良いとさえ考える、筋金入りの“植物原理主義者”だった。
きっかけは本当に些細な事だ、道端の雑草を乱暴に引き抜いた小さな俺の行動を母が窘めた一言。
植物も動物と同じように命を持っている。だから粗雑に扱ってはいけない。
つまりそれは、日本人なら誰もが教えられる八百万の神々へ繋がる信仰。
御神木。古い木には神様が宿る。
とはいえ、世間の常識というものを知らないわけではない。常識に囚われない強固な自己を持っていただけだ。
『研究に関する質問なら何でも答えるが、それ以外に関する質問は、しようと考えるところからもう間違えている』
というのが研究室に配属される学生にはじめに言っておく決まり文句。
植物の名前なら一度聞けば忘れないが、卒業研究で研究室に配属されてくる学生の名前を卒業するまでに覚られなかった例に事欠かなかった。
そして卒業後はすぐに頭から消えていった。
充実した研究ライフを送っていたが、頭の中は植物一色。
結婚はしておらず当然ながら子供もいない。
女性とお付き合いしたことさえなかった。
しかしそれは、そもそも人間に対して興味がなかった俺には問題とはなりえなかった。
そのお陰で1年365日を好きな植物のことだけに費やせたのだ。
子供がいないくらいなんだ。
生命誕生から40億年に渡って脈々と受け継がれてきた遺伝子の一バリエーションが引継ぎに失敗して消滅するというだけのこと。
大したことではない。
『遺伝情報の次世代への引継ぎに失敗して消滅するのだから、生き物としては失敗作だな』
友人である遺伝子工学研究者の俺への評価を、甘んじて受け入れるだけの心の余裕もあった。
ちなみに彼は妻帯者で子供もいた。
さて、俺の死因である。
大き過ぎる植物愛、もしくは人間に対する興味がなさ過ぎたことが関連している。
それは、大学の仕事とは別に植物の専門家として環境アセスメントの評価員として招集された時に起こった。
こういうおいしいお小遣い稼ぎは往々にしてあった。
それは極めて大規模なもので、とある貴重な原生林を切り開いて巨大なテーマパークを建設するという外資の大企業が立てた計画だった。
招集者は、俺が“人間よりも植物が大事”と公言してやまないことを知らなかったらしい。単なる調査不足なわけだが、そういう人間が存在するとは埒外のことだったのだろう。
まあ、一神教の下で生きる彼らにとって、神の御姿をかたどって生み出された偉大なる人間様の都合によらず、人間様以外の生き物を守るという行動原理はまったく理解されないだろう。
お互いにとって不幸な出会いだった。
テーマパークがどれだけ地域経済に貢献するのかなんてこれっぽっちも興味がない。
人間のために原生林を切り開くなどありえない。
調べるまでもない。
却下だ。
俺はちょっと偉そうな企業側の立合人に伴われ、嬉々としてその貴重な原生林に入った。
『本日はよろしくお願いいたします。後に一席設けておりますので』
強弱に違和感のある発音と共に、求められた握手。俺はその言葉の真意に気付かなかった。
調査の初日にも関わらず、俺は絶滅が危惧されている希少種を見つけまくった。
希少植物を発見することにかけては天性の才能があった。
森を移動しながら立会人は、このプロジェクトの予算がうん百億円だ、雇用が生み出される、地元は賛成している、などなど俺にはどうでもいいことを独り言のように語っていた。
俺は調子に乗って次々に希少植物を発見し、立合人は顔を引き攣らせていった。
そして、その時がやってきた。
『おお、おおぉぉぉぉぉ、こっこれは!』
海沿いの断崖絶壁。その崖を見下ろした俺は、生える木々の枝にそれを見つけた。見つけてしまった。
『次は何ですか?』
立会人はオーバーに肩をすくめた。
俺が与えられた役割を理解していないことにすっかり呆れていたのだろう。
気づかない俺は心持ち胸を張って報告する。
『大発見です!あれ、あそこに見えるあれですよ。わかりませんか?わかりませんよね。この地域では絶滅したと考えられている植物です。再発見です!』
立会人はゆっくりと息を吐いた。
『御相談がございます……』
立会人がサングラスを取った。
その目の雰囲気に、俺はちょっとだけたじろいだ。断崖絶壁である。
『なっ、なんでしょうか?』
『こういう話は後程のお席でと考えておりましたが、これくらいで如何でしょうか?』
立会人は右手の指を1本立てた。
ここに至ってようやく俺は自分に与えられた役割を明確に理解した。
開発予定域に貴重な植物はありませんでした。
そういう報告を出すことが俺に課せられた使命らしい。
“植物原理主義者”を甘く見られたものだ。
『買収には応じません!』
俺は格好よく言い切った。
その瞬間、立会人は俺を突き飛ばした。
立会人の口元は確かに笑っていた。
俺は崖から転落した。
調査中の不幸な事故として処理されるのだろう。
人間という種への大きな失望、ちょっとした憎悪、俺は岩場に激突した。
前世の記憶が赤ん坊の身体にどうのように定着しているのかはわからないが、事実は事実として受け入れるしかない。
考えてもわからない事など世の中にはたくさんある。
というか、考えてわかる事の方が世の中には少ないのだ。
考えれば考えるほど、加速度的にわからないことは増えていく。
パスカルは“人間考える葦である”と言ったそうだ。
それは人間の考えられることなど高々しれていて、葦の考えていることと変わりはない、という意味に違いない。
俺の耳にその声が拾える範囲に、日常的に入ってくる大人が四人いる。
セディ(母親)、アレクセイ(父親)、アンネ(メイドその一)、エリー(メイドその二)だ。
他にも幾つかの気配を感じたが、近寄ってはこなかった。
メイドがいることに素直に驚いたが、アレクセイは男爵家の当主であり、この地方の領主だった。
俺はアレクセイとセディにとってのはじめての子供、それも男子であり、男爵家の跡取りということになる。
貴族か。ふっへへへ、想像だけで口元が弛む。
自由に動き回ることはできず、目は見えず、ほとんどの時間を寝るか泣くか。
とにかく実にまどろっこしい状況だが、まだ目が見えない影響もあってか気配には敏感だった。
部屋の中はもちろん、廊下を歩いている人がいれば大体誰かわかる。
安普請なのか床が鳴るのだ。
一日の大半は眠っているが、母親が俺に話しかける言葉や、四人が繰り広げる会話を聞いて、俺は自分の置かれている状況について少しずつ理解を深めていった。
コツコツ集めた断片的な情報と、前世の記憶を照らし合わせ導き出した俺の解釈は『異世界転生』。
前世で植物にしか興味がない生活をしていたと言っても、研究室所属していた学生たちとの雑談の中で多少の知識はあった。
子供の頃にはド〇クエとかエ〇エフといったゲームを嗜んだ経験もある。
しばらくは過去の世界へのタイムスリップも考慮に入れていたが、“魔法”というパワーワードが出てくるに至り、ここは俺のいた世界ではなく、別の世界だと素直に受け入れることにした。
そして問題が一つ。アレクセイは現役の“プラントハンター”だった。
よりにもよってプラントハンター。
動けない赤ん坊の身でなければ、オーバーにがっくり崩れ落ちるところだ。
大航海時代のヨーロッパで貴族たちに抱えられ、世界中から珍しい植物を搔き集めてきたあのプラントハンター。
あまり知られていないが実は現代においても、細々とではあるが存在している。
植物の敵、プラントハンター。
むきーっと怒りで赤らめた俺の顔の上に、セディの顔が被さった。おでこがくっ付いた。
冷静になる。俺はまだこの世界について何も知らない。
前世の記憶から安易に判断を下す愚を避け、ひとまずは保留としておこう。
あんな死に方をして、こんな特異な状況に陥っていても、今の俺は案外落ち着いている。
いや、諦めているといった方が正確だろうか。だって何もできないのだ、赤ん坊なのだから。
なるようにしかならないのだ。
俺は前世でも実に素直な性格をしていた。
自分の興味に従い、俗世間のことを一切気にせず一直線で植物の研究者になってしまったくらい、言ってみれば筋金入りに素直なのだ。