大狼の言葉
第九八番天蓋区画からある程度の距離を取った密林の中。
ちなみにこの場合の”ある程度”とは天蓋区画が行う索敵範囲の外側で、かつ索敵巡回機の行動範囲のぎりぎり外側を指す。
そこに一機の〈インパルスフレーム〉が膝立ちの状態で停止している。
水分を多く含んだ大地に所狭しと並ぶ広葉樹の幹、そしてそれらから枝分かれして太陽の光を求めて生え茂る柳色の葉。
葉と葉の間から差した木漏れ日が機体の純白の装甲を照らして斑を作る。
すぐ傍には澄んだ水が倒れた巨木や人の身体ほどの大きさのある岩々の間を巧みに流れることでできた美しい渓流。
ロイはその光景を目の前にして思わず機体から降り、密林の土を踏む。
アメリアと別れてから数時間。既に朝日は昇り、午前の温かな日の光が木漏れ日となって差し込む。
けれどおそらく過ごしやすいのは今の時間帯までだろう。熱帯という区分に位置するメネア連邦は日中の間かなり気温が上がる。
一度深呼吸をしてみる。肺を満たす自然特有の澄んだ空気。少しだけ気が楽になった。少しだけ、だ。
「……リア」
天蓋区画に置いてきてしまった彼女の名を呟いてみる。
分かっている。これは彼女が望んだことだ。彼女は新型の〈インパルスフレーム〉が今後多くの犠牲者を出すことを嫌がって、自分一人が犠牲になることを選んだ。
これは彼女の願いであり、僕はそれを実行したに過ぎなくて、実際僕が彼女の立場でも同じことをしたと思う。
けれど、どうしてもアメリアを置いてきてよかったのかと、そう自分に問わずにはいられないのだ。
少しだけ考えてすぐにその答えは否だと結論付ける。
「……一緒に行こうって言ったのに、なんで今君はここにいないんだ?」
以前アウルローゼで彼女と戦った際に僕自身が言った言葉を反芻つつ、目の前の純白の機体を見つめる。
分かっている。仲間を見捨て、〈ラーグルフ〉とともにこんなところまで逃げてきたのは他の誰でもなく僕だ。
だから、彼女がここにいないのは当然のこと。
「……ああ、僕は最低の人間だ」
ぽつりと自虐のように呟いてみたその時、
「おいおいどうした。俺たちを助けた時と随分顔が違うじゃねぇか」
「……ッ?!」
背後からの声。反射的に飛び退る。いつも銃を携帯している腰のホルスターに手を伸ばすが、当然連邦軍に押収されてしまっていたためにそこに銃は無くて、僕はそれがシグルドからの借り物だったことを思い出して刹那の思考の中で説教を受ける覚悟を決めたりする。
「誰だ……?」
「誰って、俺だよ」
言いながら近くの巨木の陰から姿を現したのはいつか見た狼の特徴を持つ“獣”の男だった。
浅黒い肌にどこか野性味を感じさせる顔立ち、白灰色の髪は奇妙な伸び方をしていて、前髪が顔の右半分をほとんど覆い隠してしまっている。
以前は囚人服で覆っていた洗練されかつ鍛え上げられた身体を今は不思議な服で覆っている。
彼の身に纏うそれが戦闘服であるということは一目で分かったが、見たことのない装いだ。
色は全て黒で統一され、下半身はよく目にする戦闘服のそれで、タクティカルパンツにニーアーマー、そしてタクティカルブーツを身に着けているが、上半身は肌に密着するタイプの長袖スーツに両腕を覆う騎士の鎧と言うにはあまりに薄い金属の装甲版。しかし、左腕は前腕部の装甲だけで、右腕にのみ上腕と肩部の装甲がある。
目視で確認できる武器らしきものは腰部ホルスターの拳銃とその背に背負った長く巨大な何か。漆黒の金属で出来たそれは大剣のように見えなくもないが、それにしては柄が長い。
「よう。アウルローゼ以来だな」
言って狼の獣はミリタリーグローブをした手を軽く挙げた。
「君はあの時の……。何故ここにいる」
「お前を探していた。あの天蓋区画、九八番だっけか?に居るって聞いてな。一ヶ月前くらいからここらをうろうろしてた」
男は笑って、何度か天蓋区画内にも入ったんだぜと付け足す。
「けどまぁ、思ったより警備がきつくてな」
「ああ、なるほど」
僕は頷く。僕が入院していたのは仮にも軍病院だ。セキュリティは並みの病院とは比べものにならない。
「名前を聞いておこう。病院ではお前の名前を知らなくて面会を申し出られずに苦労したんでな」
「……ロイ・グロードベント」
「ロイか。一応、覚えた。だが、俺は覚えるのは苦手だ。もしかするとまた名を聞くかも知れねぇ」
「構わないよ。けど僕だけ名乗るのはフェアじゃないと思うけどな」
彼の真紅の瞳が一度、瞬く。
「ああ、悪りいな。確かにそいつぁフェアじゃあねぇ。俺はジン。獣に姓がないのは知ってるんだろ?」
「そうじゃないかと思ってたけど、初耳だ」
「なんだ、そうなのか。てっきりリンに聞いてると思ったが……」
言いながらジンと名乗った男は近場の木に寄り掛かって、腕を組む。
なんだかアウルローゼで会った時よりも少し、いや大分接しやすい印象を受ける。
以前会った時は敵意剥き出しで、それこそ牙を剥いた獣のようで、レイに似ているなと思ったものだが、今はそれをあまり感じない。
「それで、」
僕はジンの方を見やって言った。
「僕を探してたって言ったけど、なんで?」
「ああ、それな。要はあれだ」
「……?」
「アウルローゼでは世話になった。礼を言わせてくれ」
急に真面目な顔になってこちらに頭を下げてきたジン。驚きによる一瞬の硬直、後に僕は軽く手を振って応じた。
「よしてくれ。僕が好きでやったことだ」
「…………」
「どうした?」
「いや、何でもねぇ。ただ、納得いかなくてな」
「納得、いかない……?」
「ああ」
嘆息にも似た息を漏らしつつジンは言って、
「アウルローゼでは助けられた。が、助けてもらってそれで終わりってのは納得いかねぇ。受けた借りは必ず返す。獣の……いや、俺の流儀だ」
「だから、いいって言ってるだろ。そんな礼なんて……」
ジンの狙った獲物を決して逃さない肉食獣さながらの鋭い視線が鬱陶しくて目を逸らす。
律儀な人だと思った。それこそ面倒くさいほどに。
「お前が礼を必要としてるからそうでないかは関係ねぇんだよ。ロイだって俺たちが助けを求めてもないのに助けただろうが」
「……それは、」
押し黙る。
確かにそうだなと思ってしまった。そう思ってしまったことで急に反論しずらくなってしまったのだ。
それでも何か言い返さなければと悩んで、暫しの後に口を開く。
「……ごめん。余計なことをした」
「別に謝ることじゃねぇ。正直な所、ロイが来なけりゃ俺たちは絶対にあの監獄から出られなかっただろうしな」
「……」
僕は溜め息を禁じ得ない。何を言い返しても、ジンは相応の理由でもって返してくる。
どうやら彼は意地でも借りを返したいらしい。
次はどう言い返したものかと悩んでいた僕だったが、思考を巡らせるうちにふとある考えが頭に浮かんだ。
「……ねぇ、ジン」
「なんだ?」
「もしかして、君は単に借りを返したいわけじゃくて、人間に借りを作りっぱなしにしとくのが嫌なのか?」
「……」
今度はジンが黙った。彼のその真紅の瞳が僅かに見開かれたのを僕は見逃すことなく捉える。
「……ああ、そうだ」
数十秒、彼は沈黙を続けた後に渋々といった様子でそう言った。
「君たちを助けたのは僕の意思だ。決して貸しなんかじゃ……」
「人間はみんなそう言う。そして俺たちが忘れたころに対価を要求してきやがるのさ」
ジンがその鋭い瞳を眇める。
人間を信用してないとでも言いたげな真紅の瞳を見て僕は一人納得する。
彼が借りを返すと言って譲らなかった理由はこれか。
人間とは強欲だ。過去の貸しについてしつこく追及し、それを何倍にもして返させて己の利益とした者がいてもおかしくはない。
僕は改めて考える。おそらくジンはもう僕がなんと言おうと自分の考えを曲げることはしないだろう。
彼が受けた借りなるものを返し終わるまで、絶対に退かないはずだ。
それならば残された道は一つしかない。
「分かったよ。君への借りを返してもらおう」
「やっと折れたか。この堅物が」
「それで、何をしてくれるんだ?」
「それなんだがな、一つ考えてきた。おそらくこれがお前にとっても一番いいはずだ」
ジンが言葉を切る。単に一呼吸置いただけなのか、それとも彼自身の躊躇いゆえか、僕には分からなかった。
「連れてってやる。お前が持っていた写真の場所。リンの秘密の場所にな」
思いもよらぬ提案に息を飲む。その様子を見たジンが薄く微笑んだ。
何の前触れもなく訪れた好機。確かにこれは写真一枚を頼りに行動してきた身からすれば願ってもない提案だ。
しかし……。
このままリンに会いに行ってもよいのだろうかと思う。
仲間を見捨てて約束の彼女と再会する。
確かに僕自身の目的は達成されるのかもしれない。
けれど、そんなことをすればきっと一生後悔することになると、そう強く思った。
「僕は行けない……」
そう答えるまでにかかった時間はそう長くは無かった。
「なに……?」
「今、リンと会ってしまったら、僕はきっと自分を許せない」
「……最低な人間。さっきそう言ってたな。理由はそれか?何があった?」
やはり聞かれていたか。思わず飛び出しそうになった舌打ちをこらえて僕は軽く奥歯を噛む。
「……ああ、うん。まぁ、ちょっとね」
話すべきか迷って、結局口から出てきたのはそんな曖昧な返事。
ジンの表情が少し曇った。
「ロイ、それは返答になってねぇぞ」
「……」
咄嗟に沈黙を決め込んでみたけれど、すぐに話すしかないと気づいた。
彼に、ジンに納得してもらうにはそうする以外の方法はないのだと。
一度呼吸を整える。
「……置いて、きてしまったんだ」
ぽつりとこぼした僕。ジンは訝しげな表情を向ける。
「何が言いたい?」
「アメリア、昔共に戦っていた仲間。助けてくれたんだ。合わなきゃいけない人の所に行けって言ってさ」
「なるほど」
ジンが一度頷く。
「要するにそのアメリアの助けがあってお前は今ここにいるわけだ。んで、その彼は」
「彼女だ」
「……んで、その彼女は今もまだ天蓋区画の中にいると?」
「うん」
弱々しく頷く。
するとジンは訳がわからないとでも言うように首を傾げた。
「分からねぇな。それでなんでお前が最低の人間なんだ?アメリアもお前と同じように自分の意思に従っただけなんじゃねぇのか?」
「そうじゃない」
「あぁ?」
「約束、とは少し違うかもしれないけど、彼女に言ったんだ。一緒に行こうって、それなのに僕は……」
強く拳を握りしめる。
「僕は、彼女を、仲間を見捨てて一人で逃げてきてしまったんだ」
僕の言葉にジンは少し考えて、それから軽く笑った。
「それで最低の人間、か」
「何がおかしい?」
「いや、別に可笑しくて笑ったわけじゃあねぇ。ただらしくねぇなと思ってな」
「……?」
「だってそうだろ?自分の目的のためならなんだってやる。それがお前じゃなかったのか?」
実際、と彼は続ける。
「お前は檻に囚われてた俺たちを助け出すなんて無謀を平気でやってのけた。今更何を何を迷うことがある?」
獲物を狩る大浪さながら、ジンは赤眼を僅かに見開いて笑う。
「欲しいんなら、奪えばいいだろ」
「……ッ」
彼のその言葉は不思議なほどよく響いて、僕は思考を貫かれるような感覚に思わず身を硬らせる。
一度揺さぶられた思考を短い深呼吸で整えて、冷静に保つ。
「……奪えばいいって、そんな。彼女は物じゃない」
「違う。そうじゃねぇ、俺が言いてぇのはその、心に従えってことだ」
「心に……」
復唱しかけて、ふと思う。
「でもジンは?仮に僕がそうしたとして、君はどうするのさ?」
「当然、俺だってお前に借りを返すまで引くつもりはねぇ。だがまぁ、少しくらいは待ってやる。迷ってんなら行った方がいいと俺は思うが?」
この瞬間、僕は初めて自分の納得できる答えを得た気がした。
僕自身このままリンに会いには行けないと思っていて、これからどうすべきなのか分からなくなって、迷っている。
迷っているなら、彼が言うように行ったほうがいい。
もし仮にアメリアを連れて来ることができなかったとしても、行かずに後悔するより、行って後悔する方がずっといい。
「ああ、そうだね」
頷く。
「確かに君の言う通りだ」




