廃品の少女
「では、今回の防衛作戦についてですが……」
機甲暦八一三年三月九日。
アウルローゼ内に臨時に設けられた会議室、薄暗いその部屋で壁一面に設置されたスクリーンをぼんやりと眺めつつアメリア・ヒューリスは密かに溜め息をついた。
作戦の情報や資料が表示されたスクリーンの前では珍しい髪色の共和国軍女性士官が作戦の概要を説明している。
先日、私が風邪を拗らせた日に彼が持ってきてくれた情報端末に記されていた第○六治安維持機甲隊の次なる任務。それが隣国スラビア共和国と共同管理している収容施設、アウルローゼの護衛だった。
《天使の反逆》で第○六治安維持機甲隊の前隊長、副隊長は戦死。代わりに私が隊を任される事になったのだが、当然務まるわけもなく隊の中の人間関係は最悪だ。
――もっと、私が、ちゃんとしてれば……。
密かにそんなことを思いつつ、隣に立つミサカ准尉を横目に見やる。やはり頰の傷を保護するためのガーゼが目立っている。
それは先日、他でもない私のせいで彼が負った傷だ。
――ごめんなさい……。
私が言わなければいけない言葉、けれど言えずにいるその言葉を今日もまた飲み込む。
それは一週間ほど前の、アウルローゼ防衛任務について隊員たちを集めて話した時の出来事だった。
「冗談じゃねぇ、これ以上付き合っていられるかっ!」
第九八番天蓋区画のメネア連邦軍基地におけるミーティングルームで私が任務についての流れを説明し終えるその前に隊員の一人が椅子を蹴って立ち上がった。
「誰が好き好んで仲間殺しの命令なんか……!」
そう言って彼、ヴァッサー・シュパイヤー少尉は蒼海種の特徴的な青髪を掻き乱す。
「……シュパイヤー少尉、落ち着いて」
「五月蝿い!落ち着いていられる状況か!」
彼は荒い足音とともに私に歩み寄り、軍服の胸倉を掴み上げる。
「あんたと同じ部隊ってだけで虫酸が走るってのに……大体、あんたがカミールを殺ったりしなければ、隊長だって……!」
「……」
押し黙る。私が誤射で殺めてしまった彼のことを引き合いに出されると何も言い返せない。
「……表情の無い女とはよく言ったもんだな」
「顔に出さなけれりゃ、ヴァッサーが諦めると思ってんだろ」
周りから別の隊員たちの会話が聞こえてくる。少尉のように行動にはせずとも彼らもまた私に不満を抱いていることに変わりない。
「おい、ヴァッサー。もういいだろ?」
そしてその会話をかき分けるようにそう言ったのはミサカ准尉だ。
「黙れ、ミサカ。こいつの肩を持つのか?」
「こいつって、彼女は上官だぞ?それに、もう上層部から相応の処分を受けている」
私の胸倉を掴んだままのシュパイヤー少尉。その手に力を込めるのが分かった。
「処分って、なんだよ……」
彼の手が震える。音が聞こえてきそうな強い歯軋り。
「仲間の命が、たかが一階級の降格で済まされてたまるかっ!」
右頬に強い衝撃。車椅子から放り出され、私は地面に倒れ伏す。口の中に広がる鉄の味、握り拳で殴られたのだとすぐに分かった。
「ヴァッサー!お前っ!」
ミサカ准尉が勢いよく立ち上がる。
「だってそうだろ?!こんなんじゃカミールがあまりにも不憫すぎる!」
「だからって殴ることがあるのか?!」
シュパイヤー少尉に歩み寄るミサカ准尉。いつにも増して強気だった。
そんな彼らの間に別の隊員達が割って入る。
「ミサカ、なんでお前はそこまであの女を庇う?」
「そうだぜ。まさか、惚れてるとか言わないよなァ?」
「個人の情は今関係ない。よく考えろ、仲間同士で言い争って、そっちの方がおかしいだろ!」
「先にその仲間を殺したあの女に言いやがれ!」
シュパイヤー少尉が一歩前に出て一喝。
ここぞとばかりに他の隊員たちも続く。
「あの女が全部悪いんだ」
「あいつさえ消えれば俺たちは元通りなんだよ!」
ミサカ准尉は一度大きく黒い瞳を見開き、強く歯噛みする。その両肩は小刻みに震えていた。
「……そういうことか、お前ら皆んな、グルなのかよッ!」
ミサカ准尉がそう言った瞬間に気づいた。上半身の筋力だけで半身を起こし、彼の方へと無意識に手を伸ばす。
「准尉、駄目……!」
結果から言うと、私の言葉は届かなかった。
ミサカ准尉がシュパイヤー少尉の顔面を思い切り殴る。少尉の身体が大きく後ろへノックバック、会議室の床に尻をつく。
「がっ?!ミサカ、てんめぇッ!」
そこから先は殴り合いと言うよりも嬲り殺しのようだった。
他の隊員達がシュパイヤー少尉の側について、ある者はミサカ准尉の身体を取り抑え、また、ある者は少尉と共に准尉を暴行する。
私はただ呆然とその光景を瞳に映す。
――私のせいで、また、人が傷ついていく……。
胸の奥が、締め付けられるように痛い。
「…………やめ、て……」
小さく呟く、その声は掠れていた。
腕の震えを思わず握った拳に力を込めて何とか抑える。
「もうやめて‼」
会議室に響き渡った甲高い大音声。
それが私の声だと分かった時、その部屋いいた全員が、まるで時間を止められたかのように動きを止めた。
そしてその声の主である私の方へと視線を向ける。
「……私を罵るのも、殴るのも、構わない。けど、貴方達同士で、傷つけ合うのは、やめて……」
小さく一息、
「……だって、仲間、なんでしょう……?」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
どれくらいそれが続いただろうか、やがて隊員の一人が嘆息し、握っていた拳を開く。
それに続くように一人、また一人と拳を開いてゆく。
そして、最後にはミサカ准尉とシュパイヤー少尉の二人だけが組み合った状態で残った。
少尉の舌打ち。
彼は一度大きく拳を振り上げ、けれどそれを振り下ろしはせずに准尉の胸倉を掴み上げていた手を振り解いた。
蒼海種の深海の瞳がこちらを睨む。
「勘違いすんな。俺はあんたを仲間とは認めない」
凍てついたような冷たい彼の視線。ああ、と心の中で嘆息する。
やはり私は、人と関わるべきではなかったのだ。
――私は廃品……。
始めから彼らのような使用可能な部品たちの中に混じってはいけない存在。
廃品は必ず歪みを生み、全体の機能を阻害する。
――私と関わった人は、皆、傷ついて……。
先日夢に見たロイの姿が脳裏をよぎる。《突きの襲撃事件》において彼は私を庇って倒れた。
彼もまた私に関わったが故に傷ついた者の一人なのだ。
――ロイも、ミサカ准尉も皆、私のせいで……。
無意識に奥歯を噛み締める。他人を傷つけることしかできない自らの運命を呪ってしまいたかった。
――周りを、傷つけることしかできない私なんて……。
周りに歪みをもたらすことしかできない廃品。そんな自分に存在意義は無い。
――消えちゃえば、いいのに……。
「……中尉、ヒューリス中尉」
ミサカ准尉のその声で我に返る。気づけば目の前で行われていたはずの防衛作戦の概要説明は終わっていて、スラビア共和国とメネア連邦の士官達が会議室を出て行くところだった。
「どうしたんですか?ぼーっとして……」
「……なんでも、ない」
いつも通りに接したつもりだったが、彼は怪訝そうな視線をこちらに向けた。
「本当に?」
こういう時だけ勘のいい人だなと思う。けれど、本当の理由など言えるはずもなく、無言の頷きを返した。
もし、理由を話せば私が死にたがっていると思われて、まず間違いなく面倒なことになるのは想像に難くない。
「……作戦開始まで、まだ時間、ある。准尉も、休んでおいて」
「中尉はどちらへ?」
問われて私は動かし始めた車椅子の車輪を止める。
「私は……外に出て、少し、空気を吸ってくる。ここはなんだか、息苦しい」
「それなら俺、車椅子押しますよ」
「……え、でも……」
「俺なら平気です。どうせ暇ですしね」
彼が私の座る車椅子を押すためのグリップを握る。
「……准尉」
言いかけて、口を噤む。
私は人と関わってはいけない。けれど、そのために人を突き放すのも心が痛くて、言い出せない。
「外の空気を吸いに行くのでしたら、ここの屋上に行ってみてはどうです?」
唐突に別方向から透き通るような女性の声がして、私とミサカ准尉はそれに吸い寄せられるように目を向けた。
視線を向けたその先には、先程まで作戦の概要を説明していたスラビア共和国軍の女性士官の姿がある。
珍しいリーフゴールドの髪と蒼の瞳。それらは紛れも無い貴族の特徴。
スクリーンに表示された資料を確認しながら一つ一つ閉じているその様子から後片付けの途中なのだと分かる。
「屋上ですか?」
「ええ、アウルローゼは収容施設ですから居心地は最悪ですけど、屋上からの眺めだけは保証しますよ」
彼女は笑って、空も本物ですしなどと付け足す。
なるほど、それは確かに見てみたい気もする。
「もし、行くのでしたら西側エレベーターが屋上に直通しているのでお使いください。ああ、それと憲兵に何か言われましたらミランダ・グラスの名を出して許可を貰ったと言っていただければ結構ですので」
彼女はこちらを見やって優しく微笑む。彼女が何故か准尉の方へ一度ウインクをして見せたのは少し気になったけれど……。
「中尉、行きますか?」
少しだけ頰を赤らめたミサカ准尉が聞いてくる。
私は一度瞬いて、それからゆっくり頷いた。
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