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傷心の対価

 ゆっくりと瞼を上げる。

 それから瞬きを数回、ぼやけた視界の焦点が合う。

 どうやら私は先の戦闘で無理矢理使用された〈CHAOS MODE〉の過大な負荷を受けて、いつの間にか気を失っていたらしい。

 既に日は沈んでいて、空に浮かんだ満月が辺りを淡く照らしている。

 視界の端に私がロイと共に落下してきた崖が見え、その手前に〈IF-XXX〉が直立状態で停止しているところから、ここは崖下に広がる森林の比較的木々の少ない開けた場所であると分かる。

 〈ベガルタ〉はその隣で膝立ちのまま停止しており、私は機体が地面に翳した平手の上に寝かされているようだ。

 彼はというと手が届きそうなほど近くに腰掛けていて、ぼんやりと空を見上げていた。


「……ロイ?」


 名を呼ぶと彼がこちらに目を向け、そして優しく微笑んだ。


「リア、起きたんだ」

「生きてる。どうして……?」


 不思議に思って聞いてみる。

 確かに私は機体ごと崖から落ちたはずで、その絶壁は〈インパルスフレーム〉のパイロットを死に至らしめるだけの十分な高さを有していた。


「隊長達が、助けてくれたよ」

「……そう」


 彼のその説明で何故納得できたのか自分でも分からなかった。もしかすると、気を失っていた間に偶然見た、かつての仲間たちの夢に影響されたのかもしれない。

 目覚めてから少し時間が経って、朧げだった身体の感覚がはっきりしてくると、同時に頭を内部から針でつついたような痛みがあることに気づく。

 間違いなく〈RAGE〉の負荷によるそれに思わず顔を顰めた。

 僅かに力を入れて、両足が動くことを確認。どうやら〈RAGE〉システムは起動したままらしい。

 目敏くそれに気付いたらしいロイが口を開く。


「頭痛い?」

「……少し」

「RAGEは早めに解除した方が良さそうだね。出来そう?一応僕もやろうとしてはみたんだけど、普段と違う使い方をしたせいか、第三者からの解除コマンドを受け付けつけてくれなくてさ」

「……ん」


 小さく頷いて、半身を起こす。そのまま頭部に装着したままのデバイスに手を掛けて、そしてまた手を止めた。


「リア?」


 突然動きを止めたことを不自然に思ったのか、私の顔を覗き込むロイ。

 私は返す言葉を失ってその場に硬直した。

 おそらく〈RAGE〉の解除自体は簡単にできるだろう。

 しかし、それをしてしまった時私は再び両足の自由を失い、彼は本当の私の姿を知ることになるのだ。

 はたして彼はどう思うだろうか?

 以前と違う姿になってしまった私を受け入れてはくれるのだろうか?

 それとも失望し、拒絶するだろうか?

 あるいは軍での多くの士官達のように私を罵り、嘲るかもしれない。

 嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎって、思考が瞬く間に得体の知れない恐怖に支配されていく。

 思わず立ち上がる私。ふらついて転倒しそうになったものの、なんとか踏み止まった。

 早足で〈ベガルタ〉の掌から飛び降りて駆け出す。


「待ってくれ、リア!」


 後方から聞こえた声。次の瞬間に彼が手首を掴んで私を引き止める。


「どうしたんだよ。きつい?それとも苦しいのか?」


 左右に首を振る。

 立ち上がってほんの少しばかり駆けただけだというのに何故か心拍が大きく上昇し、呼吸も荒い。

 〈RAGE〉による負荷に体が悲鳴を上げ始めている。それでも、私は必死に歯を食い縛って耐える。

 彼を失望させるくらいなら、黙って苦痛に耐えている方がよほどましだと思うから……。

 掴まれた左手首を振り解こうと試みる。けれど、それは徒労に終わった。


「……お願い。放して」

「手を放すのは構わない。でもその前に一つだけ聞かせてくれ」


 真っ直ぐにこちらを見つめるロイの緑玉(エメラルド)の瞳。真剣にものを尋ねる時の眼だとすぐに察せられた。


「リア、君はどうして〈RAGE〉のデバイスを付けたまま外そうとしない?」

「……」

「ずっと気づかないふりをして聞かずにいたけど、リアがいつもそうしているのを僕だって不思議に思わないわけじゃない」


 沈黙。

 彼の問いに答えることが出来ずに、私は傍へと視線を逸らす。


「ごめん、困らせたいとかそんなんじゃないんだ。誰だって人に言えない秘密の一つや二つあるだろうし、僕だってそれを無理に聞こうとは思ってない」


 けど、と彼は言葉を繋ぐ。


「今回ばかりはそうはいかない。分かってるとは思うけど、君が頭に着けているそれは危険なものだ。場合によっては君の命だって奪ってしまうかもしれない」


 一度、言葉を切ったロイ。その間に一度挟んだ呼吸は酸素の補給というより、自分を落ち着かせるためのもののように感じられた。


「教えてくれ、リア。君はそうまでして何を隠している?それは本当に君の命を掛けてまで隠していなければならないものなのか?」


 再び沈黙。

 私の命を案じてのことだとは分かっていたけれど、彼の言葉は随分と綺麗事のように聞こえた。

 ロイは自分自身が普通の人とは違うのだと、そう伝えることがどれだけ覚悟のいることかを知らないからそう言えるのだ。


「…………分かるの?」


 ぽつりと独り言のように私は言い捨てる。


「……何も知らないロイに、私が何を思ってこのことを隠してるのか、分かるの?」

「……」

「……知った人はみんな、哀れな私を嘲笑ったり、変に気を遣う」


 ずっと胸の内に隠してきた不満が愚痴となって溢れでる。それらは知らないうちに段々と熱くなって、止まらなくなる。


「私を腫れ物みたいに扱って、影で使えないって罵る」

「リア」

「私だって、好きでこうなったらわけじゃないのに……」

「落ち着くんだ。リア!」


 ロイが少しばかり声量を上げて、我に返ったように口を噤む。


「僕が、悪かった。君の言う通りだよ。僕は君じゃないし、治癒カプセルの治療を終えた後に君がどうしていたかを知っているわけでもない。僕に君が何を思ってきたかなんて分かりやしないさ」

「……」

「だけど今の言葉で、リアの隠しているそれがただの秘密じゃなくて、君を苦しませているものだってことくらいは分かった」


 私の手を掴む彼の右手、その力が少しだけ強くなる。


「確かに君の感じているものを完璧に分かってあげるのは難しいかもしれないけれど、もしリアが打ち明けてくれたなら、それに寄り添うぐらいのことはできる」


 一瞬の間。

 心を揺らすその言葉に私は一度瞬く。


「……本当?」

「今ここで嘘がつけるほど器用じゃないって」


 軽く微笑んで見せるロイ。

 それからしばらく考えて、私はようやく話す決心をした。


「……ロイ、手を放して」

「逃げない?」

「……ん」


 怪しむ彼に頷きを返すと私の手首が解放される。

 ゆっくりと両手を頭に着けたデバイスへ伸ばし、指を掛けて軽く力を入れる。

 問題なくデバイスは外れ、〈RAGE〉システムは解除された。

 途端に両足の感覚が消え失せて、事前に重心が傾いていたらしい後方へ身体が傾く。


「リアッ!」


 彼が叫んでその直後、身体が宙に浮くような感覚があって、一瞬遅れて私は彼に抱き留められたことを認識する。


「どうしたんだ……?」

「……私、RAGEを使い過ぎた。下半身不随、システムを使ってないと、動かない」

「ずっとこれを隠すためにシステムを?」


 私は頷き、そして自分自身を軽く嗤う。


「……ほんと、無様。嗤ってくれていい」

「嗤わないよ」

「気を遣わなくてもいいから……」

「リアは、嗤って欲しいのか?」

「……そうじゃない、けど。私、もう、一人じゃ満足に動くこともできない、ただのお荷物」

「お荷物って、なんだよそれ」


 まるで不快だとでも言うように彼が眉を寄せる。


「僕にとっては違う。リアは大切な仲間だ。一人じゃできないなら僕を頼れ。歩けないならリアを背負ってどこへだって連れて行く。なんでも一人でやろうとするのは君の悪い癖だ」


 言って、ロイは私を抱く手の力を少しだけ強める。


「もういい、もういいんだ。リア、君はよく頑張ったよ」


 鼓膜を揺らす優しい声音。


「今まで一人で背負ってきたんだろう?辛くても苦しくてもずっと一人で耐えてきたんだろう?これからそんなことしなくても大丈夫だ」


 言葉が心の中へと沁み渡っていくような不思議な感覚を覚える。


「一人で背負うのに疲れたら僕に分けてくれていいし、辛い時は素直にそう言ってくれていい」


 一呼吸置いた後で、彼は最後に言う。


「君はもっと我儘になったっていいのさ」


 そして訪れる束の間の沈黙。

 返事をしなければと思ったけれど、熱くなった目の奥から込み上げてくるものを堪えるのに必死でそれどころではなくなってしまう。

 自然と彼の胸に額を寄せてしまったのはきっと彼に泣き顔を見せまいとした結果だろう。

 やがて一雫、堪えきれなくなって溢れたそれが頬を伝って落ち、その一粒がきっかけとなって堪えていた涙が流れ出る。

 この日、着任依頼決して泣き顔を見せることのなかった少女兵は初めて涙を流した。

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