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迷子と違和感

 カフェでのミレイナとの軽食を終えたその後のことである。

 時刻は午後六時。帰りの電車の窓から見えるホロスクリーンの空は九割がオレンジに染まり、東側辺りは星空が映し出されている。

 オレンジ色の空と濃紺の空の境界にはグラデーションが掛けられているが、いかにも人工的なそれはなんとも不自然極まりない。

 目的の駅で電車を降り、駅の改札口を抜けた僕は駅前の広場の中央に自分が身に纏っているものと同じ工業士官学校の軍服じみた制服を着た人物を見つける。


 ――カトル?


 同じ学校の生徒であることは間違いないが、華奢な後ろ姿が彼によく似ている気がした。

 広場の中央に植えられた枯れかけた広葉樹の下で電子端末を覗き込んでいる彼は、時折顔を上げては辺りを見回している。

 僕は少し考えて、それから彼に歩み寄った。


「カトル」

「ひゃあっ……?!」


 カトルが小さく悲鳴を上げる。

 その声が変声期を終えかけた男子のそれにしてはあまりにも高かったものだから、僕は思わずまゆを寄せた。


「ひゃ……?」

「ち、ちがっ!今のは、その、違うんだ……」


 彼が頬を朱に染めて、目を伏せるカトル。その慌てように疑問を感じないわけでもなかったが、その時にはもう声は元のそれに戻っていたし、もとより背後から脅かしたのはこちらである。これ以上警戒されたくもなかったので、僕はとりあえず聞かなかったふりをすることにした。


「……えっと、どうかしたの?」

「えーと、その……」


 苦笑いをするカトル。彼の持つ電子端末の画面にこの地区の地図が写っていたので状況はすぐに察せられた。


「道に迷っちゃって……」


 彼が手にした電子端末をこちらに向ける。画面に映った地図と、その一ヵ所に施されたマーキング。おそらく目的地を示しているのであろうそれを見て僕は僅かに目を見開く。

 驚いたことにマークしてある建物は僕の家の向かいに立つ賃貸のビルだったのだ。

 思わず赤いマーキングを指差す。


「この建物がカトルの家?」

「うん、この駅で降りると最短で行けたと思ったんだけど、違ったかな」

「いや、あってるよ。ここへ行くならこの駅で降りるのが一番近いんだ。ちなみに僕の家はここ」


 僕が自分の家である賃貸アパートをタップすると新たに青いマップピンが立つ。

 彼が少なからず驚いたのが分かった。


「ここってことは、向かいの建物だよね?」

「そうだね」


 沈黙が落ちる。

 カトルは何か言いたげに口を開いて、けれどすぐに口を閉じてしまう。

 結局、痺れを切らして口を開いたのは僕だった。


「一緒に帰る?」

「あ、うん!」


 まだ微かに子供っぽさを残す無垢な微笑みを浮かべたカトル。斯くして、僕らは共に家に帰ることになった。

 駅前の広場を離れ、自らの家への道を進んで行く僕。人口密集地で道幅を最小限に抑えている通りは細く入り組んでいるが、慣れてしまえば迷うことはない。

 カトルはというと狭いスペースに無理矢理住宅を押し込んだような街の景色が珍しいのか、周りを見回しながら僕の後ろをついて来ている。

 互いに無言のまま歩いているその間、僕は聞けずにいた今朝のことを、どう話を切り出すべきかをずっと考えていた。


 いっそのこと彼の方から今朝、何故僕の隣の席を指名したのか話してくれないかと思うものの、その気配は一向に感じられない。

 そもそもなぜ僕は今朝のことについてこんなにも思い悩んでいるのだろうか。

 たまたま目に入ったから、一番他のクラスメートの邪魔になりにくそうな場所だったから、と適当な理由を付けて割り切ってしまえばそれで済む話だというのに僕はそれをできずにいる。

 何かが僕の胸の内で引っ掛かっている。今朝会ったばかりの彼から僕は何かを感じている。

 その何かが簡単に出て来れば苦労はしないのだが、当然の如く、それはそう簡単には出てこない。

 やがて僕の家が、そして彼の家が見えてくる。あまり時間がない。


 ――聞くしかないよなぁ。


 これ以上考えても答えは見つからないとみて思考を中断、僕は小さく深呼吸をする。


「カトル」

「うん?」


 後方からすぐに応じる声。


「今朝のことだけど、なぜ僕の隣を選んだのか聞いてもいいかな?」

「……ああ、そのことか」


 ややあって、そう答えた彼の声はいつもと変わらないようで少し、ほんの少しだけ哀し気だった。


「今は、言えない」

「どうして?」

「今、君に話しても君はきっとそれを信じようとはしないだろうから……」


 ちょうど家の前まで来て僕は足を止める。カトルも足を止め、電子端末で場所を確認してからそれを制服のポケットへとしまい込んだ。


「僕が信じないかなんて内容を聞いてからじゃなきゃ分からないじゃないか」

「そうかもしれない。だけど言えない」


 ごめんと続けてカトルは言った。

 僕は自分が詮索されるのがあまり好きではなかったから、彼に対してもこれ以上は何も聞くまいと思った。


「……でも、君には」


 一度偽物の空を見上げ、カトルが言う。


「君にはいつか必ず話す、だから、その時まで待っててほしいんだ」

「……僕、待つのは苦手なんだよな」


 彼の言葉に何と返事をすべきか少しだけ迷って、結局口から出てきたのは冗談じみたそんな言葉。カトルがくすりと笑った。


「へぇ、それは意外だよ」

「嘘だと思ってるだろ」

「ううん、そんなことないって」


 彼は自分の家である賃貸アパートのエントランスの方へ足を向ける。僕も同じように自分の家の方に足を向けた。


「それじゃあまた明日ね。ロイ君、今日は君のおかげで助かったよ。ありがとう」

「僕も、少しだったけど君と話せてよかったよ。また、分からないことがあれば何でも言って、家も近いしきっと力になれると思うからさ」

「それは助かるよ」

「じゃあ、また明日ね」


 軽く片手を上げて僕は彼に背を向ける。


「優しいのは、変わってないね。()()()

「え……?」


 最後にそんな言葉が後方から聞こえた気がして振り向いたが、カトルの姿は既に無く、向かいのビルのエントランスへと通ずる扉が閉まる音だけが耳に届く。

 僕の心には拭えない違和感だけが残った。


 *


 カトル・デュランは自分の家の扉を開けて中へ入るとすぐに制服の上着を脱いでシャツの襟元を緩めた。

 初めは憧れを抱いていた制服だが、いざ着てみると首元が苦しくて敵わない。

 特別汗をかいているというわけでは無かったけれどシャワーを浴びたいと思い、脱衣所へ向かう。

 昔から水遊びが好きだったから毎日湯を浴びる"人間"の習慣を"獣"たちも見習うべきだと何度も思ったものだ。

 脱衣所で服を脱ぎ、"化け"と"変声"の二つの()を解く。

 体から水蒸気にも似た煙が出て、少年の容姿を変えて行く。

 僅かに波打っていた黒髪が艶のある長い黒髪へと変わり、顔立ちや身体つきが少年のそれから少女のそれへと変わり、そして頭から黒く尖った耳と臀部から橙黄色の尻尾が姿を現す。


 大人の女性と言うには程遠い華奢な身体つきではあるが、これが(わたし)の本来の姿。

 列記とした雌性体(メス)であって、"人間"ではなく"獣"だ。

 雄性体に化けている理由は特にはないけれど、強いて言うなら兄の友人のカトル・デュランという人間が自分にとって最も身近な人間であり化けやすいことと、男性であることでセイハンザイというものの抑制になると兄に聞いたからだ。

 風呂場の扉を開けて認証機とやらに手を翳すと丁度良い温度のお湯が雨のように降り注ぐ。心地よい。

 湯を浴びながら、その控えめな起伏の胸に手を乗せた。

 いつもよりも少しだけ騒がしい心臓の鼓動。一度深呼吸をして、そっと胸を撫で下ろした。


「危なかった、です……」


 狭い風呂場に〈変声の術〉を解いた声がよく響く。先ほど驚いた拍子に術が解けてしまった時のことを思いだす。彼が眉をひそめた時はどうなることかと思ったが、詮索せずにいてくれて助かった。


「ロイ、グロードベントさん。まさかこんなに早く出会えてしまうなんて思いませんでしたよ」


 口からこぼれた小さな笑い。

 そう、私は彼、ロイ・グロードベントに会うために人間の居住地へと足を運んだのである。

 三十年以上も前に一度会ったきりの彼。正直なところ、探すのは容易ではないと覚悟をしていた。けれども、急遽通うことになった学校と言う場所の教室の角の席で、彼はあの時と変わらない姿で興味無さげにこちらを見つめていた。

 一目で彼だとすぐに分かった。その事がどうしようもなく嬉しくて、だから、舞い上がった気持ちを抑えきれずに彼の隣りの席を希望してしまったりしたのだ。

 本当は先程ロイにその事を打ち明けて、自らの正体を明かすことも出来たのだけど……。


「もし、もしロイさんが私の事を覚えていなかったら……」


 正体を明かすことを躊躇っているその原因を呟いてみる。

 以前会った時、彼は自分は軍人なのだと言っていた。

 私は彼にとって助けてきた人々の中の一人に過ぎず、既に彼の記憶には留められていないのかもしれない。

 そう思うと、正体を明かした時の彼の反応が怖くてどうしても言い出せない。

 一度息を吐いて、目の前の鏡に手を付いてみる。写っているのはありのままの、獣としての自分の姿。


「ロイさん、いつかこの姿で貴方と話す日が来たら、貴方はまた私を受け入れてくれますか?」

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