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休日の過ごし方

 第九八番天蓋区画の総合軍病院は十二階建ての病棟三棟とその他の関連施設からなり、メネア連邦に数ある病院の中でも最大と言われているほどには大規模な病院である。その役割は負傷兵の治療だけでなく一般の患者の診察や治療なども含まれている。

 その一般患者に対しての受け付けが始まる午前九時に俺は一般客として病院を訪れた。


 今日は非番だ。そして()()も非番。こんなことは滅多にない。

 だから今日は以前の謝罪だけでなく、ある事に彼女を誘おうと前々から決めていた。

 そのために今日は服装や見た目にも気を遣い、誘うための勇気と覚悟も準備してきたつもりだ。

 白を基調とした病院のロビー。ずらりと並んだ待ち合い用の椅子の横を通り過ぎ、中央の受け付けへと進む。


「すみません。一二○五号室のアメリア・ヒューリスさんと面会したいのですが」


 受け付け担当の看護師へと告げる。


「面会ですね。かしこまりました。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「ユウキ・ミサカです」


 目の前の看護婦が手元の電子端末を操作していた手をぴたりと止めた。

 俺が最近毎日のように病院へ来て、そして毎日のように面会できずに帰っていることを知っているのだろう。目の前の彼女は酷く気の毒そうな目でこちらを見つめ、それから少し焦りを感じさせる早口で言った。


「面会の許可が下りましたらお呼びしますのでお掛けになってお待ちください」

「はい」


 看護婦の苦笑に消え入りそうな返事を返し、待ち合い用のソファの端に腰を下ろす。

 それから一時間、受け付けが俺を呼ぶ気配は無くて、やはり駄目なのかと諦めかけていたその時、エレベーターの到着音が鳴った。


――ああ、あのエレベーターからヒューリス大尉が降りてきてくれたらいいんだけどな。


 などと考えつつエレベーターへと目を向けて、エレベーターから看護婦が二人出て来るのを見て溜め息を吐く。

 否、正確には溜め息を吐きかけた。

 思わず息を呑む。二人の看護婦が出て行った後、その後ろから見覚えのある車椅子を操って一人の少女がロビーへとやってきたのだ。

 珍しく、というより初めて見る私服姿で、白色のワンピースに夏用のカーディガンを身に纏っている。


「……」


 彼女がこちらに気づき、近づいてくる。

 そして、俺と手を伸ばせば届く程の距離まで来ると車椅子を止めた。


「ミサカ准尉、今日は……」

「…………」


 彼女が小さく首を傾げる。


「准尉……?」

「え?あ、す、すみません。朝早くから……」


 慌てて誤魔化す。見惚れていたなどと言えるわけがなかった。


「平気。今日は、どうしたの?前も言ったけど、謝ったりは……」

「ち、違うんです。今日はそれもだけど、もっと違う理由があって来たんです」

「……?」


 一度大きく深呼吸。両の拳を強く握る。

 断られたらきっと俺は立ち直れない。けれど言わなければ何も始まらない。

 震える唇を強引に動かして俺は口を開く。


「ひ、ヒューリス大尉。今日、俺と街へ出ませんか?」


 沈黙。

 我ながら馬鹿なことをしているなと思う。

 付き合ってもいない相手にデートの誘いをして、これで断られるのは当然のはずなのに、何故か断られることを酷く恐れている。


「……ごめんなさい」


 その一言に息がつまる。胸が締め付けられるように痛んで眼球の奥が熱い。


「どうして、ですか?」

「私がいると、准尉まで傷つけてしまうかもしれない。それは駄目……」


 俺は奥歯を噛み締める。

 断られることは予想していた。その理由もだいたいの検討はついていた。だからそれに対する対抗策は考えてきた。


「俺が傷つくとか傷つかないとかそんなのは関係ないです」

「……?」


 一呼吸置いた。あとひと押し。


「ヒューリス大尉、貴女はどうしたいんですか?」


 彼女の翠玉色の瞳が僅かに見開かれる。


「わ、私は……」


 言いかけて彼女は口を噤む。難しい質問ではないと思っていたが、思っていたよりも長く彼女は答えを考えていた。


「……分からない。私がどうしたいのか、自分でも、分からない……」


 一瞬の間。


「……そうですか。じゃあ言い方を変えます」


 俺の言葉に彼女が小首を傾げる。淡緑色の髪が重力に従って揺れた。


「ヒューリス大尉、俺が街へ出るのに付き合ってください」


 沈黙。ゆっくりと彼女が言う。


「……私、もう大尉じゃない」

「あ……」


 彼女の階級を間違えるのは初めてではないはずなのに、何故だかいつもより恥ずかしかった。


 *


 ミサカ准尉から街へ出ようと誘いを受けた。

 結局彼のその誘いを断ることができなくて、私は看護婦から借り受けた小さなポシェットに必要最低限の小物を詰め込んで病院の外へと出る。

 第九八番天蓋区画の都市部は高層ビルが立ち並び、そのどれもが見上げる程に高い。

 見上げる度に目がちかちかするホロスクリーンの空は昔と変わらないけれど、軍基地と病院以外の景色は久しぶりな気がした。


「ねぇ……」


 私はちらりと後ろに目をやって、私の座る車椅子を押してくれているミサカ准尉に言った。


「何処へ、行くつもりなの……?」

「とりあえず、マークタワーの方へ行こうかと思ってます。九八番天蓋区画で観光って言ったらあそこぐらいしかありませんしね」

「……そう」


 軽い返事を返して、私は他方へ視線を逸らす。

 流石、メネア連邦第二の都市と言われるだけのことはある第九八番天蓋区画だ。通りは広く、車道も歩道もよく整備がなされていて、車や人の通りも多い。

 一人で来ていたら確実に迷子になっていたことだろう。


「ヒューリスたい……中尉は何か欲しいものとかありますか?」

「……?」


 彼がいきなりそんなことを聞いてくるものだから、私は会話についていけず首を傾げるしかない。


「あ、すみません。その、マークタワーの近くってショッピングモールとかあるので、中尉は買い物とか興味あるのかなって」


 なるほど、そう言うことか。

 第九八番天蓋区画は大規模な天蓋区画でありながら観光という点においては決定打に欠けていた。

 そこで考えられたのが大型の展望塔を中心にショッピングモールや公園といった様々な施設を建設するという案で、反対立場の地域住民の意見を捩じ伏せて強引に建設が始まったと聞いている。

 三十年以上前、まだ私がオーバーブレイブスとして活動していた頃に、この天蓋区画に来た時はまだ中心のマークタワーすらも建設中だったので近くに建てられた施設の詳細などはすっかり忘れてしまっていた。


「……欲しいもの?」

「はい、中尉の欲しいものがあれば、まずそれを取り扱っているお店に行きましょう」


 そう言って優しげな微笑みを向けてくる彼。

 何か欲しい物の一つでも私が言えたなら、会話も続くだろうし、何より彼を困らせないで済むだろう。

 けれど自分が”欲しい”と思えるものは何一つ思いつかなくて……。


「思い、つかない……」


 結局口から出たのはそんなつまらない言葉。ミサカ准尉の薄い苦笑に私は胸が締め付けられるような感覚を覚える。


「ごめん、ね……」

「た、大尉が謝ることじゃありませんよ。それに、今は思いつかなくても、タワーに着けば欲しいものが見つかるかもしれませんから」

「……うん」


 これで何度目か、すぐに気づきはしたものの、ミサカ准尉が私の階級を呼び違えていることにはあえて触れなかった。

 それからしばらく私たちの間には沈黙が落ちる。

 通りを行き交う車の通行音、時折響くクラクション、近くを走る鉄道路線からの電車の走る音。道行く人の歩行音。

 それらが重なり合って私の耳へと届く。

 前にここを訪れた時よりも騒がしいそれは、三十年以上もの月日を経てこの天蓋区画がさらに発展した証なのだろうか。


「実は……」


 唐突にミサカ准尉は言った。


「俺もタワーに行って欲しいものとか、買いたいものとか無いんです」

「え……?」


 私には彼の言っていることがよく分からなかった。

 私も彼も欲しいものが無いならそもそもマークタワーへと行く意味そのものが無くなってしまうではないか。

 思わずミサカ准尉を見上げるように見つめた私に、彼は承知の上だと言わんばかりに頷く。


「今日、貴女を誘ったのは少しでも貴女の心が安らげばと思ったんです。軍ではいつも気を張っていないといけませんし、病院は窓が少なくて息が詰まるでしょう?」


 彼は一呼吸置いて、


「そんな大尉が少しでもリフレッシュできるような、そんな日になればって思ったんですけど、迷惑……でしたか?」


 自分で言って恥ずかしくなったのだろうか。僅かに頬を赤らめた准尉は照れ臭そうに頬を掻く。

 そんな彼に私は少しばかりの間を置いて言った。


「……余計な、お世話」


 准尉の小さな呻き声。距離が近いせいか表情が引き攣っているのがよく分かる。


「でも、病院にいるよりは、まし……」


 彼が僅かに目を見開いて瞬きを数回。そしてまるで無垢な少年のような、輝く瞳と笑顔で私を見返す。

 それはきっと感情を表現するのが苦手な私には到底真似できないものだ。

 だから、私はそんな彼が少しだけ羨ましく思えた。



 第九八番天蓋区画の南北を結ぶ鉄道に乗って二駅。

 俺はヒューリス中尉とともに《マークタワー北》の駅で降りる。

 この駅は大きく、改札がいくつかあるのだが、俺たちは中央の最も分かりやすい改札を使用して駅を出た。

 改札を出るとすぐにマークタワー下の広い室内広間に出る。

 広間の中央部には大きな金の時計が立つ。

 ちらりと文字盤を確認。ちょうど十一時になる頃合いだ。


「丁度いい。中尉、あれを見ていきましょう」


 彼女の視線が俺の指差している方向、広間中央の金の時計へと向く。


「……時計?」

「ええ、この時計は腕利きの時計職人が作ったものらしくてですね。一時間おきに長針と秒針が真上を指すと……」


 言い終える前に十一時を告げる音が鳴る。

 鐘ではなくオルゴールのようなどこか優しく、心地よい音色。

 時計の文字盤の、その下。仕掛け時計特有の無数の歯車が回り出し、見事な金属の人型像が動き出す。

 四体並ぶ少年少女の形をしたその像は、まるで天に祈りを捧げるような、そんな動きを繰り返し、それと同時に文字盤の上の明星を模したと言われる模様が動く。


 明星の円形の歯車が回転、中央の小窓が開き、奥から六枚の羽を持つ黄金の天使の像が現れた。

 仕掛け時計の文字盤の上に現れた六枚羽根の天使はその羽を何度か羽ばたかせる。

 天に向けて祈りを捧げる少年少女、彼らに光をもたらすかのように明るく輝く星から現れた天使。

 何度か見たことがある俺でさえ見入ってしまうほどの光景だ。


「……ルシ、フェル……?」


 不意に車椅子に腰掛けたまま仕掛け時計を眺めていたヒューリス中尉が、そう小さく呟くのが聞こえた気がした。

 六枚羽根の天使が小窓の奥へと消え、祈りを捧げる少年少女の像もそれに続いて止まる。

 そして時計の長針が右に動いた。


――ルシフェル……?


 明けの明星を表すというその言葉に俺はかつてそう呼ばれていた()がいたことを思い出す。


「ルシフェル。確かオーバーブレイブスの隊員でそう呼ばれていた人がいましたね」

「……?!」


 彼女が僅かに瞳を見開いてこちらを見る。


「知ってる、の?」

「それはもちろん、俺の生まれた天蓋区画で彼の名を知らない者なんていませんよ」


 彼女に微笑みを向ける。


「なんでも天蓋区画が機神に襲われた時にいち早く駆けつけて機神を退けたのだとか。俺はまだ生まれてもなかったんで見たわけではありませんが、それでも両親から沢山話を聞いて育ってきたのでオーバーブレイブス隊のルシフェルには憧れてます」

「……そう」


 彼女の表情がほんの少しだけ変わる。悲しげに細められる翡翠色の双眸。

 俺は彼女のその微かな表情の変化の意味を読み取ることが出来ずに、ただ彼女を悲しませてしまったのではという謎の不安に煽られる。


「あ、す、すみません」

「ううん、いいの」


 ゆっくりと彼女は首を振り、そしてもう一度金の時計を見る。

 暫しの間をおいて、彼女の可憐な唇が動いた。


「……准尉は、やっぱりルシフェルに憧れて軍に……?」

「はい。オーバーブレイブス隊のルシフェルのように、命を賭して弱きを守る存在になりたいって……」


 俺の口から溜め息にも似た吐息が漏れる。


「そう思って軍に志願したんですけど、やっぱり駄目でした」


 俺の脳裏に以前の初出撃のことが思い出される。

 何も出来ず、ただ隊長に庇われて撤退することしかできなかった自分。

 込み上げてくる悔しさや、自分の無力さに対する苛立ちを押し殺すべく、右の拳を強く握った。


「俺にはルシフェルのように誰かを守るために立ち向かう勇気も、誰かのために命を投げ捨てる覚悟も、彼にあったものが何一つ無いんです」

「……」

「それなのに俺は、ルシフェルのようにはなれないと分かっているのに、それが餓鬼の頃の戯言だと知っているのに、今でも俺は心の何処かで彼みたいになりたいって思ってるんです」


 自分を嗤いながら、馬鹿みたいですよねと付け足す。

 けれども彼女の返答は俺の予想とは大きく違っていた。


「……私は、貴方が羨ましい」

「羨ましい、ですか?」


 こくり、と小さな頷きが返る。


「私はもう、戦う理由を無くしてしまったから。准尉みたいに、何か自分の目指すものがあって、そのために操縦桿を握れるのがすごく、羨ましい……」


 彼女がこちらを見つめる。

 車椅子に腰掛けているせいで少しだけ上目遣いになっている翡翠色の瞳。


「……頑張って。ルシフェルみたいに、なれるように……」


 彼女が言った。

 俺は思わず両の瞳を見開く。

 正直、彼女のその言葉は意外だった。

 今までにも何度かルシフェルが目標であると口にしたことはあったが、それを嗤わなかった者は誰一人としていなかったのだ。そう、彼女以外には。

 それだけで俺は、今まで諦めかけてきた自分の目標に少しだけ誇りを持てた気がした。


「この話で俺を嗤わなかったのは貴女が初めてですよ」


 言いながら微かに()()


「……どうして?」

「だってルシフェルですよ。それになりたいだなんて無理があり過ぎるじゃないですか」

「……目指すものすらない私が、准尉を嗤う権利なんて、ない」


 くるりと彼女が自らの乗る車椅子をショッピングモールの方へと回転させる。


「だけど、気をつけて」

「気をつける?何をですか?」

「誰かに憧れを持つのは、とてもいいことだけど。強すぎる憧れは、砕けた時に大きな絶望を呼ぶ」


 俺には彼女が何を伝えようとしているのか分からなかった。

 そしてその言葉の意味を理解しようと思考を巡らせることもせずに生返事を返す。

 きっとこの時の俺はどうしようもないくらいに馬鹿で、だから気づきもしなかったのだ。

 彼女のその言葉は俺への警告であり、それを単なる会話の一部としてしか捉えていなかった俺が、この先深い絶望を味わうことになるということに……。

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