禁忌
放課後。
だんだと赤く変わるホロスクリーンの空の下。
僕はミレイナに誘われ、第三工業地区にある数少ない商店街の一つを訪れていた。
「今日はどうしたんだよ。こんなところまで来て、学校の奴に見られて変な噂が立ったら面倒なことになるよ?」
普段に比べれば幾分か賑やかな夕暮れ時の商店街をミレイナを追いかけるように進む。
結局、放課後になってもカトルとろくな話が出来ず、もどかしい気持ちを引き摺ったままの僕は早く家に帰りたい一心で深い溜め息を吐いた。
「ロイ君、昨日の話はもう忘れちゃったの?」
「昨日……ラーグルフのこと?」
先を行く彼女が振り返る。少しだけ不機嫌そうに頰を膨らませているように見えた。
「ちーがーうー、それとはまた別の話!」
少し考えて、思い至る。
「……賭け事の話?」
「うん、そう!カトル君は男の子だったから今回の賭けは君の勝ち。よって私が君の欲しい物をなんでも一つ奢ってあげます」
自慢げにぴんと人差し指を立てて言うミレイナ。
僕はしばし考えた。
というのも、これといって欲しいと思う物が無かったのだ。
確かに欲しい物など探せばいくらでも見つかりそうなものだが、それは自分が欲しいと思った時に自分で購入すればよいだけのこと、わざわざ彼女に奢ってもらう程のものでもない。
「別に――」
「欲しい物なんて無い、なんて言ったら私怒るからね?」
言おうとした台詞を彼女が先回りして言った。どうやら、賭けを無かったことにはしたくないらしい。
僕は顎に手を当てがい、再び考える。
やがて長く続いた沈黙を彼女が破った。
「もしかしてロイ君、女の子に奢られるのが嫌なの?」
「……嫌とか、そういうのじゃない。けど、抵抗はある、かな」
「ふぅーん」
ミレイナがその瞳を僅かに細め、悪戯を企む子供のように笑う。
「それなら私が強引に奢ったげる。こっち!」
「あ、ちょっと……!」
ミレイナは僕の手を引いて駆け出したかと思うと、若い世代の女性を主な客層とするカフェへと入店する。
乳白色の壁には花の絵が掛けられ、骨董品のチェストや食器棚にはお洒落な小物や可愛らしい食器の数々。それらが明るめかつ橙の光を放つ照明に照らされている。
店内には客が何名かいたが、もちろん全員女性だ。
僕たちは店の奥、一番角の小さな席に腰掛けて、彼女に言われるがままに飲み物やスコーンなどを注文する。
「……こういうお店は女友達と来るべきじゃない?」
やがて運ばれて来たアッサムティー入りのティーポットとスコーンを眺めながら言う。
「ときどきカップルの人達も見かけるからそんなことはないよ。というか、君が早く自分の望みを言ってたならこうはならなかったんだからね?」
確かな正論。
反論できずに口を噤んだ僕を見てくすりと笑ったミレイナは自分の注文した生クリームたっぷりのホットケーキを丁寧に切り分けていく。
ろくに農業のする場所がなく、人間が作り出した合成食ばかりが出回るこの天蓋区画の中で本物の卵と砂糖、それに自家製の天然ベリーを使っているらしいそれは僕が一週間生きて行けるだけの値段がしたが、彼女は躊躇することなくそれを注文した。
「でも、私はむしろこっちの方が良かったかな。話したいこともあったし……」
切り分けたホットケーキを口へ運ぶ。彼女の顔が綻ぶ。
「話したいこと?」
「うん。そう、君の機体の事についてだけど」
ミレイナは食事をする手を止めて自分の通学鞄から電子端末を取り出した。
指紋認証でロックを解除し、数多くあるファイルの中の一つを開く。
短い”loading”の画面の後、僕の機体である〈ラーグルフ〉の詳細なデータが表示される。
「ラーグルフのフレームと外装の整備は昨日で一通り終わったよ」
彼女が電子端末の画面をタップすると画面中央の部分ごとに区分けされた〈インパルスフレーム〉の絵図がコックピットの一部を残して赤く染まる。
「今、赤く点滅してるのがこの機体の前の損傷箇所。学校に運ばれて来た時には形だけ元どおりの状態で中枢回路がめちゃくちゃ、直すのが大変だったんだから」
「僕も、もう一度あの機体が元どおりになるなんて思ってもなかった」
苦笑しながらティーカップに注いだ紅茶を啜る。
彼女も同じようにカップを傾けて紅茶を啜った。
「まぁ、話の本題はそこじゃなくて」
かちゃり、とカップが白い白磁の皿に置かれる音。
ミレイナは自身の通学鞄を弄って旧型の相互通信機器らしきものを取り出した。
電話機のようなものではなく両の耳を覆うヘッドセットのような形のそれ。色は銀色で店内の照明の光を浴びて鈍く輝いている。
通常のヘッドセットならば装着したときに頭の上に乗るはずのヘッドバンドがそれには後頭部を回るような角度で取り付けてあり、装着時に後頭部に位置するであろうヘッドバンドには横に一筋の黒い線状の模様がある。
「これをラーグルフのコックピットで見つけた。似ているけど通信機の類じゃないみたいなの。一応分析もしてみたんだけど機械整備にある分析機器じゃ目立った成果は上げられなくて、君なら何か知ってるかなと思ったんだけど、これが何か分かる?」
彼女の手にあるそれがいったい何なのか。答えはすぐに分かった。
けれどもそれを口に出すことが出来ずに、ただ呆然とそれを見つめる。
まさか三十年も前に使っていたそれが、今でも使用可能な状態で残っているとは思わず、思考を驚きと言う名の強い衝撃に支配された僕は、少しの間、人形のように固まっていた。
銀色の金属光沢を放つそれを実際に手に取って、ヘッドバンドに走る黒い線状の模様を人差し指でなぞる。
「……まさか、これまで残ってるとはね」
「分かるの?」
「もちろん。僕はこれを使って戦ってたんだから」
彼女に軽い頷きを返す。
「これは一部のIFに搭載されてるあるシステムを使うための必要媒体。言わば人と機体を繋ぐ接合部品。名目上では相互通信機器ってことになってるけどね」
「あるシステム?」
「うん、ほら、これだよ」
ヘッドセット型のデバイスの端に掘られた《RAGE》の文字を指した。
ミレイナは二、三度瞬きをし、そして小首を傾げた。
「RAGE……? それってシステムの名前だったんだ。知らなかったよ。どんなシステムなの?」
そう問われ、僕は無意識に眉を寄せる。
このシステムは今やその危険性から多くの国々で禁忌とされているものだ。
故にそのシステムに関する情報の殆どは抹消され、残った記録も強力な保護システムによって厳重に保管されている。
つまり、このシステムについて知るということは、それ相応のリスクを負うということだ。
可能ならば知らない方が良い。
しかし、彼女は〈ラーグルフ〉のコックピットでこのデバイスを見つけてしまい、今、その名前も知ってしまった。
この状況では彼女がシステムについて探り始めるのは時間の問題。アクセスや検索服歴から〈RAGE〉について調べている者がいると気取られた場合の方が面倒なことになる。
だから僕はその禁忌について話すことにした。
「ミレイナ、今から話すことは決して誰にも言わないこと。いい?」
店の店員や客が聞き耳を立てていないか、そして防犯カメラの位置などを確認し、小声で言う。
茶を飲みながらする話ではないと承知していたが、常に軍によって動きを監視されている工業士官学校で話すよりかは安全と判断した。
彼女が息を呑み、そしてゆっくりと頷く。
「君はこの世界で最も優秀な処理中枢はなんだと思う?」
「えっと……AIとかかな?」
正解を掠めた答え。僕はゆっくりと首を横に振る。
「惜しいな。もっといいものが、ここに……」
とんとん、と自身のこめかみ辺りを軽く指で叩く。
彼女の紅茶を飲もうとした手が止まり、澄んだ茶色の瞳が驚愕に見開かれる。
「ま、まさか……」
「そう、人間の脳、これがこの世界で一番優秀な処理中枢さ」
言って、本物の砂糖を使用したスコーンを一口齧る。
本物の砂糖など久しぶりに口にしたが、合成食に慣れてしまった僕の舌にはとても甘ったるく感じられた。
口の中のスコーンを紅茶とともに飲み下して、僕は再び口を開く。
「RAGEは簡単に言うと脳が発した体を動かすための信号を直接機体に伝えることでIFに生身の人間のような動作をさせることを可能にするシステムなんだ」
向かいの席で絶句する気配。沈黙が落ちた。
店内に流れるクラシックの曲だけが耳に入ってくる。
〈RAGE〉、そのシステムの基本的な理屈はこうだ。
中枢神経である人間の脳をヘッドセット型のデバイスを通じて機体と繋げ、機体自体を末梢神経の集合体、即ちもう一つの身体として脳に認識させる。
それによって脳から発せられた信号や機体のセンサーやカメラから得られた情報が直接脳と機体を行き来し、圧倒的なまでの反応速度を得る。
未解明な部分も多々ある技術だが、戦闘においては操縦者に無二の力を与えるブラックボックスだ。
僕はそれを彼女へと説明する。
「……それは無理だよ」
しばらく黙って話に聞き入っていたミレイナだったが、おもむろに首を左右に振った。
「仮にそのシステムを起動したとして、それで機体の全処理が行えるとは思えない。だってそうでしょ?生身の人間にスラスターやミサイルポッドは突いてないもん」
彼女に頷きを返す。そのような疑問を抱えるのは道理だ。
「じゃあ逆に聞こう。RAGEを起動している時、操縦者の本物の身体はどうなると思う?」
「……気を、失う?」
「違うな。操縦者の身体もちゃんと動く状態にはある。脳からの信号さえあればね」
一度言葉を切って、僕は紅茶で喉を潤した。
「RAGEの本質は機体自体を身体の代わりとすることじゃない。一つの脳で操縦者の身体と機体の二つの身体を同時に動かすことにあるんだ」
彼女が息を呑む気配。その表情はどことなく険しかった。
「……本気で言っているの?そんなことをしたら脳への負荷が大きすぎてまともな操縦なんてできるはずがない」
ややあって答えた彼女。僕は軽く頷く。
確かにミレイナの推測は間違っていない。
実際、〈RAGE〉使用時に使用者である操縦者はその処理情報の多さゆえに激しい頭痛に襲われる。機体の各センサーに加えて自身の目や耳から多大な量の情報が脳に送られ、負荷となってのしかかるのだ。
その状態で機体を操縦し、戦闘を行うのはかなり厳しい。
「そうだね。確かに君の言う通りだよ。使い物にならないシステムなら僕だって使おうとは思わない」
一瞬の沈黙。
それは彼女が自分自身の疑問に対する答えを導き出すまでの時間でもあった。
「なんらかの方法で脳への負荷を軽減してるってこと……?」
ミレイナが言った。
流石は〈インパルスフレーム〉の機械整備分野の優等生だ。察しがいい。
「いったいどうやって……」
「駄目だ」
彼女の言葉を遮って僕は言う。
発しようとしていた言葉の内容は予測できていた。
「……君の聞きたいことは分かる。けど、駄目だ。これ以上の深入りは禁物だよ」
首を横に振る。
確かに、頭痛を軽減する方法はある。けれどもそれは決して触れてはならない禁忌の中の禁忌。
〈RAGE〉と言うシステムの存在自体も機密事項だが、このシステムが禁忌となった本当の原因はそこから先、操縦者の脳の負担を軽減する仕組みについてだ。
「そっか」
どこか落胆したように息を吐いたミレイナ。
「ロイ君がそこまで言うなら諦めるよ」
「ごめんミレイナ」
「いいのいいの。私も無理やり聞き出したいわけじゃないし」
カップを傾けるミレイナ。僕もそれに倣う。残っていた紅茶を全て飲み下した。
気付けば頼んでいた紅茶とスコーンは無くなって、ついさっきまでホットケーキが盛られていた皿も空になっていた。
――頃合いか。
そう思い立ち上がる。
「そろそろ行こうか、夕飯の支度をしないと」
「そうだね。私も帰らなきゃ」
通学鞄を手に彼女も席を立つ。
「ああ、そうだ。ミレイナ、これは僕が持っていてもいい?」
そう言って〈RAGE〉を使用するためのヘッドセット型のデバイスを少し掲げて見せる。
「いいよ。元はといえばそれはロイ君の物だもん。先生たちには上手くごまかしとくから安心して」
「助かる」
僕は手にしたデバイスを自分の鞄の中へと入れた。
「その代わりだけどさ。ロイ君に一つお願いしてもいい?」
レジへと向かっていた彼女の足が止まり、振り返る。
「何を?」
「どうしても倒して欲しい機神がいるの」
いつも明るい彼女の性格にはいささか似つかわしくない小さく弱々しい声で彼女は言った。
「言ったよね。私は孤児だって、その機神は両親の仇」
震えた声、翳った瞳、強く握られた拳。それらが彼女の本当の恐怖と怒りを伝えてきていた。
ああ、と僕は全てを察して息を吐く。
「その機神の、名は?」
「シリウス。一番目のシリウス」
「シリウス……」
名を聞いてほんの僅かに眉を寄せる。
〈一番目のシリウス〉と呼ばれる機神とは以前に一度だけ戦った記憶がある。その時は連邦軍幹部が乗ったトレーラーの護衛が任務だったので迎撃のみを行い、機神の撃墜は出来なかったが……。
四つ足の蜘蛛のような姿形をしており、機体上部に大口径の主砲を備えているのが特徴的な殺戮兵器である。
シリウスは普段、滅多に動くことは無く、密林の奥や廃墟などに身を潜めている。生体反応を確認すると主砲による長距離射撃を行い、正確に標的を狙い撃つ。
そのため天蓋区画の外を移動する輸送業を営む人々にとってシリウスは最も危険な存在なのだ。
必死な目で僕を見つめるミレイナを前に僕は少しだけ考える。
できることなら彼女のその願いを叶えてあげたい。
しかし、〈一番目のシリウス〉というのは難敵で、僕自身、〈機神〉に勝てない可能性は十分にある。
「もし……」
言いかけた言葉。それを一度切って、もう一度頭の中で整理する。
本気の彼女に対してだからこそ僕も本心で答えるべきだと思った。
「もしシリウスと戦うことがあれば、その時は最善を尽くすよ」
「……男らしく俺に任せろとか、絶対倒してやるとか、そんな風に言ってくれたりしないんだね」
「必ず守れるとは限らない約束はしないんだ」
ミレイナは一瞬固まり、その円らな瞳を一度瞬く、それから吹っ切れたように笑い出した。
周りの客や店員の目が一度こちらに集まり、そして離れる。
「もう、君ってばそんなんだからモテないんだよ」
「別にモテたいなんて思ってないよ……」
僕の細やかな反論は彼女の笑いにかき消され、そして消えてしまった。
「そっかぁ、やっぱり機神を討伐するのは簡単じゃないよね」
「まぁ、簡単に倒せないから機神なわけだし」
「そうだよねぇ。……でも、君が最善を尽くしてくれるんだったらそれに期待しちゃおうかな」
一歩、二歩と歩み寄ってきた彼女は僕に顔を寄せる。
互いの吐息が感じられるくらいの近さに気恥ずかしさを覚えた。
「よろしくね、ルシフェルさん」
くすり、と微笑んで見せたミレイナ。僕は深く嘆息した。
「だから、守れるか分からない約束はしないって言ってるじゃないか……」