過去の英傑と死に損ない
灰色のコンクリートの壁、規則的に照明の並んだ天井、白い長テーブルと丸椅子が幾つも置かれたその部屋が第九十番天蓋区画メネア連邦軍基地の食堂であるとすぐに分かった。
《突きの襲撃》と呼ばれる出来事が起こる前、最後に僕たち上限越えの勇者たちが全員集まって食事をした場所。
そこでロイはあの時と同じ一番隅から一つ席を空けた位置に座り、かつての仲間たちと他愛もない雑談に華を咲かせながら食事をしている。
仲間の一人は職務中にもかかわらず気付けのためと大瓶の酒を呷り、またある仲間は苦手な人参を談笑に耽る隣の仲間のプレートにこっそりと移している。
その誰もが笑っている。そう、あの時と同じように……。
幸せだと思った。何もかも忘れ、いつまでもこうして仲間と話をしていられそうな、そんな気さえした。
ふと僕は自分の右隣と正面の計二つの席が空席であることに違和感を覚えた。
その二つとは鷹の目と竜殺しの二人の席だ。
――二人ともどこ行ったんだろう……?
二人の食事は用意されている。それなのに姿が見えない。
――早くしないともうみんな食べ始めてるのに……。
僕は持っていたフォークを置いて小首を傾げる。二人が何処へ行ってしまったのかがどうしても思い出せない。
「なぁ! ロイ、お前もそう思うだろ?」
突然後ろから肩組みをされて僕は驚きのあまりに体を強張らせる。
見れば部隊の隊長が自分の席を離れて、いつの間にか後ろに居た。
赤色が特徴の焔赤種の巨漢。体つきも相当なもので、肩組するにもいちいち力が強い。
「隊長、痛いです……」
「おお、お前ならそう言ってくれると思ったぞ」
更に力が強まる。全く話が通じていない。
彼が手にしている酒瓶を一瞥、どうやら酒を飲んだらしい。
「無駄だロイ。酔ったこいつに勝てる者などいない」
僕の隣で呆れ顔の女性パイロットが完璧な作法で肉を切り分けながら言った。
彼女が首を振ったことで後ろで一つにまとめた珍しい白銀種の銀髪が左右に揺れる。
「はいはい、完全に気付けの域を超えたこいつは没収っすよー」
向かいの席から蒼海種の男性パイロットが手を伸ばし、隊長の手から酒入りの大瓶をかっさらう。
「ぬあっ?! 何をする!」
「いや、いくらなんでも飲み過ぎでしょ」
「酔わなければ問題ない!」
「いや、酔ってるじゃないですか」
仲間たちの笑い。僕も釣られて笑った。
隊長が自分の席へと戻り、と言うより引き戻されて、再び談笑が始まる。
「ねぇ……」
僕は左隣で食事をする白銀種の女性パイロットに声を掛けた。
彼女が声に気づく。ステンレス製のグラスに入った水で口の中を流し、自前のペーパーナプキンで口元を拭き取る。
「どうした?」
「なんで――」
シグルドが座っているはずの席を指さして言いかけたその時だった。
斜め前の席で食事をしていた仲間の一人が立ち上がる。
「隊長、そろそろ時間です」
「ん? ああ、もうそんな時間か……」
隊長が立ち上がる。それに続くようにして他の仲間たちが席を立つ。
僕もまた彼らより遅れて席を立った。
「よし、行くか」
隊長が言う。その行先に見当が付かず、僕は小首を傾げる。
――任務か? けど、そんな話聞いてない……。
隊長に続き食堂の出口へと歩いてゆく隊員たち。僕もそれに続こうとするが……。
「ロイ」
唐突に隊長が言って足を止めた。他の隊員たちもそれに倣うように足を止める。
「お前は来ては駄目だ」
「……それは、何故ですか?」
「決まっている」
隊長が振り返る。仲間たちもまた振り返って僕を見た。
僕と、それから何故か姿が見えないシグルドとアメリアを除いたオーバーブレイブス隊九人の視線が一斉に僕へと寄せられる。
「お前はまだ、生きている。だから、こちらに来てはいけない……」
突然、僕の身体が金縛りにでも遭ったように固まった。
目の前からかつての仲間たちが一人ずつ離れて消えてゆく。
「ま、まって……!」
思わず手を伸ばす。当然、その手がかつての仲間に届くことはない。
最後に一人残った隊長が微かに笑った気がした。
「行け、ロイ。そして生きろ。お前にはまだやるべきことが残っているだろう」
そう言い残して彼もまた僕の前からいなくなった。
唐突に炭酸飲料の入ったボトルを開封した時のような空気の漏れる音を聞いた。
続いて何か機械の駆動音がして、温かい外気が僕の身体を包み込む。何故だか酷く寒かった。
ゆっくりと重い瞼を持ち上げる。
白塗りの壁と天井、備え付けられた最新型の医療機器、一目で医務室だと分かる。
僕は霜の付いた敷布に手をついてカプセル型の床から身を起こす。
「……治癒カプセル、か」
自身の眠っていたベッドのような治療機器に目をやってぽつりと呟く。
肉体を急速に冷却することで細胞の死滅や腐敗を遅らせ、その上で治療を行う医療システム。
恐らくはアウルローゼでの戦闘の後、誰かが僕にこのシステムによる治療を施したのだろう。
無意識に身体が震える。
それもそのはず、裸のまま治癒カプセルに入れられていた僕の全身には大量の霜が付いており、外気に触れたことでそれが全て融けて冷水の粒となって僕の身体を濡らしているのだ。
「寒いな」
思わず自分で自分を抱いたその時だった。二重に設けられた治療室のスライドドアが一枚づつ開く音を聞いて僕は流れるように視線を向ける。
僕一人だけの治療室に入ってきたのは軍医でも看護師でもなくて一人のメネア連邦軍士官だった。
珍しい翠緑種の淡緑色の髪と翡翠色の瞳。その上、頭に《RAGE》専用のヘッドセット型デバイスまでつけていたものだからすぐに彼女だと分かった。
こちらに気づいたらしい彼女はその翡翠色の瞳を大きく見開いてから二度ほど瞬く。
「やあ、リア。久しぶり」
「……ロイ」
小さく彼女が言って、控えめに微笑む。
分からいほど小さな表情の変化。けれども彼女が微笑んでいると確信が持てた。
アメリアは控えめに軍靴を鳴らしつつ歩み寄る。
「……大丈夫……?」
「死に損なったな」
軽い笑いとともに返した。
「……」
アメリアの瞳が翳る。軽い冗談のつもりだったのだが、彼女の捉え方は違ったようだ。
「冗談だよ。僕なら大丈夫だ」
「……なら、よかった」
一瞬、安堵したような表情を見せた彼女は近場の戸棚からタオルを取り出してこちらに差し出す。彼女は身体を拭けとは言わなかったが、間違いなくその意図で渡されたものだと察し、受け取ってすぐに身体に付着した水分を拭き取る。
直前まで保温されていたらしいタオルはとても心地が良かった。
「……今回は、早かったね」
ややあって彼女は言う。
「ん? 何が……?」
「……目覚めるの」
ああ、と小さく漏らす。三十年前とは治癒カプセル自体の性能が違う。人類が科学技術の進歩を謳うなら、そうあってくれなくては困るというものだ。
僕は少し考えて、それからふと思った。
段々と込み上げてくる焦りに、思わず立ち上がってアメリアを見つめる。
「リア。僕はどれくらい眠っていた? あれからどれくらい経った?」
特に意識しているわけではなかったが、声量が少し大きくなった。
彼女は困惑した様子を見せつつも、口を開けて何か言い出そうとするが、すぐにそれを閉じてしまう。
翡翠色の瞳が行き場をなくしたとでも言うように彷徨い、傍へと逸れる。
「……ろ、ロイ」
アメリアにしては珍しく動揺を孕んだ声音だった。
「……見えてる」
彼女が僕の下腹部を見やって、すぐにまた目を逸らす。
ようやく動揺の理由を理解し、すぐにタオルで覆い隠す。
それが風呂上がりを思わせる姿で不恰好極まりないとは承知していたが、この部屋には服らしきものが何一つ見当たらないのだから仕方あるまい。
「ご、ごめん」
「……いい、ロイのせいじゃない」
アメリアは軽く左右に首を振って、それから視線を壁面に設置されたモニターへと移す。
僕もその後を追うように視線を向ける。
モニターは点灯していなかったが、僕の求めていた答えが右端に小さく表示されていた。
《機甲暦813年12月20日 13:26》
表示を見やって少しばかり目を見張る。
アメリアは早かったと言ったが、それでもアウルローゼでの戦闘から一年とはいかないにしろ、それに近い時間が僕の寝ている間に経ってしまっている。
それを理解した瞬間に彼女の笑顔が、必ず戻ってきてと、そう言って笑ったリンの顔が脳裏に浮かんで消えた。
――怒ってない、わけないよな……。
小さく嘆息。また打たれたくはないななどと考えていたその時だった。
「……う、く……!」
苦痛の滲んだ声を聞いて目を向ける。アメリアが壁に手を付き、余ったもう一方の手で額を抑えていた。
「リアッ?! 大丈夫か?」
彼女は答えない。返るのは荒い呼吸音だけだ。
「頭が痛いのか?」
一歩彼女に歩み寄る。アメリアが一歩後ろに退いた。
「来なぃ、で……」
「リア、どうしたんだ?!」
僕が近づこうとするのを必死に拒絶するアメリア。
ふと彼女の淡緑色の髪から覗く”RAGE”システムのヘッドセット型デバイスの線状の模様が緑に淡く発光しているのに気づいた。
――RAGEが起動している。原因はこれか……!
彼女の頭のデバイスを取り外そうと手を伸ばす。
通常”RAGE”システムは機体登場時に起動させるものだが、ある程度の距離であればシステムを起動したままコクピットを離れることが出来る。
僕が昔オーバーブレイブスに所属していた頃はこの特性を機体の遠隔操作目的で乱用したものだが、実際、遠隔操作の範囲はそこまで広くはないので特別便利だったわけではない。
伸ばした手を彼女が後ろに退いて避ける。
「来ないで……」
「どうしてさ! RAGEシステムの負荷を受け続けたら君の身体が――!」
「……お願い」
僕の言葉を遮って彼女が言う。どこか思い詰めたようなその声は微かに震えていた。
「……私は、大丈夫だから」
「……」
分かっている。アメリアの言う大丈夫は大抵そうではないことくらい簡単に気づけた。
それなのに僕はそんな彼女かける言葉すら見つけられずに、ただ黙って見つめることしか出来ない。
「……ごめんね」
アメリアがぽつりと言って、部屋の出入り口の方へと向かう。
おぼつかない足取りで、左右にふらふらと揺れる様は見ているこちら側が不安になるほどだった。
スライドドアの開閉音。
彼女の姿が扉の向こう側へと消える。
僕は再び一人となり、静寂に包まれた部屋に溜め息が響く。
伸ばしたままの、何も掴めなかった手が力を失って垂れた。
一言でもアメリアに声を掛けていればという後悔の念が自分の中で次第に大きくなってゆく。
「ああ、僕はなんて意気地なしなんだ……」
*
〈RAGE〉システムの負荷により激しい頭痛に襲われたアメリアはふらつく脚で治療室を出る。
部屋の扉のすぐ傍に止めていた車椅子に腰掛けてシステムを強制解除、ヘッドセット型のデバイスを取り外すと頭痛はすぐに軽くなった。
ここは第九八番天蓋区画内の総合軍病院。その地下に位置する特別治療室である。
アウルローゼでの戦闘によって第〇六治安維持機甲隊はヴァッサー・シュパイヤー少尉を始めとする六人の隊員を失い。その代償として《天使の反逆》以降行方知れずとなっていた〈ラーグルフ〉の捕獲に成功した。
しかし、戦闘によって〈ラーグルフ〉は大破、パイロットであったロイ・グロードベントも重傷を負い、一度スラビア共和国の天蓋区画内で応急処置を施された後、最新の治療機器が揃っているこの病院に移されたというわけだ。
彼の身柄の搬送に伴って、第〇六治安維持機甲隊も第九八番天蓋区画へと帰還したので、彼の治療が行われている病院の別の一室で生活している私は、その近さゆえに空いた時間を見つけてはこうして彼の様子を見に来ていたのだが……。
深く溜め息を吐いた。手の中の銀に輝くデバイスを呆然と見つめる。
この期に及んで何を迷っているのだろうか。
彼は優しい。きっと私の両足が使えないことを知ったとしても、今まで通りに接してくれると思う。
けれどもし、もしもそうでなかったらと、どうしても考えてしまうのだ。
もしも真実を知った彼に拒絶されでもしたら、私はきっと立ち直れない。
そのことがどうしても怖くて、だから私はそうなるくらいなら隠していようと決めたのだ。
たとえそれが〈RAGE〉システムで誤魔化した偽りの自分でも、彼の目には以前の私として映るはずだから……。
「私の、馬鹿……」
ぽつりと呟く。
どうしよもないくらいに怖がりで、いつも逃げてばかりの自分が情けなくて仕方がなかった。




