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過去の断片

 昔の夢を見ていた。

 今よりもずっと昔に私と(ロイ)が初めて会った時の、その時の記憶だ。




 夕刻。誰もいない軍施設の一室、行き場を無くした廃品が一時的に集められるその小部屋のその端で翠緑種(ヴェルトゥー)の少女は一人、蹲っている。

 積み上げられたコンテナとジャンクパーツが詰められた金属製の箱の間で両の膝を細い両手で抱え、二つ並んだ膝小僧の間に顔を埋めてすすり泣いている。


――死んでしまいたい。


 少女は心の底からそう願っていた。

 大人たちの都合で訳の分からない手術や実験に何度も付き合わされ、その果てに運悪く生き残ってしまった私は軍にパイロットとして引き取られた。

 軍の大人たちは私に過剰な期待を寄せていて、けれど私にはその期待に応えられるような操縦ができなくて、気づけば幼いという都合のいい理由でお払い箱だった。

 幸せなど何一つない人生。

 こんな命なら今すぐ捨ててしまいたかった。


「君、こんな所で何をしてるの?」


 唐突に声を掛けられて私は固まる。恐る恐る視線を上げると目の前に黒髪の少年が立っていた。

 真っ直ぐにこちらを見下ろす緑玉(エメラルド)の双眸。

 誰だか分からなかったけれど、泣いているのを見られて恥ずかしかった。


「泣いてるの?」


 無視した。

 放っておいて欲しいと思った。


「僕でよければ話聞くよ?」

「……」


 無視した。無視していればいずれ諦めて私の目の前から居なくなるだろうと、そう思った。

 けれど、彼が諦める気配は一向に無くて、去るどころかジャンクパーツの入れられた鉄箱を退けると私の隣に腰を下ろす。

 それから何時間も、彼は私の隣でただひたすらに座り続け、遂に私は折れた。


「……なんの、つもり?」

「別に、僕がしたいことをしてるだけ」


 箱に入れられたまま放置されていたジャンクパーツを取り出して弄り回していた彼が視線もくれずに言う。


「嘘……」

「嘘じゃ無いさ」


 微かな微笑みを浮かべてみせる彼。

 そんな彼にこれ以上反論することもできなくて、狭い小部屋に沈黙が落ちる。


「ロイ」


 しばしの間を置いて、彼が言った。


「ロイ・グロードベント、僕の名前。君は?」

「……」


 自分も名乗らなければと思いはしたけれど、喉元まで出かかった自分の名をどうしても言うことはできなくて、再び口を閉じる。

 再び沈黙。彼が短く吐いた息が酷く重く感じられた。


「一つ聞きたいんだけど、」


 結局、私は名乗れず、ロイと名乗った彼が言った。


「君の中には()がいる?」

「……?!」


 大きく目を見開いて彼の横顔を見る。そんな私を彼が横目に見てきて薄く笑った。


「……なんで、それを……?」

「分かるよ。僕だって同じだから」


 言われて気づいた。彼もまた、私と同じ存在であると……。

 身体の隅々までを調べ尽くされ、弄り回されて、その果てに運悪く生き残ってしまった人の形をした道具(ツール)


「自分が生き残ったこと、運が悪いと思ってるだろう?」

「……」


 虚を突かれて私は黙る。心の内側を見透かされているようでなんだか気味が悪かった。


「睨まないでよ。だって今の君、昔の僕と同じ目をしてるんだもん」

「同じ、目……?」

「うん、死にたがりの目って言ったらいいのかな。おっ……」


 彼が短い歓声を上げた。見れば彼の弄っていたジャンクパーツの一部、ファンのようなものが回転している。

 私は廃品(ジャンク)であったはずのそれが再び動き出す姿を見て僅かに目を見開いた。

 更に一度瞬く、嘘ではない。確かにそのジャンクパーツは生きていた。

 “いらないもの”だからジャンクパーツと呼ばれているはずなのに、私と同じはずなのに、それは動いている。


――私は廃品、だけど、もしかしたら、まだ……。


 隣にいる彼に悟られないように深呼吸する。


「……ア」


 ちっぽけな勇気を振り絞って、小さくかき消えそうな声で私は言う。

 彼がその緑玉(エメラルド)の瞳をこちらに向け、僅かに首を傾げる。


「…………リア・ヒュー、リス。私の、名前……」

「リア・ヒューリス?」

「……もう、それでいい」


 抱えた両膝の間に再び顔を埋める。もう一度名乗る気にはなれなかった。


「リア。まだ死ぬには早すぎると思うよ?」


 つかの間の沈黙を破って彼は言う。


「……笑えない、冗談」

「冗談なもんか。今まで真面目に大人たちの言うことを聞いてきたんだろう?もういいじゃないか。ちょっと反抗、してみようよ」


 ロイが微笑む。その笑みには少しだけ悪巧みをしている時の少年のような面影があった。


「リアが今どこの部隊に所属して、誰の命令で動いているのかは知らないけどさ、君を道具か何かとしてしか見てない奴らなんて放って、僕の、いや僕たちの所に来ないか?」


 一瞬の間を置いて、彼は続ける。


「世界は広い。知らないものがたくさんある。僕は最近、それを教えてもらったんだ。リア、君が僕と同じ存在だからこそ、僕は君にそれを伝えたい」


 ちらりと彼の方へ視線を向ける。すぐに彼の澄んだ緑玉の瞳と目が合った。気恥ずかしと思う。けれど、何故か目が離せない。


「死にたがるのは一度、世界を見てからでもいいんじゃないか?きっと、考えが変わる」


 彼のその言葉に私はすぐに返事を返すことはできなかった。けれど、確かに心を揺さぶられて……。

 だから、次に訪れた沈黙を破ったのが彼ではなくて私だったのは多分、そのせいだ。


「僕、たち……?」

「僕の所属してる部隊のこと。周りからは上限越えの勇者たち(オーバーブレイブス)なんて呼ばれてるけど、名前くらいは聞いたことあるかな?」


 私は驚きのあまりに二、三度瞬いて、それから控えめに頷く。

 知らないはずがない。対機神特殊先鋭部隊、通称オーバーブレイブスはその名の通り対〈機神〉戦に特化した軍のエリートで構成される部隊である。

 当然その活躍ぶりには目を見張るものがあり、勇者と呼ばれるに相応しい功績も挙げていた。


「……駄目」


 少し迷って、私は言う。


「私、オーバーブレイブスなんて、そんな大層な者には、なれない……」

「なれるさ」


 彼が手にしていたジャンクパーツを金属製の籠の中へと放る。がしゃり、と重たい音がした。


「君が望むなら、絶対になれる」


 必ず、と彼はどこか力の入った声でそう付け足す。

 その自信がどこから生まれてくるのか私には分からなかったけれど、彼の提案を前向きに考えるきっかけにはなった。


「……少し、考えさせて」


 一拍置いて彼が頷く。


「じゃあ君の答えが決まるまで僕は君の隣(ここ)に居るよ」


 その晩、私は狭い小部屋の更にその端で、彼と共に眠りについた。

 誰かと眠ったのは随分と久しぶりで、私は長いこと忘れてしまっていた他人の温もりを思い出せた気がした。




 ゆっくりと目を開ける。そこには見慣れた病室の天井があった。

 寒いようで暑い、明らかに異常な感覚。まだ熱は下がっていないらしい。

 寝台に寝かされた状態の私は瞳だけを動かして周囲の様子を窺う。

 寝台の左側には薬剤のパックがセットされた新型の点滴台、その針は私の左腕へと繋がれている。

 そして右側には気を失った私をここまで運んできてくれたのであろうミサカ准尉の姿があった。

 病室の壁に仕込まれた展開式の簡易椅子に腰掛け、胸元で腕を組んで寝息を立てている。

 ゆっくりと息を吸う。

 一度半身を起こそうと力を入れてみるが、発熱した状態の重い頭はうまく持ち上がってくれなくて、けれども私は身体に力を入れ続ける。

 まだ仕事が残っているのだ。全て処理してからでなければ休むわけにはいかない。


「ヒューリス中尉……?」


 唐突に名を呼ばれ、私は完全に半身を起こすその前に動きを止める。

 見れば目を覚ましたらしいミサカ准尉が驚きの目でこちらを見つめている。


「ちょ、何やってるんですか?!まだ寝てなきゃ駄目ですよ!」


 彼が起き上がろうとする私の身体を押し返して再び寝かせる。


「……でも、まだ仕事が……ケホケホ」


 言葉の途中で咳き込んだ。風邪の影響か喉に違和感を感じる。


「ほら、言わんこっちゃない。いいから横になってくださいよ」

「でも……」

「でもじゃない!」


 それでもなお起き上がろうとする私を寝台へと押さえつけるようにしながらミサカ准尉が強く言い放った。

 すっ、と私の身体から力が抜けて敷布(シーツ)へと沈み込む。

 互いの吐息がかかるほどの距離。

 険しい表情で呼吸とともに両肩を上下させている彼、そんな彼を私はただ呆然と見つめる。


「そうやっていつもいつも、貴女は……!」


 彼が不自然に言葉を切る。それから距離の近さに恥じらったのか頰を朱に染めて、焦ったように飛び退いた。


「……そうやって貴女はいつも一人でなにもかも背負って、その結果がこれです」


 一度深呼吸をして自身を落ち着かせてから彼は言う。けれどその声は確かに苛立ちの念を含んでいた。


「少しは俺を、貴女の部下を頼ってくださいよ」


 それから彼はその漆黒の瞳で私を見つめ、願い求めるように言った。


「……それとも、貴女の部下は信用に値しませんか?」


 続けて彼が問う。こちらを見つめたままの漆黒の瞳は僅かながらに揺れていた。

 私は驚きのあまりに目を見開き、そして瞬く。

 確かに彼の言う通りだと思った。周りの噂ばかりに気を取られて、私自身、余裕がなくなっていて、すぐ近くに力になろうとしてくれている人がいることに気づけていなかった。

 思い返してみれば、周りの人々がどれだけ私を罵倒し、嫌忌している時でもミサカ准尉だけは変わらず私に構ってきて、彼だけが私を”仲間殺し”ではない普通の人として見てくれていた気がする。

 だからきっと、彼は信じるに値する人なのだろう。


「……ねぇ、貴方に残った私の仕事、頼んでもいい?」


 ぽつりと言った。とたんに彼の表情が一変する。歓喜と期待、それに自信に満ちた表情。少なくとも悪感情ではない。

 そして彼は自信げに言うのだ。


「准尉の階級でこなせる仕事は既に終わってますよ」



 *


 俺がヒューリス中尉の残していた仕事を既に終わらせたことを伝えると寝台に横になった状態の彼女は俺の方をじっと見つめたまま両の瞳を僅かに見開く。

 それは彼女を知らない者では絶対に気づけないであろう小さな表情の変化で、けれどはっきりと分かった。

 影で”表情が無い女”などとも言われてる彼女であるが、顔に出にくいだけであって、驚きや、恥じらいの感情は絶対に表情として表に出ているのだ。

 額に冷却シートを貼っている彼女、その瞳が僅かに細まる。


「……嘘ばっかり」

「う、嘘じゃないですって、ほら、ちゃんと次の任務に関する情報も貰ってきたんですから」


 俺はすかさず司令室で受け取ってきた情報端末を取り出して見せる。

 それを見た彼女が無言で手を伸ばしてきた。

 情報端末を持つ右手を高く掲げる。伸ばされた彼女の白く、細い腕が端末を掠めて再び敷布の上に落ちる。


「駄目ですよ。熱が完全に下がるまでこれは閲覧禁止です」

「……どうして?」

「どうしてって、これを見せたらヒューリス中尉、仕事のことしか考えなくなるじゃないですか」


 溜め息混じりに俺は言う。彼女もその自覚はあるのか可憐な唇を結んで目を逸らす。


「准尉、意地悪……」


 そっぽを向いたままそんなことを言う彼女がどうしようもなく可愛くて、俺は取り落としそうになった端末を慌てて両手で捕まえた。


「と、兎に角、端末は見ちゃ駄目です」


 言いながら、端末を壁際に設置されたカウンター式のテーブルに置く。ベッドからは距離が離れている。ここであれば彼女が手を伸ばしても届かないだろう。


「ヒューリス中尉」


 少しばかり長く続いた沈黙を破って彼女の名を呼んだ。


「……何?」

「一つだけ、聞きたいことがあるんですけど……」


 躊躇い気味にそう口にする。正直なところ迷っていた。

 沈黙。


「……准尉?」


 肝心の問いを言えずにいる俺。彼女が小声で呼びかけるのが聞こえ、ようやく心を決めた。

 一度開きかけた口を、迷いのあまりに一旦閉じて、再び開く。


「軍を、辞めたいとは、思わないんですか?」


 体調を崩している彼女に質問なんてするものではないと分かっている。

 けれど、気になっていたのは事実だ。

 日を増して酷くなる周りからの誹謗中傷、広まる悪評や噂、それを全てこの目で見てきたからこそ俺は彼女に一度問いたかった。

 彼女からの返答は無い。

 俺は思わず唇を噛む。聞かなければよかったと少し後悔した。


「……辞めたくても、辞められない」


 俺が問いを投げてから随分と時間が経った後で、ぽつりと彼女は言った。


「私は、知り過ぎた……」


 そしてそれ以上、彼女は何も語らなかった。


 *



「そろそろ俺は宿舎に戻ります」


 夜八時を過ぎた頃、ミサカ准尉はそう言った。

 と言っても私が目覚めたのが午後六時頃だったので、私と彼が共に居たのは睡眠時間を除けば一緒にいた時間はそう長くはない。

 けれど、その間に彼は手厚く看病してくれて、正直なところそれには助けられた。


「……准尉」


小声で呼んでみる。気付いた彼がこちらを見た。


「どうかしましたか?」

「いつも、ありがと。私、こんな脚だから、結構、助かってる……」


 ふ、と柔和に笑って見せたつもりだったけれど、やっぱり上手く笑えている自身は私には無くて……。


「……おやすみ」


 せめてもと付け足して、点滴の針が刺さっていない右手を控えめに振る。

 彼は驚いたように何度か瞬いて、それから優しげな笑みを返した。


「ええ、おやすみなさい。ヒューリス中尉」



 *


 こちらに手を振ってきた彼女に俺も片手を挙げて応じ、少しだけ急ぎ足に病室を出る。

 後方で金属製のスライドドアの閉まる音を聞き、俺はロックの掛かったその扉にそのまま背を預けた。

 長く重い溜め息。

 白系統の光に照らされた病院の廊下、壁や天井、床も白系統で埋め尽くされた廊下は清潔間を感じられるという点では適しているのだろうが、どこか空虚感を覚える空間だと思った。

 先程の彼女の微笑みが脳裏に蘇る。

 以前ショッピングモールで見せたものと同じ、笑っているのに哀しそうな、そんな微笑み。


「だから、そんな顔しないでくださいよ……」


 ぽつりとこぼした言葉は病院の面会者に面会時間の超過を知らせる放送にかき消される。

 彼女にあんな顔をさせてしまった自分がどうしようもなく悔しくて、俺は強く拳を握った。


「分かってるさ。俺がどれだけ貴女に歩み寄って、貴女に尽くしても、貴女の心の傷を癒すことはできないって、分かってるんだ……」


 そう、彼女の背負っている……否、背負わされているものはとても重い。たかが俺一人で荷物持ちが務まるわけがないと、とうに気づいている。


「だけど、俺は……」


 言いかけて、開いた口を噤んだ。

 悔しくて、悔しくて、歯軋りをせずにはいられなかった。


――せめて、貴女に普通に笑えるくらいにはなって欲しいって、そう思ってます。


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