大丈夫の裏側
スラビア共和国で”獣”を労働力とする施設を襲撃していた所属不明の〈インパルスフレーム〉。
メネア連邦軍との激しい戦闘の末に重傷を追っていたその機体の操縦士が目を覚ましたらしい。
第九八番天蓋区画の軍本部、その建物の最上階に位置する統括司令室で報告メールを受け取ったユアン・エルディはメールの内容に目を通してから長く息を吐き、高価な本革を張ったデスクチェアに身を沈める。
「まさか、元我が軍のパイロットだったとはな」
一度読んだメール本文の《ロイ・グロードベント》の名を再び見やる。
――しかもこの名前と経歴、アメリア・ヒューリス大尉と同じデュアル計画の生き残りか。
少し迷った末に、今現在ロイ・グロードベントの身柄を預かっている総合軍病院へと通信を繋ぐ。
聴き慣れたコール音、病院へはすぐに繋がった。
「私だ。例のパイロットの容体はどうだ?」
一瞬の間。看護婦と思われる女性の声が返る。
『目を覚ましました。今は身体検査中です』
「全て終わってからでいい。もう一度連絡をしてくれ、彼と話がしたい」
『かしこまりました』
短いやり取りの後で通信を切る。
デスクチェアから立ち上がり、部屋の壁面に広く設けられたガラス戸から眼下に広がる都市の風景を見下ろす。
視界の中央には三棟並んで立てられている総合軍病院の病棟。
「ロイ・グロードベント」
今まさにその病院で治療を受けているであろうパイロットの名を呟く。
「お前の目的、聞かねばならんな」
*
戦闘が無い普通の日常においてアメリアの仕事は無いにも等しい。
普通のパイロットであれば銃撃訓練やトレーニングによる体力づくりなど、やることは無限にあるものだが、あいにく私は足が動かないので行うことが出来ない。
だから、軍士官として与えられた書類仕事を一通り終わらせた後は基本的に暇な時間だ。
「ヒューリス大尉」
ロイが治癒カプセルによる治療を終えてから一夜が明けたある日のこと。
与えられた仕事を正午になる前に片付けて、とくにあてもなく基地の廊下を進んでいた私は後方から自分の名を呼ばれて、車椅子の車輪を回す手を止めた。
振り返りつつ声のした方へ視線を移すと黒髪黒眼の青年士官がいつも通りの軍服姿でこちらに歩み寄ってくるところだ。
「ミサカ准尉……?」
僅かに彼の方へと車椅子を向ける。
「……どうしたの?」
「あ、えっと、俺、管理課に書類出した帰りなんですけど大尉の姿が見えたのでつい……」
ミサカ准尉が軽く微笑む。
先ほどから彼は私のことを大尉と呼ぶが、以前のように間違っているわけではない。
〈ラーグルフ〉の捕獲に成功したことが考慮され、私は再び大尉へと昇格したのだ。
本来では喜ぶべきことなのだろうが、実際に〈ラーグルフ〉を稼働不能な状態まで追い込んだのは私ではないし、本来昇格すべきシュパイヤー中尉は戦死してしまっている。
この昇格が隊員たちの犠牲の上に得られたものだと思うと、素直に喜ぶことは出来ない。
むしろ、他人の手柄を横取りしたような感じがして嫌だ。
「ヒューリス大尉? もしかしてお邪魔してしまいましたか?」
問われてようやく我に返る。
「……別に。私も暇だったから、大丈夫」
私の言葉にミサカ准尉は安堵したようだった。
それから彼は一度深く息をして、
「あの、ヒューリス大尉」
「……?」
「俺、今から昼休憩なんですけど大尉も食堂に食べに行きません?」
「……え」
言葉に詰まった。
軍基地の食堂など行ったこともないし、そもそも食欲が湧かないので昼はいつも栄養補給用のゼリー飲料で済ませている。
「知ってます?最近追加されたメニュー、結構美味しいらしいんですよ」
困り果てていた私に彼がそんな解説を入れてくれる。
確かに噂は聞いていた。第九八番天蓋区画の軍基地内にある士官食堂、そこで提供されている料理は美味だと士官たちからも評判だ。
「……いい」
少し迷って、首を横へ振る。
「私が行くと、皆のご飯が美味しくなくなる、でしょ……?」
「ヒューリス大尉……」
ミサカ准尉の深い嘆息。その響きはどこか不満気だった。
彼は車椅子を押すためのグリップに手をかける。
「行きましょう。そうやって貴女が周りを気にしてばかりいるから、あいつらはますます調子に乗るんです」
「あ、ちょっと……」
珍しく強気な彼に気圧されて、私の口から出かかった言葉は喉の奥へと消えた。
結局、私はミサカ准尉に連れられて士官食堂へと来てしまった。
建物の上層階に位置するその場所は、一部吹き抜けの構造に加え、窓を広く設けることでかなり開放的な造りになっており、壁面や床には貴重な天然木をふんだんに使っていて、とても軍の施設の一部とは思えない、どこかお洒落なカフェのような印象だ。
食堂の角、最も邪魔になりにくそうな席についた私は目の前に並んだ料理の数々を見つめる。
メインの鮭のムニエルを中央にパンとスープ、それにサラダが並んでいる。
目の前のこれらが合成食かそうでないかはともかくとして確かにどれも美味しそうではあるのだが……。
私はちらりと目の前でハンバーグステーキを切り分けるミサカ准尉を見た。
視線に気づいたらしい彼が視線をこちらに向ける。
「大尉、どうかしましたか?」
「あの、私、こんなに食べられない……」
「ああ。食べれるだけで大丈夫ですよ。食べようとすることが大事なんです」
屈託のない笑みと共に准尉は言う。
私のためにそう言ってくれるのは嬉しいことなのだけれど、同時に食べなければいけないという使命感を駆り立てられる気がして少し気まずい。
加えて同じく食事をしている他の士官たちが先程から渋い表情でこちらを見てきている。
彼らは何も言ってはこないけれど、きっと私がここにいるということが不快なのだろう。
私は膝の上に置いたままの自分の手に力を込めた。
そんなに私は醜いだろうかとつい考えてしまう。
――こんなことならいつも通り病院に引きこもっていればよかった。
内心でそんなことを考えていると、ふと今病院にいるロイのことを思い出した。
昨日長い眠りから覚めた彼、あれからずっと身体検査のために連れまわされているようだが、もう終わった頃だろうか。
「ヒューリス大尉。大丈夫ですか?」
いきなりミサカ准尉に問われて私は思考を中断する。
「え、あ、うん。大丈夫……」
「それならいいんですけど……」
どこか腑に落ちない様子のミサカ准尉は食事する手を止めて私の顔を覗き込んだ。
射抜かんばかりに私を見つめる漆黒の瞳に気恥ずかしさを感じ、少しだけ目を逸らす。
「……何……?」
「あ、す、すみません」
准尉もまた、目を逸らす。
「あの、ヒューリス大尉」
「……?」
「やはり何かあったのではないですか?」
その問いかけに背筋が冷えるような感覚を覚えた。
「どうして……?」
「どうしてと言われても……。根拠なんてないです。なんとなく俺がそう思ってるだけなので……」
ただ、と彼は続ける。
「アウルローゼでの戦闘以降、貴女はどこか思い詰めているように見えます」
彼の言葉に驚いて私は二度ほど瞬く。
確かに、アウルローゼでの戦闘以降、私の頭の片隅には常にロイのことがあって、彼が重傷を負って治癒カプセルに入れられたことを聞いてからは、ますますそれが頭から離れなくなっていた。
顔には出さないように気を付けていたつもりだったけれど、ミサカ准尉は私を忌み嫌っている他の士官たちとは違う。
同じ隊に所属する隊員たちの中でも彼が一番近くで私を見てきたはずで、きっと直感的に私の隠しきれなかった何かを感じ取ったのだろう。
無意識に視線を伏せる。准尉の問いかけに答えることは出来そうになかった。
――言えない。ずっとロイが心配だったなんて……。
唇を固く切り結ぶ。
いくらミサカ准尉でも私が敵兵に入れ込んでいると知ればそれを認めはしまい。
彼は私とロイがかつてともに戦った仲間だということを知らないし、第一、それを打ち明けるというのは明けの明星に憧れを抱いている彼に真実を伝えるということだ。
彼が今まで明けの明星を相手に戦っていたという事実を知った時、いったい何を思うのか私には想像もつかないけれど、ただ何となくそれを伝えるのは怖かった。
「……何かあったなんて、准尉の思い違い」
結局、私は本音を隠すような返答しか返すことができず、彼に余計な心配をかけまいと必死に言葉を繋ぐ。
「……私は、大丈夫だから」
「そう、ですか」
ミサカ准尉は言及こそしなかったものの、納得しきれていないような、はたまた私を心配しているような、そんな複雑な表情でこちらを見つめていた。




