彼の地を知る者
ミサイル攻撃の終了後、僕は混乱に乗じて単身でアウルローゼ施設内へと侵入した。
巨大なドーナツのような建物の中は灰色で全てが統一されており、照明は灯っておらず、非常灯だけがエントランスと廊下を薄暗く照らしている。停電している様子はないので館内証明を落としてその分の電力を他に回しているのだろう。
ちなみに〈ラーグルフ〉は光学迷彩を使用した状態で敷地外に広がる密林の中に待機させている。
敵に発見される可能性もないわけではないが、電波妨害によるレーダー関係への影響を考えればそう簡単には見つけられまい。
「結構距離があったな」
あらかじめミサイルでアウルローゼの敷地を取り囲んでいた壁の一部を破壊しておき、侵入路を確保していたのは良かったが、そこから収容施設本体までの距離は予想以上のものだった。
「これはラーグルフを取りに戻るのが大変かもしれない」
若干の不安を抱きつつ、後ろを振り返る。
ちょうど自分の入ってきたガラスの扉が閉まって行くところだった。
そして館内には出入り口の防壁、つまりは今閉じたガラス扉に重なるように展開して施設を守る鋼鉄製の壁が、もう少しで展開されるという警告の放送が繰り返し流れている。
「急ごう」
言って、僕は大きく一歩を踏み出し、灰色のタイルを踏みしめる。
向かうのはアウルローゼの全てのシステム管理を行なっているコントロールルームだ。
流石に施設内のマップを入手できているわけではないのでとりあえず近場の多目的ルームらしき部屋に駆け込む。
鍵がかかっていたが、指紋認証式などではなくタッチパネルで数字を打ち込むタイプの旧型のものだったのでアウルローゼを共同管理しているメネア連邦の非常用コードを打ち込むとすぐに開いた。
続いてディスプレイ複合型の机に歩み寄り、天板に埋め込まれたキーボードを表示するための電子モニターに触れる。
起動した電子モニターが光を帯び、ホログラムのディスプレイモニターが展開する。
ふ、と薄く笑った。
こちらのコンピューターにもやはりロックがかかっているが、扉と同じく旧型のもの。
どうやらスラビアという国は人間と関係が薄い施設にはとことん金を使いたくないらしい。
素早くキーボードを操作して扉と同じ方法でロックを解除する。
それから軽い検索をかけただけで簡単に施設内のマップは手に入った。
「地下か……」
マップを見やって小さく呟く。アウルローゼのコントロールルームは地下にあった。
大事なものは埋めてしまおうという作り手たちの意図が容易に読み取れてしまい、再び笑いを含んだ吐息を漏らす。
経路を確認後、コンピューターの電源を適切な手順を踏まずにそのまま落とし、堂々と部屋を後にする。
堂々と言っても周囲の警戒を怠るわけではない。敵に気づかれる前であれば変に隠れるよりもそうしていた方が怪しまれないのだ。
灰色のコンクリートがむき出しで暗い雰囲気を漂わせるアウルローゼの室内を駆け、地下へと通ずる階段を駆け下りる。途中幾人かの士官たちとすれ違ったが、メネア連邦軍の正式な軍服を着こんでいたためか侵入者だと気付かれもしない。
コントロールルームの前まで来ると丁度その部屋から焦った様子で出てきた共和国軍人と衝突しそうになり、慌てて足を止める。
「おい貴様ここで何を……」
言いかけた共和国軍人が不自然に言葉を切った。その瞳がある一点を見つめて僅かに見開かれる。彼の視線は真っ直ぐ僕の襟元で輝く階級章を見つめていた。
「失礼、メネア連邦の上級大尉殿でありましたか。何か御用でしょうか?」
その態度の変わりように一瞬浮かべた驚きの表情を、すぐに隠す。
これは利用できると瞬時に思い至った。
「上から、館内放送で指示を出すように頼まれてね。ここから放送は可能かい?」
「ええ、できますとも。今ロックを解除するので少々お待ちを」
彼が壁に埋め込まれた電子モニターに手を翳すと開錠を示す電子音が鳴り、耐熱、耐衝撃性に優れた鋼鉄の扉がスライドして開く。
開いた扉から中の様子が少しだけ窺えた。円形の部屋だ。中央にはアウルローゼの立体ホログラムが展開し、それを取り囲むようにモニターの埋め込まれた特殊なドーナツ型の机が配置されている。
「さあ、どうぞ」
「おう、ありがとよォッ!」
「な……?!」
すかさずレイが彼の頸部に手刀を叩き込んだ。なすすべもなくその場に倒れ伏す共和国軍人に目もくれず、コントロールルームに駆け込む。
それとコントロールルームで施設の管理を行っていた者たちがこちらを向くのがほぼ同時。
明らかに困惑の表情を浮かべる士官達。人数は三人、うち二人は席に付いている。
「貴様、何者だ?!」
唯一起立していた共和国軍の男性士官が腰のホルスターから拳銃を抜く。
しかし、僕の相棒であるレイの動きはそれよりもずっと速かった。
「遅ぇッ!」
急接近し、身を低くした状態で上へと振り上げた拳が士官の顎下に食い込む。
「がッ……」
ふら付きながら一歩二歩と後退した彼が後ろに倒れ、タイルの床に後頭部を強打して動かなくなる。
「ッ?!止まりなさい!」
そう言って拳銃を抜きつつ椅子から立ち上がったのはメネア連邦の軍服に身を包んだ女性士官。
「嫌なこったァ!」
レイが咆える。彼女の顔が恐怖に歪んだ。
銃声。
彼女が構えた拳銃の引き金を引いたのだ。レイが口元に獰猛な笑みを浮かべる。
軽い身の捻りで飛来してきた銃弾を避け、女性士官の鳩尾に拳をねじ込む。
「うッ……!」
一瞬苦痛に染まった彼女の顔から表情が抜け、先程の男性士官たちよりも軽い音を立てて床へと倒れる。
そのまま視線を最後に残った共和国軍の軍服を着こんだ男性の方へと移す。
震える手で手元のキーボードを操作している彼。一目で周りに今自分が置かれている現状を別の仲間に伝えようとしているのだと分かった。
「おいテメェ、何してやがる……?」
「ひっ……!」
席に付いたままの彼の手が止まる。
「余計な事すんじゃねぇ。邪魔だ」
レイが腰のホルスターから拳銃を抜き、構える。
――レイ!駄目だッ!
咄嗟に叫んだが声にはならなかった。
銃声が起こり、一瞬のマズルフラッシュが部屋を照らす。
気付けば既に眉間に穴を穿たれた男性士官が椅子の上で項垂れていた。
レイから身体を返される感覚を感じつつ、重い嘆息を一つ。
「あれだけ殺すなと言ったのに……」
――うるせぇ、外で散々殺っちまってんだ。今更一人死んだところで変わりやしねぇだろうがよ……。
「レイは命ってものを軽く見過ぎなんだよ」
――テメェだって同じようなもんじゃねぇか。
「それは……」
返す言葉を無くし、押し黙る。勝ったとでも言うようにレイが薄く笑った。
同じ身体の中に存在している以上、僕はレイでレイは僕だ。その事実は変わらない。だから、レイがしたこと、あるいはしていることを僕の責任ではないと言うことはできない。
再び嘆息し、それから部屋の中央に配置されたコントロールデスクに向き直る。中央に立体ホログラムで構成されたアウルローゼがあり、それには各部屋番号とともに収監されている獣の個体番号と思われる数字が並んでいる。
デスクにある複数のキーボードモニターの内、近場の一つを操作して監房の開錠を試みる。
一つ一つ監房を回って開錠していくことも可能だろうが、それでは時間がかかり過ぎる。
コントロールルームから直接アクセスして一度に全てのロックを解除する方がより効率的だ。
そして開錠における全ての手順を完了するまでそう長くはかからなかった。
最後に登録指紋の認証があったので気絶した女性士官を担いで運ぶ。
――お前、そんなにこの女が好きだったのかァ?
唐突にレイがそんなことを聞いてきたので、僕は嗤ってしまった。
「馬鹿を言うな。ものを運ぶ時に重量を考えるのは当然だろう」
女性士官の手を認証画面に押し付ける。ほんの一瞬だけ“loading”の文字が表示され、それからアウルローゼの全監房と出入り口を閉ざしている隔壁のロックが解除されてゆく。
すぐさま館内へ放送を開始。
「この監獄に囚われた全ての者たちに告ぐ。今、監房のロックを解除した。これで君たちは自由だ!」
次の瞬間、上層階が揺れた。大方、囚われていた獣たちが動き出したのだろう。
――ロイ。一部屋開いてないぜ。
息を吐く間もなくレイが言い、すぐさま立体ホログラムへと視線を向ける。確かに一か所、最上階の一部屋だけが開錠を示す表示が出ておらず、部屋番号が赤く点滅している。
開錠の手順をもう一度行うがやはり開かない。
「くそっ……こういう時に限って!」
表示された“error”の表示を睨みつけ、僕はその部屋を開錠するための非常用コードを発行する。
このコードを該当の監房のロックシステムに打ち込めば強制的に開錠できるが、そのためには場所を移動しなければならない。
加えて、今回開錠できていないのは最上階の角部屋。不運なものだ。
数秒の待機の後に、モニターに表示された四桁の数字を素早く暗記。駆け足でコントロールルームを後にし、近場の階段を駆け上がる。
地下から一階へ、一階から二階へ、疲れも気にせず大股で階段を登ってゆく。
途中すれ違った獣から礼を言われたときは驚いて足を止めてしまったものの、それを除けば停止という動作をほとんど行わずに最上階である十階へと到着した。
「助かった。感謝する」
丁度最上階へと続く階段を登り切った辺りで再びすれ違った獣にそう言われ、僕は反射的に振り返る。
「なんで僕だと気付いた?」
不審に思って僕は尋ねる。彼らが事前に僕が来ることを知っていたということはありえないはずで、本来なら憎むべき人間の軍人として袋叩きにあってもおかしくはなかったのだ。
頭にガゼルのそれに似た二本の角を持つ彼が振り返る。口元には薄い笑みを携えていた。
「霊魂と共にあれば、自ずと気づくものだ」
「霊魂……」
「そうだ。其方も急げ、こうなった以上、人間は同族とて容赦なく殺しにかかるぞ」
そう言って彼は手を伸ばしてくる。この手を取れという意味なのだろう。
僕は一度ゆっくりと呼吸をして、それから首を横に振った。
「すまない。一緒にはいけないよ。まだやらなければいけないことがあるんだ」
「……そうか。ならば、其方に霊魂の加護があるように、翠ノ陣、“瞬”」
彼が伸ばしていた手を軽く振るう。途端に周囲に沢山の霊魂が現れ、淡緑色の輝きを放つ。その光は次第に強くなり、やがて僕という一点に集中したかと思うと次の瞬間には消えていた。
「行け、軽い術だ。それほど長くは保たん」
「……ありがとう」
その獣の優し気な笑みに礼を返して、僕は彼とは逆方向に走る。彼の言っていた術とやらの正体はすぐに分かった。
身体が軽いのだ。そのおかげで足の回転が増し、より速く走れる。
リンもこんな術を使えるのかと一瞬思い、そしてすぐに今は必要ない思考だと気付いて振り払う。
問題の監房にはすぐにたどり着いた。監房の番号を表示しているモニターのすぐ下に数字を打ち込むためのモニターがある。
それに手を伸ばし、人差し指が触れる直前で手を止める。額に冷や汗を滲ませつつも、忘れかけていた解錠コードを思い出して入力。
解錠を示す電子音が鳴り、スライドドアが開く。
監房の中は明かりが灯されていなかったが、けれど中に居る獣の深紅の瞳が一つ、不気味に光っているのだけははっきりと分かった。
「自由だとかタチの悪い冗談を言ってやがったのはお前か」
嫌な笑いを含んだ声が僕の鼓膜を揺らす。低い声音から雄性体の獣だと察しがついた。
「僕の言い訳を聞く気はある?」
「いや、聞かなくたって分かるさ。本当に冗談ならこんな所まで来やしねぇ。そうだろ?」
監房の奥で黒い影が立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。
朧げだったその姿が非常灯の明かりに照らされて鮮明になり、はっきりと僕の瞳に映った。
背の高い獣だ。二メートルくらいはあるだろうか。細身だが、洗練された身体を無地の囚人服に包み、その瞳は切れ長で威圧感すら感じるほどに鋭い。
どこか野性味を感じさせる顔立ち、肌は浅黒く、髪は白に近い灰色で、長く伸びた前髪が顔の右側をほとんど覆い隠してしまっている。僕はなぜ一つの瞳だけが光っていたのかをようやく理解して、安堵にも似た息をつく。
そして目の前に立つ彼もまた、獣の特徴として整った三角の獣耳(リンのそれよりも短い)と髪と同じ灰色の毛に覆われた尾を持っていた。
「わざわざ助けに来るとは物好きな人間もいたもんだ」
切れ長の瞳が僅かに見開かれ、口元に獰猛な笑みを浮かべる獣。
人間のそれよりも長く鋭い犬歯が覗き、それで僕は彼が狼なのだと確信する。
「お前、一体何が目的だ?」
「悪いけど長話はしていられない。外の騒ぎが収まる前にここから出るんだ」
「訳を話せ」
「時間がないんだ」
「いいから訳を話せッ!」
狼の獣が僕の胸倉を掴み上げて、その拍子にひらりと僕の纏う軍服から何かが落ちた。
足元に落ちたそれを狼の獣が拾い上げる。
「写真……?」
ぽつりと呟いた彼、その視線が手元の写真へと落ち、再び深紅の瞳が見開かれる。
「お前、この場所、リンの……」
言いかけた彼は慌てて口を噤んだ様だったが、僕にははっきりと聞こえた。
「リンを知っているのか?!」
「あぁ?テメェこそなんでリンを知ってやがる」
あからさまに訝しげな表情を見せる彼、それを気に留めることなく僕は食い付いた。
「教えてくれ、リンは今どこにいる?この場所はどこなんだ?」
「いきなりなんなんだお前は。というか、なんで場所を知らねぇくせに写真だけ持ってやがる?返答次第じゃ、今ここでお前をぶち殺すぞ?」
「それは……」
僕は言葉を失う。彼の言葉から以前彼女とともに訪れたあの場所が人間の入ってはいけない場所だと察しがついた。少なくとも人間が立ち入って好印象を持たれるような場所ではないのは確かだ。
正直に事情を説明するのも一つの手ではあるが、今の僕にはあの時リンと共にいたことを示す証拠がない。
信じてもらえなければそれこそ終わりだ。
「止まりなさい!」
突然、別方向から響いた声に僕も狼の獣も反射的に声のした方へ目を向ける。
少し離れた位置に共和国軍の軍服に身を包んだ女性士官が立っており、拳銃を握る右手に左手を添えた安定感のある構えで銃口をこちらに向けていた。
舌打ちを一つ。
リンという名前が出てきたために気を取られ、周囲の警戒を疎かにしていた。
「僕が時間を稼ぐ、君は逃げろ」
目の前の獣へ向け小声で言う。彼は納得できないとでも言うように顔を顰めた。
「分からねぇな。人間のテメェがなんで俺たち獣の世話を焼く?」
「勘違いするなよ。僕はただ、自分の望みを叶えるために戦ってるだけだ」
「……そうかよ。なら、とりあえずはそういうことにしておいてやる」
彼が退いた。床のタイルを砕くほどの力強い一歩。瞬く間にカーブを描いた廊下の向こうへ姿を消す。
しかし、女性士官が手にした銃の引き金を引くことはない。
銃口を向けられた時から分かっていたことだ。彼女は始めから僕しか見ておらず、拳銃の狙いも僕に定めたまま動かしていない。つまり用があるのは僕だけということだ。
僕は彼女の藍玉の瞳を見て言う。
「さて、話を聞こうか」
女性士官が口を切り結んだのが見て取れた。




