区画外へ
僕がカトルと共に帰ったあの日から数日が経った。
そんなある日、僕はカトル、そして第三工業地区の駅で待ち合わせていたディーヴァルとともに学校へと向かう。
「ねぇロイ君、区画外実習ってなに?」
僕の隣を歩くカトルが本日行われる重大な行事ついて問い、小首を傾げた。
「ん?学校から説明が無かった?」
「いや、あったんだけど、その……」
彼は恥じた様子で頰を掻く。
「あまりよく分からなくて」
苦笑いを浮かべるカトル、続いてディーヴァルが愉快そうに笑った。
「どうせ回りくどい言い方で堅苦しい説明されたんだろうよ。俺たちの時だってそうだった」
「違いない」
僕も軽く笑って、それから一呼吸置いて口を開く。
「区画外実習っていうのはこの学校で一番大きな行事だよ。毎年この時期に、学校に通う三年生全員を対象にして行われるんだ」
僕は鞄から電子端末を取り出して操作。学校の区画外実習について素早く検索し、それをカトルに見せる。
端末には当学校の生徒が区画の外で実習を行なっている写真が大きく掲載されており、彼はそれを見て目を丸くした。
「天蓋区画の外に出るの?」
「うん、この学校からは軍への就職をする人達が多いからね。一度区画の外で実習をして外での経験を積んでおこうっていう考えらしいよ」
「ちなみにこの実習での成績優秀者は後の成績がどんなに悪くたって卒業できるし、いい仕事にだって有り付ける。区画外実習は俺たち三年にとって卒業試験みてぇなもんなんだぜ」
僕の説明にディーヴァルが補足を加える。
実際にその通りなのだ。三年生最後の試験でどれだけ低い評定であろうが、この実習での成績が良ければその全てが帳消しになる。
僕たちにとってこれは就職試験と言っても過言ではないのだ。
「それが今日あるの?」
「うん」
「ああ」
頷きを返した僕とディーヴァルの声が重なる。
心なしか少しだけ自分の声が明るい。
久々に区画外へ出るとあって浮かれているのかもしれない。
「そうなんだ」
端末に移る画像を拡大しながらカトルが言う。その目は何故か少しだけ翳があるように見えた。
「……ねぇ」
次にそう呟いたカトルの声は酷く重いものだった。
ここ数日で一度も見せたことのない辛辣な表情の彼に違和感を感じた僕とディーヴァルが目を見合わせ、そして僅かに首を傾げる。
「今日の区画外実習、辞退しようよ」
一瞬の沈黙。
「え?」
「はぁ?」
僕がその場に固まって動かなくなり、ディーヴァルは素っ頓狂な声を上げる。
それもそのはず、区画外実習を辞退するということは私は卒業も就職もする気がないと言っているようなものだ。
もちろん実習を辞退したとしても勉強に励んでよい成績を収めることができれば学校の卒業自体は可能だが、実習を受けている生徒と受けていない生徒ではそもそも求人票の来る枚数が段違いなのである。
「おいおいカトル、正気かお前?」
先に硬直が解けたらしいディーヴァルが言う。
「でも……」
カトルは何かを言おうとして、途中でそれを止め、視線を落とした。
きつく握った両の拳が微かに震えている。
「カトル」
一歩彼の方に歩み寄った。手を伸ばせば容易に触れられるほどの距離。
「何か、理由があるのか?」
彼は何も言わなかった。けれど確かに頷く。
「理由は……ある。けど、とても信じて貰えるとは思えない」
「言わなきゃ何も伝わらない」
「そうだぜカトル。俺たちは別に辞退しねぇって言ったわけじゃねぇ。でも、理由すら話してもらえなんじゃ検討のしようがねぇんだよ」
ディーヴァルの後押しを受け、カトルが僅かに瞳を揺らす。
俯いた彼はしばし考えて、それから深呼吸とも溜め息ともつかぬ息を漏らした。
「厄さ……機神がこの天蓋区画の近くにいる。今、区画外に出るのは危険なんだ」
怯えきった表情で言ったカトル。僕とディーヴァルは思わず顔を見合わせる。
ディーヴァルのその目がそんなはずは無いと訴えているのがすぐに分かった。
機神の動力源であるIDRは起動時に強力な電波妨害をもたらす。これは広範囲電波妨害と呼ばれ、ほぼ全ての電波機器を機能不全へと陥らせるが、逆に天蓋区画外の電波機器が影響を受けている時は機神が接近していると推測することが出来る。
機神の接近予報は毎日各メディアを通して知ることが出来るため庶民にとっても身近なものとなっており、今日の予報は出現率三◯パーセント以下とかなり低い。
だからこそ、僕もディーヴァルも今のカトルの言葉に衝撃を受けたのだ。
「……根拠はあるのか?」
つかの間の沈黙を破ってディーヴァルが言った。
カトルが頷く。真っ直ぐにこちらを見つめる黄玉の瞳。
「外の空気が静か過ぎるんだ。」
再び僕とディーヴァルは顔を見合わせる。
外の空気とは一体何のことなのだろうか。
天蓋区画などという箱庭に引き篭もっている人間に外の空気を感じることなどできない。
カトルの言っていることは明らかに不自然で、案の定こちらを見つめているディーヴァルの顔はあからさまに訝しげだった。
「なぁカトル、俺たちもべつにお前が嘘つきだって言いたいわけじゃねぇ。が、流石にそれだけの理由で区画外実習を辞退すんのは無理だ」
ディーヴァルが言う。カトルがそれに答える事はなく、沈黙が落ちた。
「……すまねぇ。悪かったな、無理に言わせたりしてよ」
気まずい空気の中、がりがりと頭を掻き乱してディーヴァルは歩き出す。
カトルは何か言いたげに口を開いて、それをすぐに閉じる。結局、言葉を発することなく俯き気味に歩き出した。
制服の袖口から覗いた彼の手は強く握られ、小刻みに震えている。
カトルが本当に心の底から怯えているのだと感じ取れたのは僕が戦火の中で怯えながら生きる人々を何人も目にしたことがあるからだろうか。
早足で歩くディーヴァルが段々と離れていくのを一瞥し、僕はカトルの肩に手を置いた。
びくりと驚いたように両の肩を跳ねあげて、それからゆっくりとこちらを見るカトル。
「ロイくん?」
「大丈夫だよ。もしかしたら君の勘違いかもしれないだろ?それにもし……」
「……もし?」
「もし機神が現れたら、その時は僕がなんとかする」
沈黙。こちらを見つめて数回瞳を瞬かせたカトルは、それから堪え兼ねたように吹き出した。
「なんで、笑うの?」
「いや、別に悪気があったわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「おーい、お前ら何やってんだ?遅刻しちまうぞー?」
次の瞬間に、カトルの言った言葉は前方のディーヴァルがこちらに向かって張り上げた声に重なって僕の耳にはっきりとは届かない。
「今、なんて……?」
「ううん。何でもない。さぁ、行こう!」
「あ、ちょっ!」
辛辣な表情から打って変わって笑顔を見せたカトル。彼が校門の前でこちらを振り返っているディーヴァルめがけて駆け出し、僕は慌ててその後を追う。
――昔と、同じ……?
先程のカトルの言葉。僅かに聞き取れたその一部が脳内を反響する。いくら考えようとも、彼の言う"昔"の意味は分からなくて、結局、その疑問に答えが出ることはなかった。
*
第一〇七番天蓋区画、南側ゲート。
南口と呼ばれている巨大な耐衝撃合金製の出入り口の前に、十台を超える数の輸送用大型トレーラーが並んでいる。
ちなみにこれらのトレーラーは工業士官学校の区画外実習のために用意されたもので、それぞれのコンテナの中には学校が所有する〈インパルスフレーム〉などの実習で必要な物資が積まれている。
規則的に並んだそれらの中の一台、オリーブドラブの塗装が施された二番トレーラーの後部オープンデッキで、カトルは転落用防止の柵にもたれつつ、出発までの空いた時間を潰す。
正確にはただ時間を潰していたわけではなくて、声を聴いていたのだけれど、その正体を説明するには天蓋区画は不向きなようだ。
「やっぱり、ここじゃ壁が厚くて上手く聞こえないや」
ため息と共に呟いて諦める。
今朝から嫌な予感がしているのだが、予感の域を出ない。やはりそれを確信へと変えるには、実際に天蓋区画の外に出てみるほかないようだ。
出発の時間が迫り、エンジンが掛けられる。十数台の大型車が奏でる低いエンジン音が絶え間なく鼓膜を揺らしてきた。
唐突にトレーラーのコンテナ内部とオープンデッキを結ぶスライドドアが開き、その油圧機構が作動する音に引かれるように振り返る。
見ればロイがオープンデッキへと歩み出るところだ。
「カトル。ここにいたんだ。もうすぐ出発だし、中に入らないと危ないよ?」
「……」
いつもと何ら変わりのない彼の対応。不満があるというわけではないけれど、昔のことをほのめかしてみたにもかかわらず反応がないのはやはり、僕のことなど覚えていないということなのだろうか。
「カトル。どうかした?」
「ううん。でも、もう少しだけここにいたい気分なんだ」
「……そっか。なら僕ももう少しここにいようかな」
落ち着いた声で言ったロイ。彼もまた転落防止の柵に身を預ける。
沈黙。二人きりの今、自分のことを覚えてくれているか聞いてみようかと思ったけれど、結局その決心を付けることは出来なくて、僕はただ慌ただしく出発の準備をする教師や生徒の喧騒を聞く。
「あのさ、カトル」
先に沈黙を破ったのはロイの方だった。
「もしかしたら僕の勝手な思い込みかもしれないんだけど、君は以前僕と……」
「お前らぁ、もうじき出発すっぞぉ!危ねぇからさっさと中入れ!」
唐突に響いたロイの声を掻き消すほどの大声。見れば機械整備分野の主任教師がこちらを見据えている。
色黒な肌に鍛え上げられた巨躯を持ち、白髪交じりの黒髪を短く借り上げている彼は元々メネア連邦軍の整備士であったらしく、その指導は生徒達が彼のことを鬼教師と呼ぶ原因となるほどに厳しい。
もしもこの忠告を無視しようものなら、たちまち呼び出しを食らって手厚い指導と厳罰な処置を受けることになるだろう。
「中に入ろうか」
苦笑いを浮かべつつロイが言った。
「え、でもロイ君は僕に聞きたいことがあったんじゃ……」
「いいんだ。別にあの鬼教師に説教されてまで聞きたいようなことじゃない」
「……そう、なんだ」
コンテナの中へと戻ろうとするロイの背中を見つめ、僕は歯切れの悪い返事を返す。
何故だか少しだけ、彼が言いかけたまま聞き直してくれなかった事を残念に思っている自分がいた。